PAGE.285「レッドアイズ・サーキュレーション(その1)」


 大地はおろか、その大地を溶かす紅蓮でさえもあっという間に凍らせるクリスモンヅの氷。魔物としての真の姿を晒すと冷気を増し、一瞬でその対象をオブジェに変えてしまう。


 近づくものは皆、凍死する。

 彼女が纏う粉雪のベール。数千はおろか数万をも超えるマイナスの冷気。生半可な熱などで消滅させることは出来ないのだ。


 クリスモンヅの玉座から現れる冷気があっという間に大地を包み込む。

 最早、その周辺の生き物はどれだけ強固な微生物や細胞であれ死滅する。自身以外の存在を認めぬ世界にクリスモンヅは染め上げていった。


「随分と手間をかけさせた」

 中々凍らないに飽き足らず、背中に傷までつけた無礼者。

 そんな無礼者の声もようやく聞こえなくなった。無限の冷気に抱かれ、次第にその強気な態度も視界には入らなくなった。


 凍った状態でもあんな表情を浮かべていたら、その時こそ本当に腹が煮えそうだ。

 不愉快になる前にオブジェとなった彼女を壊してやろうかと、クリスモンヅは空中からそっと離陸する。自らの手で、地面と一体化したアタリスを破壊する為に。





「……ん?」

 冷気をどかせようとした矢先。クリスモンヅは妙な違和感に見舞われる。

 

 



 不自然。違和感。

 彼女に近づこうとした途端。体が“身震い”を起こした。


 まだ、”彼女は何もしてない”。

 だというのに、冷気は次第にアタリスの周りから消え去っているように見える。彼女から逃げるように自ら姿を消しているように見える。


「……まさか、まだ」

 あの少女は未だその身全てを凍らせていない。今も尚、女王からの極刑から逃れてみせようと足掻いているのかもしれない。


「愚かなッ……!!」


 クリスモンヅの機嫌が余計に悪くなる。

 やはり念入りに凍らせるべきかと、マイナス数万度の冷気を再びアタリスに向けて放つ。猛吹雪にも近い波動がアタリスへと押し寄せる。






「暑いな」

 真っ白な世界の中から聞こえる声。

「ああ、今日は“実に暑い”」

 その声はまるで、波動のようだった。


「くっくっくっ……クッフッフ……」

 真っ白い吹雪の中。少女は静かに立ち上がる。


「まだ、それだけの力があるか」

 クリスモンヅは再び冷気を放つ。

「いい加減、楽になればいいものを」

 何かされる前にトドメを刺す。もう彼女にはその力も残っていないはずだ。


「……はっ!?」


 “影が見える”。

 真っ白い世界の中、クリスモンヅの元へと迫る黒い影。


(まただ! また、体が……!?)


 身震いを起こす中。吹雪の中で、一つのシルエットが近づいてくる。




「魂が燃える」


 揺らめく髪。まるで生きているかのように。

重力という存在に逆らうよう、風も吹いていないのに暴れまわる髪の毛。


 羽のように震えるマント。それに身を包む“少女の影”が一歩ずつ近寄ってくる。


「……ほんの少し、肌寒いのが、気になるか」

 扇子を振り回すように。

 アタリスはその片手、薙ぎ払うように勢いよく一閃に振り回す。


「!?」

 冷気が消えてなくなる。


 アタリスの体からこびりついて離れなかったはずの粉雪が全て消え去ってしまった。

 マイナス数万度の世界、呼吸する事すらも出来ないはずの世界の中で……少女は今も立っている。


 真っ赤な瞳。

 体は肌身には耐えきれない冷気によって赤く腫れている。再生能力も冷気を前には無力だったのか、臓器も半々麻痺に近い状態へと陥っている。


 ボロボロだ。満身創痍の状態。


「……何故だ」

 満身創痍。アタリスは最早、戦える状況ではない重傷を負っている。


「何がどうなっている……!?」



 だというのに。

 クリスモンヅは、真っ白な世界で佇むアタリスの姿に戦慄していた。



「……私には一族としての誇りがある。捨ててはならぬプライドがある」

 アタリスの両手が“燃える”。体が、言葉通り燃え盛る。

 消えていく冷気の中、次第に姿が見えてくる。


「私にとって父は誇りだ。私もその誇り溢れる人間として生きていたいと心から願っている。そうだ、“人間”としてだ」

 アタリスの両足が“燃える”。

 また一歩、その姿をクリスモンヅへと晒そうとする。


「この心は人間のまま……言い訳かもしれないが、そうでありたい」

 アタリスの体が燃え盛る。

 身に纏っている衣服が灰となって消えていく。燃え盛った衣服はそのまま少女の体を燃やし尽くしていく。



「私は愚かになろう」


 炎を身に纏う少女アタリス。

揺らめく髪が燃えぬまま、赤みを増して、広がっていく。


「父よ……許してほしいとは言わない」


 閉じていた、両目を開く。

 瞳は真っ赤……“人間のそれ”とは離れた造形の眼球を見せつける。


「だから、私は今、胸を張って言い切ろう」


 少女の体がより熱を増して燃え上がる。

 肥大化していた髪の毛は少女の体を包んでいく。少女の衣服となり、少女の羽となり、少女の“武器”となって姿を変えていく。


 身体に巻き付いた髪の毛に炎が付着する。燃えながらも髪の毛は繭のように少女を包み込み続ける。

 

 全ての炎が、アタリスを飲み込んだ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 幼い頃。アタリスは親であるヴラッドに怒られたことがあった。


 好きにいきればいい、自分の望む通りのままに生きればいいと口にする寛大な心を持つヴラッドは滅多な事でなくても、全くとして娘のアタリスを叱ることはなかったのだ。


 だが、一度だけ。

 人生において一度だけ、そんな父から説教を受けたのだ。


 ……娘の頬を勢いよく叩くほど。

 その頬にしっかりと跡がこびり付くほどの強さ。相手は年増もいかない少女だというのに、大人としての全力を持って少女をぶったのだ。


 ……アタリスは頬を抑え、ヴラッドを見上げる。

 少女の目線の先には、何故か自分を叱ってくるヴラッドの姿だけ。


 父と娘の姿。そしてその周りには___



 大地全て地獄絵図。

 自然の潤い一つ残らず失った真っ黒な森が広がっていた。


『アタリス』

 ヴラッドは叩いた頬を優しく撫でた。


『我々は人間とも半魔族とも違う一族。そう名乗ることを心に刻んでいる……とくに魔物などという知恵も野心もない野性的な愚賊にだけは一緒にされてほしくはない』


 焦げた匂い。自然の死が香りとなって伝わってくる。

 

『……だが、君は確かに半魔族という一族。その中で最も魔族の血が色濃く流れている種族ではある。認めたくはないが、それは事実だ』


 ヴラッドは自身達を人間とも魔物とも違う一族であると謳った。

 しかし、彼はその事実を珍しく飲み込み、少女と向き合っている。


『故に……我々には、その存在としての姿を隠している』


 消えてなくなった森。

 この森の惨状を生み出したのは……当時、幼かったアタリス。


 物心がついていない頃。文字の読み書きも、言葉の発音すらもままならない小さな女の子だったアタリスであった。


『アタリス。二度と“その姿”を表に出してはならない』


 アタリスそのものが屋敷の外に出るなという警告ではない。

 ヴラッドが指さすのは少女の胸の中……体の中を指していた。


『その姿は人間はおろか半魔族という姿すらも愚弄している……その姿は我々一族の存在の否定。ヴラッドという存在を侮辱する愚鈍なものだ』


 次第にアタリスは泣き始める。

 そんな少女をヴラッドは優しく抱きしめる。


『その力は強力であれ不要……一族の恥だと知れ』



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 炎の中。少女は幼き頃の自身を思い出す。

 その頃を思い出すだけでも胸が熱くなる。


 一度だけ。彼女の人生において、たった一度だけ、あの寛大な態度の父親から説教を受けた日だったからだ。それだけ強く印象の残った日であったからだ。


 今も覚えている。

 父が遺した言葉がずっと頭をよぎっている。



“あの姿は今の姿とは比べ物にならない魔力を生み出すだろう。しかし、それは最早人間という存在としても半魔族としても逸脱したもの……魔族という醜い存在に魂を売ったも同然。正気を保つことさえ出来なくなる”


 ヴラッドは誇り高き一族でなければならない。

 魔物のような、ノミとも同類な存在なんかと一緒であってはならない。



“その姿を晒すのは一族の恥だと思え”



 一族の顔に泥を塗る。面汚しにも程がある。

 そのような力に頼らずとも、優雅で豪快を司れ。



“その姿を見せるとき……それは、【誇りを捨てる】時。お前がそうしてでもやり遂げたいことがある時だけだ”


 しかし、父は同時にそのような言葉を残した。



 その言葉の意味は……今の彼女には強く分かる。



「父よ」

 アタリスは炎の中で両手を広げる。


「私は今……“友のため、誇りを捨てる”!!」

 炎が少女へと溶け込んでいく。


 燃え盛る赤い繭。肥大化した真紅の髪糸に包まれた姿。次第に繭そのものが羽のように広がり、少女の姿を晒していく。



 “閉じた六つの瞳”をつけた巨大な羽。羽へと姿を変えた真紅の髪の毛。

 炎を、生地の少ない衣服のように身に纏い、両手には少女の剣となった紅蓮が蠢いている。


まるで炎を司る妖精のような姿……“魔族”としての真の姿。


魔物と化したアタリスが、氷の闘士の前へと姿を現した。

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