第16部 憂鬱の雨

PAGE.425「バラバラになった熱情」


「……んっ」

 魔族界戦争の亡骸など幾らでもある。

 名もなき砦。厄災の跡地として恐れられ、魔物もよくはびこるこの宙域の砦跡には人が寄ってくることなどない。

 故に、コーネリウスはだれの目も届かない、この地の頂点で転寝をしていた。

 太陽に最も近いとされているこの地。しかし今となっては濁った曇天に空が染まる。


「起きたか」

 遠目で彼女を監視していたノスタルドはタロットカードに触れていた。

 随分と手慣れた手つき。占いが趣味であるのと同時に、手持ちのタロットカードをそのまま武器として使う。

人間の文化をこれほど好む魔族は珍しい。今は亡き、炎の闘士・アーケイドとその派閥くらいである。

「……すまない、眠ってたのかな。私は」

「ああ、まだ魔族の体にはなり切れてないお前だ。人間としての生き方が残ってる以上、そろそろ限界だと思っていたがな」

 ノスタルドが言うに、コーネリウスは“とある計画”を実行してから半年近く一睡もせずに活動していたのだという。

 強力な魔力を持った魔族は人間と違い睡眠を必要としない。地獄の門に属する魔族は睡眠をとったものはほとんどいない。

唯一、それを娯楽として楽しんでいたアーケイドくらいだろうか。

 コーネリウスの体は数年前より魔族と同じ構造へと変化しつつある。

 完全なる魔族へと変貌するにはかなりの年月を必要としており、彼女の体もまだ五割程度の浸食といったところだろうか。まだ人間としての生活習慣が染みついているのである。


 半年という時間をかけ、コーネリウスはついに疲労のもと、睡眠をとった。

 計画は順調に進んでいる。重要な段階の一つを終えたところで気を抜いたのが原因だったのだろう。

「随分と寝心地が良さそうだったが、めでたい夢でも見ていたのか」

「……まさか」

 コーネリウスはノスタルドの問いを否定する。

「ここは人間の批難なんてあてにならないくらい居心地が良いと思った。それだけだよ

 人が立ち寄らない。そして、この周辺に潜む魔物もそれといった汚染行動はとっていない。

 故に誰の手も届いていないこの地の風は眠気を誘うほどに心地よかった。それだけのことだとコーネリウスは告げた。

「……また、雨が降りそうだね」

 空が黒く染まり始める。

「そうだ、もっと泣いておくれ。そしてもっと染まっておくれ……君の体が完全に染まりつつある時、きみを利用させてもらうよ」

 黒い雨を。空の涙を。

 それを全て受け止めようと、天からのシャワーを浴びんとばかりに両手を広げる。


「頑張っておくれ。水の闘士“ウェザー”と、心臓に選ばれし少女」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ___クァサンドラ地域。砂漠地帯。

 本来なら、砂嵐が吹き荒れるほどの暴風域だ。

夜にもなれば、その砂嵐と共に洒落にならない極寒の夜が待っている。王都よりかなり離れたこの地域にも人が住んでこそいる。暮らしこそ変わらないが、この変わった地域に住んでいる事から物好きの民族だなんて、批難まじりの言葉も流れ着く。


 ところが。

 いつもは起きているはずの砂嵐が今日は吹き荒れていない。


 代わりに彼らに訪れるのは夜の砂漠らしい極寒。

 そして……舞い降りる“黒い雨”だった。


「これが、例の“雨”か」

 この黒い雨が降り出してから“一週間”が経過したのだという。


 この雨がもたらす謎の災厄の報告は当然王都にも届いた。

 人間の身、そしてその他人間の文明とみなされるものだけを蒸発し、溶解していくという凶悪な雨。言い方を変えれば、硫酸にも近い液体が空から落ちていると考えていい。

 まだ王都の宙域にこの黒い雨は届いていない……この雨による被害を最も受けているのは“北東地域”だ。


「……報告通りだな、微かに結界を溶かしている」

 被害の最前線に送り込まれたのは二人のエージェント。

 砂漠のため砂嵐は当然吹き荒れる。例の雨の事も考えて特別製のローブを着用し、体全体を覆い隠している。ローブの内側で手に持った魔導書を使用し、雨に濡れないように結界を周辺に張っている。

 ところが、その結界は微かに溶けている。

 黒い雨の効果は、北東の住民達の報告通であったことを告げる。


「……魔族の手によるものだと考えてもよさそうだな」

 ここから、数十分近くもたたないうちに救援を受けたエージェント二人は集落地域へと到着する。

 話によれば壊滅的な被害を受けていると聞く。生き残った人間は念のために用意された地下のシェルターに逃げ込めた数十名の住民達。

食糧も地下シェルターにある程度の数を保存できているとはいえ、その数は三週間も持たない状況。

 刻一刻を争う状況。まずはその報告が嘘ではないことを確かめるために“様子見”として、エージェント二名が送り出されたのだ。

「……話をすれば、だ」

 黒い雨。降ってきた液体の一部が集結し、見た事もない魔物へと姿を変える。

「雨が魔物に姿を変えるなんて……な」

 真っ黒のスライム生物。移動するだけで地面の砂の一部が蒸発している。

たまに発見するスライムと違い、その見た目は獰猛そのもの。人の姿を発見するや否や、威嚇行動らしく体を震えさせる。


「行けるか?」

「……安否の確認の必要はない」

 エージェントの男。

 “エドワード”の確認に返事をする前に、その人物は黒いスライム達の“先”に立つ。

「生命の冒涜。こんな出来損ないに敗れる者に見えるか。私は」

 消えていく。逆に蒸散されていく。

 スライム達は漆黒とは真逆の色の“閃光”によって消えていく。


「どのような相手であれ……“魔族であるのなら殺すだけだ”」

 ローブのフードも光と共に燃えていく。


 フェイト・ミストラル。

 表情の変わりようは依然と変わらない……だがその瞳は、以前とは違い、確実な怒りと殺意を籠らせていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る