PAGE.180「モーニング・シャウト(その4)」


 いつの間にかノァスロの後ろ側へ回り込んでいたラチェット。


(な、にっ……!?)

 彼女の表情はほんの一瞬で苦痛に歪む。


 そうだ、ラチェット達はとっくの昔にあの氷のドームから逃げていたのだ。圧縮され、ドームが押しつぶされるその前。



 更にさかのぼるとすれば……“最初からそこにいなかった”と言うべきか。



 氷のドームが完全に展開される前にラチェットとコーテナはルノアを連れて、真後ろから外に出ている。氷のドームが完璧な遮蔽物となって、人形に指示する側のノァスロはそれに気づいていない。


 あの人形には自分の意思はない。彼らが動くパターンは全て指示をしているノァスロが決めることであるため、結界の中に三人が隠れていると判断していた故に奇襲の準備を許してしまったのだ。



「ラチェットー! こっちは大丈夫だよー!」

 既にコーテナはルノアを安全な場所にまで連れて行っている。


「でかシタ」


 ラチェットが単身彼女の後ろに回り込み、その体に強力な麻酔銃を撃ち込んだ。 

 この研究員の指示さえなくなってしまえば、あの人形はタダのデクの棒である。死に至るまで動く最悪の人形であろうとも、そのドールマスターを寝かせてしまえば連動してこの人形も活動を止める。


 これでチェックメイトだ。

 ラチェットは拳銃を構えたまま、仰け反るノァスロから視線を外さない。



「……な」

 ノァスロは振り返る。

「何をしやがった……このガキぃいい……ッ!!」

 最初の一件はまだいい。だが、こうも繰り返して物事がうまく行かないとなると、狂気の研究員は狂ったように怒りを浮かべている。

 この研究員はあまり懐に余裕がある人物ではないのだろう。あまりの短期ぶりにカルシウム不足が伺えるくらいだ。


「ゼロワン……やつを殺せっ! 殺せぇえええっ……!」

 怒り狂った表情でノァスロはゼロワンに標的を抹殺するよう指示を送る。

 指示を受けたゼロワンはロボットのように体の角度を傾けると、両手についたカギヅメを構えたまま彼の方へと突っ込んでいく。


「おっと! くっ!?」

 逃げ足も速く、それなりに反射神経も鋭いラチェットはゼロワンの攻撃を幾度となく回避する。時折、意味がないと分かっていても麻酔銃を体に打ち込んで動きを一瞬鈍くするなど牽制を取りながら。


 回避を続ける。

 あと数分でもたてばこの猛攻は止まる。ラチェットはそう感じている。



(まだか)

 回避は続く。


(今、どのくらいたっタ?)


 ……おかしい。

 ラチェットの思考が徐々に不安を帯びていく。


(おい、まだ、なのカ?)


___何故、あの女は気絶しない?

 既に麻酔銃を撃ち込まれて一分近くが経過した。それだというのに、ノァスロは頭を掻き回しながらラチェットを睨みつけ、弾丸を撃ち込まれた胸を掴んでいる。


 あれだけ強力な麻酔銃を食らっておいて、気を失う様子を見せない。何がどうなっているのかとラチェットは慌てて距離を取る。


(まずいナ……)

 仮に、あのノァスロという人物に麻酔銃が効いていなかったと仮定しよう。


(非常にまずい……ッ!!)


 ラチェット一人ではこの人形に勝つことは出来ない。

 どれだけダメージを負ったとしても、その心臓に銃弾をぶつけない限りは攻撃を続ける殺戮人形。そんなバケモノを相手にただの人間でしかないラチェットが一人で叶う相手ではない。


「……やるしかないのカ?」

 止める方法はただ一つ。

 

 “この人形を殺すか”。

それとも、“あの研究員を殺す”かの二択だ。


 そうしなければ人形計画は続行し続ける。こちらの体力が尽きる寸前であろうとも向こうは無尽蔵で動き続ける。



「……麻酔か。くだらない真似を」

 ノァスロは傷口の中に入り込んだ弾丸を引っこ抜く。

 その弾丸に入っていた薬品の一部に気が付くと、八つ当たりでもするかのようにその弾丸を地面へと叩きつけた。

「悪いけど、私の体にはそういった薬品の抗体は埋め込んでるのよ……薬品に関する事故が実験で多いからね。念のための保険よ」

 麻酔銃が効かない理由。それを彼女は口にする。


「ったく……ゼロワンの魔力を無駄遣いさせすぎた……でも、まともな魔法を使えないアンタ相手になら、魔力不足の問題はなさそうね」


 このゼロワンという人形は先程魔力を使い切ったのか次の魔法を撃てるまで時間がかかるという。しかし、スタミナは無尽蔵に近いこの人形であれば、肉弾戦でラチェットに負ける事はまずないと計算結果が飛び出していた。



 ……拳銃を片手にラチェットは焦りを見せる。



(撃て、撃つンダ)


 撃て。こいつらを撃たなければ面倒な事になる。

 覚悟を決めてあいつらを撃て。それですべてが終わる。


(早くシロ)


 しかし何故だ。


(なんで……引き金をひけねぇんダヨ……ッ!!)


 過去に過ちを犯したはず。痛みなんて感じないくらいに体は麻痺を起こしているはず……なのになぜ、“動いている人間に銃を向けると体が震える”?


 怯えあがる。

 恐怖する自分。それに対して怒りを覚えるラチェットは酷く汗を流している。


「ラチェット……!」

 コーテナは安全な場所からその様子を眺めている。

 この一件が終わるまではそこから出てくるな。ルノアに危険が及ばない様にそこから顔を出すな。


 そう言われていたコーテナの体は思わずそこから飛び出しそうになる。


 ……だが、もしもう一人伏兵が隠れていたとしたら。

 近くに殺戮人形がいたとしたら、もしも、そいつが丸腰になったルノアを八つ裂きにすると考えたら……ここを動けば、彼女を見殺しにするのと変わらない。


 だが、この場で何もしないままというのも彼を見殺しにすることになる。


 どちらも助けたい。

 コーテナは一発の弾丸を指先に作っていく。あの人形一発なら消し飛ばせるであろう威力を誇る……炎の弾丸を。



「……やらなきゃ」

 震えあがる。

 当然だ、いくら人形とはいえ……あれは意思を失っただけで中身は普通の人間。二人を助けるためにやろうとしている事は、人形計画の被害者でしかない普通の人間を容赦なく殺すという事だ。


 普通の人間を殺す。

 魔物が平然と行おうとしてきたその悪夢に体が恐怖を覚えている。


 だがやらなきゃ殺される。

 コーテナは震える体から必死に恐怖を殺そうとする。



 瞳を開ける。

 彼女の心の奥で、何かのリミッターが外れたような気がした。

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