PAGE.213「サマータイム・ミッション(その1)」


 ___夏場の仕事に長い時間休憩もなく身を浸しているとき程、休日が妙に恋しくなることはあるだろう。

 ___特に冷房の行き渡っていない猛暑の仕事場は地獄以外他ならない。サウナに放り込まれたようで息苦しいったらありゃしない。


 ___例えばガソリンスタンド、自動車のパーツ工場に、自動車整備工場……と、ここまで自動車関係の仕事のみを口にしたが、別に自動車が嫌いというわけではない。


 ___ただ、猛暑に関しては愚痴も出たくなるほど嫌悪感がある。


「クソあつイ」


 汗のせいで妙に長い後ろ髪が首に絡みつく。作業着も当然だが、中に来ているTシャツと下着もズレて気味が悪い。


 ___厳しい。夏場限定だがそう思ってしまう。

 ___こうやって冷たさを求める時。冷房の効いた休憩所で、おすすめバカンスが収録されたカタログや雑誌が目に入る。そこに映るのは大抵南国か海の景色であり、火照った体を絶妙に冷やしてくれる。


「だがナ」


 ___程よい暖かさに綺麗な景色。

 ___安月給で過ごしているため叶う夢ではないが、やはり一度は行ってみたいと思いたくなるものではないだろうか?


 ___……その夢、まさか叶うとは思わなかった。


「あー、いい景色だナ~」

 ___なんか、懐かしい言葉を呟いていた気がする。

 ラチェットの目の前に広がる一面海景色。この世界に来て最初の頃の新鮮な気持ちを思い出す。あんな神秘的な景色から、あっという間に命がけのアドベンチャーに変わるとは思いもしなかったあの日の事を思い出す。


 一面海景色。

 現在、ラチェットは……魔法世界の海のど真ん中にいる。


「お前、船酔いとか大丈夫なのか?」

 ドリンク片手にスカルがやってくる。

 中身をくりぬかれたパイナップルの中にパインジュースが入っている。アイスと少々のソルトが甘い匂いを放っている。


「船に乗った事がないから何とも言えなかったがナ~、どうやら大丈夫のようだナ」

 パインジュースを受け取るとラチェットはストローに口をつける。

 舌が凍り付きそうな程に冷えたジュース。脳を金槌で殴りつけるようなショックがやってくるが、この炎天下の下でその刺激はむしろ快楽とも言える。

「「くぅ~!!」」

 ラチェットとスカルは頭を押さえつつも笑顔の苦痛を浮かべていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 何でも屋一同に言い渡された新たな仕事。

 彼等が海の真ん中にて、王都に属する漁船にも負けないレベルの大きさの私用船で目的地へと向かっていた。


 今回の仕事は、これまた精霊騎士団直属の依頼である。

 報酬も弾むどころかお世話になっている身。断る理由は当然なく、一同はその仕事場へと馳せ参じることになったのである。


 ……アルカドアの事件が起きた後。


 重要な仕事が王都の外であるようだが、騎士団のメンツを可能な限りは王都から外すことが出来ず、代わりにエージェントを含めた数名をその場へ派遣。

 人手がまだ欲しいという派遣エージェントの要請があり、援軍として何でも屋スカル一同が選ばれたわけである。


「次の仕事場が海の向こうとは……俺達もどんどんビッグになっていくなぁ!」

 パインジュース片手にスカルは唸る。


「あまり浮かれてると痛い目会うゾ」

「おやおや気のせいかぁ? 俺から見れば、お前もいつもと比べて浮かれてるように見えるぞぉ~?」

「……気のせいダロ」

 ストローを口にくわえ、海を眺めるラチェット。

 スカルに図星を突かれたからだ。彼の言う通り、実をいうとラチェットも浮かれている。


 ……彼は海を見るのが初めてだった。

 写真ではカタログや雑誌などでいくらでも見たことがある。だが、この肉眼にこんな綺麗な海景色を収めたことはなかった。

 微かに香る潮の匂い、聞こえてくる波の音に水面を照らす真っ赤な日差し。人間という生き物は海という存在に心を奪われるもの。初めての海景色にラチェットの心の中では少年らしいワクワクが溢れていた。


「……一応、仕事なんだがヨ」

 視線を船の甲板へと戻していく。



「あはは~! 待て待て~!」

「ちょっと待ってよ~」


 ……そこでは海景色を前にはしゃいでいるコーテナにルノア。


「なんだかんだ言って、ついてきてるじゃないですか~。このこの~」

「うるせぇっ! ウゼェ!」


そしてコヨイにからかわれているクロ。


「海は俺達を一人前の男にしてくれる……まさに、ロマンだよな」


 他にも甲板の先頭にて男のロマンを海景色の境界線に向かって語り掛けているアクセル。


「……飽きた。ありきたりなトリックだ」


船の上に用意されたハンモックの上で本を読んでいるアタリス。




「まるで旅行だナ」

 呆れたように、ラチェットははしゃいでいる一同を眺めていた。

 何でも屋一同のメンツ以外にも、学友が数人混じっている理由は一つ。彼等も援軍としてついてきたのである……最も、海の孤島と聞いて、遊びに行く気満々であるのが見え見えであったが。


「アイツら、これが仕事だってこと忘れてないよナ?」


「まあ、そう言ってやるな」


 はしゃいでいる一同と違ってクールなラチェットの元に一人の女性が近づいて来る。

 ブロンド髪をツインで纏めた女性船員。ラチェットと身長が同じぐらいの人物が一人の騎士を連れて、少年を諭すようにやってくる。


「孤島に行けるなんてチャンスは早々ないからな。こんな贅沢なバカンスにかかる費用は貴族の特権と言われるくらいだ。仕事であることを忘れないでほしいのは事実だが、多少は許してやるってもんさ」


 はしゃいでいる子供達をニヒルな表情で眺めている。

 女性であることは分かるのだが何処か男らしい一面がある。これが俗にいう姉御肌というものなのだろうか。


「えっと、もしかしてアンタが……ホウセンさんの言ってた“船長”さん?」


 ラチェット達が搭乗するこの私用船。

 これは騎士団が保有するモノではなく……精霊騎士団に所属するホウセンの知り合いの船である。その証拠に騎士団所属を意味する旗が何処にも掲げられていない。それに船の見た目も何処か海賊船を思わせる。


 今回の仕事にはホウセンの知り合いの協力も兼ねている。

 ……というよりも、その人物からの頼みで招集をかけられたようであるが。


「いや、アンタの言ってる船長は先に孤島にいるよ。私はその間の船長代理のマーキュリーってもんだ」

 何でも屋代表であるスカルに船員マーキュリーは手を差し伸べる。

「おおっ、これはどうも丁寧に」

 しっかり身長に合わせるように身を低くして握手をする。船を使わせてもらってる身なので無礼の内容にと丁寧な姿勢をスカルは見せる。


「んで、コイツは雇われ騎士のロイブラント」

 マーキュリーの紹介で、雇われ騎士は頭を下げる。

 今まで見たことない騎士甲冑を身に着けているが、それは何処の騎士団に属するものでもなく、彼に属する家系で使用されているモノのために見かけないようだ。


「ようこそ、“海賊船カルボナーラ”へ。ひとまずの海の旅を楽しんでおきな」

 マーキュリーはロイブラントを連れて、操舵室へと戻っていく。

「さっきも言った通り、船を使ってのバカンスはかなり貴重だからな。次に経験できるかも怪しいから、しっかりとその身に焼きつけておけ」


 年上からのアドバイスの一つとして一言残した船長代理はこれまたニヒルな笑みを去り際に見せていた。



「随分と話の分かる船長代理さんで助かったな」

「ああ、あの騎士の友人だってことがすぐに理解できるナ」


 昼間から酒に飲んだくれ、仕事の内容も報告書一つ読まないサボリの徹底ぶり。そんな自由な騎士の友人の部下というからには似たようなものを想像していたが……割とイメージ通りで助かった。


 これでしばらくの間はこのバカンス気分を味わえる。

 ラチェットもはしゃいでいる皆のように、この気分を味わっていたかったのだ。



 ……ここ最近起きる謎の頭痛。謎の幻覚。

 それを忘れたい。あんな幻覚を見るのはきっと疲れているからか、ストレスを抱いているからだ。楽天的な事の一つでもあれば、そんな悪夢何てパパっと忘れられるものである。


 ふと、ラチェットは太陽を見上げる。


「……ん?」

 ラチェット達のいる場所とは違う上のフロア。

 そこからラチェットを見下ろしている人影がいる。


 ……フェイトだ。その横にはコーネリウスとエドワードもいる。

 彼と目が合った事に気が付くと、フェイトは何の反応も示さずに奥へと消えていく。


「……ちっ」

 嫌な事を忘れられると思ったが、そう簡単にはいかないようだ。

 ちょっとばかりの不運をラチェットは呪うばかりであった。

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