第23話 犠牲と大義

 ただひたすらに歩き続けるユートの背中を見続けながら、エミリーもただひたすらに歩き続けていた。どこへ行くのかも、何か目的があるのかも、エミリーには何一つ分からない。ユートが口を利けたなら、どれだけ楽だっただろうか。そんなことを思いながら、寡黙な背中を眺めた。

 どうしたことか、通路は無駄に明るく広いが、ここまで誰一人としてすれ違う人がいない。研究時間外なのだろうか。それとも偶然この階にいるのが自分たちだけなのだろうか。何て言う小さな疑念の一つ一つが、エミリーの心中にも不安の影を生み始めていた。

 通路の左右には等間隔で自動ドアが設置されていた。それらの横には絶対カードリーダーが併設されており、カードが無くては入れないようだ。もしかしたら更に特別な設定が施されており、一部の人間しか入れないかもしれない。そのドアの先が研究員の仮眠室なのか、それとも研究室なのか、そんなことはどうでも良いことなのだが、ただ歩き続けているだけのエミリーは暇を持て余してそんな妄想を脳内で繰り広げていた。

 次第に通路は緩やかに曲がり始めた。緩く右に曲がっているようで、この感じからするともしかしたら円を描くように通路が伸びており、ハミルが分断された右の通路と繋がっているように感じられた。つまりはこのまま互いに道なりに進み続ければ、いずれは合流できるのではないか。とエミリーは楽観的に現状を分析していた。

 右カーブが終り、通路が再び直進に戻ったと思った瞬間、エミリーの分析を破綻させるが如くその突き当りには大きな自動ドアが待っていた。この様子だとハミルが今いる右の通路とは繋がっていないかもしれない。そんなことを考えている間に、二人はドアの前にたどり着いて立ち止まった。

 目の前の自動ドアの横にもカードリーダーが設置されており、エミリーはそれを確認するとユートより少し前に立って自分の首に下がっているネームホルダーから職員証を取り出し、カードを差し込んだ。認証の数秒を待つと、ドアは自動で開いた。それと共にユートは何の躊躇も無く再び歩き出し、まだ暗い部屋の中に進んでいく。あまり入る気は起きなかったが、縄を握っている限りそんなことも言っていられず、エミリーも嫌々ながら暗闇の中に身を投じる。

 ハミルと別れた四角形の部屋とは違い人感センサーなどが無いようで、二人が入室したにも関わらず部屋の明かりは点灯しない。そのせいかエミリーは足元を気にして早く歩くことが出来ず、そればかりか、右手に掴んでいる縄がスルスルと掌の中を滑って行く感覚ばかりが鋭敏に感じ取れ、エミリーがはぐれまいと縄を強く握ろうとした時にはすでに遅く、縄は右手から離れて行ってしまった。


「ちょっと、ごめん、縄を放しちゃったんだけど。ねぇ、言葉は分かるのよね?」


 エミリーは暗闇の中でユートに向かって語り掛けた。言葉が分かれば歩み寄ってくれるとエミリーは思い込んでいたのだが、返事も無ければユートの足音も聞こえない。暗闇で視覚が使い物にならない分、多少は聴覚が鋭くなっているはずだとエミリーは耳を澄ますのだが、何一つ物音が聞こえてこない。


「ねぇ、ちょっと……」


 エミリーは恐る恐る声を出した。予想通り返事は無いが、気を紛らわすためにその後も何度かユートに声をかけながら、両手を精一杯伸ばして何か手掛かりを探ろうとする。しかし触覚を刺激するものは何もなく、エミリーは恐怖心を何とか抑え込んで小さな一歩を刻んでいく。


「じょ、冗談ならやめて欲しいんだけど……」


 そう言いながら踏み出した一歩が何かを踏んだ。エミリーは驚きの余り声を漏らしそうになったが、それよりも早く身を退けなくてはとバックステップを踏んだ。

 ――すると背中の全面に鈍い感覚があった。何かにはじき返されたような、そんな感覚がエミリーを襲い、思わず前方に数歩進んだ。

 何が何だか、何一つ理解できずエミリーが困惑していると、それを哀れに思ったのか、唐突に部屋の明かりが点灯した。すると今起こっていることがすべて理解できた。エミリーは透明な筒状のガラスに包み込まれており、どんなに叩こうがガラスは割れる気配がない。


「何なのよこれ! 出しなさい!」


 無駄だと分かっていようと、エミリーはガラスを叩き続けた。


「はぁはぁ、ダメよ、冷静にならなきゃ……」


 一度深呼吸をして、エミリーは辺りを見回した。ガラスは床から天井まで伸びており、隙間なくエミリーを包み込んでいる。唯一穴があるとしても、天井に存在する空気穴くらいであった。その次に部屋を見回し、ユートの生存を確認しようとする。しかしユートはどこにもおらず、エミリーはもう一度深呼吸をした。

 思考を巡らせたエミリーは、ハミルに連絡をしようとハンズフリーを起動させたのだが、電波妨害があるようで通話をすることが出来ず、次の一手を考えている時だった。エミリーが入ってきたのとは反対側にあるもう一つの自動ドアが開き、そしてその向こう側からは白衣を身に纏った二人の男性と、ユートが現れた。


「どういう、ことなの……?」


 エミリーはガラス越しにそう問うが、それに対しユートが答えることは無く、無慈悲にも空気穴から催眠ガスを吹き込まれ、エミリーは静かな眠りについた。


 ――そのころハミルは二人と合流するために通路を速足に通り抜けようとしていたのだが、そんなときに限って通路には研究員たちがごった返しており、上手く間をすり抜けようとも再び人間の壁が立ちふさがり、なかなか前進できずにいた。


「ちくしょう。なんで今になって……」


 どこから湧き出たか定かではないが、急にハミルの行く手を阻むように現れた研究員の人々に嘆きの声を漏らしながらハミルは先を急ぐ。

 急ぐのは良いのだが、正直この通路に従って走っているだけで二人と合流できる予感は全くしてこない。どこかで左へ……。いや、右へ……。とにかく真っすぐ道なりに進んでいるだけではダメなような気がしてならない。

 白い人波をかき分け、ある程度進んだところでハミルは止まることを決意した。少しでも開けている場所を選択し、ハミルはそこまで走り抜けると立ち止まった。大海原の孤島にたどり着いたような、妙な孤独感がハミルを襲う。ひとまずハンズフリーを起動して、エミリーと連絡を取ろうとするのだが、彼女と繋がることは無く、ハミルは右手を下ろした。そして今になって現れた大群を見て、やはり何かがおかしいとハミルは目を凝らし始めた。

 通路の中心に立ち止まっていようと、誰一人としてハミルに話しかけようとはしない。それどころか、耳を澄ませてみてようやく分かったのだが、周りの研究員たちは一切会話をしていなかった。なので追撃を受けるように、たった今ハミルがいる通路がずーっと無音だったことにようやく気が付いた。そしてその静けさからもう一点の疑問が浮かんだ。それは、『ここには本当に人間が存在するのか?』という事であった。ハミルは恐る恐る、自分に一番近い人に向かって手を伸ばした。

 ――ハミルの右手は、明らかに人体を通り抜けて通路の壁に触れた。ゆっくりと右手を引き戻し、今度は目の前の研究員をなぎ倒すように右手を横に振った。すると右手は綺麗に弧を描き、テニスラケットを振り切ったように自分の左腕付近に戻ってきた。


「こ、これは……ホログラム?」


 ハミルは目の前に立っている研究員のホログラムを見ながら、愕然と呟いた。そうして辺りを軽く見回すと、天井の所々に監視カメラのような小型プロジェクターが設置されており、そこからホログラムが生成されていることが分かった。天井のライトが無駄に明るかったのは、この小型プロジェクターを少しでも発見しづらくするための仕掛けだったらしいとハミルは思った。

 既に通路の中ほどまで進んできていたハミルは、前後を見交わして小さなため息をついた。そしてそれと同時にこのホログラムたちがこの通路を抜け出す鍵を握っていることも確信していた。


「はぁ、しらみつぶしに行くしか無いか」


 ハミルは自らを鼓舞すると、手掛かりを探すために再び通路を歩き始めた。

 パッと見た限り、ホログラムたちは全員壁際に立っており、やはり手掛かりは壁のどこかにあり、それをこのホログラムたちで隠しているのだとハミルは考えながら、ホログラムを突き抜けて両手で壁を調べ始める。

 ……ホログラムの仕組みに気が付いてから数分が経った。手掛かりが見つかる気配は全く無く、このままでは埒が明かないと思ったハミルは、この通路をよく観察して怪しい場所を調べて行こう。という作戦に切り替えた。

 探してみると案外単純で、通路は非常シャッターごとに区分されており、その区分ごとのホログラムの人数が十二人で固定されているのだが、一か所だけ十一人の区分が存在しており、ハミルは何となくその足りない一人分を補ってみることにした。足りない一人と同じ体勢で、同じ場所で。

 ――数秒待つと通路に蔓延っていた大量のホログラムが一斉に消えた。通路は急に寂然とした。しかしそれも一瞬で、ハミルのすぐ右横にある壁が静かに開いた。早く通らなければ閉まってしまうような気がしたハミルは、開き切ったのとほとんど同時に薄暗闇に入り込んだ。

 幾分かショートカット出来ただろうか。ハミルがそんなことを考えながら仄暗い室内を、目を凝らして見回していると、右方の壁がぼんやりと白んだ。壁そのものがスクリーンになっているようで、恐らくこの研究施設のどこかだと思われる一室が映し出されている。


「あ、あぁー。あぁー。映っているかね?」


 スピーカーは天井に内蔵されているようで、立体的な音声が狭い部屋に満ちた。ハミルはそれを鬱陶しがりながらも、しっかりとスクリーンの方を向いて映像の進展を待った。


「ん? あぁ、そうか。よし、じゃあ撮るとしようか」


 今喋っている男の他にも数名いるようだが、音声が乗らないように手話で受け答えをしているらしい。映像と音声の確認が取れたようで、男はそう言うと後ろで手を組みながらカメラの前に悠々と現れた。その人物とは、地球まで依頼をしに来たルット本人であった。


「ごほんっ。見えているだろう、お助け屋のハミルくん」


 おそらく地球に来る前に取られた映像からは、ハッキリとハミルの名が聞かれた。ハミルはそれに驚くが、映像は止まらない。


「この際なぜ私が君の名前を知っているかは置いておくとしよう。察しが良い君には分かるはずだ。それで、本題なのだが……」


 スクリーンに映し出されているルットはそう言うと、左手に持っているバインダーを自分の正面に持ってきて、何枚かの紙をめくり、そして再びカメラに目線を向けた。


「ふむふむ、ここに来たという事は、私の計画は順調なようだね。えーっとそれで、そうかそうか、つまりこういう事か、ごほんっ。えぇー、君の相棒であるユート君の体と、エンジニアのエミリー君の身柄は確保させてもらったよ。勿論、私の計画通りにいっていたらの話だが……。まぁ、成功する確率はほとんど百パーセントだと私の脳が算出しているから、君は今、孤独と焦りに追われているはずだ」


 手元のバインダーをペラペラとめくったり戻したりしながら、何度かカメラに視線を預け、居丈高な口調でハミルを挑発してくる。


「とまぁ前座はここら辺にして、本題に入ろうか。単刀直入に言うと、マインドシェアとそれを扱えるユート君が欲しいのだよ。私はマインドシェアという有意義な研究を、無益な人助けに使うのではなく、有益な人類の進化に生かしたいのだよ。分かるかね? 君たちが直接手を下して助けなくとも、私の研究が成功すれば全員が同じ思考を持って、同じ未来を想像することが出来る。つまり平和が訪れるのだよ。それにはちょっとした犠牲も厭わない。それが科学だ。犠牲失くして大義無し。という事だ。……ごほん、私からは以上だ。この先で君を待っているよ。君の答えがイエスだと信じてね」


 ルットがそう言うと、動画は停止した。するとそれと同時に部屋が明るみ、向かい側にある鉄扉が自動で開いた。ハミルを誘っているようである。


「ふざけやがって、絶対に好き勝手させないからな。待ってろよユート、エミリー……!」


 ハミルはスクリーンに睨みを利かせながらそう呟くと、かかって来いと言わんばかりに口を開けている鉄扉に向かって歩き始めた。

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