PAGE.93「アウトライフ・コンプレックス」
医療室。ラチェットは静かに傷の治療を受けている。
やってきてから一日目でこの始末。彼は酷く深い溜息を吐く。
(あの野郎)
エドワード。学園が誇る天才の一人。
ただ己の意見をぶちまけるだけぶちまけ、悪びれもせずにその場を去っていた男。
あの男の姿が頭の中をチラついた。
……一発くらい、ぶん殴ってやりたかった。
しかし、それは叶わない。あれが天才と呼ばれる魔法使いの強さ。
魔法相手には特に役に立つかも分からない現代兵器などでどうにかなるはずもない。だが、何も言えない事へ対しての苛立ちが込み上げてくる。
……ラチェットは立ち上がる。
次の授業は座学。医療室の教師にお礼を告げたところでその場を後にした。
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ラチェットにコーテナ、二人は懸命に座学に取り組んでいる。
コーテナはしっかりと黒板に書かれてある文字をノートに描き、配られた参考書も必要な所には印をつけてある。
……そして、それはラチェットも同様である。
文字は読めないが、書かれてあることをノートにそのまま写すことは出来る。この世界の住民が描く文字こそ特殊なものであるが、特徴はとてもつかみやすい。
文字の翻訳などは自習でコーテナに頼むこともできる。写し漏らしがないように懸命に黒板とにらめっこをする。
黒板の文字と教師の口をガン見するラチェット。
「……」
仮面をつけた生徒の姿に教師から当然注目を集めることとなる。
「えっと、ラチェット君だっけ」
教師はラチェットの持つ参考書を指さした。
「参考書、向きが逆だよ」
……文字が読めないのがやはり致命的である。
「あっ、はイ」
持っている教科書を逆にもっているという盛大なミスを犯してしまう。これまた、ラチェットは大恥をかく羽目になってしまった。
「間抜けなところまであるのか……」
生徒からのヒソヒソ話もとうとう彼の耳に直接聞こえるようになってきた。オブラートに一切包んでこないストレートな第一印象の感想がナイフのように刺さる。
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彼のイメージダウンタイムはそれだけにとどまらず、他の授業でも……。
例えば、特殊な薬品。つまりはマジックアイテムの一つを作る授業。
その材料の一つ。若鳥が産んだ卵を割って、ボウルに入れるという簡単な作業の際にも、そのマイナス部分は露見する。
「ふんっ!」
力加減が分からず、何度も壁に卵を叩きつけては粉砕するという荒業を繰り返す。卵割り機ならぬ卵破壊マシーンとして、彼は苦戦を強いられていた。
そうだ。彼は向こうの世界にいた頃も、一人暮らしを出来るくらいにはなっていたが……炊事というものは一切経験したことがない。
米を研いで洗ったこともないし、カツオ節とかで出汁を取ることも勿論、しまいには包丁すら握ったことのない徹底ぶり。
そんな料理未経験な上に料理音痴の才能まであるラチェットに卵を割るという作業は高等テクニック以外の何物でもない。
「しかも不器用とまできた……」
今のところ、嫌な評判だけが彼の表面を塗り固めていた。
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昼食の時間。
コーテナは学園の食堂にて初めての昼食を取っている。
当然、転校生にも近いポジションであるコーテナはここでも質問責めを受けることになる。半魔族ということもあり、その特異な存在は注目を集めることになるのだ。
周りに人が集まり、沢山の人とコミュニケーションを取る。未経験の出来事にコーテナは緊張しつつも、こっそりとやってきたシミュレーション通りに質問に受け応えてきた。
……楽しい。
人間と普通に会話。そして学園生活。
本来の普通の人間としての生活。その夢の断片が叶った事にコーテナは感動の涙を流す勢いであった。
……ただ一つ。気がかりな事がある。
(ラチェット)
色んな人との会話を楽しんではいるものの、その表情には何処か複雑そうな感情を浮かべている。その瞳は何度か窓の外の青空を眺めていた。
(何してるのかなぁ……?)
そうだ、ラチェットの事だ。
昼食の時間。コーテナは沢山の人に昼食に誘われた。
コーテナは元々ラチェットと昼食を食べる予定でもあったので彼を誘った……のだが、ラチェットはその誘いを断ったのだ。
彼曰く、昼休みの間にやっておきたいことがあるらしい。
『自分の事を調べたい。気がかりを幾つか見つけたからナ』
だったら、自分も手伝うと当然コーテナは出しゃばった。友達が困っているのなら、お昼ご飯くらいは我慢すると意気込んでいたのだ。
しかし……ラチェットはそれはやめてくれと拒否してきたのだ。
『学園生活は初日が大事だと聞くゾ。付き合いの悪い生徒はボッチになるみたいだからナ。だから初日くらいは俺の事を気にするナ。分かったか?』
昼食も適当な場所で購入して適当に済ませる。自分の事は気にせずに人生初めての学園生活をしっかりとエンジョイして来いと、すまし顔のグッドサインを片手にラチェットは教室を一人で出て行ってしまった。
気がかりとは何だったのか。
今頃、ラチェットは何処で何をしているのだろうか。
初日が大事だというのなら……彼もまた、同じはずなのに。
(……ラチェットにも楽しんでほしいんだけどな。学園生活)
“彼も学園に来てほしい。”
そこには、コーテナの沢山の想いが込められている。
スプーンを口に咥え、残念そうに耳を垂れ下げるコーテナであった。
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昼食を購入するための金を片手に、校舎の屋上へと足を踏み入れたラチェット。
昼寝をするようにベンチに寝転がり、空を眺めている。
「一人になったのはいいものノ……文字が読めないし、道に迷ったから昼食も買えずじまいの暇な時間になりましたとサ」
あまりにも広すぎる学園。入学する前の流し目程度の案内だけでは学園全ての施設を把握することは不可能だった。食堂や売店も何処にあるかわかったものではない。
んでもって、文字も読めぬ彼には地図を見たところで、何処に何があるのかも理解できるはずもない。
……妙な緊張もあって、初対面の生徒と話しかけることが出来ない。
手詰まりのラチェットは空腹を紛らわせるために昼寝タイムに入ろうとしていた。
「……アクロケミス」
今まで彼の身を守ってきてくれた有能な魔導書様。
「拳銃の事、知ってたナ」
鉛玉を飛ばす拳銃。この世界では誰が目にしてもオモチャだと馬鹿にするものがほとんどだった。マジックアイテムですらない拳銃は水鉄砲と何も変わらない。
しかし、あの魔法使い……ステラのリアクションは違った。
何かを知っていた。その拳銃は古代文明に関係する何かを匂わせる発言を口惜しさ全開に語りかけていた。
アクロケミスの魔導書をもって出現した“彼が元々いた世界”の兵器。
その謎。その理由。
早速手がかりを見つけることが出来たかもしれない。
「……時間があれば、もう一度学会に行ってみるカ?」
ステラは気になる事も口にしていた。
___それは本当にアクロケミスの魔導書なのか?
誰が目を揃えても、紫の魔導書の事をアクロケミスと言い張っていた。しかし、彼女だけは不思議そうな目で魔導書と睨めっこを続けており、まるで別次元の何かを調べるような眼差しで眺め続けていた。
何か分かるかもしれない。
予定でも決めて、もう一度学会に行くかと考えた。
「……腹へッタ」
だが、そのスケジュールを立てるより前に食事をしたい。今からでも食堂探しに放浪しても遅くはないかもしれないが、それで発見できず徒労のままであれば、余計に体に悪くなってしまう。
ここはやはり大人しく眠ろうか。
空腹の感覚を消すために、ラチェットは瞳を閉じようとした。
「なんでこんなところで寝てるんだよ」
声が聞こえる。
「……?」
ラチェットはそっと瞼を開ける。
「オメェ、こんなところで昼寝でもしようとしてたのか?」
……黒いショートカットヘアーの少女だ。
小学生くらいの身長の小さな女の子がラチェットの顔を覗き込んでいる。
「……すっごい間抜け面だな」
見た目は小柄で可愛らしいが、発言した言葉は深くイラっとした。
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