PAGE.107「モンスターズ・アイズ(後編)」
『では、お望み通り、その心、奪ってみせよう』
歪んだ声が聞こえる。
「!?」
アタリスは一瞬だが目を疑う。
目だけではない。微かに麻痺を覚えたような耳にもだ。
消えた。すぐ目の前にいたはずのコピオズムの姿が消えてなくなった。
……彼女は今、人気の少ない路地裏の通路のど真ん中にいる。
ここは王都。どの位置に隠れていようとも、どれだけ薄暗いこの場所にいようとも、遠くから聞こえる王都住民たちの賑わいの声が絶えず聞こえてくる。
“一切聞こえない。”
コピオズムの声は勿論、住民たちの賑わいが微塵も響かない。通路に吹く隙間風の音さえも。
人気の少ない道路。ゴミ捨て場の多いこの場所は鼻を刺激するような臭いもあったはず……だが、匂いさえもしない。
この不思議な感覚は何なのか。
体全体が“まるで別の空間”に閉じ込められたような気分。
宇宙空間に放り出されたように体が浮ついている。音も、匂いも、感触も、何もかもが消え去っていく。
『では、まずは、一突き』
一瞬、コピオズムの声が聞こえた。
耳に入ってきたのではない。頭に言葉を植え付けられたような感覚。
直後。体全体に痺れが滞る。
……血が溢れている。体は再生こそするが、痛みを感じないわけではない。
不思議な気分だ。痛みだけ感じるこの身体。自身の腕が傷口を押さえている感覚が一切しない。腕も胸に触れている感触をほとんど感じない。
何かをされたのは間違いない。
切り裂かれた胸を抑え、見えないコピオズムを視界で探る。
……彼女は今、コピオズムの手中で踊らされている。
「ほほう……奇怪な」
少しばかり平和に馴染み過ぎたのか。迂闊だったのは自分であったとアタリスは面白気味に笑っている。
この不気味さ。それさえも彼女は愉快に感じている。
……深呼吸をし、瞳を一度閉じる。
そっと瞳を開け、再び意識を集中した。
何も聞こえない。何も匂わない。何も感じない。
目の前に映るのは路地裏の風景のみ。動く物体は何一つとして視界にない。美術館の油絵の絵画に閉じ込められたような気分になっている。
アタリスは……再び、瞳を閉じた。
『その綺麗な瞳、とじるのは、実に勿体ない』
声が聞こえてきた。
目に見えないところ……いや、正確に言うと彼は“アタリスの視界から消えてはいなかった”。
『本当にきれいな瞳だ』
ずっとそこにいた。
瞳を閉じる姿。幼き少女の姿を前に、“ずっとアタリスの目の前にいた”コピオズムは悦に浸るように眺めている。
その手にはナイフがある。
愛を証明するナイフをそっと……少女の幼けな体に押し込んだ。
「……見つけたぞ」
アタリスは掴んだ。
“見えないはずのコピオズムの腕”を。
『っ!?』
コピオズムは驚愕する。
「声が動揺したな……ということは当たりのようだ」
アタリスは笑みを浮かべている。
彼女はコピオズムの腕を握ってはいる。“何かを握っている”感覚は一切その身には感じていない。
だが、視界にも入っていないコピオズムをアタリスは捕捉してみせている。
「貴様の魔衝……どうやら、相手の感覚を全て奪うようだな。おかげで視界も聴覚も嗅覚も触覚も……何一つとして感じない。ただ一つ、“痛覚”を除いてだな」
何かを握っているはずの小さな腕。それをそっと、アタリスは自身の魔眼の元へと運んでいく。
「貴様は最初、私と同じ魔眼の持ち主と言った。つまり、お前は目を通して私に何かしたという事だ……やれやれ、私としたことが油断したよ」
たった一回。ナイフをその身で貫かれただけ。その数分の間だけ。
胸に貫かれたナイフ。それを頼りにコピオズムの位置を探る。
普通の人間なら考えもしたくない作戦を実行に回した。
……これがアタリス。
人間が誰一人として理解も出来ぬ棘の花。無垢なる怪物。
「ぐっ!?」
アタリスの聴覚が元に戻った。外の賑わいとコピオズムの悲鳴も聞こえた。
軽く腕を焼き払われ、その痛覚に耐え切れなくなったコピオズムは魔衝を解除したようだ。
目の前には片手を押さえ苦しむコピオズム。
……だが、アタリス同様にその苦痛の表情には笑みが含まれている。
「随分とガードの固い奴だ……だが、棘のある奴ほど、余の好みだ……」
「棘が好みか。では、お望み通り」
アタリスの瞳が真っ赤に染まる。
その瞳はコピオズムのオッドアイを容赦なくとらえていた。
「そこまでです」
レイピアの刃がアタリスの顔面のすぐ真横を通過する。
聖水をコーティングされた特殊性のレイピア。アタリスの完全再生であろうと遮ってしまう“対魔の細身剣”。
「それ以上の愚行は、見逃せませんよ?」
「……私が襲われた側なのだがな。世知辛い」
正当防衛すら許されない世の中。不貞腐れたように両手を挙げたアタリスは呆れたように細身剣の持ち主へと視線を向ける。
……精霊騎士団のフリジオ。
ヴラッドの一族を根絶やしにした一族。そして、自身もヴラッドの一族に勝利した名誉ある戦士として名を残すことを目指す者。
夢というよりは願望。懇願。
歪んだ思想を誇りとして掲げる騎士が笑顔でアタリスの後ろに立っていた。
「申し訳ありませんね。貴方は少しばかり例外ですので」
「別の形で特別扱いを受けたかったものだがな」
アタリスはつまらなさそうにその場を去っていく。
暇つぶしにはなったが最悪な横槍が入った。不満を含め頬を膨らませた表情は見た目相応の少女らしいしかめっ面。
その苛立ちが正直に体に現れているのか、徐々に早足になり始める。
「……待ってくれ。余は君の事が」
「一目惚れか。気持ちは嬉しいが……答えはノーだ。申し訳ないが、私はお前に興味がない。華を飾ってから出直すとよい」
コピオズムの言葉を遮り、言いたいことだけを口にすると少女は姿を消した。
「棘があるだけでなく、高嶺の花とは……ますます気に入ったぞ。アタリスとやら……お前をいつか、余の者にしてみせる」
片目を押さえて、クククと笑う。
コピオズムも不気味な言葉を吐き捨てた後にその場から去っていった。
「やれやれ……おかしな人ばかり、いるものだ」
フリジオも残念そうにその場を去った。
対魔の騎士が最後に言い残した言葉。
精霊騎士団の同志たちがその場にいたのなら、総ツッコミが返ってきていたことだろう。
“お前がいうな” と。
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