PAGE.100「気さくな疾風野郎」
あの目線は何だったのか。
セミナー授業の時、間違いなくあの女と目が合った。
ラチェットは今もなお、あの目つきを思い出すたびに体が震えあがる。
飲み込まれそうな圧力に背筋は凍り、足元は特におぼつかない。
この妙な感覚を体が覚えたまま、彼は放課後を迎えていた。
「くっ……」
帰宅する前。軽くトイレへと向かっていた。今から、荷物のカバンを取るために教室まで戻っていくところである。
「ったく、流石に意識しすぎってやつカ……」
ゾンビというよりは酔っ払いのようなフラつき方。頭の中はフェイトの視線と気迫がこびりついてしまい、真面な思考を妨害してしまう。
動きそのものがまるで挙動不審そのものとなっている。
怪しい奴だと変な目線を送られる前に、いつも通り気を取り戻さなくては。
「おい! お前!」
中々正気に戻ることが出来ない意識の中、脳にこびりついたフェイトの記憶が幕を引き裂くように消えてなくなる。
生意気な声だ。
そして、蛇のように少女が彼の体に張り付いて来る。。
「今日こそ、付き合ってもらうからな!」
「またテメェか! しぶといナっ!」
クロを引きはがすための緊急取り外し作業が始まった。しかし、クロはタコの吸盤の如くピッタリと背中にしがみついており離れない。
腕は胸を締め付け、小さな足はラチェットの脚をガッシリ掴んで放さない。
一方ラチェットも片手でクロの頬を抓って引っ張ってを繰り返すが、絶対に放すものかと想定外のど根性を見せてくる。
「俺にアクロケミスを教えろよ! この白髪仮面!」
ヒーローの名前にしてもギャグアニメのヒーローみたいなネーミングだ。近代社会のストレスを原動力に戦うヒーローか何かか。
「ラチェットって名前があるんだヨ、妙な渾名をつけるんじゃネェッ!」
「じゃあラチェット! 名前呼んでやるから付き合えよ!」
「なんで上から目線なんだヨ、クソガキ!!」
必死に攻防戦は続く。
小さな女の子相手に必死の形相を浮かべるラチェット。彼の表情は仮面のせいで見えないが、その必死さから、そんな顔を浮かべているんだろうなと周りからヒソヒソ話が。
注目を集めたくないラチェットにとっては拷問以外の何物でもない。
「おーい、ラチェット~」
そこで最高の助け舟がやってくる。
コーテナだ。隣には面白そうな表情を浮かべながらアクセルがついてきている。
「!!」
コーテナの姿を見た途端、クロの動きがピタリと止まる。
すると、野生の黒猫の如く、マッハの速さでその場から逃げ去っていった。
「ん? ラチェット、今の子は?」
「俺が聞きてぇヨ。クソッタレ……」
今後しばらく、あの黒猫少女の奇襲が続くのだろうか。パニック映画はテレビのロードショーでそれなりに見たことはあるものの、クロのドッキリに今後体が持つのだろうか。
想像するだけで心臓が痛くなってきた。
「あ、そうそう、ラチェットはこの後あいてる?」
話が切り替わる。
空いてると言えば空いている。今のところ放課後にやることは特にない。
「お前達の歓迎に軽くご馳走してやろうと思ってな。俺達でプチ歓迎会をしようと企画してるのよ」
アクセルの粋な計らいであった。
……ただ、一つ気になることがある。
俺達で、ということはクラス全員で行う大掛かりなものではないことは分かる。
俺達。
その単語の割にはラチェトっとコーテナ含めて3人しかいないような気が。
「この3人でカ……?」
ラチェットは疑問を浮かべて聞いてみる。
「ああ、いや……ロアドとコヨイも誘ったんだけどよ、あいつら運悪く、用事があるみたいでさ……」
本来ならば5人でワイワイやろうとしていたようだが、女性陣二人がタイミングの悪いこと。
ロアドは実家の方で手伝いがあるらしい。
行きたかったけど、申し訳ない。
ロアドは力強く両手を叩いて謝っていた。また機会があれば、その時は参加するから気兼ねなく声をかけてとマッハで帰っていった。
コヨイの方は剣術の鍛錬の予定があるらしい。
個人の予定であれば歓迎会に馳せ参じるのだが……彼女には“師匠”と呼ばれる存在がいるらしく、その人とのトレーニングのために約束は破れないとのこと。
コヨイは申し訳なさそうに謝罪を入れると、あまり時間のない師匠を待たせるわけには行かないとトレーニングに向かっていったそうだ。
「そういうわけだ。パーティーってわけでもないが、名物を食わせてやるよ」
ちなみにアクセルの奢りとのことだそうだ。
ご馳走してくれるという単語に美味しいモノ大好きなコーテナは両手を上げて喜んでいる。ご飯を前に大はしゃぎする小型犬のように愛らしく懸命に。
……学園近くの美味い食べ物。確かに興味深い。
奢ってもらえるというのなら良い機会だし付き合おう。ラチェットもその歓迎会とやらに参加することにした。
「んじゃ、行くか!」
アクセルは2人を連れて、その名物の店へと連れて行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
数分後。学園近くの名物店に到着する。
バルコニーの席に腰かける3人。コーテナとアクセルはテーブルの上に並んでいる名物メニューにヨダレを垂らしかけている。
目の前にあるのは、大ボリュームのカツサンドだった。
揚げたてのビッグサイズ、豪快にぶっかけられたソースもマシマシで、カリカリのトーストパンからはみ出てしまっている。
これが美味いんだなとアクセルは解説を続けている。値段も学生には優しいもので大人気のメニューだという。
「まあ、食べて食べて!」
アクセルは早く食してみてと急かしてくる。
「いただきまーす!」
大きなカツサンドにコーテナは勢いよくかぶりついた。
「美味いっ……!」
100点満点である。揚げたて故にアッツアツでカリッカリ。肉に飢えている空腹な彼女にはたまらない一品であった。
コーテナは凄く大満足。
その賞賛にはアクセルも同意で笑みを浮かべていた。
「……」
そんな中、ラチェットは少し震え気味で周りを見ている。
何か困っているようにも見える。
「あれ、もしかしてお前、カツサンドは食えない?」
「いや、食える」
むしろ彼にとってこの食べ物は大好物だ。元の世界でも仕事の休憩間際にコンビニで購入した大型サイズのカツサンドをよく栄養補給で食べていた。
なら、何故怯えているのだろうか。
アクセルは少し疑問を浮かべている。
……そう、彼らがやってきたこのお店。
よりにもよって、前に“クロと大騒ぎしたあのパン屋”だったのである。
昨日のことを店員が覚えていないかどうか、その風景を覚えているお客さんが変な噂を立てていないかどうかなど、周りからの目を気にしているようだった。
「じゃあ、とっとと食えよ。大丈夫だって、奢りを気にする必要ないって!」
「じゃあ、いただく」
カツサンドにラチェットは小さくかぶりつく。
「どうだ?」
「うめぇナ……」
美味い。ただストレートにその一言。
ラチェットは黙々とカツサンドを食べ続ける。
ラチェットもコーテナも、その食べる迫力こそ違うものの、口の中に入れるスピードはお互い早く、あっという間に一食終わりそうな勢いであった。
気に入ってもらえたようで何よりだとアクセルは自身のカツサンドも食す。
三人の食事会は黙々と続く。
「あぁ、待ちなさいぃッ!!」
カツサンドを食べてる最中、すぐ近くで声が聞こえてくる。
「泥棒よぉおお!」
体の弱そうな老婆が地面に倒れて、手を伸ばしながら叫んでいる。
ガタイの良い男が老婆のバッグと思われるものを片手に逃走している。男の逃げ足は結構早く、老婆は勿論、今頃騒ぎに気付いた人間が追いかけるにも距離を離されすぎていた。
「おいおい、聞き捨てならねぇな!」
騒ぎを聞きつけたアクセルは首を鳴らして、老婆の近くに立つ。
「おじいちゃんとおばあちゃんは労わらないといけないって、学校で教わらなかったのかよ!」
両手の手の平を後ろへ、そして背中をずっしりと構えて足を踏ん張る。
何かの構えだろうか。アクセルの瞳は逃走を続ける引ったくりを捕らえており、絶対に逃がさないと視界をズラさない。
「待ってな! 取り返してきてやるぜ!」
瞬間、アクセルの体は発射された砲丸のように吹っ飛んだ。
風だ。アクセルは自身の後方に、体を吹っ飛ばすための風を吸い寄せたのだ。
両手、そして背中で集められた風がアクセルの体を前方へ押し飛ばす。
「返してやれ! この不孝者!」
そのマッハの勢いのまま背中に体当たり。引ったくりの男は背中に砲丸を食らったかのようにのけぞる。そのまま、アクセルと一緒に前方へ吹っ飛んでいく。
引ったくりの男はぶつかったショックに耐え切れず、バッグは既に手放していた。
「すごい!」
アクセルのお手柄にコーテナは声を上げる。
「……ん?」
そんな中、ラチェットは異変に気付く。
犯人は捕まえたはずなのに、どうしてアクセルは止まらないのだろう。
どうして、犯人と一緒に飛び続けているのだろうか。急いで止まらなければ、その先にあるお店と正面衝突してしまうが。
「あ、まさか」
察してしまった。
……聞こえる。
アクセルの叫び声が微かに聞こえてくる。
「止まり方考えてなかったァアアアアッ!!」
衝突。前方にあったお店に正面衝突。
犯人の男とアクセルは二人仲良くお店の中に突っ込んでいってしまった。
「あ~あ」
「大丈夫!?」
ラチェットとコーテナは2人して、滅茶苦茶になったお店の方へと向かっていく。
……犯人の男はのびている。目覚めることはなさそうだ。
一方アクセルの体は丈夫なようだ。あれだけの勢いで衝突したのにも関わらず、頭を掻きむしる程度の怪我で済んでいた。
というか、この男がクッションになったおかげだろう。確実に。
「ちょっとお客さん! どうしてくれるんだよ!」
お店の主人がアクセルに雷様の如く怒鳴りつけてくる。
「ありがとうねぇ……何とお礼をしたらいいものか」
別の方向からは荷物を取り返してくれたことにお礼をいう老婆の姿が。
感謝と叱責。
2つの声の板挟みにアクセルは困ったように苦笑いを浮かべていた。
……嵐のような男である。
アクセルのお手柄と大失態。ラチェットは彼の苦笑いに釣られるように口を歪ませた。
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