第21話 白き魔窟

 しばらく歩き続けると、三人は研究施設の一画に足を踏み入れたようであった。なぜすぐにそんなことが分かったかと言うと、建物がすぐ目の前にあるというのもそうなのだが、それ以上に人が歩いていることが第一であった。

 三人はバレないように建物の裏に隠れ、どうにかしてこの町の、いや、この研究施設内の住民に成りすまさねばならなかった。それと言うのも、恐らくこの施設を移動している人々は、研究員か拉致されてきた他の星の住民のみだと考えられる。なので一般的な服装である三人が急にこの施設内へ飛び出し、歩き回っていては不自然極まりない。一目見られただけで拘束されてしまうだろう。となると可能性は二択。研究員や拉致された実験体に成りすますか、誰にもバレず実験施設の核に潜り込むか。難易度を考えれば当然前者であろう。

 ユートのことを一旦エミリーに任せ、ハミル一人は建物の裏ギリギリに潜んで一人で歩いている研究員を探した。一人ずつ着実に、研究員が着ている白衣と持っている職員カードを奪おうという魂胆であった。

 ハミルは息を殺して気を伺う。今潜んでいる建物は研究施設の端の方で、人通りも多くはない。後は気絶させてすぐに引き込める範囲にさえ人が来てくれれば万々歳であった。


「さっさと歩け。そこがお前の待機小屋だ」


 おそらくこの研究施設の中央に大きな白い研究所が建っており、そこから枝分かれして伸びている雑に舗装された道を二人の研究員と一人の……。(アレは、人と形容してよいのだろうか。)一人の実験台が歩いてきた。実験台である男性を真ん中にして、その前後に研究員が一人ずつ歩いていた。一番前を歩いている男性研究員の手には手綱が握られており、その綱は実験台である男性の両手を拘束している手錠にたどり着いていた。研究員に挟まれて、窮屈そうに歩く男性の下半身は既に人の形を成しておらず、馬のような隆々とした足が伸びており、彼が一歩進むごとに蹄が地面を踏みしめて、ハイヒールが快活にコンクリートを打つような音がハミルにも聞こえた。


「ほら、着いたぞ」


 ハミルたちが隠れている建物の前に着くと、先頭を歩く男性研究員がそう言って立ち止まった。そして適当な合図を出して後方に付いて来ていたもう一人の女性研究員を中央の白い研究所に帰し、建物の入り口付近に立ててあるポストのようなものの前に立ってそれを弄り始めた。

 その研究員らの声と足音を聞いたハミルは忍び足で入り口近くの角に張り付いた。そうしてそっと陰から顔を覗かせると、研究員の男性はポストのような、タッチパッド式のキーパッドを操作して建物の施錠を解いた。


「入れ。また明日に生体検査をする」


 研究員はそう言いながら実験台である男性の腕を無理矢理引っ張り、建物の中へ放り込んだ。実験台が建物内に入ったことを確認すると、研究員は再びタッチパッドを操作してドアをロックする。そして立ち去ろうとした瞬間、ようやく一人きりになった研究員はハミルに背を向けた。このチャンスを逃すまいとハミルは飛び出し、護衛用に鞄に潜ませていたスタンガンを使って研究員を気絶させた。ハミルは気絶した研究員をしっかりと受け止め、ズルズルと引きずって建物の裏に戻った。


「ようやく一人だ」


 ハミルがそう言いながら建物の裏に戻ると、ユートとエミリーがすぐにハミルの方を見た。


「流石にこんな端っこじゃ効率悪いわね」

「あぁ、そうみたいだ。でもとりあえず一着手に入れたから、まずは俺がこれを着て、一人ずつ連れてくるよ」

「分かったわ。ヘマしないでよ?」

「任せとけ」


 ハミルはそう言いながら研究員の服を剥ぎ、必要そうな道具を全て白衣のポケットにしまうと引きずってきた研究員を縛った。


「よし、じゃあ行って来る」


 身なりをエミリーに確認してもらい、落ち度が無いことを確認するとハミルは堂々と施設内の道を歩き始めた。そう言えば、さっき後ろを歩いていた研究員は女性だったな。ハミルはそんなことを思い出しながら、少し歩く速度を上げて中央に聳え立つ白い巨塔へ急いだ。正確には、その白い巨塔へたどり着く前にあの女を呼び止めなければならなかったのだ。

 もうほとんど駆け足になったハミルは、ようやくその視界に女性研究員を捉えた。ハミルは喉を鳴らし、先ほど聞いた男性研究員の声を脳に浮かべながら声をかける。


「おい、ちょっと来てくれ」

「はい? どうかしましたか?」

「やつの様子がおかしいんだ」

「……無理をさせ過ぎたんですかね」

「分からん、とにかく一人では手に負えんのだ」

「そうですか……。ま、たまには頼られるのも悪く無いですね」


 先ほどの男性研究員の方が先輩で、こちらの女性が後輩なのだろうか。彼女の口調からそんなことを推察しながら、ハミルはあまり顔を見られないようにすぐ踵を返して先ほどまでいた建物まで戻る。研究員らしく、駆け足では無く憤っているような早歩きで。

 そうしてなんとか女性研究員を建物まで連れてくると、そこからは簡単な作業であった。


「様子を見てみろ」


 ハミルは少し強い語調でそう言うと、女性研究員を入り口へ促した。若干不服そうな表情を浮かべつつも、上司の命令にはしっかりと従うタイプの人間のようで、彼女は難無くハミルに背中を向けた。そのあとは風が流れるように、人間が酸素を吸って二酸化炭素を吐くような当然さで、女性研究員を気絶させて建物の裏へ引きずって行くのであった。


「ちゃんと女を選んでくれたのね」


 エミリーはそう言いながら女性研究員の衣服を剥ぎ取って、その衣服を身に纏った。


「たまたまこいつと行動を共にしてたから選んだだけだよ」

「ふーん」

「何でニヤニヤしてんだよ」

「いや、別に~」


 エミリーはニヤニヤしながら身支度を終えると、ユートの方を見た。


「彼はどうするの?」

「ユートは新しい実験台として入ってもらおうかなって」

「はぁ? 正気? 危ないじゃない」

「そうだけどさ、どうもこの研究施設、ツーマンセルで行動してるみたいなんだよ。だから三人じゃ都合が悪いんだ」

「うーん……それなら仕方ないのかな……」


 エミリーは沈黙の間に他の方法を探ったが、該当する案が浮かぶことは無く、渋々ハミルの提案を呑むことにした。


「悪いな、ユート。危険な役回りにさせちまって」


 ハミルがそう言うと、ユートはゆっくりと首を横に振った。一往復だけだが、確かにハミルの言葉に行動を返した瞬間であった。


「へへ。徐々に徐々に。だな」


 試しにそう言いながら笑顔をして見せるが、流石につられ笑いはしなかった。

 ユートの同意も得られたので、準備を終えた三人は表通りに出ようとする。しかしその時、三人ではない誰かの声が聞こえ、三人の足を止めた。


「出してくれ! そこに誰かいるんだろ!?」


 声はドーム状の白い建物の分厚い壁に遮られ、薄っすらとしか聞こえない。恐らく声の主は先ほどこのドームに隔離された半獣の男性であろう。今回のような気まずい空気が流れると、エミリーは決まってハミルの顔色を伺った。明るく振舞っているのは処世術と言うだけで、きっと彼女の本質は臆病で寂しがり屋な兎なのだ。ハミルはそんなことを思いながら、白い外壁にそっと触れた。


「はい、確かにここにいます」


 ハミルは正直に答えた。そして続ける。


「あなたもそうですが、俺はここに隔離されている人々全員を助けたいと思っています」

「……本気で言ってるのか?」

「はい。こんな実験、今すぐ止めなくてはいけません」

「そうか、信じて良いんだな?」

「はい、今すぐあなたを解放することは出来ませんが、救出することを約束します」


 ハミルはそう言い終えると、外壁から手を放して歩き始める。


「この白い地獄から俺たちを解き放ってくれ……!」


 微かに聞こえてくる男性の魂の叫びを背に受けながら、ハミルはユートとエミリーが待っている表通りに向かった。


「なんて?」


 ハミルが合流するや否や、エミリーはそう言った。そそくさと表通りに逃げてしまった自分を恥じているのか、単純に実験台の男性との会話に興味を持ったのか、その真意は定かではないが、ハミルは真摯に答えることにした。


「ここから出たいって言う懇願を聞いてたのさ。この白い地獄から脱出したいって」

「白い地獄……ね。白は正義の色だと思っていたけど、そんなことは無かったのね」

「光が闇を生む原理と一緒さ」


 ハミルは簡単にそう言うと、白衣のポケットから手錠を取り出し、ユートの両手を拘束した。そして手錠から伸びる手綱を握り、ゆっくりと歩き始めた。

 先頭をハミルにし、ユート、エミリーと続き、三人は中央の白い巨塔を目指した。中央へ続く道の両端には、半獣の男性が捕らわれているのと全く同じ白い小型ドームの隔離小屋がずーっと続いていた。「ここから出してくれ!」と威勢よく入り口のドアを叩く者もいれば、全く人気が無く、もはや生命の気配すら感じさせない小屋もあった。しかしハミルたちが身を隠していた小屋が最も奥に位置しており、わざわざあそこまで実験台を連れてくるという事は、そこまでの中途、空いている小屋が無いことを暗示しているように思えるので、きっともう脱出の希望を見ようともしていない者が点々と隔離されているのだろう。それに加えて決定的なのは、どの隔離小屋も入り口付近に設置されているタッチパッドの画面に「ロック中」と表示されていることである。つまり中に誰かがいるという事であった。

 ハミルとエミリーは中央の巨大施設に到着するまでに、誰にも見つからないことを祈っていた。平然と表の舗装された道を歩いてはいるものの、正体がバレた瞬間に三人が実験台にされること、またはすぐに殺されることは目に見えていた。なのでハミルとエミリーは怪しまれない程度に首を振り、辺りを警戒しながら真っすぐ進み続けた。その間、隔離小屋のロック中の表示が目に入る度、ハミルは心臓を鷲掴みにされているような息苦しさを感じていた。俺の故郷でこんなことが行われているなんて……。と。

 ハミルとエミリーは白衣を纏ったことで、まるで研究員の心までもが憑りついてしまったかのように黙り込んだ。元々喋ることが出来ないユートは従順な実験台そのままに見え、今表通りを歩く三人は、この数分で完璧な研究員と実験台の関係性を築き上げていた。そして三人は、白い巨塔が作り出した微かな黒い影の中へ踏み入り、目の前に立ち塞がる悪魔の住処を見上げた。


「準備はいいか?」

「えぇ、私は大丈夫」

「行くぞ、ユート」


 ハミルはそう言いながら、背後に立つユートの顔色を伺った。呼吸も乱れておらず、眉をピクリとも動かさず、そして当然答えることも無く、真っすぐな瞳でハミルを見据えていた。その瞳を見て、ハミルは小さく頷いて見せた。

 二人の答えを見聞きしたハミルは、生唾を飲み込んでから巨塔の入り口付近に設置されているタッチパッドの前に移動した。指紋認証があるかどうか疑い、まずは手袋をはめてからタッチパッドに触れる。すると画面がぼんやりと明るみ、「ロック中」の文字が表示された。ここからどうすべきかとタッチパッドをよく観察すると、右端にカードリーダーのようなものが付いているのを認めた。ハミルは研究員から奪ったネームホルダーから社員証を取り出し、そこへ差し込んだ。

 ……ピッ。と言う電子音が数秒の後に鳴った。そして今まで閉ざされていた白い巨塔の内部へ続く厚い鉄扉が開かれた。


「行くのよね?」


 背後に立つエミリーがそう聞いた。


「あぁ、簡単なことさ、侵入者を発見したとか何とか言えば誤魔化せる」

「そんな憶測で大丈夫なの?」

「大丈夫だ。だって俺たちは、行き当たりばったりであの大監獄から脱出したんだからな」


 そう言いながらエミリーを安心させるためだけに作られた短い微笑を浮かべて見せ、すぐ後に白い巨塔へ向き直ったハミルは、冷徹な科学者の顔を作り上げ、大きく開かれた魔界へ続く鉄扉を通り抜けて行った。

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