1-1 Welcome to the 魔法の世界。①
目を覚めるとそこは仕事場の休憩所だった。
冷房の効いた部屋のソファーの上、缶コーヒーの空き缶を両手で持ったまま、うたた寝してしまっていたようだ。
気が狂いそうになる熱さ、鼻がダメになりそうなオイルの匂い、度重なる残業と睡眠不足が相次いだ結果ぐっすり眠ってしまっていたようだ。
-----随分と面白い夢を見たような気がする。
古代人が住んでいたとかワケの分からない遺跡に迷い込んだり、犬耳の生えた女の子と知り合ったり、馬鹿みたいに大きい怪物に襲われたりなど……ファンタジー小説の主人公になった気分であった。
心臓が締め付けられたし、胃痛もひどかった。
変にストレスが溜まる夢であったが今思えば笑い話に出来るような面白い内容だった気がする。
----さて、仕事場に戻るとしよう。
作業着のポケットの中に入っていたラチェットレンチを片手、蒸し暑いガレージで再び仕事の時間だ。リラックス休暇は充分楽しんだ。
さあ行こう。口うるさい上司の待つ騒がしい職場へ……
「なァ~んてッ! オチなら良かったんだがナァーー!! あぁ~あっ!!」
これだけ、夢オチであってほしいと願った日があっただろうか!
世の中の評判など知った事か! 本人が幸せならそれでいいでしょうが!
寒いと言われようが夢でお願いしますと願った少年の夢は粉々に打ち砕かれた!
「あぁああーあッ! 夢オチなんて許しませんよって事ですかァアッ! こちとら人生の半分捧げてもいいですよってくらい祈りに祈りを捧げて眠ったってというのにさ! 結局帰れずじまいですか! 今度は異世界で残業ですかああそうですかッ! やかましいわッ!!」
ラチェットは宿屋の自室のテーブルを何度も両手で殴りつける。木造のテーブルのドラムロールが部屋中に響き渡る。加減もせずに殴り続けているせいで気が付けばテーブルにはヒビが入り始めていた。
「おかげで朝五時出勤、夜十一時退勤の俺は久々に九時間睡眠バッチリ楽しめたわァーーーッ! ぐっすり眠れましたよって話なんだヨぉーッ! ボケがァアッッ!!」
トドメに強烈なヘッドバンキングならぬヘッドドラム。八回に渡るテーブルへの八つ当たり頭突きでフィニッシュをかける。叩き割られた瓦のようにテーブルは真っ二つに割れる。
「……いったいっよォ~」
ダメージを受けたのはテーブルだけじゃなかった。
多少脆いとはいえ、テーブルにヒビを入れるまで殴り続ければ腕が痛むにきまっている。腕はパンパンに膨れ上がり、打ち付けた頭も内出血で真っ青になっている。
……こうまで頭がおかしくなっても仕方ない。だって信じられるはずがない。
夢じゃない。ココは彼の知らない世界。
“異世界”に迷い込んだという非現実的な事が夢じゃなくて現実だなんて信じられるはずもない。
「……現実なんだなァ~。どう足掻いても」
ベッドで横になって一睡。これで元の世界に戻れるなんて思ったら待っていたのは見慣れない世界の宿屋の天井が『待ってました』と視界に入るだけ。
「ホント訳がわからネェ……どうなっちまったんだッ、俺?」
色々と言いたいことがありすぎて脳みそが破裂しそうだ。
----異世界に迷い込んだという事。
今でも夢じゃないかと疑ってやまない。紫の本でナイフを取り出して、一回腕を切ってみようかとも考えている。それくらいのショックでも与えないと目が覚めないのではなかろうか。ラチェットは他に強い刺激を与える方法がないかと探りを入れる。
「……よいしょっと」
そしてもう一つ。おでこの内出血を確認するために視認した宿屋の鏡。
「人間。ショックが極まると染まると聞いたけど、本当なんだナ」
-----真っ白だ。ラチェットの髪は真っ白になっていたのだ。
元の世界にいた時は新人社会人らしく真っ黒髪のショートカットだったはずだ。多少お洒落のためにワックスで髪の毛を立てたりしていたが、こんなフワッとした真っ白髪にした覚えはない。
「心なしか肌もちょっと白くなったような……生気が抜けきったような気分だナ~……宝くじで当たった1000万円の引換券をウッカリ落としてしまった時のようなそんな気分に負けない状況だからか~……?」
身長と体重に顔つきも向こうにいたころとは変わらない。髪の毛だけが真っ白に染め上がりくせ毛も酷くついたりしている。肌も少しばかりショックのせいか白い。
何故、髪が真っ白になったのか。
本当に恐怖とストレスが臨界点を越えてしまったのか。塗髪剤を使わなくとも髪の毛全部が白髪になってしまうほどに。
「……アンビリーバブルだナ。人生って何が起こるかわからねぇーヤ」
また頭が痛くなってきた。
ラチェットは再びベッドの上に寝転がっていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
----ずっとトチ狂っていても仕方ない
もう認めるしかない。別の世界に訪れてしまったということを。しかし、そうは言っても気持ちの整理にはやはり時間がかかる。
異世界が存在したこと。
何かの拍子でその異世界に迷い込んでしまったこと。
髪の毛が真っ白になったこと。
全てを受け入れるには時計の長針が四周するまで時間を費やした。
「……ひっさびさだナ。散歩だなんて」
覚悟を決めたラチェット。宿を抜け、軽い手荷物片手に村へ顔を出す。
遺跡で発見したローブを羽織りフードで髪の毛を隠し、顔はヒエログリフ文字に目のような模様で塗りつぶされた仮面で隠す。右目だけが開いた仮面だ。ローブのポケットにはラチェットレンチと携帯電話。
衣服の内側に隠れている大きめのホルスターには例の紫色の本をしまってある。
「どうすればいいか分からないときは探索をする。RPGの基本ってやつ?」
この世界に馴染める衣装を身に纏い、ひとまず情報収集でもするかと意気込むことにした。
「……しかし、なんだァ~?」
しかし、彼は大きな失敗をしていた。
「……すっげぇ見られてる!!」
犬耳の少女・コーテナは何事もなく彼に話しかけた。それもあって自身の服装はこの世界では何の違和感もない普通の服装であるとラチェットを錯覚させてしまった。
(何が原因だ!?もしかして服が間違ってるのか!?)
辺に注目を集める羽目になった。
見渡してみると村の住民たちと明らかに服装がズレている。周りが普通の村人の服装に反し、ラチェットの服装は全身をローブで隠し素顔も隠すという邪教スタイル。怪しまれないはずがない。
(これじゃまるで何かの宗教家や黒魔術師ッ……!)
その服は古代人とやらが住んでいたという遺跡で発見された服。
数百年数千年、下手すれば数万以上前はあったかもしれない……時代遅れにも程がある服装センスなのである。
ラチェットは鈍感などではない。
村人達から注目を受けていることに気がついている。不信に思う視線が背中に何発も突き刺さり痒みが増す。
(……なんというか。昨日の奴らと違って動物の耳は生えていない。俺と一緒で普通の人間ばかりだな……って、んなことは今はどうでもいいッ! まずい、これはまずいかッ!?)
出来ればココから逃げ出してしまいたい。
だがここで走り去ればますます怪しまれるような気がする。職務質問なんかされてみろ。その時は一瞬でゲームオーバーだ。
「ねぇ、そこの君ィ~?」
-----背中にイナズマが走る。
(ひぃいいーーーーッ!?)
「その服装。その見た目ェ~……はてぇ~……? 君ってさァ~?」
恐怖が絶頂に至った。仮面の中では白目を剥いている。
(お、終わった、かなァ~……?)
異世界脱出計画は本題に入る前に終わってしまうのか。固唾を呑む声が皆に聞こえるくらい大きく響き渡った。
「もしかして!古代文明オタクだったりするのかいィイイーーッ!?」
「……はいっ?」
仮面をつけたままラチェットはガックリ肩を落とし、引きつった顔をしていた。
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