第一章
昨日のメール
『鍵の落し物について
From:Yurihara
To:自分
先ほどは突然お声かけてしまい、申し訳ありませんでした。
早速ですが、鍵をお返しするために都合の良い日程をお知らせください。私は16時以降であればいつでも大丈夫です。
場所はこの前と同じ扇弦駅でよろしいでしょうか。合わせて返信して頂けると幸いです。
よろしくお願い致します。』
このメールはあの時別れてすぐに送られてきたものだ。スマホにかじりついていたのですぐに内容を読んだ覚えがある。不安だったのだ。なにせメールアドレスを教えてしまったので、悪用されていないか心配だった。
でも本当のところは、女子高生とメールアドレスの交換をして、めったにない状況に興奮していた。俺は警戒心の強い反面、単純な男でもあった。男子高校生として正常な反応だろうと自分を正当化する。こんなようでは、俺は女子高生に何か頼まれたら簡単に騙されてしまうのではないか。そんな想像をしたら少し笑えてきた。
そして、あのとき俺はすぐに返信文を考えたのだった。
『To:Yurihara
連絡ありがとうございます。
明日でも大丈夫です。明日の19:00頃に扇弦駅でよろしいでしょうか。』
扇弦駅は、この前彼女と会った場所である。二つの鉄道路線が交差する場所で、この地域では比較的利用者の多い乗換駅である。
しかし見返してみると粗末な分だなと思う。俺と彼女の文面の差は、はっきりと見て取れるのだ。だが彼女も高校生である。別に、高校生相手にそこまで敬意を払う必要はないのではないか。とはいえ、彼女がどう思うかはわからない。礼儀がなってないと機嫌を損ね、返信をやめてしまうかもしれないのだ。
少し怖かったが、返信はすぐに返ってきた。
『To:自分
承知しました。
明日の19:00に扇弦駅でお待ちしております。お手数をおかけしてしまい、申し訳ありません。』
『To:Yurihara
ありがとうございます。明日はよろしくお願いします。』
ここで彼女とのやり取りは終わっている。
明日はよろしくお願いします、というと何か面接に行くような気分だが、ただ会って鍵を返してもらうだけである。ほんの数秒で終わるものだと思う。
ところで、このメールのやり取りは昨日のものであるから、ここで言う明日とは今日のことである。昨日たまたま会った人に、また今日会いに行くというのは不思議なものだ。昨日出会った時に感じた興奮は随分と冷め、冷静な思考ができるようになった。自らに今日はただ鍵をもらいに行くのだけだと言い聞かせよう。
俺は、周りを見回した。教室がある。机がある。黒板がある。制服を着た生徒達がいる。
放課後の教室は、いつも数人が残っている。授業が終わった瞬間に部活に行く者は多いため、俺のようにいつまでも残っている人は少ない。俺の放課後は自分の席でスマホゲームをするのが日課である。今日はメールを見ていただけだが。
しかし、俺以外の教室に残っている生徒は皆誰かと仲良く会話している。いつも窓際の端でスマホと見つめ合っている俺はどう見えているだろう。そんなことを考えていたら、集団のひとつから女子生徒が1人俺の方へ歩いてきた。
「ねえ、君って帰宅部?」
俺は彼女の名前を知らなかった。というより、知る機会はあったが覚えなかったという方が正しい。確かにまだ4月だが、新学年始まってすぐに自己紹介の時間はあった。俺もその場所にいたが、一切興味がなかった。どうせ名前を覚えたって意味がないのだ。
「帰宅部じゃない」
俺はスマホから目を離さずにつぶやいた。すると彼女は、少しつまらなそうな顔をした。
「ふーん。じゃあ何部?」
「テニス」
この人はなにを聞きたいのだろうかと思った。俺の部活なんてあなたにはどうでもいいだろう。
「あら、そうなのね。てっきり帰宅部かと思ってた」
彼女を睨みつけそうになった。あんまり話したことのない相手に、随分と失礼なことを言うものだ。ただ俺には怒こる度胸もなかった。下を向いてひたすら黙っている。
「じゃあ文化祭の実行委員とか興味ない?」
俺の無反応にも動じず、彼女は俺に尋ねた。
実行委員。その言葉を聞いて、彼女が話しかけてきた理由をようやく理解した。そういえば今日のホームルームで文化祭がどうだとかいう話をしていた気がする。俺は全く興味がなかったので、ひたすら本を読んでいた。よってほとんど聞いていなかったが、実行委員がどうやらまだ決まっていないらしい。つまり実行委員の担い手がいないため、暇そうな帰宅部員に声をかけていたと言うわけだ。しかし残念ながら、俺は帰宅部ではない。
「実行委員は君がやるのじゃだめなの?」
「女子は決まってるの。男子が誰もやりたがらなくて」
ん?。実行委員は男女必要なのか。俺はどうやら話を聞かなさ過ぎていたらしい。だが誰もやりたがらないものを俺がやるはずはない。
「俺部活あるし、他の人探して」
「そっかー。残念」
大して残念そうじゃない。きっと期待していなかったのだろう。気まずい雰囲気の中いつまでも座っているのも良くないので、俺は席を立とうとした。すると、彼女は思い出したように俺に声をかけたのだ。
「あ、君名前なんていうの?」
少し咳払いをして言う。
「浅霧孝太」
「あさぎり君ね。私は
三坂はそのまま元いた女子の5人組集団に戻っていった。三坂、そういえば自己紹介でそんな名前のやつがいた気がしなくもない。三坂真樹か、覚えておこう。
さて、そろそろ部活に行かなくてはならない。正直言って今日はとても行きたくない。できれば休みたいものだ。
特に火曜日だけは。
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