第20話 隠された小惑星

 宇宙に飛び出したフューチャー号は、エリアノースに向かうため地球から北上している途中であった。ユートは相変わらず静かに座っているだけであるが、前に比べると首を動かして周りの物を観察しているようにも思える。断定することは出来ないが、ハミルにはそう思えていた。そんなユートとは正反対に、エミリーは今にも嘔吐しそうな勢いであった。どうやら久しぶりの宇宙空間に慣れないようで、時折言葉にならない叫び声を上げる以外は、ラウンド間の休憩を取っているボクサーの様にグロッキーな表情をしたまま俯いていた。


「大丈夫か?」

「う、うん……。だいじぶ……」


 流石に船内で吐かれるのは嫌だったので、こうしてハミルはエミリーを気遣って声をかけた。途中何度か他の星に降りようとも提案したのだが、大丈夫、直ぐに慣れる。の一点張りで、ハミルはその言葉を信じて直進し続けた。

 しばらく宇宙空間を旅していると、前方で飛び交う数機の宇宙船を視認した。この流通の良さは恐らく、エリアノースに突入したことを示していた。エリアノース出身のハミルはあまり使われていない裏ルートを把握しており、ひとまずその裏ルートに侵入して、ここからどうやってブラーグ星に行くのかをナビで調べ始める。


「め、珍しく下調べしてないのね……」


 船が一時制止していることもあり、エミリーはそう言いながらよろよろとハミルが座っている操縦席に歩み寄ってきた。


「あ、うん。エリアノースのことは大体分かるから行けるかなと思ってたんだけど、思ったより運搬船の行き来が激しくてな。それに、ブラーグ星って初めて聞いたからさ……」


 受け答えをしながら、ハミルはナビのモニターをタッチ操作し、今停船している場所からブラーグ星までの一番目立たないルートを模索する。


「ふぅ、少し落ち着いてきたわ」


 エミリーはそう言いながら助手席に座り、背もたれに全身を預けた。


「壊すんじゃ無いぞ。古い船なんだから」

「分かってるわよ。そんながさつに扱わないって」


 船の天井を仰ぎながら、エミリーはそう言った。


「と、見つかった。このルートで行くか」


 そんな独り言を漏らしながら、ナビを設定して操縦席に座り直す。


「おい、もう動くけど平気か?」

「うーん、だいじょぶー」


 エミリーは尚も天井を仰ぎながら、口をポカーンとアホっぽく開きながらそう言った。ハミルは小さくため息を吐き、再びフューチャー号を飛ばす。

 その後裏ルートを駆使してブラーグ星を目指すのだが、その途中で何度か密輸船と遭遇し、そのたびに停船してやり過ごた。例え密輸船に発見されたところで同じようなことをしている向こうも通報はしないと思うのだが、念には念を入れて。という事で、少し予定より時間はかかったが、ようやっとフロントガラスの向こう側にブラーグ星を捉えた。


「ようやく見えてきたな」

「も、もう着くの……?」


 早く新鮮な酸素を吸いたいようで、エミリーは呆然としながら、無意識の中に彷徨いながら声を出しているようであった。


「ユート、もう着くからな」


 隣で唸っているエミリーは無視して、後部座席に座っているユートに向かってハミルはそう言った。ユートがそれに反応することは無かったが、ちゃんと言葉を理解していると言う事を知っているハミルは何も気にすることなくブラーグ星に向かって行った。


「ちょ、ちょっと……。飛ばしてない?」

「うん? そうか?」


 エミリーに対して雑な返事をしながらも、確かにフューチャー号は先ほどよりも加速していた。なぜならそんな悠長に裏ルートを飛んでいるわけにもいかなかったからである。かつてエリアノースに住んでいたころ、定期的に不正星間飛行をしていないか取り締まる機関があるとハミルは聞いたことがあったからである。実のところ裏ルートから、それにステルスモードでブラーグ星に突入すれば何の不備も無いのだが、突入する前に見つかってしまっては元も子もないという事で、ハミルは若干の焦りを感じながらフューチャー号を加速させていたのである。

 宇宙船はそのまま密航を続け、フューチャー号はようやくブラーグ星に到着した。大星が多いエリアノースの中では特に小さな星で、遠くから発見するには相当な苦労を強いられる。ブラーグ星の周りには、星を守ろうとしているのか何なのか理由はハッキリとしないが、なぜか浮遊している岩石が多く、酸素ドームを抜けてようやく集中していた精神を解放することが出来た。久しぶりに精緻なハンドリングを要されたハミルは、船体の全身が酸素ドームを突き抜けたことを確認するとハンドルから手を放してぐったりと背もたれに体を預けた。


「つ、着いた……?」


 助手席でもうほとんど死にかけていたエミリーが小さな声でそう言った。


「あぁ、着いたよ」


 丁度脱力しているタイミングで問いかけられたので、ハミルは脱力したまま、呟くようにそう言った。本心は、絶対に俺の方が疲れてるし、返事をするのも面倒くさい。と思っていたが、ハミルの本能的な優しさが先に口を動かしていた。

 フューチャー号はハミルの体力が回復するまでの短い時間、ブラーグ星圏内の空を徐行した。ハミルの体力が回復し次第、フューチャー号は再び意志を持って飛び出し、ブラーグ星の大地に着陸した。


「や、やっと着いた~」


 エミリーはそう言うと、水を得た魚のように生き生きと動き出し、船内に放っていた自分の鞄を荒々しく掴むとそのまま船体後部のエアステアが下りる部分で足踏みした。


「早く早く。新鮮な酸素を吸わせて!」

「はぁ、お前だけ宇宙空間に戻してやろうか?」

「私を殺す気?」

「さっきまで死にそうだっただろうが」

「さっきはさっき、今は今。さっさと深呼吸させてよね」


 これ以上は不毛だ。そう思ったハミルはエアステアを下ろした。エミリーはまだ下降中のエアステアに足を出し、滑るように階段を下って行った。そしてエアステアが地上に接すると同時にエミリーは下船した。


「ユート、着いたぞ」


 ハミルはそう言いながら操縦席を立ち、多様テーブル付近の椅子に置いていた自分のバッグを肩にかけ、そうしてそのバッグの中からサングラスと付け髭を引っ張り出し、サングラスをかけ、付け髭はバレないよう綺麗に張り付けた。


「行くぞユート」


 準備を終えたハミルはユートの前に立って肩を叩いた。しかしユートは動き出さない。


「どうしたんだ?」


 ハミルがそう問いかけると、ユートは体の向きを変えてテーブルの上に置いてあるペンを握った。そして端に置かれているメモ帳を自分の前に引っ張ってきて、スラスラと文字を書き始めた。少しするとユートはペンを置き、今文字を書いた紙をちぎってハミルに渡した。


〈場所、案内する。俺に、続け〉


 ユートが渡してきた紙片にはそう書かれていた。恐らく文字を書いたのはユートだが、この文字に宿る意思はルットのものだろう。ハミルはそんなことを考えながらユートの横顔を見た。


「分かった。無理はするなよ」


 今回に関しては、ユートの身体を制御しているのはユートである。だからこそハミルはこの言葉を選んだ。依頼人と直接的な会話を出来るのはユートのみ。今回はそういう依頼なのだ。

 少しの間が空いた後、ユートは右手でペンを持ち、左手にはメモ帳を持った。そうして徐に立ち上がるとエアステアに向かって歩き出した。ハミルに多少促されたものの、初めてユートの意志でペンとメモ帳を持ち、そして地上に向かって歩き出したのであった。ハミルはたった今見たユートの意志を後押しするように、その背中を追ってエアステアを駆け下り、ブラーグ星に降り立った。


「すぅー。はぁー。うーん、あんまり良い空気じゃ無いわね」


 先に降りていたエミリーは、大きく深呼吸をしていた。しかし結果はあまり芳しくなかったようで、すぐにムスッとした表情になってため息を吐いた。


「わり、遅くなったな」


 今の独り言に触れるのも違うような気がしたので、ハミルはたった今来たことをアピールするためにそう言った。エミリーも決してバカでは無いので恐らくこの言葉が嘘だと分かっているかもしれないが、互いに賢い二人は下らない会話を広げようとはせず合流した。


「おっそいわね~。さっさと仕事終わらせましょ」


 ハミルとユートが遅かったことに怒っているというよりかは、やはり空気が不味いのでさっさとこの星を出たいのだろう。なんてことを考えながらハミルは先ほどユートに手渡された紙片をエミリーにも見せた。


「なるほどね、分かったわ。暴走したらあんたが止めてね」

「当たり前だ。俺たちはバディだからな」


 二人がそんな会話をしている間にも、ユートは亡霊のようにゆらゆらと前進しており、ハミルはユートを見失わないようにすぐそのあとを追い、一番最後にエミリーが続いた。

 汚れた空気のせいか、どこか息苦しい雰囲気がブラーグ星には漂っていた。特に風邪を引いているということは無いのだが、ハミルとエミリーは小刻みに喉を鳴らして喉に引っかかる痰の幻影を吐き出そうと努力した。しかしいくら頑張っても現存していないものを吐き出すことは出来なので、二人の行動は徒労に終わるのであった。

 踏みしめる地面は黒土に似ているが、それよりも更に深い暗さがそれらには宿っているように感じられる。墓地と言うよりかは遺体遺棄現場のような陰鬱とした、不気味な魔力のようなものが地面から放たれており、今すぐにでも黒い土から黄褐色の腕が伸び、自分の足を掴むのではないかと言う不安にハミルは怯えていた。

 そんな黒土とは対比するように、ユートが進む先には真っ白い建物が数軒見え始め、その更に奥には看板が無くとも研究所と分かるほど、大きな白い建造物が鎮座していた。


「あそこか……?」


 ハミルはサングラスを少し上へずらし、フィルターの無い自らの瞳で白い建物の列を眺めた。確認を終えるとサングラスをかけなおし、再び歩み始める。


「なんかここ、ゴルドルみたいに殺風景な星ね~。研究所以外は何にもない。的な」


 エミリーはあからさまに嫌悪感を示しながらそう言った。


「確かに、この研究施設以外は何も無いって感じだな。……いや、逆なのかもな」

「逆って?」

「密かに研究するために、この星を選んだのかもしれない」

「……そっちの方が可能性は高そうね」


 エミリーは辺りを見回しながらそう言ったかと思うと、急に立ち止まって跪いた。


「どうしたんだ?」

「あ~、ちょっと待ってて~」


 そう言われたハミルは、先を歩いているユートの下へ駆け寄りその腕を掴んだ。ユートは少しも驚いた素振りを見せず、そしてハミルに抗う態度も見せず、静かに立ち止まった。しかしその視線は真っすぐと目の前の研究施設の方へ向いていた。


「まだかエミリー?」


 ハミルはユートの腕を掴んだまま、身をくねらせて後方を見ながらそう言った。エミリーはハミルの方を見ることなく、鞄の中を覗き込みながら何かを言っているようであったが、その言の葉は全て鞄の中へ吸い込まれて行っているようであった。

 微妙に声が聞こえない距離でエミリーを待っていると、少し経った後、鞄からもぞもぞと機材を取り出してすくりとエミリーは立ち上がった。


「おまたせ~」

「なにしてたんだ?」

「見て分からない?」


 エミリーはそう言うと、肩から下げている一台のカメラを腹の方へ持ってきた。


「カメラ……?」

「そうよ。写真も撮れるし、動画も撮れるのよ。それも超高画質で」


 自慢げにそう言うと、エミリーはさっそくカメラを構えて辺りを撮影し始めた。


「ほら、見てみ」


 エミリーはそう言うと、動けないハミルとユートの下へ歩み寄ってカメラを差し出した。するとそこには、暗闇の中でもしっかりと事実を映し出す高画質の写真が収められていた。


「なかなか良いじゃないか」

「でしょ?」

「こいつは色々と役立つかもしれないな」


 ハミルはそう言うと、掴んでいたユートの手を放して三人は再び研究施設に向かって歩き始めた。

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