PAGE.102「ハンティング・タイム(後編)」


 コーテナとルノアはとにかく疾走した。

 巨大な野生動物が溢れかえるジャングルの中で、ようやく安全地帯と思われる場所を見つけ、そこに身を隠し外の様子を伺っていた。


 ……巨大なクマが逃げ出した少女二人をを探し回っている。

 見逃したのか酷く困惑しているようだった。今も匂いを嗅ぎながら、絶対に見つけ出さんとそこから動こうとしない。


「あはは、こりゃぁ困ったな~」

 クマからは死角の木陰の中へと隠れるコーテナはルノアを安心させたいがために微笑みかける。


「……ごめんなさい」

 ルノアはその場でうずくまっている。

 体育座りだ。体は酷く怯えており、顔も足の中に埋めている。


「私、真っ先に逃げちゃって……いきなり、迷惑かけちゃって」

 この震えはクマに対する怯えもあるだろう。

 だが、それよりは、彼女よりも先に必死になって逃げてしまったことへの罪の念に対する怯えの方が強いかもしれない。


 ルノアは小声で謝っている。顔を合わせる事すらもおこがましいと震えていた。


「気にしないでよ! あんなもの見ちゃったら、誰でも逃げ出しちゃうって。ボクだってビックリしたんだから!」

「でも、私……コーテナさんを置いて、一人で逃げようとして……」

「ボクなら大丈夫! 足には自信があるから、そんなに謝らなくても大丈夫だよ!」


 ルノアの腰を強めに叩く。

 誰だってあんな化け物と鉢合わせになったら怖がるに決まっている。それが普通の事なのだとコーテナは言い切ってみせた。


「私、私……」

 コーテナの言葉を聞くたびに、ルノアの震えは強まる一方。

 罪の意識が大きくなる一方だった。変に優しい言葉をかける度に、少女の中で恐怖の概念が膨張を続けている。


 ルノアは繭に引きこもった蚕のようにうずくまっていく。



「!」

 コーテナの目の色が変わる。

 足音、というよりは枝や木の葉を避けながら何者かがこちらに近づいている音が密かに聞こえてくる。それをコーテナは聞き逃さない。


 クマだ。こちらに気が付いたのか、それとも様子を確認しに近づいているのか。どちらであろうと、ここに居座り続けるのは危険になりつつあった。



「ルノア、クマが近づいて来るよ」

 彼女に声をかける。


 ……怯えたまま動かない。

 クマへの恐怖もそれ相応に大きいものである。二つの恐怖が少女の体を鎖のように地面に締め付ける。


 動けない。ルノアは立ち上がる勇気すらも消え失せてしまっていた。


「……ルノア! ここにいて!」

 コーテナは叫ぶ。


 飛び出した。

 ルノアを木陰に残し、コーテナだけがココに近づきつつあったクマの目の前へと自分から飛び出していった。


「やい! こっちだ!」

 ルノアはクマを刺激するように大声を出すと、ルノアがいる方向とは全くの反対方向へと全力疾走で逃げていく。

 それに対し、当然クマは驚きのあまり反応する。こちらに対する威嚇か攻撃行動と受け取った野生生物は激しく動いている標的目掛けて走り出したのだ。



 囮だ。コーテナはルノアを守るために囮を買って出たのである。

 ルノアから離れた場所でコーテナは木の上に駆け上がっていく。高台に逃げることが出来れば、アレだけの大きさのクマなら登っては来ないだろうと踏んだのだ。


「よし! このまま反撃を!」


 大木をジャングルの子ザルのように駆けあがり、瞬時に右手の人差し指を下にいるであろうクマに向けておく。安全地帯から狙撃して、気絶レベルの致命傷を与えてやると布告する。


「……!?」


 しかし、“想像通りにいかない”のがハンティングの面白いところだ。


 とんだサプライズ。心臓が飛び出そうなくらいのハプニング。


 クマは“割と容易く木を登ってくる”。

 安全地帯から攻撃を行うとするコーテナに対し、巨大な腕を振り払う。


「うわわわ!?」

 間一髪で回避。しかし、コーテナはそのまま地面に向かって落ちていく。

「いってー……」

 勢いよく尻餅をついた。

 だが、寝てはいられない。急いで動かなければ、この瞬間に容赦なく爪を突き立てる事だろう。


 その予想通り、クマは上空からハンマーのように腕を振り下ろす。


 逃げる。コーテナは回避を続けて、一矢報いるチャンスを待つ。

 なんとしてでも、この危機的状況を打破しなければと、コーテナはクマの攻撃を回避し続けていた。



(コーテナさん……)

 聞こえてくる騒音。

 傷つく大木、抉れる地面、そしてコーテナの唸り声にクマの咆哮。


 何が起こっているのか。コーテナの身に何か起きていないかと心配になったルノアは木陰の後ろから様子を眺めていた。


 逃げ回っているコーテナの息は次第に上がりつつある。激しく動き回るクマを相手に、得意の魔法攻撃の狙いが定まらないようだ。


 このまま続けば……いつか、コーテナは息継ぎのために停止するはず。

 そこを狙われれば、彼女が危ない。



(どうしよう……)

 体がすくんで前に出ようとしない。

 何かしないといけない。でも、あんなデカい生き物を相手に出来ることがあるのだろうかとルノアは飛び出すことを躊躇い続けるだけ。



 行くべきか。行かざるべきか。

 ルノアの怯えはより一層深まっていく。次第に頭痛さえも襲い掛かってくる。


 怖い。飛び出すのが怖い。

 彼女はここにいろと言った。きっとそれは、怯えている自身のことを助けるために言ってくれた言葉である。ルノアの頭の中でコーテナの声が再生される。


(……ダメだ)

 ルノアの中で込み上げていた真っ黒な恐怖。

(……ここにいたらダメだ!)

 その断崖が、音を立てて崩れ去った。


 飛び出した。

 ルノアも木陰から飛び出すと、背中に背負った大剣を構え、出せる限りの声を出し尽くした咆哮を上げながら、コーテナに気を取られているクマに立ち向かう。


「ルノア!?」

 突然飛び出したルノアにコーテナ驚いた声を上げる。


 ……ルノアが持っている大剣が変色していく。

 刃部分は熱した鉄のように赤みを増していく。更に刃からはチェーンソーのような振動音が鳴り響く。


 それだけじゃない。

 “ファルシオン”を思わせる巨大な剣には“小さな炎の噴出孔”数カ所存在する。熱を帯びるだけではなく、その巨大な武器を叩きつけるためのブースターまで作動する。


「“魔動兵器”だ……!」

 コーテナが口にしたその武器。

 マジックアイテムの一つ。魔導書を“武器の中”に組み込むことにより、特殊な効力を発揮させる対魔物専用の武器だ。


 ルノアが持つ大剣もその一つ。厚みのある刀身の真ん中には小型の炎の魔法の魔導書が組み込まれている。魔導書の機能により、数千度以上の熱を刃に帯びさせる。


 魔族界戦争から数百年以上の時を得て、王都魔法学会によって開発された新世代の魔法兵器。それが彼女の持つ武器型のマジックアイテムなのだ。


「お願い! これで倒れてッ!!」

 ルノアがクマの背中を思い切り殴りつける。



 ……そうだ、“斬った”のではない。“殴りつけた”のである。


 その巨大さにその暴れっぷり。ひ弱なイメージのあるルノアが扱うには無理がある代物なのだ。狙いが定まらず刃はその身をとらえず、豪快な峰打ちという形で一撃を食らわせる羽目になった。



 一太刀ぶつけられたクマは咆哮を上げて、地面に倒れ込む。

 

「うわぁ!?」

 同時、ルノアも魔法兵器の反動に耐え切れず、武器を手放し転んでしまう。魔法兵器は持ち主の手から離れると、機能を停止し地面に突き刺さる。


「いたた……」

 ルノアは顔を上げる。

「……!!」

 怒り狂ったクマがルノアを睨みつけている。

 やはり殴った程度では致命傷にもならない。軽く小突かれた程度でクマにとってはちょっかいを掛けられたようなものだ。


 クマが徐々にルノアへ距離を詰めていく。


「い、いや……!」

 殺される。

 ルノアは逃げ出そうにも腰を抜かして動けない。


「いやぁああ!!」

「ルノアッ!」

 ルノアの前に出るコーテナ。

 指先から何発ものファイアボールを連発するが止まる気配がない。


「一体どうすれば……!」

 コーテナは消耗した体力により意識が薄れていっていた。

 二人纏めてお陀仏か。クマは腕を振り上げた。







 ……瞬間、轟音が鳴り響く。



「「!」」

 耳が割れるような爆発音。クマの体が少女達から宙を浮いて吹っ飛んでいく。


 ……地面を跳ねる小石のように飛んでいったクマはその後ピクリとも動く気配を見せず、匂いのきついヨダレを滝のように垂らしながら気を失っていた。


「これって」

 クマの体は爆発で大きく抉れている。

 目に見えない速度で飛んできた爆発物。その正体にコーテナはすぐに気が付いた。


「あっぶねぇ、間に合った~……」

 コーテナの視線が向く先に、その人影はあった。

「森のクマさんはマサカリ担いだ何とやらにぶっ飛ばされてろヨ」

 間に合った事への安堵にガックリと肩を落とすアクセル。そして、地面に片足付けてロケットランチャーを構えるラチェットの姿があった。


 二人の悲鳴を聞きつけ、近くにいた二人が助けに来たようだ。


「ありがとう~、助かったよ~……」

 コーテナは二人の元に駆け寄りお礼を言う。


「馬鹿。どうしようもなくなったら、狼煙をあげろって先生に言われたダローが」

 ラチェットは彼女のおでこに軽くデコピンを突き入れる。

 先生の言ったことくらい覚えていろと説教を入れる。何のために先生が保険を入れたと思っているんだと若干しつこいくらいに。


「あ、そうだ……!」

 コーテナは急いでルノアの方に。


「大丈夫!? ルノア!?」

 ルノアは腰を抜かしたまま動かない。

 怯えている。顔をずっと地面に向けたまま動かない。


 ペタリと地面と一体化するルノアは小刻みに震えていた。


「ごめん、コーテナさん……私、また勝手なことをして……迷惑かけて、あの」

 まただ。彼女はまた罪の意識に震えている。彼女との約束を破ったことに自身を責めているようだった。



「……ありがとう」

 コーテナは震えるルノアの体を優しく抱きしめ、背中を擦る。

「ボクを助けるために出てきたんだよね……ありがとう……それと、ゴメンね。ボクがもう少しクマをどうにか出来てたら、こんな思いはしなくてよかったのに」

 そっと彼女の背中を擦る。

 

「……ううっ」

 ルノアの震えが強くなる。

「うわぁああん……!」

 泣き出した。ルノアはコーテナの体に抱き着き返し、むせ返る程に泣き出した。


「え!? どうして泣いちゃうの!?」

 自分が何か悪い事でもしたのか、それとも怖がるようなことをしたのかとコーテナは焦り始める。


「だって……私、いつも失敗ばかりで……! みんなに迷惑かけてばかりで怒られて……でも、コーテナさん怒らないから……! ずっと優しく褒めてくれるから……すごく優しいからぁっ……!!」


 ルノアは所謂、落ちこぼれの1人だった。

 その引っ込み思案、尊重のなさに自信のなさ。魔法の実力も高くないと評され続けた彼女は自身を信用できない故に失敗を続けてきた。


 そのこともあってコミュニケーションもなかなか取れず孤立。次第にいろんな生徒からは『気持ち悪い』、『マジで邪魔』、『一緒にいたくない』など、酷い言われようを受け続けてきたのだという。


 しかし、コーテナは何があっても彼女を責めなかった。むしろ褒めてまでくれた。

 今までにない優しさを感じたルノアは思わず泣き出してしまったのである。自分のやったことが無駄じゃなかったような気がして。


「えっと、ルノア! 笑って! ほら、もう怖くないから!」

「あーあ、コーテナの奴、女の子泣かしてやんノ」

 ラチェットは小声でコーテナをからかった。


「違うってばぁ~!?」

「ひぐっ……うわぁああん!!」


 初めてのハンティング。ラチェット&アクセルにコーテナ&ルノアのツーコンビ。命懸けのハプニングに見舞われたものの互いに一匹の標的を捕獲することに成功。


 状態こそひどいが、でかい獲物だ。

 森のクマさんが一匹。この巨大な獲物は二組の手柄として扱う事となった。

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