2-1 『祝福』を知らないモノ①
----ラチェットは思わず息を呑んだ。
その光景はあまりにも戦慄的だった。
「あ゛ぁぐぁ゛ッ……あぐっ゛ぁあ゛ッ……」
オオカミはオオカミでも子犬。犬の耳が生えた少女はガタイの良い黒服の大男から乱暴に扱われている。
何度も。何度も、何度も。
髪を握られ引っ張られては大木に額を叩きつけられる。
「ぐっ、ううぅ……あぁああっ! うぁあああああッ!!!」
人としてじゃない。まるで道具のように。使い物にならない道具に八つ当たりをするような。そんな粗末な光景だった。
この森林の大木は斧一つで叩き折るには頑丈で太すぎる。
活火山の岩盤並みの硬さを誇る大木に叩きつけられた少女は額を抑えながら涙を流し、地面をのたうち回る。
(なんだ、コレ……何を見てるんだッ……!?)
小さな阿鼻叫喚を繰り返す子供達の姿。大木に叩きつけられた少女と同じくそれぞれ野生動物の耳のようなものが頭上に生えた人間達である。
光景に恐怖で顔を引きつらせ、中には嗚咽を繰り返し吐き気を催す子供も数人いる。ラチェットも同様だった。下手をすれば殺人だ、この光景は。
「出来の悪い野郎はお仕置きしないとなァ! オラ゛ァ゛立てェッ!! 立たなきゃ今度はその細い腹に蹴りを入れてやるからなァッ!?」
拳を鳴らすスーツ姿の男。子供を教育がてらに痛めつける、その行いそのものに快楽すら浮かべている。
「いやだっ、蹴られたくないッ……死ねッ!死ねぇえええッ!!」
子供たちの中にいた一人の少年が思わず立ち上がり、少女に更なる追い打ちをかけようとした大男に突進を仕掛けた。
「ぐっ!」
間一髪、男は少年の引っ掻きを避ける。ギリギリだったのかスーツの一部は少年の獣じみた爪によって裂かれていた。
「だぁれが許可なく動いていいと言った!? 喚くなガキがッ!!」
相手は十四前後の子供。かなりの時間食糧を与えられていないのかその姿はかなりやせ細っている。とてもじゃないが喧嘩が出来るほど万全な状態ではなかった。
「大人しくしてろって言葉が通じねぇのかァッ!? 化け物がよォッ!!」
「ぐぁあっ……え゛ぐっお゛っぉお……!!」
そんな子供相手だろうと大男は大人気なく回し蹴りを食らわせる。飛び掛かった少年の首に革靴の先端が食い込んでいく。
「ぐほっ、こほっ……がぁああ……!!」
下手をすれば骨が粉々に折れていた。
今の蹴りで喉に大きな負担がかかったのか少年は軽い咳を繰り返している。満足に呼吸ができる状態ではなかった。
「誰が吠えていいって言った!? 誰が走っていいって言った!? えぇ!? 大人の言うことが聞けない悪い子供に育っちまったみたいだなァアッ!?」
咳を繰り返し意識すらも朦朧としている子供の腹を何度も蹴り上げているのだ。
子供の腹が地面を向いたと思ったら今度は背中を幾度となく踏み潰すを繰り返す。
子供はボロ雑巾のように痛めつけられていく。痛めつけられた少年の表情は恐怖と激痛で引きつったまま固まり、目と口からはそれぞれ赤と半透明の液体がドロリと流れている。
「……ちっ、のびやがったか。さすがにコレ以上はヤバいか」
それは生きているのか。それとも死んでいるのかすら分からない。
「死なれたら困る……便利なボランティアが一人でも減ればドヤされちまう」
痙攣すら起こさなくなった子供の体を大男は米俵のように担ぎ上げる。
「テメェも早く来いッ! 次は逃がすんじゃねえぞ!!」
もう一人の少女の髪の毛を掴み、引きずるように運んでいく。
汚れに汚れた砂袋を引っ張るかのような手荒な扱い。その度が過ぎた扱いは場にいる子供たちに恐怖と戦慄を叩きつける。
「ひぃっ……」「いやっ、いやっ……」
この二人のようになりたくないと子供達は恐怖のみで動き出す。
「良いサンドバックだよ。半魔族は頑丈だからな。ハッハッハ」
次第に恐怖でむせ返る子供達の姿、そして痛めつけた少年少女を運んでいく大男の背中も森の中へと姿を消していった。
「行ったカ」
真緑の芝、雑木林の中からラチェットはそっと姿を現した。
話し声も聞こえなくなった。もうコチラに気付かれる気配はないと悟った。
「……なんツーもん見せつけるんだ、クソがっ」
ラチェットは耳奥まで轟く舌打ちをならす。
「ガキばっかりだった……! 俺なんかよりもずっと年下の……!!」
人知れず、反吐を漏らしていた。
「……だけど。まずは、自分の事だ」
----さすがに手ぶらで帰るのはまずいか。
何か金目の物になるようなものを探してから帰ることにする。もう一泊するのであればその分のお金を回収する必要がある。
たまに見かける猪。その猪が纏う毛皮。それなりに売れるのではないのだろうか?
射撃の腕はどれほどのものか分からないが意地でも猪を確保しよう。今夜もグッスリと熟睡できる楽園を手に入れるために。
「……あの女の子」
先程の光景。赤の他人なのだから関係のないことだ。
本来ならそう思って吐き捨てるだけの事だった。諦めもついた。
「コーテナだったよナ……?」
だが彼の見間違いでなければ----その被害者は実に見覚えのある人物。
先程、大木に叩きつけられた少女は……昨日、遺跡の脱出に一役買ってくれた犬耳の少女ではなかっただろうか?
……ラチェットは猪を探す。
少女の事。コーテナの事がどうしても頭から離れないまま、薄暗くなる前の森の中をもう一時間だけ徘徊することにした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
----数時間後。
ラチェットは村に帰ってきた。
「す、すいませーん……あのぉ、いらっしゃいますかァ~……?」
少し慌てた様子、顔も青ざめた状態で誰かの家のドアをノックしていた。
「はいはーい!」
ノックに答え、小屋から一人の青年が顔を出す。
「おっと! どうしたんだいラチェット君!」
トレスタの家だった。
ここに来た理由はただ一つ。というか、いろいろと察してほしい。
「……お願いしますッ! 一泊だけ許してくださいッ!!」
ラチェットは恥を捨て、その場で頭を伏せる。
頭を下げると言ってもただ下げるわけではない。姿勢も低くし、膝もしっかりと地面につけ、頭も勢いよく木槌のように地面に叩きつける。
礼儀と謝罪、その全ての表現を最大にまで発揮する姿勢。つまりは土下座である。
「食器洗いでも片付けでもなんでも手伝いますッ!! どうかお願いしますッ!!」
結局獲物を見つけることは出来なかったのである。
それっぽい生き物を見つけて拳銃をぶっ放しても当たらない。当たりそうな距離に近づくころには感づかれ逃げられる。結局、一文無しの状況で帰ってきたのだ。
「森で財布を落としちまったッ……飯はいらネェ! 寝床だけ貸してくれ!」
必死に何度も頭を下げる。
ラチェット渾身の土下座。地面には頭が食い込む程に押し付け、声も絶対の懇願を込めた。その土下座には今度の行方全てがかかっている為に全身全霊を捧げていた。
「ほうほう」
----返事を待つ。
イエスかノーか。少年に最後の審判が下される。
「別にいいよ。さぁ入って」
「あ、あれ?」
意外とあっさり。
「えっと……いいの~?」
「言ったじゃないか。こっちにいる間は好きに使ってくれて構わないって。災難だったね、よければ次の日にでも財布探しを手伝ってあげるよ」
「せ、聖人君子ィイイ……!!」
ラチェットは即座に頭を上げた。感動のあまり泣いていた。
人の心が……こんなにも温かい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「うめェよォ~~ッ!」
ラチェットは差し出された夕食に勢いよくガッついていた。
焼きたてのパン!作り立てでアッツアツの濃厚クリームシチュー!村の新鮮な野菜で作られた水分潤うサラダ!出されたメニューは豪華なフルコース!!
「くぅうううーーーーッ!!」
空腹で仕方なかったラチェットは間髪入れずに食事を腹に押し込んでいた。
「相変わらず凄い食べっぷりだね。丸一週間飲まず食わずで働かされて、久々に解放された後にようやく飯にありつけたくらいの勢いだ……君は普段何を食べているんだい?」
トレスタはシチューを喉へ流し込む。
「え、えっと。トースト……いや、パンとかミルクとか。軽いものでいいかなって」
「ははぁ~ん? さては冒険の費用とかを確保するために食事と宿の費用は極限まで節約してるってハラか~? 熱心なのはいいけど、栄養くらいはちゃんと取らないと早死にしちまうよ?」
「め、面目ねェ……」
このトレスタという男、人が良いにも程があった。
金が一銭もない青年を無償で泊めてくれるというのだ。しかも寝床だけではなく、夕食と次の日の朝食もつけるという最高のおまけつき。
「まぁいいけどね。気持ちは分からなくもないし。一週間とか長い期間は流石に厳しいけど少しの間なら頼ってくれていいから。同じマニア同士、仲良くね」
「神か、アンタは」
「大げさだよ」
ラチェットは泣きながら彼にお礼を言っていた。仮面のせいで目元は隠れていたから泣いてるかどうか真偽は分からないが。
「トレジャーハンターってのはロマンはあるが死と隣り合わせだし。どんな罠があるか分からない遺跡だったり、断崖絶壁を上ったり、ガスが充満している火山だったりを散歩する。いつも危険と不運に見守れながらの一本道さ」
トレジャーハンターはハプニングと睨めっこの毎日。
「財布を失うくらいで済んだのは不幸中の幸いってところかな。君ィ? 冒険慣れしてるように見えたけど実はウッカリさん?」
「い、いやぁ~? 今日はちょっと油断したというか……そ、そういうワケぇ~?」
慣れない環境での体調不良。突如襲い掛かる罠や自然の驚異。
そして、今回のように活動するための資金を何らかの形で失ってしまう者。
----彼には本当に感謝する。
実は財布を失ったことも、実はトレジャーハンターはないことも……その他何もかも嘘だということを申し訳なく思いながら。
「とはいえ不幸であることに変わりはない」
財布を無くした彼のアンラッキーにトレスタは同情する。元より財布なんてなかったけど。
「このあたりの事をもう少し調べておくべきだったナ」
「言ったけど。分かる限りは教えてあげるからさ……今からでも教えてあげるよ?」
“このあたりの環境の事は分かる限りは教えてあげる。”
「……一つ聞いてみてもいいか?」
ラチェットはその言葉に食いついた。
「いいけどどうしたの? そんな畏まった言い方で」
聞きたいことは当然ある。
ラチェットが聞きたいのはただ一つ。
「実は……森を調査していたら、礼儀正しい服装をした奴が動物の耳の生えた女の子を虐待していたんだヨ。随分と粗末な光景だったが。お前、何か知らない?」
犬耳の生えた少女を手荒に扱う大人。その光景を見て震えあがる同様の子供達。
森で見かけた戦慄的光景の全貌を知るために、それに関する何か知っていないか聞いてみることに。
「なんか異常だったというかよォ……普通じゃないというか、」
「……っ!」
トレスタの表情が険しくなった。
----言いづらい。
そのことには触れない方がよいという警告じみた瞳。
「……ラチェット君」
異常を振り切った、戦慄過ぎる森の光景。
「どうしても知りたいかい?」
どうようならこの一件。
思った以上に深い闇が潜んでいるようだった。
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