4-2  ラチェット・レンチの少年②


 ----数年後。彼は育児施設である孤児院に預けられていた。

 父親の悪行は保険会社や裁判所、どこの組織にも知れ渡っていたようだ。

 子供を利用して逃げている事も多少感づいていたのか、その光景を目の当たりにした時も『手遅れだったか』と申し訳なさそうに喋る奴ばかりだった。


 少年だった彼は正当防衛で無罪になった。

 とはいえ人を殺したという経歴はしっかりと刻まれることになった。

 そのせいもあって……その後、預けられた孤児院で彼の存在は異端だった。


「来るなよ!人殺しがぁあっ!」

 廊下を歩けばバケツに入った汚水をかけられる日々。場合によっては泥や玩具など凶器になりかねないものまで投げつけられて生活を送る日々。

「あいつ追い出してよォ! 俺たちまで人殺しだと思われるよ~!」

 孤児院の庭を歩いていたら、彼を追い出すよう大人たちに必死に抗議する子供達。

「うーん、それはねぇ……難しい話なの。あの子は、その」

「どうして!? 人を殺してるんだよ!? 大人の人達は何があっても人殺しだけはダメだって言ってたんだよ!? それをやってるんだよ~!?」

 表からは守っていても、異端である彼の扱いに困って手を出すことを躊躇っている根性ない大人達も見ていて気分が悪かった。

(……ハッキリ言えばいいのにサ。俺なんか嫌いだってサ)

 ずっと耳にしていた。辛い言葉が何度も耳に叩きつけられてきた。

(誰も助けてくれなんてしやしない。ココに俺の仲間も、友達も、親も、つながりなんて一つもありやしない。皆、幸せでいたいからなんだ)

 ----助けはしない。誰も助けてくれやしない。

(幸せじゃない俺にかかわろうだなんて思いやしないんだ。当たり前なんだ。それがこの世界で当たり前の事なんだ)

 人を殺した。

 生き残りたいという一心。意識がなかったとはいえ悪魔をぶち殺した。

(事情は関係ない。境遇なんて知ったこっちゃない。不幸ぶってるお前らはいいよな……少なからず、最低限の幸せは掴めたんだから)

 そうしなければ死んでいた。地獄から解放されたい一心でやった。

 散々利用された挙句、用済みのパソコンをスクラップにでもするような教育だけを最後に与えられ、激怒した。

(嫌なら無理に俺に構わなければいい。好きにすればいい。だが妙に気に入らない。口で俺がどうとか言うだけで何もしないネチネチとした連中が見ていて気持ち悪い。こんな場所にさえ幸せはない。ここも……どこも同じだ)

 その結果、今度は少年自身が悪魔になる結末となってしまった。

 平気で人を殺した壊れた人間。人の手に負える者じゃない化け物として扱われた。


(……だからサ。そんなに気に入らないのなら出て行ってやる。俺だってお前らが嫌いだ。こっちから願い下げなんだ)

 少年はそっと孤児院の連中を睨み続けてきた。


 ----『助けてほしい』。そう本当は口にしたかったはずなのに。

 本当なら目の前にいる皆のように、庭を駆けまわり遊ぶような元気な子供でいたかったはずなのに。


(くそっ、くそっ、くそっ……なんで、どうしてッ……!!)

 普通の小学生と同じように学校で勉強をしたかった。友達になった子供達と何気ない会話やゲームで盛り上がり、次第に中学生になって、高校生になって……そんな普通の生活を送りたいだけだった。

(俺は、幸せを手にする資格がない。そうなのか?)

 それを望んだだけ。だが理不尽な結果が少年の希望を殺した。

(……助けて)

 誰か助けて。この手を握ってと何度か願っていた。本当は。

「誰かァ……助けて、よォ……」

 救いをいくら求めても、彼の手を握るものは現れなかった。

 三年という長い月日の間、

「誰も、誰も。誰も」

 三年の孤独。何も変わりやしなかった。

「誰も、助けてくれないんだ----」

 少年の手のひらはそっと世界から消えていく。

 真っ暗闇の世界に溶け込んでしまったのか、その腕すらも影のように真っ黒に染まってしまう。


「俺は、そういう世界に生まれた命なんだ----」

 ついに彼の心は、完全に折れた。

 人を殺してしまったというレッテルのみを張り付けられた彼を引き取るお人よしなんて存在しない。このままでは彼は捨てられる人間。また廃棄されるだけの人間に逆戻りするだけ。


 人間とは薄情の生き物である。仕方のない事ではある。

 でも少年は全ての人間が真っ黒に見えた。全ての人間に嫌悪感を抱いた。

 全ての人間の希望が恐ろしくて、妬ましくて、悔しくて……


 彼の心の中も真っ黒な泥のような世界に消えていく。

 意識もいつの間にか真っ黒に染まりあがっていた。


 -----彼が十五の誕生日を迎えたその日。

 孤児院を抜け出し……道を探し始めた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 それは果てのない。ゴールの見えない旅だった。

 雨の日も曇りの日も雪の日も。孤児院から遠く離れた地へと走り続けた。

 公園に放置されていた自転車を使ったり、田舎町を通過する際に電車賃をごまかして無賃電車。知らない街、見慣れていない世界を求めてひたすらに走り続けた。


 到着した名も知らない街。河川敷の橋の下でホームレスたちの集落へと足を踏み入れる。家を作る。段ボールやガラクタをかき集め、新たな住宅を作り上げた。


 金はボチボチと集めていった。

 落ちている空き缶などを金に換算し、時には街に出てスリも行った。やれるだけのことは繰り返し、活動するための資金をどんな方法であろうと集めていった。


 街を駆けまわり、次第に裏道や下水道、企業ビルや閉店したお店に侵入して通過するなど脱出ルートを頭に組み込むようにもなった。警察から逃れるために。


 金が欲しい。生き残るために必要な金を得るためにとにかく手段を探し続けた。

 誰の力も頼らず、自身が生きる環境を少年は探し、作り上げていった。

 彼は”幸せになる方法”を探し続けていた。一人、孤独に----


 人間に絶望した。代り映えのない世界に絶望した。

 涙も枯れ果てた真っ黒な心を持った少年。

 その全てに希望を見いだせなくなった少年は何故生きるのか。


 何度も死にたいと思ったこともあった。当然だ。

 希望も何もない世界で生きていたって楽しみにできることがあるはずもない。


 だけど死ねなかった。

 自らの命を絶とうとすると……見るも無残な亡骸になった父親の姿を思い出して、あんな醜い死に方を自分も迎えるんじゃないかと恐怖がこみ上げた。それだけは御免だと思うようにもなった。


 誰も信じられない、生きてるのは苦しい。

 でも死ぬのも怖くて死ぬ事もできない。

 少年が生き続けるのは最早どうしようもないワガママだった。

 何の目的もなく生きる彼はまさしく人間社会に迷い込んだ魍魎のように朽ち果てた何かだった。

 生き残るための手段を探し続ける少年。そんな彼が見つけたのは見てわかるようなブラック企業だった。


 履歴書の提示は必要なしの面接。残業は当然ある。

 給料も実際に提示されていたソレとは全く異なり、欠席すればその分の給料を引かれるなど数時間働いて手取りは五万もいかない自動車整備工場であった。

 彼はそれにバイトとして入社。金をかき集めるために、周りともつるまずに過ごし続けた。上司のパシりにも何度も答えた。同僚たちの嫌がらせにも必死にこらえた。


 何も感じない。

 もう何をされても……痛む心が死んでいるのだから。


 その生活が一年近く続いた。

 初の給料などを上手くやりくりし、残業で会社に寝泊まりすることもあれば、近くのネット喫茶でシャワーを借りて寝泊まりすることもあった。

 手渡しの給料で貯まった貯金を使って……家賃三万という激安のアパート物件を借りる。そこで必要最低限の生活は行えるようになった。仕事の呼び出しにもすぐに答えられるようにと月払いでスマートフォンも購入するようになった。


「生きる、生きてやる」

 ラチェットレンチ片手に今も自動車のエンジンをいじっている。

「死んでたまるか----」

 愛なんて微塵も与えてくれなかった父親がチラつこうとも。

 誰も救ってくれなかった孤児院での生活がチラつこうとも。

「俺だって……俺だって……!!」

 どのような悪夢が映っても。無心で自動車のエンジンをラチェットレンチで弄繰り回す日々が続いていた。


 彼の望んだ世界は一生来ないと……諦めていながらも。

 例え、空っぽであろうとも。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 犯罪者にも近いクソ野郎の息子として。

 理不尽から生き延びるために自分の力だけで生き抜いた男。


 それがこのラチェットの過去。異世界に連れ去られようとも、その風景は絶対に代わり映えしない。現に目の前の風景は今もだ。


 生い茂る緑色の草原も微かに緑に見えるが、やはり灰色が被っている。

 ここで浮かぶ疑問。全てに絶望した少年は、何故少女を助けたのか。


 ……それはすぐにでも分かる事だった。

 理不尽の中で生き続けた悲劇の子供。彼女の姿を見て、少年時代の自身の姿を映していたのかもしれない。


 手を伸ばしても誰も助けはしない。彼女は自身の未来を諦めかけていた。

 それはかつての自身の過去を丸写しにしているようだった。


 助けてほしいと願っていても掴んでくれない。

 救いの手の存在の皆無を思い知り、ならばせめてと明るく振舞うことで現実を忘れようという足掻き。


 見ていられなかった。

 気が付けば彼は自身と似たような境遇であった彼女の腕を掴んでいた。自身にはきっとメリットもないというのに。その手を掴んだ少女の腕を見てラチェットは微かに息を吐いた。


 ----怖い。あの日々は辛い。

 彼が彼女を助けたのはこの上ない同情であった。

 コーテナにも……あの地獄は見てほしくないという願いだったのだ。


「ねぇ、ラチェットさん」

 ようやく泣き止んだコーテナはラチェットを呼ぶ。

「ラチェットでいい」

 呼び捨ての方が自分の性に合っていると彼は言った。

 さん付けで呼ばれるのには慣れていないということにしておいて、自身の事は呼び捨てで呼んでほしいとラチェットはせがんだ。年齢も近いのだし、それくらい気にしないものだと。

「……ラチェット! ボク、どうしても君に聞きたいことがある!」

 改めて呼び捨てにしたコーテナが聞いてくる。

「君は一体何者なの? その様子だと遺跡探検家でも武器職人でも、ましてや泥棒さんでもないみたいだし……」

 設定は通りすがりの遺跡探検家。そこら辺の街を放浪する冒険家であると支離滅裂にも程がある設定にしていた……それを貫くか?



「正直に言うぞ。俺は冒険家でも何でもねぇ。ましてや泥棒でもネェ」

 ----彼は口にすることにした。

「俺の事を、俺の正体を正直に言うぞ」

 知ったかぶりも最早面倒になった。

 どうせついてくるのなら隠しきる自信もない。


 なら全てを話そう。そして始めよう。

 たった今ここで……クソッタレな神様に宣戦布告をするのだ。



「お前、俺がこことは違う別の世界から来た人間だって言ったら信じるカ?」



 足掻いて、藻掻いて、死に物狂いで這い回ってでも。

 一度は諦めていた。絶望は残りながらも心の中で咆哮する。


『俺だって……---』








 こうして始まった。





 魔法世界クロヌスに迷い込んだ男・ラチェット。

 半魔族ディザストルとして迫害され続けてきた娘・コーテナ。



 夢も希望も捨て、亡霊のように生き続けた男。

 夢と希望を求め、信じて明るく振舞い続けた女。


 これから始まるは道連れ旅。

 二人のそれぞれの道。その道を探すための長い冒険の始まりであった。


 


             --------第01部、完結。

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