PAGE.59「地獄の底の釜の底」
アタリスが涼しい顔をしている中、ラチェットとコーテナの二人は死に物狂いの全力疾走だった。
追いつかれる前に……その姿を視認される前にと一目散に離脱。追いつかれる前に宿屋の自室に到着できた。
「はぁ……はぁ……まけたカ?」
修理箇所は一つもない綺麗な男性陣の個室。飛び込んだラチェットは息をあげながら、部屋に入ってすぐの壁に背を預けた。
「安心せい。振り切ったぞ」
アタリスはスタミナ切れでボロボロの二人に反して、息切れどころか呑気にアクビまでする始末。無尽蔵とも思える彼女の体力がこれぞとばかりに羨ましくなる。
「……」
息を上げながら、その場で体育座りをしているコーテナは深く考え込んでいる。
「大丈夫か、コーテナ」
落ち込んでいるようにも見える少女にアタリスは背中を擦る。
……意外と気遣いの回る女のようだ。
興味のある人間。友人に対しては当然の対応なのだろうか。
「あの、半魔族のことカ?」
彼女が黙り込んでいる理由。考え込んでいる理由はすぐにわかる。
あの半魔族の少年の事だろう。
ハミングと言っていたが、名前も知っているようだった。
「知り合いだったんだナ?」
「……うん」
改めて確認をする。
「様子がおかしいって口にしてたナ……お前とあそこにいた時は、あんな殺伐としたヤツじゃなかったってことカ?」
「そうだよ!!」
さっきの疲れが嘘のようにコーテナは立ち上がる。
「あんなこと……あんな酷いことをするような奴じゃなかった! あんな……平気で人を殺すようなことは絶対に!」
「落ち着け、コーテナ」
ただでさえ疲労しているのに騒げば体に障る。
一度落ち着くようにとアタリスはベッドに腰かけながら警告した。
アタリスの指摘。
その直後にコーテナは無言でその場に座り込む。
予想通り体に障ったようだ。さっきまでの勢いが嘘のように引っ込んでしまっている。コーテナは一度息継ぎするように口を閉じる。
深呼吸をし、再び口を開けた。
「……ハミングっていうんだ。ボクと一緒で、村長に奴隷として飼われてた」
人が住む環境としては不適切にも程がある地獄の牢獄。悪臭と気味の悪い害虫にまみれた籠の中で共に生活していたという半魔族の少年。
その名はハミング。
彼女と同様、半魔族という理由で忌み嫌われ、誰からも助けてもらえなかった悪夢を見た少年である。
「……ボクと違って、人間を嫌ってた。屋敷に放り込まれる前、人間に酷い目にあわされたみたいで」
一度だけ、あのハミングという少年と話をしたことがあるという。
幼い頃、半魔族という理由で魔物狩りのギルドなどに追われる身となっていた。
家族も金目当てに殺されてしまい、子供であったハミングは奴隷として生きたまま売り払われてしまったのだという。
その地獄を体験したことがあるからこそ、人間には恨みを持っていた。
「でも、誰よりも暴力を嫌ってた。ウサギやイノシシ狩りは勿論、村に近寄る盗賊さえも殺すことも躊躇っていた。“殺すこと”を本気で怖がっていたんだ」
言い方を悪く言えば臆病者だったという。
コーテナは言葉こそ交わしたのは一回限りであったが、その少年の事を度々目に通していたのだという。
生き物を殺すことが怖い。何の躊躇いもなく生き物を殺している“あんな人間”みたいになりたくないという想いもあったが、何よりも生き物の命を止めるという罪の意識が怖かったのだという。
「人間を嫌ってはいたけど、あんな躊躇いもなく殺すようなことは絶対にしない……そんなことをするとは思えないんだ!」
「……恨み、か」
人間を恨んでいる。
その感情が芽生えているのなら、あんなに容易く人を殺してもおかしくはない。
「確かにそうは見えなかったナ」
だが、ラチェットはその場の風景を見て何も感じなかったわけではない。
“様子がおかしい”。コーテナの言葉はしっかりと耳に入っていた。
その言葉通り、ハミングという名の半魔族の様子は明らかにおかしかった。
数千度の油を浴びようが大量の鮮血をその身に浴びようが、麻酔銃を脳に撃ち込まれ極度の睡魔に襲われていようとも……彼の表情には何も現れていなかったが、その体には顕著に現れていた。
まるで、無理やり体を動かされているようだった。
「しかし、参ったナ」
こんなところで“一番会いたくない人間”と再会してしまったものだ。
あの時、ラチェットもあの男を殺すことを躊躇ってしまった。人を殺すという罪の意識があまりにも怖かったのだ。
そのツケがここで払われた。
どうしようもない後悔がラチェットの背中に重荷となって襲い掛かる。
「……助けたい」
コーテナは呟く。
「あの子はきっと、アイツになにかされたんだ……じゃなければ、こんな酷い事するはずがない……だから」
「どうやって助けるんだヨ」
見た感じでは、呼びかけの言葉は一切届いていない。コーテナの叫びにも反応一つ見せていなかった。
彼の身に何があったのか。
それが分からない以上、助けようにも手段がない。
「……分からない」
予想通りの返答が帰ってくる。
「ラチェット。どうにか出来ないかな……」
「聞くな。俺もそこまで万能じゃねーヨ」
何故、あのような状況になっているのか。
洗脳なのか、それとも彼自身の意思なのか。
対処のしようがない。
「……何の情報も無しに助けるのは難しいだろうヨ」
「そうだよね」
コーテナは深く肩を落とした。
「コーテナ、何を落ち込んでおる」
「だって……」
「“小僧は奴を助けてやる”と言っているのだぞ?」
アタリスの言葉。
コーテナは顔を上げ、首をかしげる。
「小僧も素直じゃない。遠回しに言わずに、素直に表現してやる方が女も自然と惹かれるものだぞ?」
「……うるせぇヨ。余計なこと言うナ」
仮面で隠れた表情に口ごもった声。
心中を見透かされたことが悔しいのか、その照れ隠しが声に現れていた。
彼女の願い。いつの間にかラチェットも甘くなったものである。
多少無理があるかもしれないが……まず、『あの少年が自分の意志で動いているのか、それともあのクソ野郎に洗脳されているのか』を調べないといけない。
それさえわかれば、助けられる可能性はゼロではない。
「……ありがとう! ラチェット!!」
「騒ぐナ。場所がバレる」
___しかし、どうしたものか。
どうやって、あの少年のことを調べればよいものか。
「おいお前ら! 休憩長すぎだろ!?」
隣の修理部屋からスカルが怒鳴り込んできた。
当然だ。予定された休憩時間から数十分以上もオーバーしているのだ。部屋でたった一人働き続けていれば当然怒りも湧いてくる。
年長とはいえ、考慮できる範囲というものがある。
木材を打ち込むためトンカチ片手のその腕は赤く腫れているのが、よりその怒りを漂わせていた。
「って、どうしたんだよ。お前ら? 休憩している割にはヤケに疲れて……」
「静かにしろ」
アタリスの重い声。
『全員、口を即座に閉じろ。』
ジェスチャーで口にファスナーをかける真似事をした後に人差し指を手前で立てる。
「……客人だな」
アタリスの言葉の意味。
昨日の出来事。そして先程の出来事……ラチェットとアタリスは二人して背筋が凍り付いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宿屋のロビー。
ボロボロのエントランスでは大騒ぎが起きている。
「くぅう……!?」
「大丈夫か、おっさん!?」
肩を切り刻まれた宿屋の主が若者に引っ張られ、その場を去っていく。
……カギヅメを両手にハミングは無表情で歩く。
人形のように歩くその姿は、生気すらも感じさせない不気味さが滲んでいた。
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