PAGE.287「レッドアイズ・サーキュレーション(その3)」


 アタリスの体に纏われていた炎はより威力を増して燃え上がっていく。人間であれば一瞬で消え去る。灰一つ残さずこの世から蒸発させる熱さを帯びた炎を纏っていく。


「……ぐっ!?」

 炎を増すごとに少女は苦痛を覚える。

 熱に体が耐えきれないのではない。むしろ、魔族としての力を受け入れたこの姿。炎を司る怪物となったこの姿に炎はむしろ快楽でしかない。


 ……意識。人間としての側面が燃えてなくなりそうなのだ。

 その力を受け入れようとした矢先に意識が吹っ飛びそうになった。魔物としての意識がアタリスの意識を飲み込みかけたのだ。



「まだだっ……まだっ……!」


 耐える。アタリスは意地でも耐える。


「まだ、終わるなッ……!!」

 

 少女は確かに誇りを捨てた。あの女王に勝つために捨ててみせたのだ。


 だが、誇りを捨ててはいるものの。

 一族の人間として、敗北こそ本当の恥。そしてこの力に臆する事は真なる恥。どのような万物に至っても負けを知らぬはヴラッドの一族。少女の決意は今も尚、その心の中で生き続けている。


 少女は人間としての意思は絶対に殺さない。


 “友を救う”。

 初めて出来た人間の友達に恩を返すため……あの人間達にいつも通りの誇れる姿を見せる為にも負けるわけにはいかない。


 友を小さな誇り一つのために救えぬ事こそが……一族どころではなく、一人の人間として人生最大の恥だ。


 少女は耐えきってみせる。

 魔族の炎。それにどれだけ体が包まれようとも、意思までは飲み込まれないよう保ってみせる。



「……熱があがったな」

 あの瞳の正体にクリスモンヅは悟る。

 

 少女の羽についた瞳は所謂ストッパー。その身に宿る無尽蔵の魔力を抑えるための制御装置のようなものであることに。


 目の開いた数が多い程、体はその魔力を徐々に解き放つ。

 体の炎が一瞬にして盛ったのはそれが原因だ。だが、それは同時に魔族としての意思が体の中に入り込んでくるという事。羽についた眼球の歪みが、彼女の苦しみをそのまま映し出しているようだった。




 彼女は一気に六つ全てを開いた。

 つまり、初っ端から最大出力で挑むということだ。


 その覚悟は本物だ。

 彼女の精神は脆弱ではないと女王は微かに認める。


「しかし……やはり温いな! この勝負が揺るぐことは決してない!」

 両手に氷の槍を形成すると、直接少女を潰そうと接近戦を仕掛ける。


 あらゆる熱も女王には届かない。

 絶対の自信と共にクリスモンヅは変わらぬ勝利への確信と共に牙を剥く。


「くっ、ぅううっ……!」

 飲み込まれつつある意識を保てたアタリスであるものの、その反動が体に響いているのか反応が微かに遅れる。

 防御行動には回れた。しかし、その防御行動を完全なものにするための姿勢固定が間に合わず……中途半端な防御が崩れ、その一撃を体に浴びてしまう。


 これだけの炎を身に纏おうとも、容赦なく貫く女王の氷。

 これがかつて、世界を滅ぼした魔王に認められた力だ。彼女はかつて世界の脅威となった地獄の門とは違う存在、所謂魔王復活のために呼び寄せられた替え玉だ。


 だが、魔王直属の幹部に認められるという事はそういう事だ。

 たった一人が世界の脅威となる。実力を秘めた数百数千の魔法使いが束になってかかろうと歯が立つこともない“災厄”そのものなのである。


「いい加減に負けを認めたらどうだ! 見苦しいぞ!」

 両手に形成された氷の槍を振り回す。自らの手を持って愚民を葬り去らんと女王はその力を存分に振り回す。


「はぁっ……はぁっ!」

 圧倒的な力を前にアタリスは押されている。

 今までとは違う姿を晒したのにも関わらずこれだけの差。歯痒さ一つ感じてもおかしくない絶望的な状況にアタリスは押し潰されていく。


 このままでは勝つことなど出来やしない。

 その希望は変わらず絶望のまま。確信も結局は過大評価しすぎていた過少な期待であっただけで貧弱なもの。


 女王はその現実を叩きつけんと何度も氷の槍を突き入れる。

 決意の炎とやらも消し去ってやる。意地という存在全ての象徴である炎をも凍らせてしまえば、諦めもつくというものだ。


「人間は滅ぶ……人間が魔族に勝つことなどあり得ぬ話なのだ!」

 両手の槍を頭上で合体させる。


 ……先程射出した氷の巨針とは比べ物にならないサイズの槍が形成されていく。

 しかも形だけではない。その槍には女王に纏われている絶対防御の冷気ベールさえも付着され、突破する事は困難なのはおろか、不可能の領域にまでのし上がる。


「消えてっ、」


 人間はそれに絶望するしかない。

 この一撃をもってして、その炎諸共、この大地に跪き潰れてしまえばいい。


「なくなれェエエエエエッ!!」


 アタリスに向けて射出される絶望の一撃。

 勝利の確信を秘めた最後の一撃が、無慈悲に少女の体を飲み込もうとした。





「貧弱、では……ないっ……」

 アタリスは口を開く。 

 その声は最早、意識が残っているのかすら怪しいくらいに掠れている。


「人間は……面白いぞ、女王」

 絶望が見えても笑みを消さなかった。

 それだけの意地。その意地が……ついに。




“この絶望へ変化をもたらした”。


「なん、だと……」



 それは、女王にとって、ありえない光景だった。



 “溶けていく”。

 破壊不可能であった氷の槍を……アタリスは“身動き一つ取らずに蒸発させた”。



「燃えろ、まだ燃えろ……私の体はまだ、終わってはいないぞ……!」

 

 開く。半開きであった羽の瞳が一斉に満開となる。


「そうだ……私はまだ、侵されてなどいない……!」


 まだ燃える。

 少女の体は今もなお、熱を帯びていく。



「なんだ、なんだ……これは……!!」

 クリスモンヅは戦慄する。


 肌を通して熱を感じる。しかしそれは微かなものだ。

 普通と比べれば膨大であるのだが、結局はその程度であると過小評価した。

 

 “ところがどうだ”。

 クリスモンヅは今……生まれて初めて、“熱さ”を覚えている。


「熱い、熱い、だと……熱い……!?」


 体に汗が流れている。ベールを越え、熱が届いている。


 少女の炎、数千数万の域に収まる温度ではない。

 十万、百万……いや、この星そのものが耐えきれぬ程。


まるで“小さな太陽”そのものが目の前にいるようだ。


 右手に纏われる炎。

 崩れ去る事のない意地をその手に、アタリスはクリスモンヅへと迫る。


「ぐっ……!?」

 氷の壁をすぐ目の前に形成する。





 ……しかし、容易く破壊される。



 最早、彼女に何の窮地もない。アタリスは触れる。

 炎を帯びた片手は氷のベールに触れる。

 




 “消えていく。”


 蒸散することない雪のベールが消えていく。

 アタリスの手がベールを越え、女王の胸へと届こうとしている。


「馬鹿な!? 馬鹿な馬鹿なッ!?」

 認められるはずがなかった。

 たった一人の愚民。しかも人間を気取る紛い物に負ける。


「あってはならない……! 女王が負けるなんて……ましてや愚民に負ける!?」

 女王のプライドはズタズタだ。

 愚民の腕がこんなにも容易く届こうとしている。


「認めるものか、信じられるものか、存在するものか!!」


 ベールはその瞬間、女王の体から完全に消え去った。



「終わりだ。女王よ」


 真っ赤な太陽が、そっと女王の胸に触れた。






「こんな無様ァアアアアアアアア_____ッ!!」





 女王の断末魔は一瞬だった。

 太陽にも相応する熱は……女王の体を“一瞬でこの世から蒸発させてしまった”。

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