第22話 クライアントの策略

 正面入り口から魔窟内に潜入すると、白く鈍重な鉄の扉はその堅固さからは想像もできないほどスムーズに、そして静かに閉まった。扉が閉まり切ると、魔窟内の閑散とした空気が三人を飲み込んだ。一歩でも踏み出せば、その靴音が反響に反響を重ね、内部の真核で監視を務めている男が赤い警報ボタンを押し、忽ちにハミルたちの侵入がバレてしまうかのように思われた。

 しかしそれでもハミルは進まなけらばならなかった。変な緊張感を抱きながらも、違和を感じ取られぬように堂々とした一歩を踏み出した。カツン。と小さな足音がハミルの周囲に広がり、水面に浮かぶ小さな波紋のように静かに消えて行った。警報もならない、警備員も駆け付けてこない。ハミルたち三人は今、完全に研究員と実験台に成りすますことが出来たのであった。


「行こう」


 あたかも部下に命令するように、ハミルはエミリーに向かってそう言った。それを承知しているエミリーは小さく頷き、ユートに歩くよう指示を出した。

 廊下は上下左右、壁、天井、床、全てが真っ白で、天井に等間隔で埋め込まれているライトが壁や床に反射し、四方八方どこを見ようとも白い光が瞳を射た。まるで光の筒の中を歩いているようで、その光に負けじと目を細めると、自然とハミルの顔は不機嫌な上司の顔に成り変っていた。

 そうして少し廊下を行くと、開けた場所に出た。そこはロータリー状になっており、中心部に建つ巨大な円柱を軸に廊下は緩いカーブを描いて左右に続いていた。そそり立つ円柱を見上げると、その先はどこまでもどこまでも上に向かって伸びていた。

 ハミルとエミリーは物珍し気にその円柱を見上げたが、ハッと我に返り、すぐ一研究員に戻り、再び歩き出した。

 この場所はちょっとした中継地点になっているようで、ハミルたちが出てきた廊下以外にも十本近い廊下が存在しているようであった。別の廊下から出てきた研究員が別の廊下へ消えて行ったり、別々の廊下から現れた研究員同士が喋りながら円柱近くで会話を始めたり。と、人の出入りが激しい場所のようであった。そんな廊下だらけの中、三人が歩いてきた廊下の丁度円柱を挟んだ向こう側には階段が存在していた。他の廊下から出てきた研究員はその階段へ向かう傾向が多いことから、恐らくこのロータリーに存在している廊下は全て外に通じており、唯一存在している階段が研究施設の奥に繋がっているのではないかとハミルは推察した。その旨を不審がられないようエミリーに告げ、三人は白い波に紛れながら奥の階段を目指した。

 階段へたどり着く最中、何度か顔を見られることはあったが呼び止められることは一切無く、危なげなく三人は階段を上り始める。しかしここまでスムーズに進めるとなると何だか内心不安が大きくなりつつあるハミルであったが、そんな不安は押しのけて研究施設の奥へ進まなければならない。どんな困難が待ち受けていようと、エリアノースでの人体実験を止めなければならない。という使命感に、ハミルは支配されていた。

 階段はそれほど長く無く、上り切ると先ほどの白く明るい世界から一転して、暗く小さな光だけが頼りになるような暗澹たる廊下に変わった。雰囲気に気圧され、ハミルとエミリーは少し怖気づいた。しかし実験台であるユートが全く動じていない様を見て、二人は襟を正した。

 廊下は三人を誘っているかのように真っすぐ続いていた。先ほどまで天井に付いていたライトは床に移動しており、下からぼんやりと行進者を照らす薄明りが更に恐怖感を募らせた。

 暗い廊下は見通しが悪く、つい先ほどまで前を向いて歩いていたハミルも今となっては床に埋め込まれている明かりを頼りに歩を進めていた。そう言えば、自分たちより先に階段を上がって行った研究員たちはどこへ行ったのだろうか……? ハミルがそんなことを考えていると、右耳に装着していたハンズフリーが着信音を奏でた。


「なんだ?」


 ハミルは左手を軽く上げ、ユートとエミリーに止まるよう指示を出した。そうしながら空いている右手を右耳に装着しているハンズフリーへ持っていき、応答するためにボタンを押した。


「はい、ハミルです」

【大変じゃ、クライアントが脱走しよった!】

「クライアントが?」


 ハミルはちらりとユートの方を見てから、二人から少し距離を取った。


【そうなんじゃ。どうやら寝たふりをしておったようで、わしが少し席を外した瞬間に消えてしもうた】

「やつの目的は? ユートはどうなるんです?」

【まだなにも分かっておらん。ユートに関しては、マインドシェアが続いている限り、クライアントが自ら気絶したらユートの身体が乗っ取られる可能性はある】

「……分かりました。注意しておきます」

【クライアントの目的が分かり次第連絡を入れる】


 大喜多はそう言うと、ルットの目的を探るために通話を終了した。ハミルはハンズフリーのボタンを押してスリープモードにすると、二人のもとへ戻った。


「待たせたな」

「ううん、大丈夫。で、じいさんはなんて?」

「今は言えない」

「は? どゆこと?」

「とにかく、今は言えないんだ」


 既にユートの身体が乗っ取られていることを危惧して、ハミルはエミリーに通話の内容を教えることを控えた。エミリーは口を窄めて仏頂面だが、ハミルの口調からして何か考えがあるのだと理解して深い言及をしようとはしない。

 そうして三人は再び歩き始めるのだが、今しがたの通話のせいでハミルの心中に潜んでいた不安の苗はしっかり育っており、ハミルは研究員としての毅然とした態度を保つことが出来ず、背後を歩くユートから、ユートではない誰かの気配を感じざるを得なかった。奴は、ルットは確かに背後を歩いている。しかしその外皮はユートである。ハミルは今になって感じていた。背中を誰かに任せるという恐怖を。

 しばらく俯き加減に歩き続けていると、頼りにしていた床のライトが無くなった。ハミルはそれに合わせて歩を止め、久方振りに前方を見た。真っ暗闇が広がっており、視認できるものは何一つない。ハミルは最後の床ライトの上に立ち止まったまま、エミリーに明かりが無いか尋ねようと思って振り返ろうとした。するとその瞬間、急に列が詰まり、ブレーキを掛けられなかった人のように背後を歩いていたユートがハミルにぶつかった。その衝撃でハミルは最後の床ライトから一歩前へ進み、暗闇の中に放り込まれた。

 ――ハミルが事故によって暗闇へ飛び込んだ瞬間、人感センサーか何かが反応したようで、先ほどまで暗闇だった辺りに光が生まれた。まるでスポットライトが当たったのではないかと思えるほど、明かりは強かった。

 体勢を崩していたハミルは急な明かりに脅威を感じ、すぐに辺りを見回した。しかし辺りに脅威など無く、ただ白い壁が四方を囲んでおり、その四方の一つずつに道が繋がっており、そしてその一つにユートとエミリーが立っていた。


「大丈夫?」


 ユートの陰から姿を現したエミリーがそう言った。


「あぁ、うん、大丈夫」


 ハミルはどこか拍子抜けしながら、平然を装って白衣をはたいて見せた。


「どこに進もうか」


 そんなハミルをよそに、明るくなった四角形の部屋に踏み入ってきたエミリーがそう言った。


「そんなこと俺に聞かれても、分かるはずないだろ」

「まぁ確かにそうよね。ねぇねぇユート、ちょっと聞いてみてよ」


 事情を知らないエミリーは、ユートの肩を揺らしながらそう言った。相変わらずユートが何かリアクションを起こすことは無く、沈黙の数秒が流れる。


「よく分からなかったら、紙に書いてくれても良いんだぞ?」


 ハミルがそう聞いたが、それでもユートは動こうとしない。それを見たハミルとエミリーは顔を見合わせ、エミリーは肩をすくめた。

 二人がそんなアイコンタクトを交わしていると、ユートがゆっくりと動き始めた。


「お、なんか聞き出せたのかな?」


 エミリーはそう言うと、手錠に繋がっている縄をしっかりと握りしめ、まるで犬を散歩するかのようにユートを先行させて自分は後に続いて行った。ユートがどの道に行くか分からないハミルはエミリーの後に続いて最後尾を歩いた。

 ユートは中央を数歩彷徨った後、ハミル達が来た道から見て右側の通路に向かって歩き始めた。


「こっちが行き先なんだな」


 ハミルはそう呟くと、少し歩を速めてユートよりも先を歩いた。そして後方の二人をしっかりと確認しながら右側の通路に突入した瞬間、ビー。と言う機械音が鳴った。何かに察知されたのかと思ったハミルはすぐに引き返そうとしたのだが、それよりも早く、非常用シャッターがハミルと二人を分断した。


「クソ、これはまずいぞ」


 シャッターはピシャリと隙間なく綺麗に下りており、指を滑り込ませる余地もない。ハミルは勢いよくシャッターを叩き、向こう側にいるエミリーに呼びかける。


「おいエミリー! 大丈夫か!?」


 ……。エミリーからの返事は無く、シャッターが揺れた際に聞こえたガシャガシャという音だけが耳に残っていた。


「クソ! ユートの身体はもう乗っ取られちまったのか? それとも単純にこのシャッターが分厚くて声が通ってないのか?」


 ハミルは焦りながらも、左手を顎に添え、考えられる可能性を脳内にいくつも浮かべてみた。しかしどんな可能性を考えつこうとも、今は行動するべきであると結論付けた。


「そうだ、まずはエミリーに連絡を取ってみよう」


 ハミルがそう思い立って通話を開始しようとした時、スリープ状態だったハンズフリーが自動的に起動し、そして着信音が鳴った。ハミルは右耳に持ってきていた右手でそのまま通話に応対した。


「もしもし?」

【分かったぞ! 奴の狙いが!】


 通話の相手は大喜多であった。


「なんだ博士か」

【なんだとは何じゃ、奴の作戦が分かったんじゃぞ?】

「それも大事ですけど、こっちも今大変なんですよ」

【どうしたんじゃ?】

「二人とはぐれたんです」

【なんじゃと!? それはマズいぞ! 早く合流せい!】

「分かってますよ、そんなこと。とにかく移動しながら聞きますから、手短に」


 ハミルはそう言うと、シャッターから離れて白い通路を歩き始めた。あくまでも研究員を装って、少し早歩きで。


【奴の目的じゃが、手短に言えばマインドシェアじゃ】

「そんなの当たり前じゃ無いですか、マインドシェアを求めて地球に来るんですから」

【そう言うことじゃあない。マインドシェアのシステムを盗みに来たんじゃ】

「マインドシェアを盗みに?」

【そうじゃ、奴はマインドシェアのシステムを盗み、それを改良して人体実験に使おうと思うておるはずじゃ。マインドシェアを利用して、多くの人間に自分と同じ思想を植え付けようとしておるんじゃ】

「ってことは、最初から狙いはユートだったのか?」

【そういうことじゃ】

「絶対にそうはさせません」

【頼んだぞ、ハミルよ】


 大喜多の言葉を聞き受けたハミルは、通話を終了した。

 普段は慎重に考えてから行動に移すハミルだが、今回ばかりはそうも言っていられない。恐らくユートの身体は既に乗っ取られており、エミリーも危険に冒されているかもしれない。……すべてがハミルの脳によって作り上げられた憶測だが、この憶測が当たっている自信がハミルにはあった。虫の知らせと言うべきか、不幸な憶測ほど当たるものは無い。ハミルは白衣のポケットに両手を突っ込み、前傾姿勢で通路を急いだ。あたかも研究の不備の報せが忽然と通達された科学者のように。


 一方非常シャッターの向こう側では、ハミルと同じく何度かシャッターを叩き終えたエミリーがいた。


「はぁはぁ、何なのよこれ……」


 エミリーは息を切らしながら非常シャッターに寄り掛かり、ユートの方を見た。


「ちょっと、クライアントと話してみてよ。どっかに抜け道は無いの?」


 立ち尽くしているユートに向かって、エミリーは少し苛立ちの表れている口調で聞いた。当然ユートがすぐに答えるはずも無く、エミリーは気まずい沈黙の中で体力を回復に尽力した。

 シャッターに寄り掛かったまま座り込み、右手に縄を握りながら茫然としていると、微かに掌の中を滑る縄の感覚がエミリーを呼び覚ました。ユートがゆっくりと方向転換をして、その速度を保ったまま反対側の通路に向かって歩き始めたのであった。


「どうやら何か助言があったようね」


 何も知らないエミリーは、縄を握り直してユートの誘導に従って歩き始めた。

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