青いチェリー
浮橋ころも
序章
あなたのメールアドレスは
なぜ俺は、見知らぬ女子高生と2人で歩いているのだろう。その場の流れでこうなってしまったが、やはりおかしい。なにより、疑わずにこの人についてきてしまった自分が一番おかしい。
俺が知っているのは、彼女が俺に何か重要な話があるらしい、ということだけである。この人は俺の何を知っているのだろうか。俺は何かまずいことでもしたのだろうか。俺は彼女の後について、駅のホームを歩いていく。
彼女に声をかけられたのはほんの数分前のことだ。
俺が電車から降りて、階段に向かおうとした時、「すみません」と後ろから女性の声がした。当然自分のことだとは思わず、無視して歩いていたのだが、彼女は小走りで俺の横に来て声をかけた。
「すみません!」
「はい?」
俺はきっと不審な顔をして返事をしたに違いない。しかし彼女は冷静だった。冷静というよりむしろ安心しているような顔だった。
俺に声をかけた女性は学生服を着ていた。ということは高校生か中学生だ。だがおそらく彼女は高校生だろう。少し口が開いたスクールバックから高校英語の教科書が見える。
「あの、少しだけお時間頂けますか?」
知らない人にお時間頂けますかと聞かれた時は、問答無用でないと答えるのが良い。
「急いでいるので」
「大事な話なんです。ほんの少しでいいのでお願いできませんか?」
目線を上げて彼女の顔を見た。声は大人しいが、顔立ちは高校生らしく若々しい。
俺は疑い深い性格だ。しかし女子高生となると話は違う。一度断っても引き下がらないところを見ても、何事かあったのかと思うのだ。小さく頷き同意を示す。
「ありがとうございます。ここでは邪魔になってしまうので端の方に行きましょう」
たしかにここは駅のホームの真ん中である。会社や学校帰りの人々が多い時間で、邪魔になってはいけない。俺は黙って彼女について行った。
そして今、俺はまさに歩いているところである。彼女は髪を後ろに束ねてまとめている。また、スカート丈は膝くらいで短すぎるわけでもない。むしろ長いくらいだ。今どき制服を制服のまま着るとは、真面目な人なんだろうなと思う。真面目な女子高生が俺に何の用事があるのだろうか。
ホームの端の方に着くと、彼女が立ち止まり、後ろを歩いていた俺の方を向く。すると同時に、隣を通過列車が走り抜けていった。顔を合わせたまま、なにも話せない気まずい時間が数秒続いた。
再び沈黙が訪れ、彼女は少し深く息を吸ってから切り出す。
「あの、ここなら静かでいいと思うのですが」
「あ、はい」
彼女が何を言い出すのか、不安で仕方がなかった。しかしすぐ不安は杞憂であったことに気づくことになる。
「あなたの落とし物を預かっているんです。何かの鍵だと思うのですが」
落とし物だと?鍵なんて落としたかな。そういえば少し前に自転車の鍵をなくしたのだった。しかしそのためにわざわざこんな端っこまで連れてきたのかと、期待を裏切られたかのように思った。別に何か期待していたわけではないが。しかも彼女は見知らぬ男子高校生を前に話をしているはずなのに、なぜか少し嬉しそうだ。
「ありがとうございます。すみません拾っていただいて」
俺は鍵を受け取ろうと手を差し出した。しかし彼女は、鍵らしいものを持っていたりポケットから取り出そうという素振りをしない。困惑していると、彼女は頭を下げた。
「ごめんなさい。次にいつ会えるか分からなかったもので、今は持っていないんです」
「へぇ?」
間抜けな声が出た。てっきり今渡されるものだと思っていた。しかしよく考えてみれば、それは都合が良すぎる話だ。知らない人から声をかけられたことに驚きすぎて忘れていたが、俺は落とし物をしていたのだ。しかも鍵を落としていたのだ。割と大層な落とし物ではないか。変な人に拾われていたら自転車を盗まれていたのかもしれない。俺はこの人にまず感謝しなくてはならないのではないか。
徐々に状況を理解し始めたところで、彼女は言いにくそうに続けた。
「それで、きょうたまたま会えたので、後日お返しするために連絡先を交換しませんか?」
「あ、はい。大丈夫です」
とっさに返事をする。
「電話が出られないと困るので、メールで大丈夫ですか?」
「あ、じゃあ俺のメールアドレス教えるので何か送って下さい」
俺はスマホをポケットから取り出し、メールを開いた。画面を彼女に見せて、メールアドレスを入力してもらう。
「空メールを送りました。メールはきましたか?」
俺の携帯が振動し、メール受信の通知が来たことを知らせた。頷きながら、はいと呟く。
「ありがとうございます。本当に突然ですみませんでした。私、
そう言って彼女は頭を下げた。彼女の礼儀正しさに感心している間に、俺は名を名乗っていないことに気づいた。
「
相手は同じ高校生とはいえ、手を振って別れるのはおかしいと思い、俺は深々と礼をしてその場を後にした。
不思議な高揚感の中、早足で階段を上った。慣れているはずの乗り換え階段も、早く歩いたせいかこけそうになる。ホームに着くと電車はもう既に止まっていたので、急いで人が少ないドアから乗り込んだ。
駅が遠ざかっていくのを電車の窓から見ながら思う。本当に俺はあの人を信用して良かったのだろうか。いくら何でも全くの他人にメールを教えるのは不用心ではないか。俺のメールはそのうち架空請求だらけになるのではないか。
俺は少し考える時間も取らず、反射的に彼女と連絡先の交換をした。普通に考えればおかしい行動だ。
だが、不思議なことに、俺は落ち着いていた。彼女は悪い人ではないという直感があるのだ。
俺は直感で生きる人間ではない。直感で人を信用することなんて1度もなかっただろう。でも彼女は信用できる気がした。何となくそんな気がする。とりあえず、ちゃんとしたメールが来ることを待っておこう。
電車の中から見える景色は夕日に照らされてオレンジ色になっていた。この景色は俺にとって貴重だ。今日のように部活がない日でないと拝めない。部活がある日はいつも外は暗闇である。このような特別な景色を目に焼き付けようと、ドアに張り付いていたところ、携帯が音を立てて震えた。
あの女子高生からのメールだった。
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