第8話 上階を目指して
ハミルはグーマに両手を抑えられながら、殺風景な廊下を先行した。一階には囚人どころか檻すら無く、廊下に響くのは二人の足音のみであった。
「警戒しすぎていたんですかね?」
「いや、そんなことはない。上に行けば行くほど警備は厳重なはずだ。もし仮にそうでなくても、さっきの受付の男が俺を追ってきたら大損だ」
「確かにそうですね。そこで見つかっては全てが台無しだ」
「だからもうしばらくこの手錠は我慢してもらうぞ」
「はい。少し窮屈ですが、これだけなら甘んじます」
二人が会話をしながら歩いていると、受付からしばらく歩いた道の突き当りを右に曲がったところに、階段を発見した。
「階段ですね。ですが……」
「あぁ、見りゃ分かる」
彼らの前には確かに階段があった。しかしその階段にたどり着くためには、たった一枚の金網を留めている南京錠を開錠しなければいけなかった。
グーマはそれを見るや否や、拝借した巡回兵の服のありとあらゆるポケットをまさぐったが、それらしいものは出てこない。
「どうやらこいつはこの上に行く資格が無いらしい」
「では受付の人から盗みますか?」
「それも良いが、盗んだのがバレたら大変だ」
「それじゃあどうしますか?」
「別のルートを探す。それでだめだったら鍵を拝借するかピッキングするかしよう」
「んー、分かりました。探してみましょうか」
ハミルはまた道探しをするのか。と少し悩んだが、よくよく考えるとその方法が一番安全であり、何より地下に戻るときにも痕跡を残さずに戻れるので、先の事を考えると有用であると思ったため、グーマに賛同した。
「手分けして探すわけにもいきませんよね?」
「そうだな。お前がうろついてたら確実に怪しいからな。それにどこかに監視カメラもあるだろうしな」
「あ、そうか。監視カメラもあるのか……」
ハミルは大袈裟に動くのを避け、目だけを器用に動かして周囲を見回した。しかしハミルが見た感じでは監視カメラのような物は目につかなかった。
「やめとけ、あまり目立つ行動はするな。あくまでも今のお前は囚人だからな」
「確かにそうですけど……。それじゃあどうやって抜け道を探すんですか?」
「こうするんだよ」
グーマはハミルの左手の手錠を外し、それを階段の前にある金網にかけた。
「え、何するんですか?」
「あるか定かじゃねぇが、こうしておけばカメラがお前に集中するだろ?」
グーマはそう言うとニヤリと笑い、来た道を引き返し始めた。当然ハミルはこんな場所に一人取り残されるのは嫌だったので、グーマを追おうと一歩踏み出すが、それからもう一歩を踏み出すことは右手と金網を繋ぐ手錠が不可能にしていた。
そんなハミルをよそに、グーマはゆっくりと角を曲がって受付が道の真ん中にある長い廊下に戻った。その道中、ハミルに監視カメラの存在を示唆してしまったせいか、ここからは一発勝負なのだ。という焦りと緊張が少なくともグーマにも生まれ始めていた。それでもグーマはいたって普通の巡回兵を演じながら監視カメラを探した。そうしている内に受付まで戻ってきてしまい、グーマは静かにスイングドアを開けて中を覗いた。すると中にはソファに埋もれて看守帽を目深に被り、ぐっすりと眠っている男がいた。グーマはそれを見た途端、思いがけなくほっと一息ついた。
グーマは最終手段として挙げていた、看守から鍵を盗む。と言う行動を実行する前に、本当にこの粋がっていた男が上階へ向かう鍵を持っているのかを確認すべきだと咄嗟に判断した。
そっと男に近付くと、まずは腰のベルトにぶら下げていないかを確認するために上着をたくし上げた。しかしベルトには銃や警棒やらの武器すらぶら下げておらず、その時点でこの男の地位を察した。それでも念のために上着の胸ポケットから調べていき、最後はズボンの尻ポケットを調べて嘆息をついた。
無駄足だったな。と思いながらグーマはその場を立ち去ろうとするが、逆にこんなやつに侵入が気付かれるのも癪だな。と思い、水と酒瓶に睡眠薬を少量入れてから立ち去った。
「グーマさん遅いな……」
手錠のせいで身動きを取れないでいるハミルだったが、もしかしたら階段の近くに抜け道があるかもしれない。と、グーマが戻ってくる間に少しでも手掛かりを見つけ出そうと、可能な範囲であたりを見回していた。
すると先ほどグーマを追おうとして金網を鳴らしてしまったせいか、ハミルが繋がれている金網の向こう側から。つまりは階段から足音がしてきたのであった。ハミルは背後から聞こえてくる足音に聞き耳を立てた。足音はゆっくりと確実にハミルに近付きつつあった。それは当事者であるハミルには、誰よりも分かっていることではあったが、それにも勝る恐怖がハミルの背中を凍りづかせていた。そしてその恐怖をさらに倍増させているのは、背後から聞こえてくる足音の大きさであった。ハミルが最初に足音を聞いた時、(しまった。抜け道探しに気を取られ過ぎた。巡回がもうそこまできている。)そう思ってしまうほど、足音のファーストインパクトが大きかった。しかしその足音は既に階段を八段は下っているはずであった。それなのに足音は衰えを感じさせず、むしろ音に加えて振動すらもハミルは感じ始めていた。
足音は十段目を下った。もしこれが階段を下り始めて丁度半分だったとしたら。そう考えるとハミルは後ろを向くことが出来なかった。そうしてハミルは恐慌状態に陥り、一層抜け道探しに専念した。しかしどこかで恐怖が勝り、視線を一定の場所に保っておくのが困難になっていた。
「ふぅー、落ち着け。落ち着くんだ。何か些細なことでも良いんだ」
ハミルは焦る自分を認め、その上で自分の気持ちを宥めた。そしてゆっくりと左から辺りを見回した。左には砂岩のようなもので出来た茶色い壁があり、それを辿って右に首を回していくと、グーマの背中を送った角が正面に見える。そうしてそこからまた右を見ると、こちらも砂岩で出来たような茶色の壁があり、所々に人が抜けられないほどの大きさの格子窓が作られていた。そして限界まで右を見ると、目を落として足元を見た。すると蟻の列が出来ており、ハミルはその列を目で追ってみた。するとそれは右の壁の隅に。丁度金網が砂岩の壁になった隅の部分に飲み込まれていた。
「こ、これだ。きっとあそこに何かしらがあるはずだ……!」
ハミルはそれを見つけるとすぐ、自由になっている左手で何か目印になるものを、グーマに伝えるための何かを探した。すると左の尻ポケットに一枚の銀貨が入っていた。ハミルは親指を人差し指に引っかけ、その親指の丁度爪の上あたりに銀貨を乗せ、ピンッ。と銀貨を弾いて蟻が消えていっている穴の近くに銀貨を落とした。その瞬間であった。ガシャン! と背後で大きな音が鳴り、それと同時にハミルの体が前後に大きく揺れた。
「うわぁぁ!」
ハミルは驚きの余り大きな声を出しながら揺れた。
「お前、こんなところでなにしてる」
背後の数センチ向こうでする野太くて低い声がハミルの鼓動を早くする。とりあえず目印を残すことに成功したハミルだが、手錠をかけられて看守の服を着ておらず、それどころか囚人の服も着ていない。こんな状況でどんな言い訳をしようと、逃れられる未来も見えなければ、自信も無かった。なのでハミルは黙って相手の言葉を待つことにしたのであった。
「お前、話せないのか?」
大男はハミルに同情したのか、金網を鷲掴みにしてハミルの顔を覗き込もうとする。しかし当然それは金網に遮られるので、大男は金網に顔を押し付けるだけ押し付けて、頬にひし形の跡をつけた。
その間ハミルはどうにかしてこの状況をグーマに伝えなくてはと考え込んでいた。しかしこの状況を打破する案は浮かばず、ハミルは黙って男の方を振り向かざるを得なかった。
「お、なんだ。どうした?」
大男はまるで未知の生物に遭遇でもしたかのようにそう言った。そして金網越しにハミルと大男が見合う形となり、二人の間には僅かな沈黙が生まれた。ハミルはその数秒を無駄にしなかった。大男の右腰に黒い警棒を見出すと、ハミルはそれを使ってグーマに警告をしようと考えたのであった。
「あの、別に怪しい者じゃないんです。ただ迷い込んでしまって」
ハミルはわざと分かり易い嘘をついた。すると思惑通り大男はそれに反応した。
「なんだと? こんなところに来る馬鹿がいるか!?」
大男はそう言うと、右手を振りかぶって勢いよく金網を殴った。すると金網には大きな穴が開き、男はその穴に腕を突っ込んで錠前を握りつぶした。
「うわ、マジかよ……。こいつ超人か何かか?」
しかしハミルは金網と繋がれているので、逃げたくてもその場を立ち去ることが出来ず、大男が迫って来るのをただ見上げることしかできなかった。
大男が金網を押し開けると、それと同時にハミルの体もずるずると後ろに押されていく。大男は力の一、二割ほどの力で金網とハミルを押し退けると、たった今開けた金網を閉めてハミルの真ん前に立った。ハミルはこれを好機だと、左足で大男の右腰にぶら下げられている警棒を蹴り上げ、それを自由な左手でキャッチすると、曲がり角目掛けて投げた。
「おい貴様! 何をする!」
大男はそれに激怒し、ハミルの襟を掴んだ。そしてハミルを金網に押し付けると、ぐいぐいと襟ごとハミルを引っ張り上げた。
「はな……せよ……」
「なんだと!?」
「俺から離れろって言ってるんだよ!」
この騒ぎは階段に戻り始めていたグーマにも聞こえており、ハミルに何か起こったのだと察してグーマは角で身をかがませて階段の方の様子を伺った。
「こっちに来んな!」
ハミルはそう言いながら足をばたつかせ、大男の腹部を何度か蹴った。しかし大男はそれをものともせず、まるで体に止まった虫に気が付かないような振舞いをして見せた。
「お前、よっぽど牢に入りたいみたいだな。俺が連れて行ってやる」
大男はハミルの右手と金網を繋いでいる手錠を握りつぶし、ハミルを地面に叩きつけると、襟元を掴んでハミルを引きずり、そのまま階段を上り始めた。
その際、ハミルは曲がり角で身を隠すグーマと目が合った。その瞬間にハミルはアイコンタクトで警棒を拾う様に示し、痛む体を無理矢理に動かして、ポケットに入っているペンライトを出して先ほど銀貨を飛ばした辺りに光を向けた。するとペンライトの明かりは丁度いい具合にグーマの方向に反射し、グーマは少し目を細めた。
しかしハミルが言葉無しに伝えられるのはそこまでであった。その数秒間が終ると、ハミルは大男に連れられて暗い階段の奥に消えていってしまった。
グーマは冷徹な雰囲気を纏っているが、薄情者では無かった。なのでハミルが連れ去られるのを見ているだけなのがとても悔しかった。しかしここで自分が捕まっては、それこそハミルの行動も無駄になり、ここに来た目的も全て水の泡になってしまう。そう、兄を救うという目的も。
「あいつ……。これを見ていたな」
グーマは曲がり角付近に落ちていた警棒を拾った。そして次にハミルが残した手掛かりを探るために頭を上げた。するとそこには信じられない光景が広がっていた。なんと、先ほどまで大穴が開いていた金網がキレイさっぱり直っていたのであった。
「どういうこった……」
グーマは目を点にしながらそれを凝視した。金網に加えて錠前までもがキレイに直っていたのは説明するまでも無い。
その光景を見てから立ち直るには、相当な時間を有するようにも思われたが、こんなところで立ち止まってはいられない。と、自らを鼓舞し、グーマは素早くハミルがペンライトで示した場所に移動した。
そこには上流階級の者が持っている銀貨が落ちていた。グーマはそれを見ると小さく舌打ちをして目を少し逸らした。しかしすぐに銀貨を見直すと、それを拾ってポケットにしまった。そしてグーマは膝を地面についたまま、銀貨が落ちていた付近を念入りに探し始めた。
……しばらく探していると、一匹の蟻がグーマの手に乗っていることに気付き、グーマはすぐにそれを払った。蟻は地面に落ち、すぐに体制を立て直すと壁に向かって歩き始めた。そして蟻はそのまま壁の中に吸い込まれて行った。
「なんだ?」
グーマは穴の無い壁に吸い込まれた蟻に疑心を抱いた。蟻が消えた壁は金網が丁度無くなっている場所であり、グーマはそこを軽く叩いてみた。するとグーマの手は壁に触れることなく空を切った。右手を壁の中に突っ込んだまま、グーマは手首を返したりして自分の手がしっかり動いていることを確認した。
「これは……幻覚か? これは作られた壁ってことなのか?」
グーマは手を壁に突っ込んだままゆっくりと立ち上がった。立ち上がってもまだ右手は壁の向こうで自由に動いており、ここでグーマは人一人が通れるほどの余地があるのではないかと推測した。
そしてグーマは一度右手を引き抜くと、体勢を変えて左手から壁に吸い込まれていった。
「もしかしたら向こう側に……。階段に繋がる抜け道になるかもしれない」
グーマは思い切って全身を壁の中にめり込ませた。背中には壁の感覚があり、それを頼りにゆっくりと背中を擦りながら左に向かってカニ歩きをした。前にもすぐ壁があるようで肘が曲がってしまうほどの狭さであった。壁に入ってから十数歩歩くと、いきなり左手が壁から外れた。どうやらここが終着点らしい。グーマは左手が抜けた場所の正面に来ると、今度は壁の向こう側に足を放り出してみた。すると向こう側は平地になっており、このまま前進しても大丈夫そうだったので、グーマは前進して壁から抜け出した。しかし抜け出した先は真っ暗で、グーマは腰にぶら下げていた懐中電灯を点けた。そしてぐるりと一周して辺りを確認したのだが、光の先には闇があり、どこも行き止まりのようであった。(となると上下のどちらかに道があるはずだ。)グーマはそう思って地面を強く踏んでみた。しかし地面からは特に変わった反応は無く、この時点で上に何かあることが確定したと言っても過言では無かった。
グーマは左手で懐中電灯を持ち、右手は上に向かってのばした。するとすぐに天井があり、そこから右に行くと何かにぶつかり、そのぶつかったものに沿って手を下ろすと、再び右側に右手が進んだ。今度は左に向かって手を動かしてみる。すると左に行けば行くほど天井が高くなっているようで、終いには右手が伸びきる状態までになった。
「そうか。ここは階段の真下だ。階段の真下は空洞になっていたんだ」
グーマはそれに気づくと空洞に入ってきた場所に戻り、つまりは壁の抜け道があるところまで戻り、警棒を右手で持って思い切り天井を突き上げた。すると天井が僅かに動いて微かに光が差し込んだ。どうやらこの段だけが取り外し可能になっているようで、グーマは全力でその段を押し外し、開かれた階段一段分の隙間から這い上がった。そしてそれがバレぬよう、段は元あった場所に綺麗にはめ込んだ。
「よし、目印にこれを置いておこう」
グーマは階段を上る前に、先ほどハミルが目印にしていた銀貨を階段の端っこに置いた。それは丹念に磨かれており、光を当てると鋭く反射した。
「これなら申し分ないな。流石ノースの金だ」
グーマは冷え切った声でそう言うと、ハミルと大男が消えていった上階に進出した。
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