PAGE.64「自由な日々(その2)」

 ラチェットはついに意識を失った。

 必死に抵抗したのだろう。顔は萎れやつれ切り、顔面にはペンキのように塗りたくられた血が痛々しくこびり付いている。


 呼吸はしているが一刻を争う状況だ。

 アタリスが出血の応急処置などをしてくれている。あとは体に障らない様に慎重に運び出せれば問題はなさそうだ。


「……小僧は無事だ。あの少年もな」

 同時にハミングへと視線を向ける。

 洗脳人形となってしまったこの少年に指示を送る本人はラチェットの抵抗によって気を失っている。彼が目覚めない限りは今までのような殺戮を行う事もない。


 一時の自由を手に入れたおかげか、ハミングは安らぎの寝息を吐いている。


 ひとまず、二人とも無事のようだ。

 その事実に対し、スカルは深く息を吐く。状況からして死んだのではないかと本気で思ったが故に腰を抜かしそうになった。


「……本当によく頑張ったな、ラチェット」

 ラチェットの頑張りによって手に入れた人形計画の資料と思われる書類。

 気を失ったラチェットの肩を優しく摩る。早く安全な場所に引き連れるためにと、スカルはラチェットの体を手早く背負った。


「さてと、あとはそのハミングっていう奴と外にいる女の子だが……」

 極力はここに戻りたくはない。

 どうしたものかとスカルが考え込んでいる時の事だった。


「……」

 コーテナはフラつくように立ち上がる。


 一歩。また一歩。

 コーテナは麻酔銃を撃たれたことで気持ちよさそうにアクビをかいて眠っている小太り村長の元へと近づいていく。


「コーテナ?」

 怪しい雰囲気にスカルは声を出す。


 その嫌な予感。的中することになった。


「……許さない」

 コーテナはナイフを取り出した。

 その手は強く震えている。その手の震えは恐怖によるものなんかじゃない……胸の内から飛び跳ねるようにこみ上げる怒りによるものだ。


「よくもラチェットを……よくも皆を……!!」

 執拗以上に痛めつけられたラチェット。

 そして、商売という名目で反吐の出るような扱いを受け続けたハミングにもう一人の半魔族の少女。


 二度と見たくはないと思っていた村長の顔。

 その寝顔を前に、コーテナは抑えようのない怒りに苛まれている。


「ボクは、ボクはこいつを……ッ!」

 ナイフが村長の顔へと向けられる。


「おい待て、コーテナ! いったん落ち着いて、」

「覚悟ッ!!!」


 コーテナの叫び声が響いた。

 ナイフが貫かれる鈍い音。耳に優しくない生々しい音がこだました。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 ラチェットはかつての夢を再び見ていた。

 親に痛めつけられ、皆には見捨てられ……



 死ぬのも怖く、ならばせめて普通の生活くらいはと必死に足掻いて賭けに出て……必要最低限の生活くらいは過ごしてきた自分自身の人生を。


 ___本当に、何もない男だ。

 自分自身の事なのにラチェットは体育座りでその映像を眺めている。


 ラチェットは思う。

 自分には夢も快楽も……生きている心地すらも感じない。



 アタリスが口にしていた。

『何もない人生。彩のない人生など死んでいるのと変わらない。』と。



 まさしくその通りだ。

 生きてきた世界はずっとグレーか真っ黒で彩りなんて一つも感じられない。躍動感も興奮すらも感じることのない日々だった。


 ……あの男と自分は一緒だと彼は口にしたが、あの男はまだ野望と快楽を覚えていた。形はどうであれ、その人生に彩りはあったのかもしれない。


 しかし、自身はどうだとラチェットは深く座り込む。


 働いて貰った安月給。その安月給で借りているオンボロアパートの個室に、月払いで購入した携帯電話に暇つぶし用の古本コミックなど。


 どれも大して、悦び一つすら感じられなかった。

 欲しかったから買ったのではない。それを購入したいという目標があって頑張っていたわけでもない。ただ、生きるために必要なものだからと足掻いて購入しただけ。



 本当に何もない人生だと思っている。

 夢も、快楽も、そして、彼自身やりたいと思う事も……



(俺は、なんで生きているんだろうな……)



 あの少年時代と同じように、再び体育座りで目の前の視界を閉じようとする。




“それは違う”


(……?)


 その途端、声が聞こえる。

 彼だけの世界に何かが介入する。



“お前には……するべき事があるのだ”



 するべき事?そんなものがあるというのだろうか。



 言葉は帰ってこない。


 何だというのだ。やるべき事とは一体何だというのだ。


 再び、瞳を閉じようとする。







 コーテナ。

 少女の事をふと思い出す。




 ___ああ、そうだ。

 するべき事……いや違う、これは“やりたい事”。


 その言葉の通り、彩のない人生で唯一見つけたことにラチェットは身を起こす。


 目の前の風景が。

 彩のない黒の走馬燈が、音を立てて崩れ去った。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ラチェットが眼を見開くと、油とカビが匂い空間で目が覚めた。

 周りには大量の下水排気のパイプ。近くには必要最低限の薬と飲み物。


 そして、鏡。

 鏡を覗き込むと……そこには、いつも通りの傷。


 しかし、それ以外には傷一つ付いていない。微かにその跡が残ってるくらいの綺麗な顔が映り込んでいた。


「これは、一体」

「ラチェット、起きたぁ~ッ!!」

 事を理解する前に、さらなる悲劇が彼を襲い掛かった。


 いるか。本当にいるのか。

 病人という理由でそんなことする奴はいないと思ったけど本当にいるのか、“病人に抱き着いてくる馬鹿”が。


 コーテナの全力の抱擁が、傷口で痛むラチェットの体に追い打ちをかけてくる。


「あぐっ……あぐぐぐ……!?」

 言葉に出来る痛み。ラチェットは何度もコーテナの背中を鞭のように叩き続けるが、それをするごとに抱きしめる力が強まっているような気がする。


 ___なんか、デジャヴだ。

 これと同じこと、前にも体験したことがあるような気がしてならないラチェット。


「起きたか……二日も寝てたから、心配したぞ」

「ふむ」


 スカルとアタリスも彼の元へと寄ってくる。

 ……ひとまず、コーテナを引きはがすようにお願いする。このままではせっかく目覚めたというのに再び夢の世界へ回帰してしまう。


 そんな誰も笑わないような体を張ったギャグなんて望んでいない。恥を忍んでの全力のお願いだった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「なるほどナ……」

 コーテナを引きはがした後、ラチェットは話を聞く。


 何故傷口が塞がっているのか。そしてここは何処なのかと丸々説明を。


 ……というか、パイプまみれの部屋という地点でここが何処なのかは見当はついていた。

 

 予想通り、ここは”情報屋ベリーの隠れ家”のようである。


「タイミングが良かったというか……とにかく、運が向いてたぜ、ホント」


 あの一件の後、何が起きたのか。それは本当に幸運だった。


 その姿は突如、現れた。

 ……“不安になった情報屋ベリーが様子を見に、村長の部屋に訪れた“という。


 すると予想通りの地獄絵図。

 本来だったら彼等の自己責任なので気にする必要もないはずなのだが……この情報屋ベリーは少しばかり違っていた。


 彼女自身も、あの計画書には嫌悪感丸出しだったようだ。

 何もできない子供を使って兵器にする。そんな非人道的すぎるものを平気で肯定するほど自分は落ちぶれていないと断言した。


 事態の収束後、ベリーはラチェットの顔にそっと触れた。


 医療魔法だ。魔導書による即席の応急処置。

 情報屋という仕事柄、命懸けの仕事であることに変わりはない。ついた傷はある程度は防げるようにと、魔導書と必要最低限の医療器具は常に持ち歩いているようだ。


 ……顔の古傷までは消せなかったみたいだが。

 

 間に合わせのため完全に治癒されてはいないが、一命を取り留めるまでには体は回復したようだ。


「……あの村長はどうなった?」

 事態は収束した。

 その質問を聞いて、ラチェットは一番気になっていたことを聞く。


「もう、この世にはおらん」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ラチェットが気を失ってすぐの事。

 情報屋ベリーが部屋に踏み入った事もあって事態は一変した。


 彼女が部屋に入れば、その風景はあまりにも修羅場だった。


 傷まみれのラチェット。人形とかした子供達。

 そして、その全ての元凶である村長へナイフを突き入れようとするコーテナ。


「ひっ……」

 コーテナは慌てて村長から距離を取りナイフを手放す。


 ……正気に戻ったようだ。

 冷めた空気。我に返ったコーテナは自身のやろうとしたことに怯えあがっている。


「これは……」

「スカル」

 余計ややこしくなりそうな空気の中、アタリスが口を開く。


「その女と共に少年少女を引き連れここを離れよ。あまり時間はない。裏口からならバレることはない」

 ハミングの体をそっと持ちあげると、その身を情報屋ベリーへと引き渡す。詳しい話はスカルとコーテナにでも聞くようにとだけ告げる。


「立てるか、コーテナ?」

 震えるコーテナにもそっと語り掛ける様に落ち着かせる。

 ……落ち着いたところで、外の少女を連れて行ってあげるようにお願いする。


「先に行け。私は一用事あるのでな」

 アタリスは村長の方へ視線を向ける。


「アタリス、まさか」

「コーテナ」


 震えるコーテナの胸にそっとアタリスは触れる。


「因果は殺さなければ呪いのように一生付きまとう。今、ここで断ち切らなければ、お前は永遠に地獄からは逃れることは出来ない」


 恐怖におびえるコーテナの心臓。

 それを落ち着かせるようにそっと肌を撫でる。


「私に任せろ。お前達はもう、何も苦しむことはない。だから行け! 走るのだ、コーテナ!」


 子供をさとす母親のようにアタリスはそっとコーテナに微笑んだ。


「……」


 こんなつまらない男一人のために、人生を無駄にする必要はない。

 その手も綺麗なままでいればいい。アタリスはそう告げた。



 悩んだ。少女は悩んだ。

 そんな無責任が許されるのか。


「ごめん……アタリス……!!」


 ……覚悟を決めたコーテナは外にいる少女を連れるために外へ出る。そんな自分の姿を、コーテナは逃げるようにも感じた。


「コーテナ……」

 それに続いて、スカルとベリーもその場を後にした。




 部屋に取り残された、アタリスと全ての元凶。




「あの世で悔いろ」

 アタリスの目が赤く光る。


「悪魔は悪魔に相応しい場所へ……事情が事情なのでな。“この程度で済むこと”を快く思え」


 今まで以上に真っ赤に燃え上がる瞳。

 

 人間の皮を被った悪魔は……その報い、今ここで下された。

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