第12話 脱獄

 長い経路を簡単にまとめグーマは数分で話を終えた。看守では無いこと、一緒に来たハミルのこと、ここに来た理由、今向かっている場所、それらのことを簡易的にエミリーに伝えた。


「ふむふむ、なるほど。じゃああんたはお兄さんを救うためにここに来たと」

「俺と兄貴にはやることがあるからな」


 初めて思い詰めた顔を見たエミリーは、これは本当らしいわね。と思いながらも、顔には似合わない口調で話す男にどこか違和感を覚えていた。


「それでさ、そのハミルってやつと最上階で合流する方針で良いのよね?」

「あぁ、そして最初に話した通り、輸送船を奪って逃げる」

「何となく気付いてはいたけど、看守じゃなくて安心したわ。お兄さんも見つかったんだし、さっさと脱獄しましょ」

「勿論だ」


 そう言って立ち上がると、二人は再び梯子を上り始めた。


 ……その頃ハミルはズーマとどうやってここから出るかを話していた。


「グーマさんに連絡出来ました」

「あいつのことだから、死ぬことは無いだろうと思ってたさ」

「今看守専用の梯子を使ってここに向かっているそうです」

「そうか。ならさっさとここを出る方法を考えないとな」


 二人は一本の水瓶を回し飲みし、水の残りはあと僅かとなった。ハミルはそんな水瓶を持ち、それを傾かせて中の水がゆるりと流れるのをじっと見つめた。


「ここには看守が来ないんですね」

「配膳時だけだな。それほどこの牢を信用しているってことだ。それに、重罪人がいる真上に宇宙船を停めているっているのも信用からだろう」

「確かに、じゃなきゃそんなこと出来ないですもんね」


 牢屋の厳重さをハミル以上に知っているズーマがそう言うので、最上階の牢屋はどこも頑丈に作られていることがすぐ分かった。それでもどうにかしてこの牢屋を出なくてはならない二人は、牢屋中を見回すことになった。


「これは最後の作戦にしたいんですが……」


 恐る恐るハミルがそう言いだした。


「なんだ、聞くだけ聞くぞ?」

「はい、俺をここに連れてきた大男をここに呼ぶことってできませんかね?」

「あいつを?」

「はい。あいつが来てくれれば牢屋も破壊できると思うんです」

「……出来ないことも無いかもな」

「本当ですか?」

「あぁ、こいつを使おう」


 そう言うと、ズーマは地面に置かれている水瓶を手に取った。


「水瓶ですか?」

「これに限らず、今ここにある食器類は全て武器だ。食器に期待は出来ないが、ガラスで出来ているこれは優秀だ。こいつらを振り回しながら俺たちが大声を上げて殴り合えば、まずは普通の看守が来るはずだ。そしてその後はこれを看守に投げつけてやるんだ。喧嘩の流れで自然にな」

「そうすれば下っ端の看守は俺達が手に負えないと思って大男を呼ぶ。ってことですか?」

「あぁ、そう言うことだ。看守はただの喧嘩じゃあ簡単に見過ごしやがる。だが自分に危害が加われば、自分より下だと思っている囚人に制裁を下そうとする。自分の手では無く、より強い男の手によってな」


 水瓶からゆっくりと手を放し、ズーマはハミルの方を見た。


「なるほど、看守の心理を利用して……。確かにそれなら大男がここに来る確率は高そうですね」

「あぁ、それに大男が呼ばれなくても、看守に危害を加えた俺たちのどちらかは牢を移動させられるはずだ」

「どちらかは出られる保険付き……。これ、行けそうですね。グーマさんから連絡が入ったらやりますか?」

「……そうだな。それともう一つ、大男が来たらの話だが、奴はこの監獄で相当な地位についている。恐らくキーホルダーを腰にぶら下げているはずだ。奴が喧嘩の仲裁に入ってきたとき、それも一緒に頂戴するぞ」

「はい」

「良い演技、期待してるぜ」


 ズーマはそう言うと、壁際の闇に消えていった。


 そのころグーマとエミリーは二度目の小休止を取っていた。最上階までは残り二、三階となっており、脱獄にラストスパートをかけるためにも体力を残して最上階に到達する必要があった。


「そろそろ上るか」

「私はいつでも良いよ。連絡は上に着いてからだっけ?」

「いや、あいつは、ハミルは未熟だから分からないだろうが、脱獄寸前で悠長に連絡を入れる暇など無い。だから今連絡してから一気にこの梯子を上る」

「だよね。私もそっちの方が良いと思ってた」


 尻ポケットから通信機を取り出すと、グーマはそれを耳に装着して通信を開始した。


「あ、通信が入りました!」


 水瓶の向こう側、闇に潜んでいるズーマに向かってそう言った。


「よし、その通信を終えたら実行に移すぞ」

「はい」


 ハミルはそう言うとポケットから通信機を取り出して、耳にかけた。続いてボタンを押し、グーマからの着信に応えた。


「こちらハミル」

【やっと出たか】

「すみません、話し合いをしていて。もう最上階に?」

【いや、後二階、ないしは三階上れば最上階に着く】

「なるほど、分かりました」

【最上階に着いてからでは身動きが取りづらいと思ってな。先に連絡させてもらった】

「そうですよね。さっきは色々とショックがあってそこまで気が回りませんでした。すみません」

【過去はどうでもいい。それよりそっちは出られそうなのか?】

「はい、イチかバチかですけど」

【兄貴の作戦か?】

「はい、八割ズーマさんですね」

【そうか。なら上で合流しよう】

「は、はい!」


 通信を終えた二人は通信機をポケットにしまった。グーマはエミリーに合図を出して梯子を上り始め、ハミルはそっと水瓶に手を伸ばした。


「グーマさん、もうそこまで来ているそうです」

「だと思った。あいつはいつも少し早めに連絡するからな」

「意外とこまめな人なんですね」

「補い合っているということだ」


 ズーマはそう言うと闇から姿を現し、ハミルが掴んでいる水瓶を奪う様に掴んだ。


「やるぞ」

「はい」


 イチかバチかの勝負であったが、ハミルはまったく緊張していなかった。なぜならそれ以上に、脱獄しなくては! という意志が、ズーマを助けなくては! という強い正義の炎がハミルの胸中を占めていたのであった。

 そんな覚悟の眼差しを見て、ズーマは少し口角を上げた。その笑みは何かが面白いとか、何かが楽しいとか、そういうものではなく、これからの未来を見据えた。成功の笑みであった。そしてそれを見たハミルは不思議と心が落ち着いた。まるで成功が約束されているような感じがして……。


「おい新入り! お前何勝手に水飲んでやがる!」

「なんだと!? それは俺の水だろ!」


 ズーマが一瞬力を緩めたので、ハミルはここぞとばかりに水瓶を奪った。そしてそれを口に当て、一気に傾けた。残っていた水は水瓶のラインに沿って流れていき、ハミルの口を潤した。


「ぷは~! 生き返る!」

「てめぇ……マジで殺す」


 鋭い目つきからは凄まじい殺気を感じた。ハミルは一瞬演技だという事を忘れて逃げ出したくなったが、その恐怖を持って敢えて一歩踏み出した。


「やれるもんならやってみろ!」


 ハミルがそう言った瞬間、ズーマはハミルの胸倉を掴んでそのまま鉄格子に押し付けた。


「新入りが調子に乗りやがって!」


 一度鉄格子から離したかと思えば、再び鉄格子にハミルを叩きつけた。その度に大きな音が最上階の廊下に響いた。


「ぐっ、いってー」

「そろそろ来ると思う。悪いが耐えてくれ」


 引っ張った際に耳元でそう言うと、ズーマはもう一度鉄格子に押し付けた。


「なんだなんだ、うるさいぞ~」


 ハミルとズーマがいる牢屋から直進して突き当りのところにある階段から、一人の看守が気だるそうに現れた。

 看守は監獄のシステムを信用しきっているようで、呑気にあくびをしながら鉄格子に近付いてきた。


「お前たちうるさいぞ。くだらないことで迷惑をかけないでくれ」


 格子越しに看守がそう言うので、ズーマはもう一度ハミルを鉄格子に押し付けた。


「おいお前か。この新人を俺の牢に入れたのは」

「いやいや、私にそんな権限はないよ」

「だったら俺のために水を持って来い。この馬鹿が勝手に水を飲みやがったからな」

「貴様、私に指図するつもりか!」


 腰の警棒を取り出すと、看守の男は鉄格子を強く叩いた。彼なりの威嚇であったらしいが、ハミルとズーマは怖気づかずに演技を続けた。


「指図? 俺はただ水が飲みたいと言っただけだ」

「看守さん、持ってこなくていいですよ。俺が黙らせますから」


 胸倉を掴むズーマを振り払い、ハミルは地面に落ちている水瓶を拾い上げた。そしてそれを振り上げると、ズーマ目掛けて振り下ろした。

 ――振り下ろされた右手は難無く受け止められた。そしてズーマは水瓶をハミルから奪い去り、それを看守の目の前に立っているハミルに向かって投げた。ハミルはにやりと笑い、それを躱した。

 パリンッ!

 水瓶は鉄格子に当たって砕けた。そして砕けた水瓶の破片の一つが勢いを保ったまま鉄格子の向こう側にいる看守の足に刺さった。


「ぐあぁ! くそ。この馬鹿どもが!」


 看守はそう言うと、左太ももを抑えて階段を下っていった。


「上手くいった……。んですかね?」

「よく躱したな。あとは俺たちの運次第だ」


 ズーマはそう言うと、ハミルの手を取って胸倉を掴ませた。


「何するんですか?」

「大男が来た時に俺らが慣れ合ってたら意味無いだろ? だから今度はお前が俺を鉄格子に叩きつける番だ」

「いや、そんなこと」

「お前の正義をぶつける番だ。これなら納得か?」


 鋭い眼差しとともに放たれたその言葉に、ハミルは胸倉を掴んだまま反転した。そしてそのまま一歩ずつ鉄格子に近付いて行き、ズーマを鉄格子に叩きつけた。


「そうだ。それでいい」


 ハミルの息は少し上がっていた。熱くなりやすい性格ではあったが、争いを好まず、常に達観したフリをする偽善世界、ノースエリアで育ったハミルは喧嘩をしたことが無かった。路地裏で密かに行われる借金取りや、ゴミ捨て場に放られたボロボロの人を見たことはあったが、それでもノースエリア全体から見ればそれは些細な揉め事であり、すぐに人々の記憶から消え去った。しかしハミルは覚えていた。それらに何かを感じたから……。


「お前ら! 聞いたぞ!」


 低く野太い声が最上階に響いた。するとすぐ大男が姿を現し、鉄格子の前に立った。


「またお前か。騒ぎが好きだな」


 大男はハミルに向かってそう言った。なのでハミルはズーマを鉄格子に叩きつけて答えた。


「お前、今すぐ死刑だ!」


 大男はそう言うと、鉄格子を掴んでこじ開けた。


「げ、マジか」

「うろたえるな。このまま大男に突っ込め」


 大男の馬鹿力に驚いたハミルは、胸倉を掴む手が緩んだ。するとズーマはその手が離れないようにグッと包み込んでそう言った。


「このままですか?」

「早く」


 このまま突っ込んではズーマが怪我をしてしまう。と思っていたハミルだが、ズーマがそう言うのでハミルはそのまま大男に突っ込んだ。


「お前、他人を盾にするなんて、卑怯な奴」


 ハミルとズーマ、二人分の体重を全て大男にかけたのだが、大男は微塵も動かず、そのままハミルとズーマを取り押さえようとする。しかしズーマは咄嗟にハミルを蹴り飛ばし、自分は横に転がってそれを回避した。


「兄貴! こっちだ!」


 大男の背後、階段の手前でグーマが手招きをしている。ズーマは見たことも無い青年が自分のことを兄貴と呼んでいることに違和感を感じたが、ハミルがその手招きを見て動き出したので、ズーマもそれに続いた。


「待て! お前たち!」


 大男は案の定俊敏性に欠けており、即座に振り向いて走り出すことが出来ない。

 ハミルとズーマはその隙を突いてグーマのもとに駆け寄ると、グーマはドアを閉めた。


「ありがとうございます。グーマさん」

「礼はいい。さっさとその梯子を上れ」


 どうやら避難梯子は屋上まで続いているようで、グーマは先にハミルとズーマを梯子に案内した。


「誰だお前は?」

「後で話す。だからこの梯子を上ってくれ、兄貴」


 これで再び捕まって投獄されるのは嫌なので、ズーマはとりあえずその指示に従って梯子を上った。


「宇宙船……!」


 屋上に着いたハミルは、そこにあった大きな宇宙船に驚いた。流石に囚人護送用という事もあり、その大きさは予想をはるかに上回っていた。

 するとその宇宙船の陰からひょっこりとエミリーが顔を出した。


「やっと来たよ。さっさと逃げるわよ」

「誰だお前。あ、グーマさんが言っていたやつか」

「そんなの後でゆっくり話すわよ。早く、鍵持ってるんでしょ?」

「あ、鍵……」

「ほら、受け取れ」


 梯子を上って来たズーマは、宇宙船の鍵が付いていると思われるキーホルダーをエミリーに投げた。エミリーはそれを受け取ると、宇宙船の搭乗口に鍵を合わせ始めた。


「おい、まだ乗れないのか!?」


 ハッチから頭を覗かせたグーマがそう言った。


「宇宙船の鍵……無いわ」

「嘘だろ……?」

「使えんデブだったな。おい新入り、ここに来る途中他に何か見てないか?」


 梯子付近に立っているズーマがそう言った。


「あぁ、えぇーっと、確か地下にダストシュートがありました」

「アレか。それならこの梯子で安全に行けるんじゃねぇか?」


 ダストシュートの存在を知っているグーマは、そう言ってハミルの顔を見た。


「賭けてみましょう。地下に」

「会って短いが、気に入ったぜ新入り」


 ズーマはそう言うと身を翻し、梯子の方に戻った。


「おい、早く梯子を下りろ。お前がグーマならな」


 梯子に停滞していたグーマは何も言わず梯子を下り始めた。それに続いてズーマ、ハミル、エミリーという順で梯子を下っていった。

 下っている途中、何度か看守たちの騒ぎ声が聞こえたが、まさか避難梯子を利用しているとは思わないようで、こちらまで確認の目が回って来ることはなかった。

 ……そうして四人は疲れを誤魔化しながら梯子を下っていくと、ようやく梯子の終点にたどり着いた。全員が梯子から手を放し、先頭を行くグーマがすぐ近くにあるドアを開けた。するとドアの先には真っ暗な道が続いていた。左を見ると見覚えのある食料保管庫のドアがあり、グーマは腰に下げていた懐中電灯を点けた。


「付いて来い。道は分かる」


 グーマはそう言って先を歩いた。下りた順番そのままに四人は地下を進み、そしてダストシュートがある岐路に戻ってきた。グーマは迷いなく異臭漂うダストシュートの方に向かい、汚いダクトを発見した。


「行くぞ」

「はい。俺はいつでも」

「またこんな汚い所を通るわけ? はぁ、仕方ないか……」


 三人がそんな会話をしていると、ズーマは返答もせずダクトに足を入れてそのまま滑って行ってしまった。それを見たグーマもすぐに続き、ハミルも息を止めてダクトに足を入れた。エミリーはそのあと少しして、息を止めて顔を歪ませながらダクトを滑って行った。


「ゴホッゴホッ! くっせぇ!」

「もう、本当最悪!」


 ダクトなだらかに続いており、長いこと滑り続けた先は当然ゴミが大量に溜まっていた。中心部に粉砕機が備わっているようで、ゴミは中心部に引き込まれていく。四人はそれに巻き込まれないため、ゴミ溜まりの中、足を大きく上げて壁際まで寄った。


「意外と登れそうですね」

「いや、女にはキツイ」


 グーマはそう言ってエミリーの方を見た。確かにエミリーはバテており、壁際で吸い込まれないように耐えているだけでも辛そうであった。


「俺が先に行く」


 ズーマはそう言うと、ゴミの中から拾ってきたと思われるロープを肩にかけて上り始めた。

 それほど穴は深く無く、ズーマはものの数分で壁を上り切った。そしてそのロープを頼りにグーマが上り、次にロープが下ろされた時は、下にいるハミルがエミリーの腰にロープを巻き、二人に引き上げてもらった。そして最後にハミルがロープを握って壁を上った。

 四人の体はとうに限界を超えていた。そして上り切ったところで座り込んだ四人は、遠くに見える小さな監獄を見つけて笑いあった。

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