PAGE.219「熱帯夜に浮かぶ魚影(その2)」
ジャングル付近。
一通りもそれといってないために明かり一つない暗闇の中で聞こえてくる喚き声。人間の呻き声でもなければ、それは魔物の夜泣きでもない。
そこにいるのは、文字通り”黒い人影”。
数体。真っ暗闇で顔も何も見えないが、まるで人間の形を構成するかのようなドロドロの何か。微かに口元らしき場所から聞こえてくるのは、喉も脳もすり切れた、酷な呼吸音。
「ようやく見つけましたよ。こんな時間に、わざわざご苦労様です」
……黒い泥を覆った人型の何かがウヨウヨと、コーテナたちの眠るアトリエへ迫っている。中身に何がいるのかは分からないが、人間のモノとは思えない呻き声を上げるその姿はまるで、ゾンビのように醜悪である。
目の前に立ちはだかったコヨイ。まだ歳もうら若き乙女の肉体めがけて、黒い影達は集団で彼女へと狙いを定め直してきたのだ。
「どこの誰かも分からぬ魑魅魍魎。そんな有象無象なぞにこの私は負けません……ええ、負けるはずがありませんとも」
コヨイは刀を抜くために、その身を一度低くする。
「はっ!」
アトリエに迫る黒い影の一体が真っ二つに切り裂かれる。左右にパックリと別れた遺体から、黒い泥が血液代わり、スプリンクラーのように振り撒かれる。
刀。闇夜に輝く一閃の鋼が虚空で煌めいている。見敵必殺、狙いを定め、斬り捨てた人間は容赦もなく、この世より除名をすることとなる。あまりの速さの剣劇。人間相手には威力の重すぎる刀を振り回す。
「明かりなんてなくても、音と気配だけで場所は分かります」
目の前の黒い影。その正体が何なのかはコヨイには分からない。
ただ、今の彼女に分かるのは、一息つこうとした彼女めがけて、その周辺に隠れていたであろう伏兵達が一斉に飛び掛かろうとしていた。
「……丁度いい、私の修行に付き合ってもらいます!」
彼女はこの地に来てまで強くなることを願っている。その理由は彼女の友人にも分からない。
内側に秘めるその想いがゆえに、この緊急事態でさえも自身の修行の糧の一部として利用しようとジャングルを駆ける。何処から来たのかもわからない、屍のような生き物を相手に次々と薙ぎ払っていく。
コヨイの刃は鋭く激しい。
精霊騎士団の中でも随一の戦闘馬鹿と言われていたホウセンの弟子だ。その剣捌きは卓越していながらも乱暴。たとえ相手が泥のように粘っこい薄汚れた生き物であろうと平気で切り裂いていく。あたりを漆黒の湖へと変えていく。
その刃に曇りはない。
目の前の標的を相手に、ただ殺すだけの刃となって振り下ろされていく。
止まらない。
殺気だけを浮かべた少女の剣劇は、止まることを知らない。
“彼女は、止まる気配一つ見せようとしない”。
「まだだ……!」
この数分。それだけで五十体近くの黒い影を斬り裂いた。だというのに、黒い影の大群は未だに数が減る様子がない。むしろ増えているような気もする。
「これくらい倒さないと、私は……!」
次々と薙ぎ払われていく黒い影。しかし、その一方で数を増す。
「私は、まだッ!!」
それだけの相手をしているとなれば……いくらホウセンに鍛えられた戦士とはいえ、その年齢と体は共に未成熟の子供の肉体でしかない。
「うっ……!?」
倒しきれるはずがない。スタミナが持つはずもない。
気が付けば出来上がり始める隙。黒い影たちはその隙を逃さないと、その牙を平気で少女の柔肌へと突き立てようとする。
覆いつくされる空。黒く染まる気配。
コヨイは己が食われることに理解を示すよりも前に、その顔を黒く濡らした。
「ほらよっと」
瞬時の事だった。
……辺りにいた黒い影。三十体近くいた怪物たちは一瞬でバラバラになった。
黒い影は血を流すことも贓物を落とすこともなく。その見た目通り、泥のように滑らかに溶けてなくなっていく。
「命を懸けて戦う奴はさ。それは応援したくなるけどさ」
鞘に刀を収める音。
「ただ、死に急ぐだけの馬鹿は逆に説教をしたくなっちまう」
ホウセンの弟分、賞金稼ぎソージ。
刀を手に持ち、少女を睨みつけるその瞳。
(!?)
コヨイは思わず震えあがる。
ホウセンとは違う別の威圧。その身が逆らうことを全力で否定する立ち振る舞いを前にコヨイの体が震え始めている。
「まあ、説教は後にするとして、残りの奴らをとっちめてやるかね。俺のパラダイスを汚した責任は、一夜の住み込みお手伝いじゃ払えないぜ?」
いつも通りの軽いノリへと戻っていくソージ。気分を入れ替えて、刀をもう一度引っこ抜いて辺り一面を見渡す。
「……って、あれ?」
ところが、その黒い影の気配は最早感じない。
いくら全滅させたとはいえ、次々と数を増やしていたのはソージもこの目で見ていた。だというのに援軍がやってくる様子がなくなっている。
「今ので終わりなのかよ……なんだったんだ? アレ?」
突然現れて、嵐のように去って行った黒い影。
ソージは両手を広げて、やれやれと言わんばかりに首を横に振った。
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