PAGE.58「理不尽な復讐者」


 カギヅメを構えた獣の少年は表情一つ変えずに襲い掛かってくる。


「ちぃっ!」

 気配に敏感なラチェット。その敏感さは無表情の中に芽生える殺意にさえも有効だった。

 慌ててコーテナの身を抱きしめ、滑り込むようにその場から倒れ込んだ。


 獣の少年はハンバーガーの出店の中へと突っ込んでいく。

 その場に店員さんがいなかったのが幸いと言いたいところだが、売り物のハンバーガーと調理器具に突っ込んだがために厨房は悲惨な状況となる。


「コーテナ立つんダ!」

 ラチェットは慌ててローブのポケットから魔導書を取り出す。

 

「おいおい逃げるなよ。逃げたら殺せないだろう?」

 突如聞こえた声の主はようやく姿を現した。

 スーツ姿。どことなくダンディでありながら崩れてしまっている顔つき。何処で怪我をしたのかボロボロの面を見せる小太りの男。


 ……ラチェットはその傷口には充分なくらい見覚えがある。


「俺は早く君たちをぶち殺したくて仕方ないんだよ」

 この声。この醜い喋り方。

 話したことはある。ラチェットはこの男と喋ったことがある。


「……ここ数日で随分と性格が変わったナ。それとも、それが素の性格カ?」

 見間違えるはずがない。

 

 あの男は……“シーバ村の村長”だ。


 コーテナ達半魔族が人類のほぼ半数に忌み嫌われているのをいいことに、安値の奴隷として飼育していた大金持ちのケチ貴族だ。


 あの顔の傷は去り際にラチェットが勢いよくかました蹴りが原因で出来たもの。

 かすかに見える歯は入れ歯になり、アゴも地味に外れている。随分と醜い見た目になったものだ。


 ……いや、醜かったのは元より最初からだっただろうか。

 第一印象の頃の優しい村長さんのイメージは今の彼からは微塵も感じなかった。

 

「軽口を叩いていいのか? どうなるか分からないぞ?」

 今、彼の周りには村人たちの視線はない。あの高度な演技で塗り固められた仮面をつける必要もないためか、ラチェットの挑発に対しても大人の対応を微塵も取らなくなっている。


 ハンバーガーの出店のキッチンから、ゆらりと影が見える。

 

 獣の少年は無表情でお店から姿を現す。

 高熱の油を浴びたおかげか体は真っ赤、体中には目に染みるマスタードなどがベットリと体に張り付いている。


 その状況でありながらも、少年は無表情のまま睨みつけている。


「あの子はまさか……!」

 コーテナはお店から現れた少年を見て顔色を変える……まるで、その少年には何か見覚えがあるかのように。


「ひとまず逃げるゾ!」

 ここは人が多すぎる。

 注目を集めるのは避けたい。一度、その場から退散する。


「逃がすな、追え」

「……」

 半魔族の少年は無言で歩き出し、その場から退散した二人の追跡を開始した。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 街中を必死に逃げ回るラチェットとコーテナ。

 

 あの半魔族……何の痛みも感じていないのか。

 数百度以上はあるはずの油を頭から浴びていたのに表情一つ変えはしない。肌はただれ、かなりの火傷を負っているというのにだ。


 今も後ろから、その少年は表情一つ変えずに追いかけてくる。

 一ミリも動かない首、そして外れることのない視線。通行人の障害物など回避することなく、フラリフラリとゾンビのように。


 無機質すぎるその動きはアンドロイドではないかと疑いをかける程。

 とてもじゃないが、コーテナと同じ半魔族の“人間”とは思えない。


「なぁ、コーテナ。お前、あいつに見覚えがあるみたいだったが……もしかして、奴隷にされていた半魔族の一人だったりするカ?」

「……うん、間違いない」

 去り際に顔色が変わったコーテナ。もしやと思って問いかけてみたが、その返答はラチェットの想像通りのモノだった。

 

「でも、様子がおかしい……」

 彼女の言う様子がおかしいとは何なのか。


「こっちだ!」

 だが、今は隠れるのが先決。

 ラチェットはコーテナの手を引くと、路地裏へと姿を隠す。


「……」

 人ごみの中、それを確認するのは難しい状況でありながら、半魔族の少年はその瞬間を見逃さない。


 追跡する。何処へ隠れようと追跡を続ける。


「おい、ちょっと待てよ」

 ところが、その矢先に少年は街の大人たちに呼び止められる。


 当然だ。向かいから歩いてくる通行人を避けることなく足を進め、何度もぶつかったに飽き足らず、カギヅメなんて怪しい凶器を晒しながら街の中を堂々と歩いているのだ。


 喧嘩腰の大人。そして街の秩序を守る自警団の大人。視線を集めないわけがない。


「今のうちダ…!」

 ラチェットは彼女を連れて、路地裏を経由し、宿の方へ逃げようとする。

「……」

 ところが、逃げ出そうとするラチェットの後を追おうとしないコーテナ。彼女は何故かその場で立ち止まっている。


「おい! コーテナ!」

 彼女の身を強く引っ張ろうとするが、その場から身動き一つ取ろうとしない。


 ……あの少年のことを気にかけているのか。

 すごく不安そうな表情で少年の事を見つめ続けている。



 大人たちに囲まれる少年は、右往左往から質問攻めにあっている。


 ぶつかっておいて謝罪の一つもないのか。

 こんなところで子供一人で何をしているというのか。

 そんな危ないモノぶら下げて何をしようとしていたのか。


 逃げ道はない。

 どこもかしこも、少年に対しての罵詈雑言が不協和音となって響いている。




 大人たちの群れの中。

 その真ん中で……天に掲げられるように“カギヅメが振り上げられる”。



「ダメだっ! “ハミング”っ!!」

 コーテナが叫んでも、時すでに遅し。


 ……カギヅメは容赦なく大人達を薙ぎ払った。


 熊のように鋭い爪は大人たちの胸や手足を容赦なく引き裂く。真っ赤な泥をスプリンクラーのように辺り一面にぶちまける。


 噴き出た血液で体が真っ赤に染まるも少年は何事もなく瞳を開けたまま。瞬き一つすることもなく、再びラチェット達の追跡を開始する。


「あの野郎……やりやがったッ……!!」

 あの少年はやった。

 何の躊躇もなく、その場にいた通行人たちを殺害してしまった。


「……!」

 路地裏から出てきた二人を前に、真っ赤な体の少年が飛び掛かる。

 ギラリと輝く目。その目には生気と思われる迫力も存在しない。


 本当にロボットのようだ。

 心も痛感も、人間らしい感情一つ見せようとしない半魔族の少年は、コーテナの抹殺を実行しようとしていた。


「こいつッ!」

 ローブの内側に隠してあるアクロケミスの魔導書に触れ、その場で即座に麻酔銃を取り出した。


 こちらから標的が飛び込んでくるのなら、狙いも自然と定まるもの。

 麻酔銃の弾丸は半魔族の少年の額を容易にとらえた。


「……!」

 脳天に弾丸を貰った半魔族の少年は真逆の方向へ吹っ飛んでいく。力なくその場に転がっていく。


「ラチェット!」

「叫ぶナ! 寝かせただけダ!」

 コーテナはこの少年に何か思い入れがあるように見えた。そんな人物を問答無用で殺すのは後味の悪いものを残すと思ったのか、彼が即座に取り出したのは麻酔銃であった。


 強力な催眠薬が入っている弾丸だ。これであの少年を寝かせつけることが出来るはず。


「……っ!」

 ラチェットは戦慄した。


 大型の野生動物でも急所に貰えば数秒で意識を失う強力な薬が盛り込まれた麻酔銃……しかも、その弾丸は間違いなく急所である脳髄へと撃ち込まれた。


 ……半魔族の少年は静かに立ち上がり、首をピクリと動かした。

 眠っていない。目元は酷い痙攣を起こしながらも見開いたままである。


 効いていない。

 麻酔銃以前に、脳天に弾丸を貰って気絶一つしない悪魔の生命力に言葉を失う。


「お前が私のボディガードに撃ち込んだものが何かを調べさせてもらったが……微量ながらの火薬と強力な催眠薬が入っていた。お前の持つその武器が何なのかは知らないが、武器の構造さえ分かればどうということはない」


 シーバ村の村長は笑みを浮かべながら、少年の後ろへと近寄ってくる。


「すまないが、こいつには君の武器は効かん。ましてや、脳を刺激した程度では殺せはしない」

 その目つきは、相変わらず生き物を見るような目ではない。

 奴隷、商品……“自分に都合の良い道具”としてしか見ていない。



「何をした……」

 コーテナは声を上げる。

「ハミングに何をしたっ!?」

 その声は彼女にしては珍しく怒り狂っていた。


「ハミング苦しんでるじゃん! やめさせてよ!!」

 苦しんでいる。その言葉の意味は彼を見れば分かることだ。

 催眠薬が回っているにも関わらず見開いた目。弾丸により痛む脳。

 

 体は正直なのか、小刻みに痙攣を繰り返している。その苦しみは表情にこそ現れていないが、体には顕著に表れている。


「コーテナ……化け物ごときが、人間様に吠えるなよ?」

 久々に聞いた半魔族の声に村長は苛立ちを見せ始める。


「上からでモノを言いやがって……生意気だぞ?」

 最早、聞く耳持たず。

「殺せ」

 村長が首を切るような動作を指で行う。そのサインを見て、半魔族の少年も一歩一歩とコーテナに近寄ってくる。


「やめてよハミングっ! どうしちゃったんだよ!?」

 コーテナが必死に叫ぶも、少年は表情一つ変えやしない。

 無意識の殺意が彼女に迫りかかっていた。


「死ね」

 村長の死の宣告が下された。





「朝っぱらから喧嘩とは、元気の良い」

 突如聞こえてくる第三者の声。

 爆音。コーテナ達と少年の間に噴き出るマグマ。


「しかし、教育が成っていないな。やんちゃがすぎるのは良くないぞ」


 アタリスだ。

 近くの建造物の屋根の上から、面白おかしそうにその風景を眺めていた。


「……こっちだ、逃げるぞ」

 アタリスはラチェット達の元に飛び降りると、宿屋へ逃げるために二人を連れてその場から逃げ出した。


 ……マグマの壁の向こう。

 コーテナは半魔族の少年のことを思う。


「コーテナ。今は退くのだ。それが懸命だ」

「……わかった」

 だが、今はどうしようもない。策も何もないことを噛み締め、一旦その場から撤退した。





「……クソがっ。化け物風情め」

 マグマが引っ込んだ直後。

 村長は立ち止まっていた半魔族の少年を蹴り飛ばした。


「逃げられると思うなよ?」

 蹴り飛ばした少年を石ころのように何度も蹴りを入れる。その行動は懲罰の代わりなのか、鞭と同様に何度も体に足をめり込ませる。


 見るだけでも反吐が出る醜態。

 人としてのネジが外れたその姿を、転がる負傷者の群れの真ん中で晒していた。

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