PAGE.405「霧と黒猫(後編)」

 そこから先。猫が視線で警告していたデッドライン。そこから先へ足を踏み入れたのなら容赦なく排除を試み、その身を食らい尽くす。

 警告を無視したアタリスが一歩ずつ猫へと歩み寄っていく。

「アタリス!?」

 当然、その場にいた全員が彼女を止めようとした。気配も感じられず、フラっと前へ出た彼女に気付くことが出来なかった。静止の声を時にはすでに遅かった。


『貴様!!』

 警告はした。容赦はしない。

 黒猫から放たれる薄い霧がアタリスを包み込む。新型魔導書を破壊した霧はまるで見えない手足を持っているかのようにアタリスの身を縛り付けてく。

「……っ」

 アタリスは最初こそ苦痛の表情を浮かべていたが、体を慣らしたのか自然な表情へと戻って行く。また一歩、また一歩前へ。

『警告はしたぞ……容赦はせん!!』

 その霧は最後の警告のつもりだったのだろう。その霧に怯んで逃げ去ってくれたのならばまだ見逃すつもりはあったようだ。だがアタリスは止まらなかった。

 黒猫は巨大な爪を光らせ飛び掛かる。侵入者の排除、その身を斬り捨てんと襲い掛かってきた。




「貴公の名……もしや、“ナーヴァ”ではあるまいか」

 アタリスは怯える事もなく呟く。

「なっ……!?」

 爪が少女の首元寸前で止まる。あと一歩でも遅ければ、彼女の首は吹っ飛ばされていただろう。

確実な殺気を向けられていた、だというのにアタリスは表情一つ変えることなく視線を猫へと向けている。

 その堂々ぶり、そして彼女の言葉。

 疑惑と敵意に満ちていた猫の表情が……動揺へと変わっていく。


『貴様、私の名を呼んだのか。今?』

 それは猫を含め、ラチェット達も同然の反応だった。

『お前は何故、私を知ったような目で眺めている』

 少女はなぜ、この猫の名前を知っているのか。

 このような生物が過去にいたという伝記は聞いたことがない。そのような記録が発見された覚えもない。学会やアルカドア、王都に属する研究機関の資料などにも、この巨大猫に関わる情報は一つとして残されていない。


 誰も、知る由もない。

そうであるはずだ。ラチェット達と猫の表情が驚愕へと変わる。


『……匂う』

 猫は少女の体を優しく嗅ぐ。

 猫本来の愛らしい仕草。そっと少女に身に寄せられる鼻と髭。少女の頬にたまにあたる髭がくすぐったいのか、アタリスは片目を閉じながらも猫の仕草を受け入れる。

『懐かしい匂いだ……その佇まい、その面影。見覚えがある』

「……やはり、父の日記通りか」

 父の日記。

『……貴様、あの男の血を受け継ぐものか』

 その言葉を耳に、ナーヴァはまたも警戒を解いていく。

「父の日記通りであるのなら……貴公の質問には頷こう」

 “あの男”。

「そうだ。私はヴラッドの血を秘める者」

 アタリスの父、それは魔法世界クロヌスにその名を轟かせた伝説の怪物・ヴラッドだ。この猫はその怪物の事を知っているかのような口ぶりだった。

 アタリスは否定の色を一切見せない。

猫がその名を口にしなかったにしても、まるでこの猫が言わんとしていることを分かっているかのよう、阿吽の呼吸の如く首を縦に振っている。


「……私の名は」

 少女は猫の耳元で名前を呟く。

 何かかしこまるような仕草。その名を周りに聞かれることを嫌がるようだった。


『!!』

 少女の名を耳にしたその時。

 猫の表情は驚愕から一瞬で、さっきまでとは違う安らぎの籠った表情を浮かべた。


『……ワタリヨに会った。と言ったな、そこの少年』

 質問の矛先がラチェットに向けられる。

「あ、ああ」

 突然の方向転換に驚きながらもラチェットは慌てて頷いた。

自身はワタリヨに呼ばれてこの地へとやってきた。興味本位で宝を漁りに来たのではなく……大切な要件があって、この西の大地へとやってきた、と。


『訳があり、そしてこの地へ参った……貴公の話は分かった。ならば私は、少年達に真意を伝える義務がある』

 猫は一歩ずつ、少年へと近づいていく。

『“ワタリヨに選ばれた人間”であるというのなら連れて行こう……ただし、それを証明できぬのなら今この場で貴様を噛み潰す」

「これで証明になるカ……?」

 ラチェットはその証となるであろう品を見せる。

 ペンダントだ。ワタリヨがいつも身に着けているという小さなペンダント。一見すれば、この時代においては特に珍しくもなんともない金と銀が少しだけあしらわれた飾りのペンダントである。


『……よろしい』

 ペンダントを見た猫は敵意を振りほどく。


『案内しよう。だが、先にやっておくことがある』

 猫の体を、霧が包んでいく。

『精霊皇の剣……まずはその行く末を知ってもらう。ついてこい」

 霧が晴れていくと……そこへ現れたのは“甲冑の騎士”。

 王都のモノでも何でもない。見た事もない容姿の鎧。


 その素顔を兜で隠した騎士が現れたのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 遺跡の外へ出ると、ラチェット達は甲冑の騎士・ナーヴァへとついていく。

 この騎士の声は先程の猫のものと何も変わらない。だが、突然の体の変化に今も驚きを隠せないのか動揺を続けている。

 魔物。あの種族は自身の体を獣と人間の姿に自在に変えられる力を持っている。もし、この騎士もまたその類であったのだとしたら……。


「ん?」

 不安に駆られながらも、外へ出た矢先にラチェット達は目の色を変えた。


 ___“別の騎士”だ。

 遺跡にいた猫と若干の違いがある甲冑を身に纏う騎士が数名。数えてざっと八名近くの騎士が飛行艇を取り囲んでいる。


「まずい! 艇が、」

『待て……あの艇、貴公らのものか? ならば少し待て』

 甲冑の騎士・ナーヴァは船を取り囲んでいた騎士達の元へと向かう。

 何やら話をしている。顔は甲冑で隠れているせいで口元が見えない。どのような会話をしているかも分からないために余計な不安が募る。


『……艇は警護させる。中に留守を任せている者がいるのなら連れてくるといい』

 従うべきなのかどうか。

 怪しい動きをすれば、中にいるスカル達に危険が及ぶ可能性がある。ラチェットは静かに首を縦に振った。


『そう遠くはない。むしろ目と鼻の先だ』 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 数分後。スカルとオボロは一体何があったのかと冷や汗を流している。ガ・ミューラに関しては能天気に首をかしげている。

「なぁ、本当に艇を置いて行って大丈夫なのか?」

「今は従うしかないだロ……」

 艇は騎士達に預けることに。

 もしかしなくても一種の人質のようなものだろう。人ではないけれど。


 ___騎士の背中についていく。

 一歩、また一歩。霧の中を歩いていく。


『ここだ』

 何もないその地で、ナーヴァがそっと手を前へと振りかざす。

「ッ!!!」

 すると、現れる___

 

『ようこそ。精霊よ』

 “門”だ。

『我らが大地へ』

 さっきまではその場になかったはずの巨大な門と壁。

 そこにはなかったはずの王国の入り口が、突如目の前に現れた。

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