PAGE.271「氷の女王(前編)」


 大地はマグマで焼けている。

 デスマウンテンの一片。近づくだけでも肌が解けてなくなりそうな大地の上にて、涼しい顔のまま佇むアタリスとクリスモンヅ。


 アタリスは元より、自分の魔衝によって自爆するようなことはない。ご挨拶程度の極熱なんかで自滅するような馬鹿ではないのである。


 だが、その一方で納得。同時に緊迫をもこみ上げる光景。

 氷の闘士クリスモンヅはマグマを体全体に浴びようとも蒸発する様子は一切見せない。ガラスのように透明で綺麗な肌はその白さを保ったままであり、彼女の肌から生じている冷気に包まれた衣服や装飾品も燃えカス一つつかずにそのままである。



「挨拶は終わりか? ならば、次は私からも挨拶をしたいのだが?」

 クリスモンヅの手に握られた杖が大地をつつく。


「凍え死ね」

 

 真紅の大地から一変、ステージはあっという間に真っ白なスケートリンクへと姿を変える。


 数千度を超える炎はあっという間に凍り付いてしまった。

 見るも奇妙な光景。マグマは真っ赤な色を帯びたまま氷に包まれてしまっているのである。次第にマグマは固まり始めたのか真っ赤な色合いから、硬さを思わせる黒へと変わっていく。


 凍り付く大地。その大地から、クリスモンヅが纏うベール同様の真っ白な冷気が煙のようにこみ上げてくる。


「……はぁっ」

 アタリスは冷静を装いながらも息を吐く。

 動きやすいように最低限の肌は晒している服装だ。それ故に数千度のマグマとは真逆、それを遥かに上回る冷気を前に息を漏らす。


 身が震える。有刺鉄線で縛り上げられるように体が固まっていく。

 いつも羽織っているマントに至っては薄いガラスのように固まってしまっている。軽く小突いてしまえば、布とは思えない音を立てて割れてしまいそうだ。


 吐いた息は目に見えて真っ白だ。

 口を開いた直後に口内の生ぬるい唾液があっという間に氷水のように冷たくなる。歯茎も冷気によって虫歯のような痛みを帯びてきた。



 ……徐々に症状が表に出ようと、オブジェになることはない。

 自慢の再生能力が多少だが役に立っている。ギリギリのラインを保ってはいるが、細胞が凍り付くことを幾度となく防ぎ、感覚の混乱も再生能力によりカバーされている。


 だが、長居は出来ない。

 再生能力をもってしても……肉体が凍てついている。


 動くことに多少の難がありそうだが、行動不能に陥ることはない。

 息をするだけでも喉が詰まってしまいそうな空気の中、必要最低限の酸素を吸い込むために口を開き、微かな空気を喉の奥へ追いやる。



「ほう、耐えるか」

 氷の女王は今も表情を歪ませない少女を前に首を鳴らす。

 女王という立場に立つ存在でもあれば、数万数億の民を死滅させる力を持って当然。その力の片鱗を見せたところで絶望一つ見せないアタリスに感心している。


 粉雪の欠片のように微かであるが興味は湧いて出たようだ。

 しかし、その興味もきっと数分どころから数秒足らずで消えてなくなりそうだが。


「褒めてやろう。だが」

 片手を再び前へ突き出す。

「その頭の高さ……いい加減下げてもらうか、或いは消えてもらうかだ」

 手の先端から、“吹雪”が具現する。


 これだけの冷気の中、更に雪崩れ込むように冷気を追加する。

 再生能力によってギリギリ息を保つことが出来る状況のアタリス。その上にこれだけの冷気を浴びる者なら再生が追い付かず、体はほんの数秒で凍死を迎えるだろう。


「……っ!」

 アタリスの目が真っ赤に光る。

 前方。自身の正面を覆いつくすように襲い掛かる“雪の一粒一粒”を全力の温度によって溶かしていく。


 目に入るもの全てが彼女の射程範囲。

 こちらへ襲い掛かる雪。その雪に引っ付いた微塵なダストを加熱し、目に見える範囲の吹雪の接近を寸前で防いでいる。


 まるでバリアを張っているようだ。

 必死の抵抗。行動不能になる事だけは何としてでも避ける。


「まだ耐えるか」

 ものの数秒で関心は消えることはなかった。

 だが、その関心がむしろ彼女の気持ちに逆撫でを加えることになる。


 そう易々と倒れはしない半魔族の子供を前に多少であれ苛立ちを覚え始めていた。頭の高い庶民への怒りが募り、徐々にクリスモンヅは体を前に近づけていく。


 近づけば近づくほど吹雪の勢いは強まっていく。

 勢いが強まれば当然、灼却の瞳による焼却処理も追いつかなくなっていく。次第に吹雪の魔の手はアタリスの肌に届き始めていく。



「くっ、くくくっ……」


 笑いながらも、アタリスの身は、止まっていく。


 凍っていく。

 少女の体が凍り付いていく。



「他愛もない」

 クリスモンヅはそれどころか吹雪の威力を更に上げる。

 ここまで頭を下げろと言っても下げない愚民は初めてだったのだろう。沸点こそ高くはないが、その無礼を前に不機嫌な王女は人間一人に放つには配慮の欠片もない殺意を冷気に込めていた。



「……っ」


 次第に、吹雪の中で見えていた赤い瞳は吹雪によって見えなくなる。

 その少女の体は身も凍るような白に包まれ、あっという間に飲み込まれていった。



「ようやく、黙ったか」


 数秒。数秒の時間が立った。


 クリスモンヅでさえも辺りの様子が見れなくなるほどに冷気が立ち込めていた。


 真っ白い煙幕は徐々に晴れていく。


 冷気を放つことをやめたクリスモンヅは楽しみによって愉悦を抱いていた。

 あれだけ曲がることのない表情を浮かべていた少女の面をこれから壊すと考えると胸が躍る。無礼には無礼を持って、その可哀想な人生に終止符をうってやろう。


「せめてもの賞賛だ。この手で貴様を砕いてやろう」


 一歩ずつ、晴れていく冷気の中でアタリスのいた場所まで近づいていく。

 クリスモンヅの持つ杖は特別製だ。自身の作った氷を容易く破壊できる頑丈さを持っている。この杖を持って、見るに堪えぬ芸術品となった少女を破壊する。



 そしてついに視認する。

 彼女が殺気を持って作り上げた、そのオブジェの姿を。



「……!!」

 クリスモンヅの目が見開いた。


 凍っている。紛れもなくオブジェは出来上がっている。





 しかし、そのオブジェは“少女が羽織っていた上着だけ”だ。

 それが空中で固まり、凍った大地と連結している状態で放置されている。


 逃げたのだ。

 脱ぎ捨てた上着で一瞬の風除けとし、少女に向けて一点集中されていたことによって見えた冷気の逃げ道を使って姿を消したのだ。


「一体どこに……!」

 何処へ逃げたのか。

 安心こそしている。何せ、彼女の瞳の力ではクリスモンヅの体に纏われるベールを溶かすことは出来ない。何処から奇襲を仕掛けようとも無意味であることを心に留めていたからだ。



「傲慢よな。女王よ」



 だが、その慢心が彼女の判断を鈍らせた。

 即座にアタリスを見つけ出さなくてはいけないという危機感を割いてしまったのだ。



「……!?」

 その油断故。

 クリスモンヅは、“その背中に大きな傷”を背負う羽目になった。


 大爆発。突如、背中が爆発する。

 氷のベールなど全く意味もない。熱気こそ伝わらないものの、爆破による衝撃がクリスモンヅの背中に大きな被害を与えた。


「ぐっはぁっ……がぁっ……!?」


 お気に入りのドレスの背中が大きく穴をあけてしまう。

 透き通るように白かった肌に、対となる黒いシミがこびりついてしまう。


 クリスモンヅの傷は背中のみ。体全体が吹っ飛ぶことはなく前へ仰け反っただけ。

 ドレスを彩っていた宝石の数々が凍った地面に散らばっていく。その儚い物音から、これほどにない静けさが一面の空気を支配する。



「あまりに配慮がない」

 クリスモンヅの背中にいる。

 いつものように表情一つ変えやしない、薄着姿のアタリスが腕組をしながら見下ろしている。


「それ故に私を見失う」

 でかい態度に一矢報いたその表情。

 してやったと言わんばかりのこの表情。その顔は大人の余裕というよりは、何処か子供のような生意気さが募るようだった。

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