PAGE.84「礼儀無頼なアイツの名を知ってるか(前編)」


 じわじわとにじり寄ってくる不安。そして……無言。

 空気も澱む無言を呼び覚ます者の正体は不安の権化……たった一人の少女を刺激した魔法使いの男が、その軽口の代償として災いをその顔面に浴びる。


 叩きつけられる。魔法使いの顔面は油まみれの床へ雑巾のように。

 木造の床に減り込んでいく額。次第に音は聞いてて痛々しい木片の割れる音へ。


 ……その行いは“騎士”としてはあまりにも乱暴であった。


「精霊騎士団……?」

 魔法使いの一味は固唾を呑む。

「いやいや待て待て、世界のトップである精霊騎士団がこんな若者なワケ……」

「本当に知らないんだな。数年前くらいで、王都全体を揺るがすほどの大ニュースになったんだけどなぁ」


 精霊騎士団を名乗る少女は近くにあったコップを手に取り、さらに別のテーブルから冷や水の入った小瓶を手に取った。

 まるで酒を注ぐかのようにコップへ水を流しいれる。喋ることにすら面倒さを覚えているのか渇いた喉を潤そうとしていた。


「……数年前にな、前の代の精霊騎士達は年齢の問題で、世界を束ねる騎士としては戦闘力的な意味で限界が来たって判断されてな。前の代のほとんどは政治面で動いてもらうことになって、一人ずつ代わりとなる新しい精霊騎士のメンツを探したのさ」


 水を飲み干し、コップをテーブルに叩きつける。




「“サイネリア・グリフォンライト”という女を知ってるか?」


 

 問う。

 傍若無人な輩に少女騎士は問う。


「精霊騎士団どころか王都の騎士の中でも歴代最悪の粗暴さ。精霊騎士につくには若すぎる……選ばれるメンツとしてはあまりにも不適応ではないかと三カ月近く王都で話題になったモノさ。おかげでソイツは王都では有名人ってことなんだけどさ……お前達、本当にサイネリアって奴の事を知らないのかい?」


 サイネリア・グリフォンライト。

 その名を聞いても、魔法使い達は首をかしげるばかり。


「年齢は十八。小さい頃は学園に所属しながらもルール違反で酒場の手伝いなどで銭稼ぎ。それといった家柄にも属さない。経歴も世界を委ねるには材料不足多すぎの騎士の事だよ。ここまで詳しく知っておいて普通だぜ? この街ではな」

 

 途方に暮れる魔法使いの集団。

 

 あまりの無反応を少女騎士は絶対に見逃さない。


「……ああ、ちょっと言い過ぎか。さすがに年齢は分かっても経歴まで詳しく知ってる奴ってそうはいないか……自意識過剰がすぎた」

 少女騎士は自分の発言に何処か面倒気を覚えているようにも見える。

 否定的でありながらも、自身の立場に肯定的な一面を認めてしまった事が恥ずかしいようだ。


「んで、なんで私はそのサイネリアって奴の事に詳しいのかって話だが」

 親指を突き立てる。

 面倒気ではあるが、しっかりと胸を張って。



「私がその“サイネリア”って奴なのさ。ほら、これが証拠だよ」


 精霊騎士のみが羽織ることを許される甲冑。その胸に刻まれる紋章。

 それが証。この王都に属する人間は知っていて当然の代物だ。


「作り物じゃないのか!?」

「んなわけねーだろ。この甲冑と紋章は複製でもしたら、王都では牢獄行きの重罪案件だぞ。それと、本物だって証拠にここだけ特殊な素材を……っと危ない危ない。何で作ってるかまでは内緒だった」


 口にチャックをするようサイネリアはジェスチャーをとる。誤魔化すように軽く咳払いをしてから、魔法使い達を睨みつけ直す。


「まあ、嘘か本当か信じるのはお前らの勝手だ……一応自己紹介は以上だ。今度はお前等の名前を聞かせろよ」

 サイネリアは魔法使い達の名を聞く。

「……お前等みたいな兵団。うちの王都で雇った記憶もないし見た事もないんでな。ましてや、飯代一つ払わないケチな野郎達はな……おっと、発言には気をつけろよ。発言次第では、“分かってるな”?」


 魔法使いの大人達が言った言葉と全く同じ言葉をぶつける。

 精霊騎士。その名前を出された途端にその言葉の重みが、魔法使いの大人達の発した言葉よりも数倍大きくなる。


 ……これには偽物の兵団達も動揺を見せ始める。

 この少女の言う事は本当なのか。本当にこんな若い女が精霊騎士なのか。


 もし本当にそうなのだとしたら……まだ間に合うかもしれない。

 まだ金を払わず店を出ることもしていないし、暴力にも走っていない。むしろ、暴力に走ったのは相手なのだから口論にでもなれば逃げ道の一つは作れる。


 冷静になればいい。

 サイネリアの言葉に一瞬の棘こそ見えたが、まだ退路はある。




 ……そうすれば楽な話だったのだ。



「言いがかりだ! このクソガキがっ!!」

 この大人達の中の数名は思ったよりも器も肝も小さかったのだ。

 疑心暗鬼の末に暴走した魔法使いの男の一人が精霊騎士サイネリアへついに手を挙げてしまう。



「……おっと、決まりだな」

 サイネリアは男の腹へ拳を突き入れる。


「ぐふっ……?」

 飛び込んだ男は、心臓に突き入れられた拳の破壊力に耐え切れず気を失った。

「面倒くさいが、お前ら全員王都の城へご案内させてやるよ……部隊にではなく、牢獄にだがな」

 剣を見せつける。

 暴れ回るものならここで処断することも許されている。この紋章は飾りではないという事を証明してやることも出来ると自信気にサイネリアは偽兵団を睨みつける。



「……まさか、本物」

「ひぃっ!?」

 魔法使い達。王都の兵団を名乗っていた余所者たちは死に物狂いで店から飛び出した。当然、このお店でいただいたカレーの代金など一銭も払わずに。


「だからそう言ってるだろうに……ったく、結局、金一つ払わずに行きやがった」

 サイネリアは頭を掻きながら怯える従業員の元に。

「ほらよ」

 サイネリアが渡したのは多めの金だった。

 あの大人達の払い忘れと同じ額の料金を従業員に手渡したのである。


「い、いえ! あんな奴等の代金を精霊騎士様に払わせる訳には」

「勘違いすんな。それは弁償の金……ほら、そこの床。思いっきり壊したからな」


 お金を握らせたところでサイネリアはお店の外に飛び出した。


「……金はキッチリあいつらに払わせてやる」

 これだけ好き放題やった輩。

 サイネリアは精霊騎士団の一人として当然見逃すはずもない。


「全員まとめて豚箱行きだ……覚悟しとけ」


 “この国の兵団”であると偽り、繰り返したであろう暴虐。

 その可能性が、彼女の逆鱗を酷く刺激してしまったのである。



 魔導書を取り出す。

 その魔導書はこの王都内であれば、どれだけ相手と離れていようと使用できる“無線機”代わりの魔導書である。


「プラタナスっ!」

 お店を出たところでサイネリアは営業迷惑気にすることなく大声を発する。

 精霊騎士団の面々の中では後輩に位置するプラタナスへ、緊急の指令を通達。


「言われた通りの配置についてるな!? 絶対に逃がすなっ!!」


 クールな雰囲気が何処へ消え去ったのか。年相応の少女らしく怒りのままに叫ぶサイネリアの声が魔導書を通じて、後輩の騎士へと伝わっていく。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「声、大きいっすよ、サイネリアさん……!」

 

 さっきまでラチェット達がいた高台の上にプラタナスはいる。


 弓矢。そこには相変わらず“矢”は構えられていない。

 代わりにセットされているのは……“水”によって形成された刃。


「行くっすよ」

 肉眼では確認しきれない位置。

 プラタナスは睨みつける……“サイネリア”のいたお店。


 そこで暴虐へと走ろうとした男達。危機感を覚え逃げ惑う無法者達を逃がすことなくその瞳でしっかりとロックオンしている。


「悪党に王都の門くぐる資格なし……掃射ッ!」


 射撃開始。

 “水の刃”が遥か先の街道目掛けて、王都の虚空を切り裂き飛んで行った。

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