第9話 追跡と結託

 グーマは足音を潜めながら、自分が闇の一部にでもなったように、静かに階段を上っていった。数段上がったことでようやく目の前の薄暗い景色がこの階の平常であることを知ったグーマは、悪目立ちを避けるために懐中電灯を腰に戻した。

 二階は薄暗く、絶えず誰かの呻き声が聞こえていた。頼りになる明かりは所々にある松明で、それ以外に明かりは存在していないように思われた。

 ハミルはどこまで引きずられて行ったのだろうか。ここよりも更に上階なのか。はたまたこの階に収容されたのか……。グーマはそれを探るためにも慎重に動き出す他方法は無かった。

 道は真っすぐ一本に続いており、その左右には頑丈な鉄格子を隔てて囚人が収容されていた。しかしまだここは二階と言うこともあり、ここに収容されている囚人は罪の軽い者ばかりであった。例を挙げるならば、窃盗。強盗。放火。公務執行妨害など。殺人に関与していない罪人が収容されている階となっていた。更生を含めてのことなのか、すべての牢が独房になっており、房内にはベッドとトイレのみと、生活に必要最低限のものしか備わっていなかった。

 グーマは巡回兵の服を着ているのでそこまで怖気づく必要は無かった。それを理解しているグーマは胸を張ってその道を歩き出したのだが、一つ引っかかることがあった。それはこの服の持ち主、地下で気絶している巡回兵の階級であった。彼の身分がこの監獄内で底辺だったとすると、鍵を持っていなかったことからして、彼は一階より上には行く権利を持っていなかったものと思われる。彼はあくまでも巡回兵であり、受付であり、看守では無かったのだ。なのでグーマはこれからすれ違うと思われる看守に気を付けなければならなかった。


「出してくれぇ~」

「腹減ったよぉ~」


 囚人は看守と見分けがついていないのか、道を歩くグーマに手を伸ばしながらそう言った。腕は格子の隙間を抜けて左右から伸びてきたが、それらがグーマに届くことは無い。

 グーマはそれに構うことなく毅然としてその道を行く。今のグーマはハミルと兄をいち早く助け出すことしか頭に無かったのだ。

 しばらく囚人の呻きと嘆きに挟まれながら歩いていると、少し開けた場所に出た。道は真っすぐ続いていたのだが、左右にある両開きのドアが気になったグーマは、少し中を覗いてみることにした。

 まずは右の部屋を覗いてみると、中には長机と長椅子が多く置かれており、その奥には調理場のような場所が見えた。この光景からしてこの部屋はすぐに食堂だと分かった。そして静かにドアを閉めると、次に反対側の左のドアを開けて中を覗き込んだ。すると中にはまたしてもドアが二つあり、右は男。左は女。と書かれていた。どうやらここはシャワー室のようであった。それが分かるとグーマはドアを閉めて捜索を再開しようとしたのだが、ちょうどその時、警報のような音が鳴り、続いてアナウンスが響いた。


「飯の時間だ。今から看守が行くから準備して待ってろ」


 アナウンスが荒々しく切られると、グーマが今来た道の方向から、これから行こうとしている方向から、左右の道から囚人の奇声と鉄格子を激しく揺する音が今グーマがいる開けた場所に滞った。

 グーマはそのアナウンスを聞いて囚人に会うだけならなんとかこの場を凌げると思ったが、看守が来る。という点がグーマを隠れる他無くさせていた。これから飯の時間と言うことは、シャワー室にはまだ誰も来ないはずだと踏んだグーマは、一旦シャワー室に身を潜めることにした。それも看守は男ばかりだと睨み、グーマは女風呂に潜伏することにした。

 左の引き戸を開けると脱衣所が広がっていた。グーマは部屋中を見回して、隠れられる場所を探した。ロッカーや洗面台の下など、窮屈だが隠れられそうな場所はいくつかあった。しかしグーマはそれらを確認するとすぐに隠れることはせず、脱衣所の奥に繋がっている風呂場を覗きに行った。


「この先は風呂場だよな」


 グーマが引き戸に手をかけて、それをスライドさせようとしたとき、急に体が動かなくなった。


「こ、こんな時になんだ……?」


 グーマがどれだけ『この扉を開けるんだ』と思っても、体の自由が効かないのだ。それもそのはずで、この体はグーマのものでは無いのだから急に体の自由が効かなくなるのも頷けた。グーマがそれを理解した時であった。


〈開けるな〉


 グーマは顔をしかめながらその声の主を探した。しかし看守と囚人は昼食の為に食堂に集まっているはずであり、ここに他の人物がいるわけが無かった。


「誰だ。出て来い」


 グーマは冷静にそう言った。しかし体はまだ言うことを聞かず、グーマは引き戸に手をかけ、仁王立ちをしたままであった。


〈お前は動けない。それは僕の体だからな〉


 この言葉でグーマは合点がいった。


「なるほどな。そりゃ出てこれる訳がねぇ。頭ん中にいられちゃあな」

〈分かったら言うことを聞け〉


 グーマは脳内にいるユートの意識と会話をしながらも、何とか体を動かせないものかと試行錯誤してみるが、やはり体の自由は効かなかった。


〈無駄だ。早く隠れろ。ハミルを助けるために〉

「そんなの分かってる。だがこの先も調べさせてもらうぞ」

〈……〉


 ユートの意識が途切れたのをグーマは感じとった。そしてそれと同時に体に自由が戻ったのも確認すると、勘の鋭いグーマはユートがそう長く自我を保っていられないのではないか。と憶測しながら引き戸を開けようとする。しかし今度は別の声がグーマを止める。


「ちょっと! それ以上動かないで!」

「はぁ、今度は誰だ」

「誰でもいいでしょ! 開けるなって言ってるのよ!」


 声の主は威勢のいい女であった。声は風呂場からしており、グーマが引き戸を開ければすぐに女と対面してしまうような気がした。

 そこでグーマは巡回兵の服を着ていることを利用し、一つ芝居を打つことにした。


「ほぉー、そうかそうか。俺が誰だか分かっていないみたいだな。まぁ、この擦りガラス越しじゃ分からないか」

「は、はぁ!? あんたが誰かなんて私に関係ないし!」

「ほう、そうか……。俺が監視する立場の者であってもか?」

「げっ! 看守か!」


 女はそう言うと、風呂場で積み上げた桶を蹴り飛ばしたようで、引き戸の向こう側では大きな音が鳴り響いた。逃げられると思ったグーマは引き戸を一気に開け、そしてこの場に一切の不自然を残さないためにもその引き戸をきちんと閉めて風呂場に入った。

 予想通り浴室内には桶が散乱しており、様式としては日本の銭湯のようなセッティングとなっていた。シャワーと鏡が等間隔に設けられている列が四列あり、浴室の突き当りには大きな共同風呂があった。風呂からは微妙に湯気が立っており、この昼食か夕食かが終った後は風呂の時間が来ると言う予想がついた。

 浴室に入ったグーマはそれらを確認しながらここに隠れているはずの女を探し始めたが、浴室内を見回しても女性一人が隠れられそうな場所が見当たらない。

 一歩浴室内に踏み入ると、足場が濡れていることに気が付いたグーマは靴が滑らないように慎重に次の一歩を踏み出した。


「おい、いるんだろ! 出て来い!」


 グーマは足場に気を付けながら声を上げた。しかしグーマのことを看守だと思っている囚人の女が自ら出てくることは無く、浴室内にはグーマの声がこだまして、そして消えた。これ以上大きな声を出しては本物の看守に勘づかれてしまう。そう思ったグーマは小さく舌打ちをして、左の列から順に調べることにした。

 一番左の列はシャワーと鏡が壁に面しており、パッと見でシャワーと鏡のセットは五人分用意されているようであった。それに加えて鏡の前にはバスチェアも用意されており、それが横並びに五つあることからしてもシャワーは一列五人分らしい。その三点グッズ以外に目に付くものは無く、人が隠れられそうな場所も見つからない。

 グーマはその後も順に列を調べていくが、やはり隠れられそうな場所は見つからず、あっという間に一番右端の列に到達してしまった。


「あいつどこに隠れやがった……。鏡台の下になんか隠れられないだろうしな」


 グーマはそんなことをボソボソと呟きながら、右の列、浴槽に一番近い鏡台の下を叩くと、ガタン。という音とともに張りぼての板が外れ、人一人が通れそうな空洞が現れた。


「おいおい、嘘だろ」


 グーマは突然現れた穴を前にして、首を僅かに横に振りながら、どんな顔をしていいか分からず微笑した。


「とにかくあいつがここを通ったのはほぼ確実だ。それにこの方向は男湯。上手くいけば男湯を通り抜けて奥の階段にたどり着けるかもしれねぇな」


 グーマは空洞内を懐中電灯で照らしながらそう言った。

 そしてそのまま懐中電灯を暗闇に漂わせ、この先にどんなものがあってどのように道が続いているのかある程度確認すると、着地地点に明かりを当て、罠や倒壊の心配が無いことを確認すると、懐中電灯を腰に戻し、ぽっかりと開いた穴に足から入っていった。

 穴の入り口からゆっくりと体を進めていくと、すぐに足がついた。意外と地面までの距離が短く、グーマは安心して穴を通過した。

 穴を通るときに所々擦ってしまったようで、巡回兵の服は汚れ、小さな穴が二か所ほど空いてしまった。グーマは汚れをはたき、空いてしまった穴を見て、仕方ないことだ。と思って懐中電灯を点けた。

 改めてみると穴の中は相当暗いようだが、どうやら道は一本道らしい。入ってきた穴を確認するために振り向くと、手を伸ばせば余裕で届くほどの場所に穴は存在していた。あの女がここを利用していると考えれば、男のユートが届かないのはずはないので、グーマとしてはここも合点がいった。

 グーマは自分が殴って外した板を拾うと、穴がバレないように丁寧に穴を塞いだ。誰かが殴ったり蹴ったりしないかぎりは見つからないはずなのだが、もしものことを想定して、グーマはなるべく早くこの場を立ち去ろうと急いで移動を開始した。

 明かりを頼りに暗闇を真っすぐ進んでいくと、頭上で妙なざわめきが聞こえだした。ガラガラ。と言う音を皮切りに、ざわざわと耳障りな音が増していき、それは次第に大きくなり、突然人混みに飲み込まれたような感覚がした。


「ちょっと! ぼさっとしてると溺れるよ!」


 正面から女の声が聞こえた。頭上にやっていた目を正面に戻すと、先ほど入ってきた穴のような、一人分の穴が空いていた。そこから女が顔を覗かせており、グーマはそこに明かりを持っていった。長いツインテールが女の顔を横断して地面に垂れ、明かりを当てているせいか、女の髪が眩しく見えた。


「ちょ、眩しいよ! 早く上がってきな!」


 グーマは助けられたような気がして少し腹が立った。しかしこの空洞については自分よりもあのやかましい女の方が詳しいことも確かで、グーマはそれを頑張って飲み込むしかなかった。

 穴を見失わないように懐中電灯で照らしながら、グーマはそこを目指して小走りに進んだ。つい先ほどまでは砂を踏んでいる感覚があったが、走っているうちに分かり易い変化が伺えた。それは足音が明らかに変化したことだ。水たまりを絶えず踏んでいるような、一歩踏み出すたびにピチャ、と言う音が耳を通った。それにグーマの足以外にも水たまりに触れるものがあるようで、グーマを囲う様にピチャピチャ。と言う音が空洞内に反響した。


「早く! 流れてくるよ!」


 流れる? グーマは一瞬考えたが、いや、よく考えればここは浴室の真下。そうか、そう言うことか。グーマは理解が及ぶと懐中電灯を腰に戻して穴に向かってジャンプした。穴までの距離も然程無かったので、グーマの両手はがっちりと穴の下部を掴んだ。


「頑張ってよじ登るのよ!」


 言われなくても分かっている。グーマはそんなことを考えながら穴にしがみつき、腕力だけでその穴に向かって全身を引き上げ始めた。

 するとその時、背後で先ほどまではピチャピチャとなっていた音が変わり、ザーザー。といった音に変わった。恐らく複数人が一気に浴槽に入ったことで、そのお湯が溢れ、張りぼての板の隙間を抜けて流れ入ってきたのだ。グーマは掴みどころのない壁に足をかけ、足を滑らせながら強引に上った。水位は一気に上昇し、グーマ靴が少しお湯に浸った。しかしその時には既に上半身が穴から出ており、女が引っ張ってくれたこともあり、グーマは溺れずに済んだ。

 グーマが穴から抜けると、女はレンガのようなもので素早く穴を閉めた。レンガは相当な分厚さで、女の力では物足りなさそうだったのでグーマも一緒にレンガを押し、間一髪お湯が流れ出るのを防いだ。


「ふぅー。危なかったぁー」

「……なぜ助けた?」


 グーマは女の方を見てそう聞いた。


「ん? うーん。見たことない人だったから?」


 女は邪魔ったらしい金髪ツインテールを振ってグーマの方を見た。そして口を尖らせながらそう言った。グーマはまたそれが気に食わず、すぐに立ち上がって女の方を見た。


「新人だからって舐められたもんだ」

「へぇー、新人なのに勝手に歩き回るの許可されてるんだ?」


 なるほど、こいつはこの監獄に詳しそうだな。グーマは咄嗟にそう思った。そして一つ賭けに出てみることにした。


「そうだ、俺は仕事を放棄してきた。なぜなのかも特別に教えてやろう。ここの仕事が嫌だからだ。そこでだ、ここから出ようと思ってな」


 グーマがそう話し出すと、女は食い入るようにグーマの、いや、ユートの顔を見た。


「ふーん、なるほど。看守が脱獄なんてね~。聞いたことも無いわ」

「俺の見立てだと、お前も脱獄を企てている。と踏んだんだが?」

「だとしたらどうするの?」

「そうだな、手伝わなければ今ここで先輩に突き出す。手伝うなら一緒に上階を目指してもらう」

「はぁ? 上階? なんでまた危険な方に行くの?」

「意表をついて上から出るんだ。宇宙船を奪ってな」

「……ふーん、輸送用のってことね」


 女のその問いにグーマは眉を上げて頷いた。女としてもどこか納得が行ったようで、目の焦点を行ったり来たりさせたのち、グーマの作戦に乗った。


「俺はユートだ。よろしくな」

「私はエミリー。言っとくけど、百パーセントあんたを信じたわけじゃないからね?」


 グーマはその問いに頷き、右手を軽く開いてあしらう様に上げた。

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