第24話 試される絆
憤怒や焦燥、孤独や不安に苛まれながらも、ハミルは敵の挑発に乗って導かれるがままに暗闇の中へ飛び込んだ。
鉄扉の向こう側は再び通路となっており、ハミルが突入すると同時にライトアップが始まった。手前から順々に通路が明るんでいき、最終的には通路の突き当りにある大きな両開きの扉を可視化させた。
「へっ。随分と挑発的だな」
ここまで凝った演出をされると、一周回って嘲笑する程度になった。挑発を挑発と理解することが出来たとき、それは既に挑発の枠からは抜け出してしまった何かに変わってしまうのである。例えるなら、これは既に挑発では無くて、コロッセウムに向かう戦士を鼓舞する命の灯火である。一つ一つの火を自らの魂と融合させ、どんどん覇気を高揚させていく。敗北は許されない一瞬一発の勝負。自らの一挙手一投足に自らの命をベットする場へ向かおうとしているのだ。なのでもう、この通路にあるすべての灯火はハミルの味方であり、ハミルを勢いづかせるための媒体でしか無かった。
通路のライトはハミルが通り過ぎると、あたかもハミルに命を吸われたかのように静かに明かりを失った。
両開きの扉の前にたどり着くと、ハミルは微かに首を回して背後を見た。今歩いて来たはずの通路は闇に包まれており、勿論のこと、ハミルが抜けてきたはずの鉄扉が見えるわけは無かった。
「ふぅ。よし、行くぞ」
ハミルは小さくそう呟くと、両手に力を込めて扉を勢いよく押し開けた。
――開かれた扉の先には、もうすでに見慣れてしまった白い部屋が待っていた。そしてその白い部屋には、白衣を身に纏った数人の研究員たちがハミルを待ち構えていた。
「待っていましたよ。しかし困ったことがありましてね。どうもルット先生の調子がおかしいようなんですよ」
自動ドアを隠すように立つ横並びの数人のうち、丁度真ん中に立っている男が子供を宥めるような口調でそう言い始めた。
「ねぇ、分かりますか? つまり我々としては、あなたに協力をしてもらってあのユートとか言う青年の心をコントロールしてほしいんですよ。ルットさんに逆らわないように」
「ユート……。必死で抵抗してくれてるんだな……」
大分奥にいる研究員たちには聞こえないように、ハミルはそう囁いた。
「聞いているのかね? 私は今、この名誉ある研究の手助けをしてくれと申し出ているんだよ。ここではあんな小さなオフィス。いや、ボロ屋と違ってちゃんとした報酬も出る。なんなら今すぐ契約書を持って来させても良い」
捲し立てるようにそう言うと、研究員はニヤリと冷笑を浮かべてハミルの方を見た。ここまで言って落ちない奴はいない。と言いたそうな表情で、ハミルは尚更奴らのことを下劣だと思った。
「悪いがそんな交渉には乗らない!」
ハミルはきっぱりと断った。何者の追従も許さないよう、地割れを起こして地を隔絶してしまうように。
それに対して数名の研究員は驚いているようだが、どうやらそいつらは新人で、真ん中に固まっている上級の研究員たちは未だニヤニヤと気味悪い笑みを浮かべてハミルのことを見ている。そして真ん中に立つ男が白衣のポケットから小さなリモコンを取り出し、ボタンを軽くプッシュした。すると先ほどいた部屋のように右側の壁がスクリーン代わりとなり、とある一室が映し出された。
「え、エミリー……!」
壁スクリーンには円筒状のガラスに包まれ、捕らわれているエミリーの姿が映し出された。
「ふっふっ。これで抵抗できないでしょう? あなたに残された道は我々の研究を手伝う他無いのですよ。さぁ、早くルット先生の容体を診てもらいましょうか」
勝ち誇ったように、中央に立つ研究員はそう言うと、ボタンを押してスクリーンの映像を消した。
「この先にいるのか?」
「はい?」
「あんたらの後ろにあるドアを抜ければ、エミリーがいるのかって聞いてるんだよ」
「……それを答えてどうなるんです?」
「俺のやる気が変わる」
「……」
研究員たちは訝し気にハミルを眺めた後、ひそひそと小会議を始めた。
「少し補填をしておきましょうか」
中央に立つ男がそう言うと、再びリモコンのボタンを押して映像を流した。それが映し出されると、研究員の一人が誰かと通話を始めた。するとその少し後にエミリーを映していたカメラが視点移動し、壁に寄り掛かって汗をしとどにかいているユートが映された。いや、正確には、ユートの体を乗っ取ろうとしているルットが。
「ルット先生は女と同じ部屋にいる」
研究員はそれだけ言うと、後は察してくれと言った風に映像を止め、少し不機嫌そうにハミルのことを睨んだ。
ルットを助けると言ってとりあえず相手の指示に従えば、エミリーがいる部屋にはたどり着けそうだ。とハミルは考えた。しかしここで簡単に付いて行くのは得策とは言えないような気がして、ハミルは睨み返しながら時間を稼ぎ、他の可能性を考え始める。実は今さっき映し出されたユートはホログラムで、ハミルを陥れようとしている罠かもしれない。もしくは今同じ部屋にいようとも、ハミルは別の部屋に誘導されてそこへユートが運ばれてくるかもしれない可能性。いや待てよ、何故否定的な可能性ばかり考えるんだ。今目の前に映し出されたものはすべて事実で、そして今見聞きした情報からすると、ユートは今、ルットの意志を何とか抑え込もうとしている。つまりユートがルットを完全に抑え込むことが出来れば、エミリーを解放して、かつ他の被験者も救出したうえで脱出することが可能かもしれない……。ユートを信じ、ユートと共にこの研究員全員を欺くという可能性……。これは大博打だろうか……?
「何を黙り込んでいるんだね?」
そろそろ痺れを切らしてきたようで、目の前に立っている十数人の研究員たちは今にも襲い掛かって来そうであった。背水の陣。確率の低い前向きな可能性……。
「診ましょう。俺一人で解決できるかは分かりませんが」
ハミルは賭けてみることにした。信じてみることにした。確かめてみることにした。ユートと自分との関係を。
「よし、良いだろう」
中央に立つ研究員がそう言うと、恐らく下っ端であろう二人の男がハミルに近寄ってきて、慣れた手つきで手錠をかけた。全く研究員なのか警察官なのか疑わしい所だ。なんて思いながらハミルは下っ端の指示に従ってゆっくりと歩き始めた。あの前後に研究員がいるという不快な隊列で。それに加え、これ以上内部を見せるわけにはいかないようで、背後に立っている研究員がハミルに目隠しを巻いた。まるでこれから実験されるのかと思うほど、ハミルは束縛された。そうして完全に主導権を握られた状態で、ハミルは歩くよう指示された。
……視界を遮られたまま、手錠に繋がれた紐を頼りにハミルは数分歩かされた。出発点から終点まで、その経緯が分からなくなるように研究員たちはわざと狡猾に遠回りをした後、立ち止まった。
「着きました。目隠しと手錠を取りますね」
おそらくハミルの前後を歩いていた二人がハミルに近寄ってきて、驚かせないように細心の注意を払いながら、まずは目隠しを取り、その後に手錠を解いた。急に視界が開けると、あまりの明るさにハミルは目を伏せた。人間の瞳は、闇に慣れるよりも光に慣れる方が難しいのでは無いかと感じるほど、現環境に慣れるまで時間がかかった。
少しの時間を経て、ハミルはゆっくりと瞼を開けて光に目を慣らせた。辺りを見回すと、あまり嬉しくない予想が的中していた。どうやら別室に連れてこられたようで、今室内には二人の研究員とハミルの三人しかおらず、テーブルやイスなど家具も何もない狭苦しい部屋に押し込められていた。
「今ルット先生を連れてきますから」
研究員の一人がそう言うと、流れのまま部屋から出て行った。こいつ一人ならやれないことも無いな。ハミルはすぐにそう思った。しかし下手に攻撃して敵対してしまうと、エミリーの命が危ない。そう思ったハミルは大人しくユートが搬送されて来るのを待った。
それから再び数分後、狭苦しい部屋の扉が開いた。ストレッチャーに乗せられたユートが室内に運び込まれ、それを押していた先ほど部屋を出て行った研究員も一緒に入室してきた。
「では、お願いします」
研究員はそう言うと、じっとハミルの行動に目を凝らした。
「そう見られているとやりづらいんですが」
「これも研究の一環です。あなただけがマインドシェアをコントロール出来ても意味が無いのです」
「何言ってるんですか。俺だって全て知ってるわけじゃ無いですよ」
ハミルはそう言うと、とりあえず二人の研究員は無視してユートの顔を覗き込んだ。なるほど凄い冷や汗だと思った。呻き声を上げていないところを見ると、恐らく今この体に宿っているのはユートの精神だと考えられる。いや、もしかしたら、ルットがユートを演じているという可能性もあるが、この状況で演じているとも考えられない。
「すみません、博士に連絡を取っても良いですか?」
ハミルは素直に聞いてみることにした。相手が幹部級ならまだしも、下っ端だけなら何とか押し通せるような気がしたのだ。
「うーん、正確にデータを取るために必要なことなら」
片方の研究員がそう言うと、もう一人の研究員も小刻みに頷いた。
「それじゃ、サクッと通話を済ませるので」
ハミルは研究員たちの気が変わらないうちにと、直ぐにハンズフリーを起動して大喜多に電話をかけた。
「もしもし、今大丈夫ですか?」
【どうしたんじゃ?】
「ちょっと厄介なことになりましてね」
【さしずめお主も捕まったんじゃろ】
「鋭いですね」
中々マインドシェアについての会話を始めないので、冷たい視線が向けられているような気がして、ハミルは一度小さく咳き込んで本題に切り替える。
「ごほん、それでなんですけど、少しユートの様子がおかしいんですよ」
【それも何となく分かっておる。奴は恐らく睡眠薬を持っておった。どうせどこかに隠れて今は眠っておるんじゃろう。それでユートの精神と喧嘩をして、体の奪い合いが始まっておる】
「えぇ、大体あってます」
【体と精神はしっかり結ばれておる。お主が呼び掛けてやればユートの精神が打ち勝つはずじゃ】
「ユート、ユート、と言えばいいんですか?」
【そうじゃ、その調子じゃ】
「ユート、おいユート」
ハミルがユートの名前を呼び始めると、背後に立っていた研究員の一人が右耳に掛かっているハンズフリーを取り上げた。
「何を話している。これ以上は止めてもらおうか」
「はいはい、すんません」
ハミルはそう言いながら研究員からハンズフリーを奪い返し、右耳にはめて再びユートの方を見た。
「おいユート、聞こえてるなら目を覚ませ、ルットなんかに負けるな。ここで負けたらお前の人生は振り出しに戻っちまうぞ。ユート、俺が付いてるからな」
ハミルは怪しまれないように小声で、かつ早口にそう言うと、研究員たちの方に振り返って肩をすくめた。
「こりゃダメですね。もう手遅れだ」
「ほ、本当ですか!?」
「あぁ、さっさと医療班を呼んできた方が良い」
「おい、本当にまずいかもしれない。呼んでこよう」
「あぁ、私が行って来る」
研究員たちはそんな短いやりとりをすると、一人が出て行って一人が残った。ハミルはこの機を狙っており、部屋に残った慌てふためいている研究員を手際良く気絶させ、直ぐにユートを起き上がらせた。
「大丈夫か? もうしっかりユートになったよな?」
ハミルがそう言うと、ユートは一枚の紙をハミルに手渡した。
〈道、分かる。ユート〉
紙片には端的にそう書いてあった。
「よし、じゃあさっさとエミリーを助けに行くぞ」
ハミルはユートをしっかりと立たせ、肩を軽く二度叩いた。それに対してユートは無反応で、開きっぱなしのドアを抜けて通路に出て行ってしまった。それを見たハミルは、なんだかいつものユートを見ているような気がして急に安心感が湧いて行きて、すぐにその後を追った。
珍しくユートも速足で、ドアがやけに多い通路を迷いなく真っすぐ進んでいく。ハミルも相棒を信じてその背中を追っていると、急にユートが立ち止まったことにより思い切り顔面をユートの後頭部にぶつけた。
「いって……」
ハミルは鼻を抑えながらユートのことを確認して、そしてその視線の先にあるドアも確認した。
「ここなんだな?」
そう問うと、ユートはゆっくり頷いた。ハミルはそれを確認するとネームホルダーからカードを取り出して、カードリーダーにそれを通すと自動ドアが開き、ハミルはユートを引きずるようにして室内に転がり込んだ。
「ここは……」
二人がたどり着いた部屋は、エミリーが捕らわれている部屋では無かった。
ハミルが辺りを確認していると、ユートは既に動き出していた。真っすぐモニターやボタンがいっぱい並んでいる制御盤に向かい、そしてその前で立ち止まると一つのボタンを押した。それはハミルが初めて見た、ユートの自発的な行動。であった。
――ユートがボタンを押すとすぐ、サイレンと共に赤い明滅が視界を占めた。そしてすぐにアナウンスが入る。『自爆スイッチオン。自爆スイッチオン。至急避難。至急避難』と言ったアナウンスが永遠と施設内に流れ始め、複数のモニター全てに自爆までのカウントダウンが表示された。
「お前……、最初からこれを狙ってたのか……?」
そう聞いたはいいが、今すぐハミルたちも脱出しなけらばならないので、立ち尽くしているユートの腕を引っ張って通路に飛び出すと、ハミルよりも先にユートが歩き出した。恐らく出口も知っているんだろうと思ったハミルはユートについて行く。
施設内のドアは全て開け放たれており、あらゆる場所から研究員が流れ出してきていた。その波に逆らうようにして二人は通路の突き当りにある部屋にたどり着く。部屋と部屋の間に妙な空間が設けられており、ハミルはそれを不思議に思いながらも奥の部屋に入る。するとそこには気を失っているエミリーが倒れていた。
「エミリー! ……まだ寝てやがるのか」
正直面倒だと思ったが、ハミルは一度深呼吸をするとエミリーを背負う。そして再びユートの誘導に従って通路を駆け抜ける。
「はぁはぁ、後何秒くらいだ……」
エミリーを背負っている分、いつもより全身に負荷を感じながらハミルは走り続けた。
同じような通路を何度も過ぎ、ようやく階段を見つけてそこを駆け下り、中心に円柱があるエントランスも通り抜け、三人は恐らく最後に研究施設を飛び出した。しかしその時、ハミルの足は既に限界を超えていた。外に出るとともに、ハミルはちょっとした段差に躓いて大袈裟にこけた。
「はぁはぁ、後ちょっとだってのに……」
立ち上がろうとするのだが、何故だか腕にも力が入らない。ダメだ……。このままここで……。ハミルは自分の命を諦めて、エミリーだけでもユートに任せようとした時。
――洋服をガッと掴まれ、そしてそのまま宙に持ち上げられると、何かモフモフしたところへ乗せられ、そしてそれが激しい振動を帯びてどんどん研究施設から遠ざかって行く。何が何だか理解できないが、どうにか命拾いしたらしい。ハミルがそんなことを思っていると、間もなく視界にはフューチャー号が映った。すると激しい振動は収まり、船の前で完全に停止した。
「まさか本当に脱出できるとはな」
そんな声が聞こえた。
「みんなは……」
「全員無事ですよ。今降ろしますね」
声が聞こえるとすぐ、再び背中を掴まれてハミルは地面に下ろされた。そこでようやくハミルを運んでくれた正体が分かった。それはハミルが口約束を交わした人体実験をされた男性であった。その他にも人体実験によって人の体を失ってしまった者たちが、エミリーとユートを助けてくれたようで、見える限り、数十人の被験者たちがハミルたちを助けてくれたらしい。
「ありがとうございます」
「何言ってるんですか。それは僕たちのセリフですよ。ほら、そろそろ野望が打ち砕かれる時ですよ」
ハミルを救ってくれた男性はそう言うと、研究施設の方を指さした。
――研究施設の方を見ると、激しい爆音、それに伴った地震、そして何もかもを無に帰す真っ赤な炎、それを包み込む黒煙が上がっていた。
「我々は、どこかひっそりと暮らせるような星を探そうと思います。まずは人の形を留めることが出来た人に星を探してもらい、それから僕たち半獣の者たちを迎えに来てもらって……。すみません、命の恩人に変な話をしてしまって」
「良いんです。続きを聞かせてください」
……その後ハミル、ユート、エミリーの体力が回復するまで彼らが辺りを警備してくれた。形は失ったものの、命という未来を守られた彼らの話を聞いていると、ハミルは言い知れぬ充足感で満たされた。生きることの素晴らしさ。未来があるという素晴らしさ。それを空想できる素晴らしさ。それらを胸いっぱいに感じながら、ハミルたちは数時間の休息を経て、ブラーグ星を旅立った。
……それから数週間が流れた。エリアノースで大規模な爆発があった。というニュースはすぐに全世界に発信されたものの、そこで何が行われていたか。なぜ爆発したのか。首謀者であるルットの行方等。それらは報道されず仕舞いで、どこか不満の残る事件となった。しかしその数日後、研究所に届いた男性からの手紙を読み、今はエリアウエストでひっそりと暮らしていることを知ったハミルは、彼らの幸福を祈る一方、第二の被害が起きないためにも、まだ奴が捕まっていないのなら情報が入り次第奴を、ルットを絶対に捕まえる覚悟を決めたのであった。
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