PAGE.288「時と刻」
氷の闘士・クリスモンヅは蒸発した。
マイナス数万の低温を誇る粉雪のベールをもってしても防ぎきれなかったアタリスの炎。小さな太陽と化したアタリスは燃え盛る羽を広げ、今も尚、空を舞う。
……止まらない。
今もアタリスの体は燃え上がる。全てを焼き尽くさんと熱を帯び続ける。
ヴラッドが封じていたもう一つの姿。魔物としての姿をこの世に出す事を許さなかった理由。それは、アタリスが魔物のように醜い姿になってほしくないという理由は当然含まれている。
だが、それ以上にヴラッドが避けようとしていた理由は。
「ハァッ、ハァアアアッ、」
その膨大過ぎる力故に意識が耐えきれないことだ。次第にその身体の理性は焼き尽くされ、破壊の限りを尽くす魔物と変わらない化け物へと変わってしまう。
今まさに、アタリスの意識は紅蓮に焼かれてしまったのだ。
今そこにいるのは、この大地全てを灰塵と化す炎の怪物。理由もなく破壊を続ける薄明色の炎を纏う魔物でしかないのだ。
「燃ヤス……っ」
アタリスの意思はもうない。
目に見える者全て。このデスマウンテン全てを焼き尽くすのみだ。
「全テ焼キ尽クス……!!」
人間としての姿すら失った化け物は……その大地から飛びだとうとしていた。
『お嬢様』
……途端、声が聞こえた。
『おいたが過ぎますぞ』
「!?」
アタリスの瞳が真っ黒に。体を包んでいた髪糸は元の姿へと戻っていく。
身に纏っていた炎も次第に勢いが弱まっていくと、その小さな体は受け止める者もいない赤い大地へと落ちていく。
……生まれたままの姿。少女は大の字で地面に転がっている。
もう灼却の瞳を使う魔力は残っていない。抜け殻も同然の状態で地に落とされた少女は息を荒くしながら天を見上げている。
「危なかった、な」
間一髪、完全に暴走する寸前で取り戻せた意識。残った力全てを使って、その姿を引っ込めたアタリスは安堵の一つに溜息を吐く。
聞こえた声。
アタリスはそっと自身の指を見る。
指輪。一つの宝石が彩られた小さな指輪だ。
爺やがオシャレの一つにでもプレゼントしたものである。優雅な一族を語るモノとして、まずは見た目からという理由でつけることを義務付けられたアクセサリーだった。
そんな高価そうな装飾が彩られた指輪。そのメインともいえる小さな宝石が砕け散っている。
宝石からは微かにだが魔力の残りカスを感じる。意識が吹っ飛んでしまったその瞬間にこの指輪が勝手に何かをしたようだ。
「爺やめ。随分と癪な事を……」
この指輪の意味。これを渡した意味。
何もかも分かっていたような。あの老人のすすり笑いが今も聞こえてくるような気がして、アタリスは何処か悔しい気持ちで笑みを浮かべていた。
「……世話になりっぱなしだな。爺や」
今日ばかりはその癪な笑いを許すことにしよう。
決意のために晒した姿とはいえ、あと少しで取り返しのつかないことをしてしまうところだった。爺やがかけてくれた“保険”、爺やなりの愛が込められた指輪を天に掲げ、満足そうに言葉を漏らしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
デスマウンテン頂上。
既に魔族界ホールは閉じかけている。足の負傷が原因でギリギリの時間になりながらも、コーネリウスはコーテナを連れていく仕事を果たす。
「……やれやれ、ちょっと手こずったかな」
ギリギリ間に合った事にコーネリウスはホッと息を吐く。
魔族界と人間界を繋げる穴を作る。それには、上級魔法使いも上級の魔物でさえも持つことが出来ない膨大な魔力を使うことでようやく作ることが出来る穴だ。
しかも、魔族界ホールを通る者。魔力の強い者がそこを通過するたびにホールは負荷により消滅が早まっていく。
これといった魔力のない魔物程度であれば無尽蔵に送り出すことは出来るが、一部膨大な魔力を持った者はその魔力の量次第では通る事すら出来ないのだ。
これだけの巨大な穴。それだけのモノを作って、ようやく通ることが出来る。王都の方に作ったという魔物専用のホール程度では通過なんて出来やしない。
コーネリウスが引き連れている……“この少女”の存在は。
ホールが閉じかけている。
このホールを作った魔族は次の命令に備えて魔力の補給のため眠っている。ここしばらくは作れない為、この瞬間にしか少女を連れていく事が叶わない。
「それでは魔王様、いや違うか。まだコーテナだったね」
コーネリウスは魔族界ホールを通過する。
閉じていく魔族界への門。少女を背負いながら微笑みかける。
「“魔王様”が待っている。失礼のないようにね」
魔王の器として、新たなる魔王として。
その宿命を今、コーネリウスは改めて少女に語りかけた。
___行かせるかヨ。
「……っ!?」
その瞬間。ホールが閉じようとしていたその瞬間だった。
「なっ……!?」
消える。少女を背負っている感覚が消える。
背中が突然寂しくなったこの雰囲気。違和感を覚えたコーネリウスは慌てて、魔族界ホールから見える人間界へと視線を向けた。
「……間にあったナ」
ホールから見えるデスマウンテンの頂上の景色。
そこにいるのは……鎖を片手に決め顔を浮かべる“ラチェット”。
「聞いてもいねーのに“アイツ”に教えてもらった仕込み鎖……案外役に立ったな、コリャ」
それは、いつの日かスカルが披露した、あのかくし芸。
「しまっ」
コーネリウスは慌てて手を伸ばす。
だが、膨大な魔力を持ったコーテナが一度通過したことにより、ホールは不可により一瞬で消滅してしまう。
閉じてしまう。
魔族界ホールは、そのまま閉じてしまったのだ。
「……油断、しちゃったか」
コーネリウスは頭を掻きながら、魔族界の大地の真ん中で困り果てた表情を浮かべていた。
「あーあ、どうしようかな。なんて言い訳しようか」
魔族界にとっては許されぬミス。最大の失態。
そんな状況下……コーネリウスはいつもと変わらない冷静さのまま、人間界と繋がっていたホールのあった場所から背を向ける。
「人間にどうにか出来るものかな」
魔族界の空は人間界と比べ、光一つ見えやしない真っ黒な空。
「……血塗られた運命を変える事なんてね」
自然の恵み一つ感じられない世界。
まさしく、地獄を絵に描いたような世界の真ん中でコーネリウスは一人歩き出した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スカルから教えてもらった仕込み鎖。
遠くにいる敵を引き寄せる、或いは遠くにある物体を一瞬でこっちに運ぶための隠しギミック。半ば無理矢理に体の何処かに仕込んでおくことを命じられていたラチェットは嫌々ながらに従ってはいた。
それが役に立ったものだ。
間一髪間に合わなかったところであったが、この仕込み鎖のおかげで大逆転を迎えることが出来たのである。鎖は足に巻き付けた為にちょっとばかり乱暴な引き寄せになってしまったが、こればかりは贅沢は言えない。
鎖によって引きずられたコーテナは静かに立ち上がる。
文句の一つでも言いたいのだろう……だが、それを聞いていられる時間はない。
「コーテナ、助けるのが遅くなって悪かったナ」
少女の腕を掴む。
今は数秒でも早くこの場から立ち去らなくてはならない。デスマウンテンに向かっているであろう騎士団から逃れるためにも、こんなところでグダグダ言い合っている時間はないのだ。
「行くゾ、時間がないからナ……」
「離せ」
コーテナは静かに口を開く。
「時間がないって言ってるダロ。この後の事は任せて、」
「離せと言っているのが分からないのか、“人間風情”が」
振りほどかれる。
少女の華奢な腕とは思えない力でラチェットは投げ飛ばされる。
「……っ!?」
反転する世界。浮き上がる風景の中、ラチェットは確かにこの目で見る。
……冷たい目。見下すかのような瞳。
コーテナのような明るい少女には全く似合わない表情。
「コーテナ、お前っ……!」
ラチェットの体は乾き切り、ひび割れた大地の上に叩きつけられた。
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