4-2 異世界列車通り魔事件②
----真っ暗だ。何も見えない。
光一つ差し込まない世界に一人、少年は座り込んでいる。
こうして体育座りをしながら昔を振り返るのはいつ以来だろう。
見渡せばゴミの山、集る蟲。
タバコの匂い。物干し竿に使えそうな竹の棒一本片手にこちらを睨む父親が一人。
その風景はいつも
真っ黒になってほしい。どうせなら何も見えない世界であってほしい。
周りの風景がゴミ屋敷の自宅から、子供や大人が溢れている普通の世界に変わってからもその気持ちはずっと変わらなかった。
ごみを見るような目。
可哀想と思うだけで善人ぶる奴らの痛々しい目。
同じ人間として見てはくれない人達の目。
少年はその視線が……苦痛だった。嫌いだった。最悪だった。
生きていくのは辛い。でも死ぬのも怖い。
なら一つ、ワガママくらい叶えさせてほしい。
『何一つ見えない
何も見えない、聞こえない、匂わない、感じない。
そんな世界が欲しかった。
何も見なくていい。誰にも見られなくていい。
そんな世界に行きたかった。
ただ、普通に生きていたかった。
『来なさい』
声が聞こえる。
『こちらに来るのです』
その声が近づいてくる。
『あなたの望みを叶えます』
微かに見えてくる一ドットくらいの小さな光。
『ですから、あなたも私の望みを受け入れなさい』
徐々に広がっていく光が……黒の世界を飲み込みつつあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
----数時間後。再び一同は食堂に集う。
最悪な状況がやってきてしまった。
二人目の被害者が出た。列車に隠れていた怪物が二人目の惨殺を決行したのだ。
「……大丈夫です。命に別状はありません」
国家魔法使いのシアルとミシェルヴァリー、そしてルゥの従者であるエルの三人によりラチェットの応急処置が進められた。
「気を失っているだけです。直に目を覚ましますよ」
「よ、よかったぜェ……」
後頭部をぶつけた為に流れ出た血液は包帯で止めた。
ギリギリで避けた為に怪物の爪は臓器までには届いておらず大事には至らなかった。不幸中の幸いとはこの事か……彼はしっかりと息を吸い込んでいる。
「……すまない」
シアルは近くのソファに腰掛け、深くうなだれる。
「直ぐ近くにいたというのに何も出来なかった……怪物の掌で思う存分転がらされた……失態でしかない。エージェントとして、情けないばかりだ」
「ひぐっ…ひっ……」
コーテナは今も泣き続けている。ラチェットが怪我をした。
しかも意識不明の重体だ。コーテナはずっとラチェットの近くに寄り添い涙を流していた。
「……けっ!」
スカルは小太りの貴族に視線を向ける。難癖をつけるように睨みつけて。
「何だねェ!? 私のせいだというのかねッ!! えぇえッ!?」
「俺はなんも言ってねぇだろ」
「それはそういう目だろうがッ!! 礼儀を学んでいないのかねこの小市民がッ!!」
「ったく、叫ぶなよォ~。病人の体に響くだろォがよォ~……!!」
スカルは耳を塞ぐ。その声があまりにも不愉快だったか。
「俺が言いたいのは一つだよ……テメェよぉ。一つ、コイツに言う事あるんじゃないのか?」
怪物がラチェットを襲った。彼が犯人ではなかったことが証明された。
連れを怪物であると疑った。そして連れの女の子を泣かせた。せめて謝罪の一つでも言う事あるんじゃないかとスカルは貴族の男に迫る。
「あの状況であんなことされれば疑うのも仕方ないだろう!? それでも私が悪いというのかねっ!? 私は皆のために勇気を出しただけなんだぞォ!!」
しかし男は謝らない。それどころか疑ってしまったのは少年のせいであると言い張る始末である。
「一理はありますね。確かに彼の行動も良くなかった」
貴族が必死に言い分を口にしている中、ルゥが立ち上がり貴族の前へ。
「……ですが間違えたのは事実です。貴方の行動が迂闊だったとは言いません。ですが行動に対する結果には謝罪を入れるべきだと私は思います」
スカルの言い分も正しいものであるとルゥは主張する。一つでもいいから謝罪を入れるように促している。それが大人としての礼儀なのではないかと。
「しかしだね!?」
「『しかし』じゃないッ! このッ痴れ者がぁあッ!!」
-----怒声が響く。
「ひぃい……!?」
重圧。その場にいた全員の姿勢が思わず低くなる。
(な、なんだ!? この重圧はッ……!? )
スカルは背筋を凍らせる。
(全員が一斉に腰を低くしたッ……俺達もだっ!? 気が付けば俺達も姿勢が低くッ……地震でも起きたわけじゃねぇのに膝が曲がるッ……!?)
あの少女よりも頭を高くしてはならない。体がそう命令する。
ここまでの危機感を覚えたのはいつ以来か。スカルは軽く恐怖を覚えていた。
そして視線もルゥから離そうにも離せることが出来なかった。
「貴方は間違い、人を傷つけたッ! それに対し詫びろと言っているのだ!! 誰よりも良い大人であることを自称してそんな些細なことも出来ないのか!?」
「いや、あの、そのぉおおっ……」
貴族の男も思わず震え上がる。
さっきまでの傲慢な態度が嘘のように低くなっていく。背骨はひどく曲がり始め、頭も彼女を直視することすら許されない。
(嘘だろっ……安っぽくても、大理石の柱のようにズ太く頑固なプライドを持ったあのおっさんを黙らせやがった……たった一回の一喝で……!?)
重圧が押し寄せる。ここまでの重い空気、経験したこともない。
青ざめていたのはスカルだけじゃなかった。他の貴族たちもそれなりの立場であるのに関わらず震えあがっていた。
「……す、すまない」
「私にじゃない! 彼女たちにだ!」
ルゥは再び間違いを訂正する。
「す、すまなかったァアーーッ! だっ、だが分かってくれぇッ! 怖かったんだ! 私もあの遺体のように無残に殺されるのが怖かったのだッ!! あんな目にあいたくない一心で私はッ……頼むっ、もうやめてくれぇえっ……早く事件を解決してくれぇえ……もういやだァアよォオオオ……!!」
大の大人が恐怖のあまり泣き出してしまった。
まるで親の説教に怯える子供のようだ。痙攣に近い震えを生じ始めていた。顔を床に埋め、尻を突き出し震え続けていた。
「……ううぅ。いっつ」
そのあまりにも耳障りな謝罪でラチェットは目を覚ます。頭が痛んだのか傷口を抑える。フラつきながらもベッド代わりの座席から起き上がった。
「ぐぅ……酷い目にあった……」
「ラチェットぉおお!!」
起き上がったラチェットにコーテナは抱き着いて来る。
「よかった! 本当によかった……ッ!!」
「うぐぁッ……痛いっ! いたいいぃいーー!?」
その抱き着いた衝撃で傷口から再び血が吹き飛びそうだった。
ラチェットはすぐさま離れるようにと必死に彼女へせがむが離れない。万力のように締め付けてくる両腕の握力が再び視界を掠めていく。彼は何度もコーテナの背中を叩く。しかしそれは彼女の万力の破壊力を上げるだけで逆効果になるだけであった。
「マジでよかったァ~……大事ないか?」
「御覧の通り今のところ何ともないぜ、社長ォ……コイツが傷口を広げようとしていること以外はァアア~……!!」
いつも通り生意気な態度を見られたことにスカルもホッと安堵の息を吐いた。その後、コーテナを落ち着かせるため引きはがす作業に入った。
「……そうだな。間違ったのなら謝るのは礼儀だ」
国家魔法使いシアルは目覚めたラチェットの前で頭を下げる。
「疑ってすまなかった。犯人はお前じゃなかった。俺の迂闊な早とちりの一言がお前を追い詰めた。無礼に対しては殴ると口にしたな、なら俺を好きなだけ殴れ。それが俺の受けるべき罰則というやつなんだ」
「い、いやいいよ……なんかそう謝られるとやりづらい……ちょい、気持ち悪い」
いち早く犯人であると疑った。それに対する謝罪だった。
深く頭を下げての謝罪。今までの高圧的な態度とは真逆の対応だった。それを見せられると怒ろうにも怒りづらいのが彼の返事だった。
「……ふっ。そのクソ生意気。大丈夫のようだ。俺は謝ったからな」
「てか、なんで俺が犯人ではないことに? 確かに襲われたかもしれないが、自作自演という可能性も」
「もう一つ謝らないといけないことがある……お前、理由があって隠してたな」
そしてもう一つの謝罪。シアルは再び頭を下げる。
「勝手に見てしまった事。許してくれ」
「……あっ!?」
その謝罪を聞いた途端にラチェットは両手を顔面に近づける。
----仮面がない。
見られたくない傷だらけの顔が公に晒されてしまっている。
(顔だけじゃない……まさか体もッ……!)
応急治療の際に服を脱がし、包帯を巻いてもらったのだ。素顔と素肌、そこに魔族の紋章らしきものが見つからなかった事で彼が無罪であることが証明されたのだ。
故に、全て見られたことになる。
ラチェットにとって……見られたくもない何もかもが。
(待て、待ってくれッ……!)
必死で隠す。自身の傷跡をラチェットは必死に覆い隠す。
(見るナ!見ないでくれぇえッ……!!)
-----そんな目で見るな。
思ってもいない同情はやめてくれ。
偽善に満ちた瞳で哀れむな。
(あの地獄をぉ……思い出させるなぁあああッ……)
ラチェットの瞳に涙が溢れ始める。
世界が歪み始める。
あの真っ黒な世界が再び手を伸ばして----こちらに迫ってくる。
「……一つだけ聞かせてくれ」
(やめろ来るナッ! 何も聞くなッ!!)
この傷跡に関して喋ることなど何もない。
(いやだいやだいやだッ! 頼むから地獄に足を踏み込むナッ……!!)
それ以上先へは来ないでくれ。
彼は必死に拒む。興味本位で近寄ってくる偽善者たちの侵入を必死に追い払う。
(俺はっ、もう……いやだっ、あんな『絶望』ォオッ……!!)
逃れられようのない暗黒に、少年は瞳を閉じた。
「……襲われる前、怪物の声を聴かなかったか?」
ラチェットの震えがピタリと止まる。思わず瞳を開く。
----視線を周りに向けると誰もラチェットの方を向いていない。
食堂の真ん中。そこには車掌を含めた乗組員が全員整列して待機している。
「食堂に客は全員いた……だがあの場にいなかった連中も数人いた」
容疑者全員に視線を向けるシアル。
「乗組員だ。あなた方は一度、我々に協力して見回りを手伝った。車掌含めてだ……甘かったよ、乗組員だからといって犯人じゃないと決め付けた迂闊だった。真っ先に疑うべきだったな……人殺しを楽しむ狡猾な悪魔が相手なら尚更」
魔物が人間に化けているのだとしたら、可能性の容疑者は乗組員の誰か。
「知ってるか。変化をしても声を変えることは出来ない……ラチェットとやら、教えてくれ。俺も例の叫び声は聞こえていたが確認したいんだ……あの悪魔の叫び声。それと似たような声をしたやつが、ここにいるんじゃないか?」
変化の術は見た目を変えられるが限度がある。どうやら声帯の変化までは叶わないらしい。犯人を見つけるための一つの手段となる。
シアルもラチェットも
あのハイテンションの叫びは耳にこびりついている。
「アイツだ」
ラチェットは指をさした。右から二番目の男。
「お、おれっ……!?」
その男は友人を殺されたというあの被害者の乗組員である。
「やっぱりそうだよな。うん、確認しておいてよかったよ」
シアルはラチェットの主張で確認すると容疑者である乗組員へと近づく。
「待てよ! 俺じゃないっ! なんで友人であるアイツの事をッ……殺されたアイツの名前はゲイン・Y! 年齢は25歳で趣味は読書本集め! ほらっ、こんなにアイツの事に詳しいんだ! 途中から入り込んできた悪魔野郎が知りえない情報を知ってるんだから俺が犯人なワケ、」
「いいから黙って体を見せてもらえないか」
この男の体を調べ、そこに紋章があったとすれば犯人で確定だ。
「焦った馬鹿はよく喋るという。そんな情報、車内の帳簿でも確認すれば容易く手に入る。それにだ、どうしてお前は犯人の悪魔が『途中から入り込んできた』って決め付けてるんだ? 最初から列車に乗り込んでいた可能性もあるだろうに……悪魔の事情を知ってそうな口ぶりだな?」
シアルは一歩ずつ迫る。
この乗組員……容疑者を逃がしはしない。
「犯人でないのならボディーチェックくらい付き合えよ。やましい事を隠してないのなら焦る必要はないはずだ。どうした? その冷や汗は何だ?」
この乗組員は頑なに後ずさりしていく。
「うぐっ……!」
明らかに焦っている。エージェントの尋問に応じようとしない……!
「……早く見せろと言っているんだッ! お前はッ人かッ! 悪魔かッ!!」
逃げていく乗組員にシアルは迫る。
やがて空気が張り詰める。乗組員は彼の最後の一言の後----
「ハナクソ共がぁあ~、……仕方ねェ~なぁああ~……?」
----後退をやめ、舌打ちと共に前進を開始する。
「この場にいる人間全ィ員ンぅ~……
乗組員の男の骨格が捻じ曲がる。顔がヘドロのように溶け始める。
腕が獣のように変貌を始める。歪む、曲がる、巨大化する。
肌が硬化する、瞳が赤く発光する、頭から人間のものとは思えない角が生える。
身長はざっと百九十。少しばかり巨体の悪魔。
----ようやく姿を現した。
人間の惨殺を楽しんでいたという快楽主義の凶悪な悪魔が。
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