第16話 盗人の過去

 執事は少年を抱くユートの横にぴったり付き、屋敷をつぶさに案内することなく、すぐに応接室にハミルたちを案内した。


「少年はこちらで寝かせておきましょう」


 執事はそう言うと、応接室にあるフカフカの高級ソファに少年を横たわらせ、他の若い執事たちに少年の看病を指示した。

 ハミル、ユート、エミリーの三人は、応接室にある長いソファに座って待っているように言われ、素直にそのソファに腰を沈めた。そして執事は早口に、主様を呼んできます。と言って応接室から消えた。


「なんかここって……怪しさ満点じゃないか?」


 ハミルは部屋を見回すとエミリーに小声でそう言った。


「うるさい。口に気を付けてよね」


 いつもだったら同調するエミリーだが、何故か今日はいつもより礼儀正しく、ハミルの陰口を黙らせると綺麗に座り直した。

 なんだこいつ。ハミルはそう思った。調子よく回っていた歯車に何か異物を混ぜられたような感じがして、ハミルは少し硬くなっていた姿勢を崩して大仰にソファに寄り掛かった。

 それから三人に会話は無く、ほどなくして床が軋む音とが聞こえたと思うと扉が開いて執事が先に入室してきた。


「すみません。お待たせいたしました。どうぞ主様」


 執事はハミルたちに一礼し、頭を上げるとすぐに一歩下がって扉の前を開けた。すると開きっ放しの扉の向こうから、とてもふくよかな、恐らく自分で足元が見えないほどふくよかな男性が現れて、ギリギリ扉を抜けるとハミルたち三人の前にある大きなソファに腰を下ろした。そのソファはとても大きく、三人が座っているソファと大差無かった。

 主様と呼ばれる男がソファに座ると、エミリーは一層硬くなった。そんなエミリーを見て何かあるんだろうな。と思うハミルであったが、今更本人に聞くわけにもいかず、このまま黙って話を聞いていれば何かしら分かるだろう。とハミルは姿勢を正して男が喋りだすのを待った。


「ふぅ~。ようこそエミリー。それと……」

「俺がハミルです。こっちはユート」

「そうかそうか。ようこそ、ハミル君、ユート君」


 男はにこやかにそう言うと、話を続けた。


「私はこの屋敷、そして市場を運営しているコルロと申します。覚えていただければ幸いです」


 コルロはそう言って苦しそうに腹を曲げて小さく、極僅かにお辞儀した。ハミルとエミリーもそれに続いて頭を軽く下げた。ユートは何をしているのか把握できておらず、とりあえずハミルの真似をしてその場をどうにかやり過ごした。


「えぇ~まず、今回は私の息子を救ってくれて感謝します」

「息子、ですか? えっと、もしかして……」


 ハミルはそう言いながらソファの背後に急遽設置された特設ベッドで眠っている少年の方を見た。


「ふぉふぉ、そうです。ハミル君とユート君が助けてくれた少年こそが私の息子、コルトルです」

「コルトルって名前だったのか……。あ、すみません。名前も聞けなかったもので。でも何か奇妙な縁みたいなものを感じますね」

「ふぉふぉ、ですな」

「訪れた家の息子を助けてたとはな~。凄いレアな体験をしたな。エミリーもそう思うだろ?」


 ハミルがコルロから視線を外し、隣に座るエミリーを見ると、エミリーは何か考え事をしているようで全く話を聞いていない様子であった。ハミルはすぐそれに気づき、コルロの方に向き直ると愛想笑いをした。

 気を付けてって言い出したのはエミリーのくせに。とハミルは腹立たしさを感じながらも、コルロがこの場を去るまでは何とかエミリーに話がいかないようにしなければ。と、ここに来るまでで気になった点をコルロに聞こうと口を開いた。


「そう言えば、なんで息子さんは砂漠なんかにいたんですか?」


 ハミルはさらっとコルトルを砂漠で救助したことを打ち明けた。


「なに? 砂漠にいたのですか?」

「は、はい。砂漠の岩陰で倒れていたので町まで担いできました」

「いやはやこれは感謝の言葉だけでは足りぬな! まさか砂漠で瀕死になっていたところを助けられたとは!」


 コルロはようやく体格に見合った大きな声を応接室に響かせた。


「いえいえ、見つけたのは俺じゃなくてこっちのユートなんですよ」


 ハミルはそう言いながら左隣に座るユートを手で紹介した。紹介されたユート本人は室内を見回しており、こっちもこっちで全く話を聞いていない様子であった。


「そ、それでですね! 心配になって二人で町まで担いで来たんですよ!」


 ハミルはユートのことを見ていたコルロの視線を自分に戻すためにわざとらしく声を上げ、無理矢理話を進める。


「ははは、大変でしたよ~。水もあまり持ってきていなくて、ギリギリのところで町に着けて。あと少し到着が遅れていたら三人とも危ない所でしたよ。ははは」

「そうだったのですか!」


 コルロは驚きの表情を見せると、パンッ! と手を打ち合わせて執事を呼んだ。


「おい、この三人に水を持って来てくれんか。もちろん一番高級なミネラルウォーターだぞ。それとフルーツバスケットもだ」

「はい、かしこまりました」


 コルロに呼び出された年老いた執事は丁寧に挨拶をすると静かに部屋を出て行った。


「あ、すみません。なんか厭味ったらしくなっちゃって」

「いえいえ! 良いのです良いのです! 命の恩人なのですから、ごゆるりとして行ってください」


 コルロは額にじんわりと汗をかきながら、にこやかにそう言った。そして綺麗な七三分けが崩れないよう器用にハンカチで額の汗を拭うと、再びニコっとハミルに笑いかけた。何だか胡散臭い笑みだな。流石市場の主をやっているだけある。なんてハミルは思っていたが、そんな言葉を口に出せるはずも無かった。

 少しの間、ハミルは役に立たない二人を両隣りに置いて無味乾燥な話で場を繋いだ。そしてもうそろそろ話題の種が尽きそうだ。と思ったころ、老練な執事が静かに扉を開けて応接室に入ってきた。


「お待たせいたしました。まずはお水を置かせていただきます」


 執事はそう言うと軽く頭を下げ、水が入っている四つのコップを乗せたお盆を持ってテーブルの傍にしゃがむと、一つずつコップを並べていった。その手際はとても良かった。主と客の会話を邪魔しないように静かに、そして迅速にコップを並べ終えた。

 最後のコップが置かれるとともに、ハミルは執事に会釈をしてコップに手を伸ばした。するとコルロの前に置かれていたコップは既に無く、ハミルがコップを持ち上げて一口目を飲もうとしたときには、空っぽになったコップが一つテーブルの上に置かれていた。


「かぁ~、美味いですね!」


 ハミルはなるべく相手の機嫌を損ねないように言葉を選んでそう言った。


「ふぉふぉ、そうでしょうそうでしょう。ささ、フルーツもどうぞ」


 一番水を欲していたのはコルロではなかっただろうか。と思われるほどの速度で水を飲み干すと、今度はハミルにフルーツを食べてもらうという口実を利用して、フルーツバスケットを催促した。


「はい、ただいまお持ちします」


 執事はそう言うと、一度扉を開けて廊下に出て、大きなバスケットを持って再び応接室に戻って来た。そしてテーブルの真ん中にバスケットを置き、空になったコルロのコップを下げようとする。


「いやいや、良いのだよ。コップは置いたままで良いのだよ」


 コルロはそう言って執事の行動を制すると、執事は素直に手を引っ込めた。コルロは空になったコップを左手で持ち、バスケットから右手に収まるくらいのフルーツを掴み取った。するとコップの上にそのフルーツを持った右手を持っていき、一気に絞った。コルロが手に取ったフルーツは皮が薄いようで、ぶつ切りになった果肉とともにオレンジ色の果汁がコップの五分の一ほどまで溜まった。コルロはその行動をその後四回繰り返し、コップのふちギリギリまで果肉と果汁を満たすとそれを口に運んだ。


「へぇ~、そんな飲み方もあるんですね……」


 ハミルは関心を示したようにそう言ったが、内心では絶対に真似したくないな。と思いながら水をしみじみと飲んだ。

 フルーツや水のおかげでコルロの視線や集中が散漫になっていたので、ハミルはその間にユートとエミリーの様子を伺うことにした。ユートは出された水を半分ほど飲み、果汁をがぶがぶ飲んでいるコルロのことをじっと見ていた。先ほど部屋を見回していたことや、今コルロを見つめていることなどからして、ユートは興味があるものに目が行ってしまう傾向があるらしい。それは子供らしく、興味が削がれるとすぐに目を逸らして別のものを見始めてしまう。

 エミリーは未だに考え事をしているように見えた。しかしよーく顔を覗き込むと、なんだかニヤついているようにも見えた。しかしとにかく返事が無いので、ハミルはどうすることも無くエミリーのことは再び無視した。

 ユートがコルロとバスケットを交互に見ているので、ハミルはフルーツを食べたいのかと思ってバスケットからフルーツを一つ取った。それは教科書に載っていたオレンジに似ており、ハミルは記憶を頼りに皮を剥き、剥き終えた皮をテーブルに置くと中の身を半分にしてその半分をユートに差し出した。


「ユート、お前も食うか?」


 ユートは未知の何かを見るような目つきでそれを見た。眉宇を寄せ、鼻を近づけると匂いを嗅いでみたり、指でつついてみたりした。

 この調子では一生受け取ってくれそうになかったので、ハミルは右手に持っていたもう半分を口に放り込んだ。そして美味しそうに咀嚼し、再びユートに差し出した。するとユートは中身を受け取り、ハミルがそうしたようにユートも渡された半分を口に放り込んでゆっくりと顎を上下させた。その顔は徐々に驚きとも歓喜ともとれるような表情となり、そしてごくりと飲み込んだ。


「どうだ、美味しいだろ?」


 ハミルがそう聞くと、ユートは頭を二回縦に振った。その行動に声は乗っていなかったものの、今にも「うんうん」くらいなら言うのではないかとハミルには思われた。


「ふぁふぁ! ユート君も気に入ってくれたようで良かった!」


 コルロは満足そうにそう言った。そして再びフルーツを絞ってコップを満たすと、コルロはごくごくとそれを飲み干した。

 結局コルロがフルーツの大半を食べ尽くし、というよりかは大半を絞りつくし、バスケットはほとんど空になった。


「主様、少し良いでしょうか……」


 会話が完全に断たれたところを見計らい、執事は小声でコルロに耳打ちした。


「なんだ? ここでは話せないのか?」


 コルロと執事の会話は途切れ途切れではあったのだが、ハミルにも聞こえていた。しかし全容を把握しきれていないハミルは水を飲みながら聞き耳を立てること以外出来ることが無かった。

 小声で短い会話を終えると、執事はそそくさと応接室を出て行った。そして続いてコルロも席を立った。


「すまないね。少し市場についての話が出てしまったようで」


 コルロは申し訳なさそうにそう言うと、次いで「すぐに戻りますので」と言って、応接室を出て行った。

 応接室は急に寂寞とした。しかしこの機にエミリーと少しでも会話をしようとハミルは体をエミリーの方に向けた。


「おい、エミリー、お前水も飲まないのか?」


 ハミルが声をかけると、エミリーはゆっくりと顔を向けた。そしてにやりと笑ったかと思うとハミルに抱きついた。


「よくやったハミル! それにユートもね!」


 エミリーは、この興奮が他の人間にバレないようになるべく静かに喜びの声を上げたのだが、声を抑えている分全て顔に出ており、エミリーは上がった口角がしばらく戻らないのではないかと思われるほどにこやかになっていた。


「待て待て、何のことだ?」

「何って少年を助けたことに決まってるでしょ!」


 エミリーはそう言うとハミルの肩を二度叩いた。


「そりゃ助けるだろ! 倒れてたんだから」

「確かにそうね。倒れてたら助けるわ。でもね、そこじゃないのよ、重要な点は」

「じゃあ何が重要なんだよ?」

「この屋敷の、市場の主であるコルロの息子を救ったことよ」


 エミリーはそう言うと悪い顔になって引き笑いをした。


「お前なぁ、趣味悪いぞ?」

「そんなことないわ。どっちもどっちよ」

「それ俺と比べてるのか?」

「ん~、それもどっちもどっちかな?」

「はぁ、どっちつかずな奴だな」


 ハミルとエミリーの会話が途切れたところで、満面の笑みを浮かべながらコルロが戻って来た。


「いやいやお待たせしました。実はですな、今回の件も含め何かと縁があるようなので、もう一つ頼みごとをさせていただきたいな。なんて思っているのですがどうでしょうか? もちろんお礼はたっぷり致しますよ?」


 コルロは両手をハエのようにこすり合わせながらそう言った。


「あぁ~、別に俺はいいですけど……」


 休暇も含めた旅行に来たつもりであったハミルは、内心否定したい気持ちもあったのだが、ハミルに内在する正義感がそうはさせなかった。


「……何か企んでるわけ?」


 先ほどまで笑っていたエミリーは、急に表情を曇らせてそう言った。


「ふぉふぉ、察しが良いですね~。ハミル君、それにユート君。彼女がこの市場で何と呼ばれているか知っていますか?」

「え、いや、知らないですけど?」

「ちょっと! ハミルとユートは関係ないでしょ!」


 エミリーはテーブルを強く叩くと立ち上がって怒声を上げた。


「協力してくれるのなら、過去はバラしませんよ?」

「べ、別に、バラしたっていいけど?」

「ふぉふぉ、そうですか。ならハミル君、彼女が持ってきた鞄の中を見て御覧なさい」

「ちょっと! 私の鞄に触らないで!」


 エミリーは足元に置いていた鞄をすぐに拾い上げようとするのだが、若い執事たちがエミリーを抑えつけたことにより、鞄を取り上げることが出来なかった。するとそのうちに一人の執事が鞄を拾ってテーブルに置き、チャックを開けて鞄の中身をハミルとユートに見せた。


「こ、これって……」


 ボストンバッグには大喜多研究所にあった部品や、大喜多が開発したであろう発明品やらが詰め込まれていた。


「ふぉふぉ、そうです。彼女のここでの通称は『泥棒猫』なのですよ」

「放して! これは違うの!」

「ふぉふぉ、何が違うのですかね~」

「くっ……。は、ハミル? その、これは……」


 エミリーは弁解しようとハミルの方を見た。ハミルは鞄に入っているそれらを見たのち、その鞄の中にエミリーが商人から受け取っていた麻袋も一緒に入っていることに気が付いた。大喜多の所持品を盗み、そしてこの市場で売りさばいていた。何となくそんな気がした。しかしここでハミルが激昂する必要も全くない。なのでハミルは左隣に座っているユートの反応を伺った。ユートは鞄の中身を見ても何の反応も示さなかった。それどころか失敗作を見たかのように一度鞄の中身を確認した後は、もう二度と鞄の中身を見ようとはしなかった。ハミルはそんなユートを見てゆっくりと口を開いた。


「……これ一つ見せられただけではまだ何とも言えない。と俺は思います。何故なら博士が作ったものはガラクタと化している物も多いし、使えなくなった部品も多いです。それらを売るためにエミリーがこの星をチョイスした。と言う可能性も考えられるからです」


 ハミルは説明口調で、ソファにふんぞり返っていたコルロに向かって言った。


「そ、そうかね。それなら私が彼女に盗まれた品を一つ一つ声に出してもいいのだが。それを聞いた後でも君は彼女を信じられるかね?」

「彼女の信用は彼女のこれからの行動で変わってくると俺は思います。なのでご依頼、引き受けます。だよな?」


 ハミルはそう言ってエミリーの方を見た。


「……」


 しかしエミリーは決まり悪そうに口を尖らせながら黙っている。


「はぁ、あのな。監獄にいた時点でこれくらいのことをしてるのは何となく分かってたからな?」


 ハミルがそう聞いても、エミリーは黙って俯いている。


「……それじゃあ、エミリーの今までの罪を清算する代わりに、依頼を受ける。でどうですかね?」


 ハミルは物怖じしない強い口調でそう言った。でなければ相手に付け入る隙を与えてしまう。とハミルの本能が習ってもいない交渉術を発揮させたのだ。


「成功したら。依頼を無事完遂したら清算すると約束しましょう。ハミル君の瞳を信じて」


 コルロはそう言うと商業的な笑みを浮かべた。その笑みからしてエミリーの罪はそれほどでも無く、どちらかと言えばこの依頼の達成の方がコルロにはプラスになると見えた。


「これでいいか?」


 ハミルがエミリーにそう聞くと、エミリーは不機嫌そうに頷いた。


「それでは、依頼の内容を話そうかな」


 コルロは預けていた背中を少し丸めて話す体勢に入った。

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