PAGE.94「生意気少女の邂逅」


 呆れた目で見降ろしてくる少女。寝る前にすっごく不快な風景を目の当たり。

「なんだよ、お前は……?」

 子ども相手だろうと威嚇気味な態度は外さないラチェットは頭を掻きむしりながら問う。


「お前、模擬戦で何にも出来ずにボコボコにされてたな」

 人差し指を突き立てて、思い出したくもない事を掘り返してくる。

 他人の事を起こしておいただけに飽き足らず人物を指さして、忘れたいことを掘り返して笑いを誘おうとするその行動。


「……何がいいたいんだヨ。クソガキ」

「ガキっていうな。“クロ”って名前があるんだよ。歳は12歳」

 年齢は見た目相応であった。


 ガキ扱いするなと口にするものだから、ラチェットは少し身構えていた。“見た目は小学生だけど、精神年齢や頭は遥かに大人”とか言い出すのではないかと。


 ……アタリスの例がある。

見た目だけで判断すると痛い目を見る。慎重になりながらも会話を続ける。



「んで、そのクロって奴が俺を笑いにきたのかヨ」

「そんなんじゃねーよ」

 腰に手を当て、『何を言ってるんだ』と呆れたようにクロは聞いてくる。


 真っ黒髪のショートカット。もみあげ部分の髪は異様に長く、動物の尻尾のように揺れている。

 小動物。犬というよりは猫のような凶暴さを見せる少女である。


「……お前に頼みたいことがあるんだ」

 年上であることを分かっているはずなのに、堂々とタメ口で話すところがガキっぽさ全開だ。その無礼さと教育のなってなさ、実にラチェットは不快になる。


 ___何を頼みたいというのだ。模擬戦の時に無様にやられてしまった、この迂闊な魔法使い見習いに。


 大した用事でもなければ、とっとと聞き流して、昼寝でもするかと身構えていた。

 ……しかし、今日は変なガキに絡まれるなり、眼鏡をかけた御曹司に洗礼の如くボコボコにされるなり不運が続く。しかも、不運はそれだけに飽き足らない。


「あっ」

 “腹の音”だ。

 耳を澄まさなくても聞こえるくらいの大きな腹の虫の音がラチェットのお腹から聞こえてしまった。


「もしかして、何も食べてないのか?」

「……!」

 言えない。

 道に迷って食堂が何処かも分からなくなった上に、地図の文字も一切読めませんなんて格好の悪い事、五歳以上も年下の小さな女の子に対して、そのことを口にするのは恥以外の何物でもなかった。



「……じゃあ、これやるよ」

 黒のポーチから、ラップに包まれた何かが渡される。

 パンだ。ベーコンとスクランブルエッグが挟まれたコッペパンである。


「!!!」

 いい匂い。ラチェットは思わず飛び上がってしまう。


「ああ、いや……ガキから恵んでもらう気は」

「お前。今、どんなに大人ぶろうとカッコついてないからな」


 随分と上から物を言われたような気分である。その妙な逞しさには最早関心すらも覚えてくる。


「自分の飯くらいある。一個くらいくれてやる」


 ポーチの中には大量の“ベーコン&スクランブルエッグが挟まれたパン”。

 空腹レベル全開で体力が擦り切れていくラチェットはその誘惑に負けじと必死にこらえる。


「……いただきマス」

 しかし、やはり人間は誘惑にはそう易々と勝てないもので。

 快くパンを受け取ってしまう。冷めてはいるものの、塩の効いたベーコンに程よい柔らかさの卵とパンの相性が抜群ったらありゃしない。


 10秒も立たずに一個を完食してしまった。



「飯を上げたんだ。頼みを口にしていいか?」

 ___飯で買収された。

 そういった取引は事前にするものであって、食べた後にやるのは卑怯ではないかと口にしようとするが、クロはその発言を許可させるつもりもなく。


「お前!」


 雪崩れ込むように口を開く。





「俺に、アクロケミスを教えてほしいんだ!」


 クロは必死に恥を堪え。“彼女が保有するアクロケミスの魔導書“を片手に、懸命なお願いを迂闊なラチェットへと持ち掛ける。


 ___さっきから次々と勝手に話を進めてくる。教育がてらと言わないが説教の一つでもしてやるべきか。

 ラチェットは強く考えていた。彼女がその言葉を口にするまでは。


「アクロ……ケミス……!?」

 紫色の魔導書。ラチェットが保有する本と見た目はほとんど酷似している。

 それは紛れもなく、魔導書の難問と言われている”アクロケミス”である。


 ラチェットは思わず固まってしまう。


「……俺? お前、女だよナ?」

 確実にそこじゃないような気がするが、まずはそこを指摘した。


 クロと名乗る少女が着ているのは間違いなく女子制服だ。10歳以上であれば、どの年齢からでも入学が許されている王都学園の制服は子供から大人まで幅広いサイズのを準備されている。


 小さな少女用に繕った女子制服。着崩れ一つ起こすことなくクロはしっかりと着こなしている。


 女だ。声質も男子には聞こえない。

 女性なのに一人称が“俺”なのかとラチェットは疑問を浮かべていた。


「何だよ! 女が自分の事を俺っていうのはおかしいのかよ!」

 顔を真っ赤にして、クロは彼を睨みつけている。


 野生の猫に威嚇されている気分だ。さっきまでの萎らしい一面から一変して、背筋を立てる獰猛な子猫に戻っていく。


「珍しいと思ってナ」

 冷静に考えれば、コーテナも自身の事を“ボク”と呼んでいた。

 男性も自身の事を私とかワタクシと言う人も存在する、そこまで可笑しい事ではないかとラチェットは頭を掻いた。


「ところでお願いって奴だが……何だっけカ?」

「だーかーらー! 俺にアクロケミスを教えろって言ってるんだ!」

 惚けようとしたが、やはりそう易々と逃がしてはくれないものだ。

 出口求めて走ろうとしたら、逃がしてたまるかとアリジゴクのように両足を掴んでくる。絶対に逃さんと、少女の目は獲物のラチェットをしっかりと捕らえている。


「お前、確かに惨敗したけど……あのエドワードでさえも、発動できなかったアクロケミスを発動させただろ! しっかりと武器を具現させていた!」

 

「いや、でもオモチャ程度しか具現させれてねーし」


「発動できた地点で充分なんだよ! コイツはそれほど簡単じゃないんだ!」


 確かに、あの天才魔術師とやらも口にしていた。


 アクロケミスの魔導書はいまだに解読に成功していない。契約に至っていない。


 魔力を持った人間は魔導書に記された碑文を読み解くことによって、その魔導書とはじめて契約。あとは体内にある魔力次第で発動できるか否かが試されるのだ。


 魔衝。それぞれが持つ固有の能力に目覚めなかった人間。

 魔法ありきのこの世界では魔法は必要不可欠であるために、魔衝を発動できない人間はマジックアイテムである魔導書を頼る。

 魔衝を使える者も補助の武器として保有する者もいる。数々の魔法使いが魔導書の解読を目指しているのだ。


 しかし、このアクロケミスだけは並大抵の魔法使いでは解読できない。

 数多くの名高い魔法使いをもってしても、その解読に成功した者はいないとされていた。


 ラチェットはそれを発動させた。

 アクロケミスを発動させた……レアな魔法使いなのだ。


「頼む、教えてくれ! 俺はどうしても、このアクロケミスを発動させたいんだよ! お前、あの犬みたいな奴も言ってたけど、すごい奴なんだろ!?」


 犬みたいな奴。おそらくコーテナの事だ。

 あの発言を真に受けているのか、それとも、アクロケミスを発動させたあの瞬間を見て、もしやと思って信じているのか。


「……悪いけどヨ、教えるにしてもやり方が」

「ラチェット!」


 申し訳ないがアクロケミスの発動のさせ方なんて分からないと口にしようとした矢先に、彼らの会話に割って入る女性の声が。


 コーテナだ。

 突然、屋上に入ってきたかと思ったら、ラチェットに向かって駆け寄ってくる。


「……放課後だ!」

 クロはその場から急いで離れる。

「放課後、学園の近くのパン屋で待ってる! 終わったら絶対に来い!」

 それだけ言い残して、逃げるようにその場から去っていった。


「あれ、ラチェット。今の子は?」

「さぁナ……」

 しかし、昼寝の邪魔をようやく遮ることは出来た。

 これでようやく彼は次の授業まではグッスリと睡眠をとることが。



「ラチェット。もうすぐ授業の時間だよ! 早く戻らないと!」


 ……何という事でございましょう。

 今日の苦難はそれはそれは波が強いもので、彼から昼寝という唯一の猶予まで奪いとってしまったではありませんか。


「勘弁してくれヨ……」

 今夜はストレスのおかげでグッスリ眠れそうだとラチェットは強く頭を抱えた。

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