PAGE.131「放課後ヘヴィ・ウェイト」

 =魔法世界歴 1998. 9/8=


(……)


 学生たちにも学会の研究者たちにも大人気なパン屋さん。

 ラチェットは一人、そのお店のバルコニー席でカツサンドを頂いている。


(……なぁ)


 しかし、その腕は異様に震えている。


 カツサンドを食べる口があまり進まない。震える腕のせいか、レタスの破片や特製ソースが幾度となく皿の上に零れている。


(なんでダ?)


 ガックガクに震えながら、カツサンドを口につけている。口につけているだけで噛みちぎってなどいない。そのせいか唇にソースがベトリと張り付いてしまう。


 震えている……というか“怯えている”。

 カツサンドを両手に彼は怯えている。


「どうかしたか?」

 ラチェットが座っているテーブルは二人用。ラチェットの対面からは心配する女性の声が聞こえてくる。


「いいや、お気遣いナク……」

「そうか」

 対面の席の人は静かにサンドイッチを食べ始めた。

 ラチェットが口にしているボリューム満点のカツサンドとは違い、スマートで食べやすいお手頃なサイズ。


 二口くらいで食べられるサンドイッチを優雅に食す女子生徒の姿。

 グレーの混じった深紅。赤い輝きを帯びた髪が風に靡いている。


(なんで……)

 ラチェットは心の中で咆哮する。







(なんで俺はコイツと飯を食べてるんダ!?)

 


 学園のナンバーワン。その名は【完全才嬢】フェイト。

 ラチェットは何故か、そんな彼女と二人きりで食事へ訪れていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 時は昼休み時間にさかのぼる。


 学園の食堂でラチェット達はいつも通りのメンツでご飯を食べている。それぞれ別の話題で話が盛り上がることもあれば、全員一致で話に食いつくこともある。


「おい、そのおかず少し分けてくれよ」

「え!? まぁ、私のでよければ……」


 クロとルノアもこのグループにだいぶ馴染んできたようだ。

 最初は目が合った途端に何処かへ逃げるクロだったが、今はラチェット同様、少し生意気な態度を見せながらも皆と交流を深めている。


 ルノアも怯えながらではあるが、しっかり皆と寄り添おうと努力をしている。


 そんな手探り状態でありながらも交流を深める二人は弁当のおかずを交換するというコミュニケーションを取っていた。


 ……そういえば、クロの弁当は誰が作っているのだろうか。

 ふとした疑問にラチェットは首をかしげている。


 本人の話によれば、学園の寮で一人暮らしをしているとのこと。それを考えると弁当は自分で作っていると思われる。


 だとしたら意外な一面だ。

 弁当を作っているクロの姿を思い浮かべ、ちょっとクスリと来てしまう。




「失礼する」


 ……会話は突然静止する。


 グループの会話に誰かが割り込んでくる。しっかりとした姿勢で、突然割り込んだことに対しても謝罪を入れている。


「ラチェット、という人物はここにいるか?」


 話しかけてきた相手。その正体に全員は思わず静止した。


 アクセルは口をあんぐりと開け、ロアドとコヨイは二人仲良く箸をテーブルの上に落とす。クロとルノアもお弁当のおかず交換を中断し、コーテナはフォークをくわえたまま首をかしげている。




 学園のナンバーワン。

 完全才嬢とも呼ばれている有名人が突然話しかけてきたのである。


「まあ、俺のことだガ?」

 売店で購入したホットドッグを片手にラチェットが返事をする。


「……放課後、君と話したいことがある。付き合ってくれるか」

 フェイトからのお食事のお誘いが申し付けられる。



 アクセルは更に口を大きく開く。


 ロアドとコヨイは二人同時に持っていた水入りのコップを握力で割ってしまう。


 クロとルノアもさっきまで持っていた箸を二人仲良く落としてしまう。



「まあ、別に構わないガ……」

「感謝する」

 フェイトはそれだけ言い残し、その場から去っていった。


「……ラチェット」

 アクセルはラチェットの肩に手を乗せる。


「正直に言え。何をやらかした? 俺達も一緒に謝りに行ってやるから」

「なんで俺が罪を犯した前提?」

 アクセルの余計な気遣いにパンチを加えてやろうかとラチェットは拳を握りしめていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 というわけで放課後の時間。集合場所であるこの場所で軽く食事をとっていたというわけで、今に至る。


(しっかし、なんというか)

 震えながらもフェイトの方に視線を向ける。


 対人との会話にはそこまで問題がないラチェット。

 というより元々彼は、相手の事に関しては基本的に“無関心”。彼にとって会話は生きるために必要なツール程度に考えているため、特に意識するようなことは考えていなかった……この世界に来てからは、そのような考えは交流を通じて省かれるようになったようだが。


 だが、そんな無関心なラチェットでさえも震えを起こすくらいのプレッシャー。気軽に話しかけることは許されない圧力のあるオーラ。


 このフェイトという少女からはそれだけの威圧が喋らなくても伝わってくる。

 迂闊な事を口にしたら不味い。そこから先の言葉には気をつけろと拳銃を突きつけられているような感覚にラチェットは聴こえないよう固唾を飲む。



 __サラリーマンがアメリカの大統領と対談しているような気分である。

 失礼な事を口にした途端、何が起こるか分からない危機的状況。


 さすがのラチェットでも意識してしまう。

 無関心……いや、無関心であるように意識。感は鋭いが故にラチェットは冷や汗を流し続けていた。


 震えが続きつつも、ラチェットはカツサンドを完食する。五分近くの食事であったが、あれだけボリュームのあるカツサンドから一切味を感じないほど緊張感のある食事だった。


 フェイトもサンドイッチを食べ終えたのか、口をナプキンで軽く拭う。


「なぁ、話っていうの」

「君は」

 ラチェットの言葉を遮るようにフェイトが口を開く。


「……魔族界の住民たちの伝説を知っているか?」

「は?」

 突然始まった謎の会話。あまりに突拍子もなく始まった謎の発言にラチェットはピタリと固まる。


「今から二千年以上前……そう、古代文明が存在するよりも前にあったという“無の時代”だ」


 悠長にフェイトの会話が始まる。


「無の時代の最終期。別世界の使者が現れ、世界は一度崩壊したと言われている」


 言葉のキャッチボールというよりは相手側がボールを永遠と投げ続けてくるドッジボールのような状況。


「世界を滅ぼした別世界の死者。すなわち、魔族界の王……その正体は、実は“人間だったのではないか”という仮説もある」


 まだ参考書にすら乗っていない学会の考察。


「魑魅魍魎ばかりだった魔族軍。だがその中でも目を引く存在がいた……それは魔王。その姿は“人の形”をしていた」


 学会の仮説を延々と話し続ける。

 それは、かつて世界を滅ぼしたという魔王の話。


「魔王は無の時代の世界より裏切った人間だったのか……あるいは人の形をした神話的存在。すなわち天使か悪魔……仮説は底を尽きない。君はどう思う? 君は、どの仮説が正しいと思う」


 吸い込まれる瞳。傾けざるをえなくなる耳。

 延々と異説を語り、差し伸べる手。フェイトはラチェットに答えを委ねた。



「いや、知らねーケド」

 即答で彼は答えた。

 言葉に気を付ける局面だったのは分かる。でも、こういう返答をしてしまった彼の心情を理解してあげてほしい。


 何か用事があるから何用だろうと話を聞いてみたら、突然訳の分からない仮説神話を永遠と語り始める。神話とかに全く興味のない人間に、その話に対して感想を求められてもそうとしか答えられないだろう。



 今もラチェットは首をかしげている。

 彼の頭はクエスチョンマークでいっぱい。頭全部が埋まってしまいそうなジャングルが出来上がりかけていた。



「……そうか、ありがとう」

 フェイトは静かに立ち上がる。

「その食事は私がご馳走しよう。付き合わせてすまなかった」

 料金の書かれた伝票らしき紙切れを手に取ると、優雅な足取りでその場から去っていく。その歩く姿勢からも気品とオーラが波となって伝わってきた。




「……はぁああ?」

 緊張が一気にほぐれたのかラチェットはガックリと肩を落とす。


 ___何だったのだ。

 ___あの人は一体何の話をしようとしたのだ?


 わけの分からない展開にただただ、ラチェットは言葉を漏らす。



「大丈夫? ラチェット?」

 そんな彼の元へ……何の突拍子もなくコーテナが近寄ってくる。

「うわぁ、萎れてんなぁ~」

 それに引き続き、何処から湧いて出たのか、アクセル達一同も突然姿を現したと思ったら、大急ぎで彼を囲っていた。


 皆心配になって様子を見に来ていたようである。気づかれないであろう遠くの席から監視するような形で。


「はぁ~……」

 しかしラチェットはそんな彼女らの対応に、気力のない返事を返すことしか出来なかった。

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