PAGE.140「視られる少年」


「こうして、せかいに、へいわが、おとずれたのだった」

 ラチェットは王都の本屋に売ってある絵本を手に朗読する。しっかりと勉強したクロヌス世界の文字を、その口で。


 彼が読んでいるのは世界の危機に立ち向かった勇者の物語。はっきりいって子供向けの教材本であるが、練習の成果を発揮する一つのターニングポイントとしては充分である。


「お見事! 全部正解だよ!」

 今まで文字の勉強を手伝ってくれたコーテナ。彼女は自分の事のように両手を上げて喜んでいた。

 ここ二・三週間、空いてる時間はずっと文字の勉強をしていたラチェット。その努力を知っているからこそ、コーテナもこうして喜んでくれている。


「次の本を持ってこないとだね!」

 そうやって一緒に祝福してくれるのは正直嬉しい。勉強の成果というのが実る瞬間の喜びは計り知れないものだとラチェットは実感する。


 だが、そんなことよりも……ラチェットは気になって仕方ないことがあった。


「……その格好、気に入ったのカ?」

 閉じた絵本から視線を向けることなく、彼女に問いかける。

 目の前で一緒に本を見ているコーテナ。その服装は以前エグジットとかいうアクセルの妹が提示してきた、あの“水着メイド”なる服装なのである。


 絵面からして、完全に怪しいサービス業のような風景だ。そのような衣装を平然と着ながらラチェットの勉強に付き合う彼女に呆れかえっていた。


「うん! だって可愛いじゃん! それに、この格好をしてたら、ラチェットも喜ぶってアタリスも言ってたし!」


(余計な事をいいやがッテ、あのババァ)


 見た目は幼少期であろうと年齢は人間から見れば老婆と違わないだろう。例え、彼女にとってその年齢はまだラチェットと同じくらいの少女の時期であろうと。余計な入れ知恵をしやがったあの少女に彼は怨念を送る。


 それにこんな俗にまみれたものが大好きみたいな言い方が気に入らない。興味がないわけではないが特別好きというわけでもない。

 変な誤解を招かれるのが面倒で仕方なかった。変な噂が立ち込めないことを祈るばかりだと頭を悩ませる。


「だから、今日は折角だしって思って!」

「……好きにしナ」


 本人が好きでやってるなら無理強いはしない。したいようにすればいいさとラチェットは諦め気味に彼女の服装を嫌々ながら承諾した。


 ただし、外でその格好をするのだけはやめるようにしっかり釘は刺しておく。コーテナ自身もそうだし、その友人である彼や何でも屋一同に職務質問をされる危険性が高い。

 自身とこちら側の保身のために頼む。ラチェットは入念にお願いだけしておいた。



 絵本を閉じる。

 世界を救った英雄の話。子供が好きそうな綺麗ごとでまとまっていて正直彼の好みではない。だが、子供が読むにはこれくらい勢い任せなほうが読みやすいのだろう。


「ねぇ、ラチェット?」

 ベッドに座っているコーテナはふと口を開く。


「あれから少しわかった? 自分の事」

 ここについてから結構な時間が経過した。

 ラチェットは本当に別の世界から来た人間なのか、仮にそうだったとして何故この世界にやってきたのか、そもそもこの世界は何なのか。


 調べたいことは山ほどある状況。文字の勉強や学園でのなんやかんやもあって、中々手を出せる状況ではなかったかもしれないが、何か一つでも分かったことがあるのかと聞いてくる。



「ボチボチ。ひとまずお前らのおかげで文字は読めるようになっタ。これで本格的に調べ物は出来る……気になることは沢山あるしナ」


 文字が読めるようになったので調べ物が出来るようになった。

 つまり、まだ手付かずの状態であることを遠回しで告げる。近いうちにでもこの世界の事や、自分自身の事を調べるつもりだとラチェットは告げる。


「気になること?」

 コーテナが首をかしげる。


「……あのステラって奴に色々質問されたのサ。俺の力についてとかナ」


 “その本は本当にアクロケミスの魔導書なのか。”

 それに対し、誰が見てもこの魔導書はアクロケミスだと答えた。


 アクロケミスの存在は学会に所属する魔法使いであれば誰だって知っている事だ。しかし、彼女はあの魔導書の事を入念に調べていた。


 そして彼女は問いかけた。

 その魔導書は普通のアクロケミスと何か違う。本来のものとは違う何かがその魔導書から発動されていると。


「それに……妙に“騎士団”の奴等も俺を見てるみたいだしナ」

 頭を掻きながらラチェットは立ち上がる。

 勉強の合間にトイレに行きたくなったのだ。少しばかり席を離すと詫びを入れた後に、下の階にあるトイレへと向かう。


 二人の勉強部屋。一人取り残されたコーテナは鉛筆を頬に当てながら考える。


「騎士団の人たちが見てる……寝ぐせでもついてたのかな?」

 寝相がそれなりに悪いラチェット。もしかしたら、見るも恥ずかしい寝癖が付いていたんじゃないかと考えていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 トイレを終えたラチェット。

 彼は文字の勉強を再開するために勉強部屋へと戻っていく。


「ん?」

 その最中、ラチェットは足を止める。



 ……アタリスだ。

 彼女は玄関からこちらへ来るようにと手招きをしたかと思ったら、そのまま裏口へと出て行ってしまう。


「なんだ?」

 呼ばれたような気がしたラチェットは彼女の後を追うように玄関の扉を開いた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「気が付いていたのだな。騎士団に見られていることに」

 アタリスは裏口にて猫のように塀の上から質問をしてくる。

 ババァと口にはした。その気持ちは今もラチェットは変わらないつもりである。


 この少女は幼女の皮を被った怪物である。塀の上から話しかけてくるその風貌からも自然と只ならぬ雰囲気は漂っている。


「当然ダロ。毎日視線を感じるし、それに俺たちに対して気を遣い過ぎな気がしてナ……俺たちが自由に動ける環境を作ってるというか。泳がされてるような気がするというカ……」


 ラチェットは違和感について答える。

 騎士団の対応。ここ最近になって、その気遣いはあまりに生易しいものへと変わりつつある。勘の鋭いラチェットだ。騎士団長とは一度列車で知り合った仲とはいえ、えこひいき染みたサービスの多さには彼も何か妙な気配を感じていたのだ。


「監視されてるような気分でナ」

「私を調べてるだけかもしれんぞ?」

「かもしれないナ。だが、俺達の観察までじっくりとやる必要があるカ……あそこまで入念に、正直言って気持ち悪いゾ」


 何でも屋の開業の許可、ラチェットとコーテナの学園入学許可、そして元爆弾魔容疑者であるにも関わらず、王都に野放しの状態。


 いくら何でも気を遣い過ぎだ。

 何かの水槽に放り込まれたような……文字通り、泳がされているような気がして。


「自意識過剰かもしれねぇが、やっぱ気になるんだヨ。俺への質問の意味不明さとか諸々含めてナ」

 アクロケミスの魔導書を眺める。


 この魔導書はアクロケミスじゃないかもしれない。

 その言葉はここに来てからずっと頭に残っている。


「大人しく読み書きしていたわけではないのだな」

「子供扱いすんナ。そこまで能天気じゃねぇーヨ」

 舌打ちをしながら少女を見上げる。

「私から見ればお前は充分子供だ」

 人生において数百歳も先輩の彼女が言うには頭を下げたくなる返答だった。


「……しばらくは探りを入れるつもり。自分の事が少しでもわかれば……アイツらが何を探っているのか分かるかもしれねーからナ」


 精霊騎士団、そして騎士団長は何を調べているのか。

 何のために何でも屋一同を泳がせようとしているのか。


 それはきっと、自分自身も分からない何かなのだろうとラチェットは推測する。


 それが分かれば、精霊騎士団の目的を少しは掴めるかもしれない。

 学会に学園、それを通してまで調べようとしていること……少しずつでも調べ上げられないかと模索していた。


「小僧、頭の容量は悪いが、感はかなり鋭いようだな」

「最初の言葉が余計だナ!」

 褒めてはいるが小馬鹿にされていることも分かる。このアタリスという少女だ。絶対にそうに違いない。


「騎士団は放っておくのか?」

「止める術も何もねぇダロ。ひとまずはスルーする」

「妙な真似をしてきたら……どうするつもりだ?」


 場合によって、騎士団は理不尽な制裁を加えてくる可能性もある。自身が何者なのかを悟られる以前の頃合いだろうと。


 その場合はどうするのかという質問。アタリスは興味良さげに少年に聞く。


「……場合によるナ。少なくともコーテナや皆に手を出すことになったら……“死ぬ気で止める”からナ」

 ラチェットは席を外す。

 あまり時間をかけると上の階で待っているコーテナを待たせることになる。アタリスにはそれを告げずにその場を去った。



「死ぬ気で止める……か。勝てぬと分かっていても歯向かうか、この世界の中心ともいえる存在に」

 一瞬、ラチェットが見せた敵意は本物だった。

 強がりでも何でもない。騎士団が仲間に手を出すことになれば、彼はきっと“手を出す”。


「はっはっは! やはり愉快だ! 小僧たちは見ていて本当に面白い……ついてきて正解であった!」

 塀から飛び降りたアタリスは城の方に目を向ける。

 少年を監視している精霊騎士団。そしてそれを束ねる騎士団長と国王が居座る人類最後の砦・王城ファルザローブ。


「さぁ、騎士団の若造共よ……どう動くかな?」

 少女はアクビをする。

 寝るには早いかもしれないが、睡魔に正直になるのは良いことである。多少は気にしている美容のためにも、アタリスは部屋に戻っていく。


「あの小僧と小娘……貴様たちが思ってるほど弱くはないぞ?」


 宣戦布告にも思える言葉を残し、姿を消した。

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