第7話 監獄
ハミルが壁を強く叩くと、壁は何かに衝突されたように窪んだ。ハミルはそれでこの壁が崩れることを再確認すると、手を固く結び、窪んだ部分に拳を振った。すると壁の窪みは増し、壁は空洞を示すようにドンドン中に窪んでいった。そしてハミルが壁を殴って数回。ついに壁は小さな音を立てながら崩れた。
「崩れました」
ハミルは声を荒げず、いたって冷静にそう伝えた。グーマもそれに反応し、素早くハミルのもとに戻ってきた。
「辺りは大丈夫だ。侵入するぞ」
「はい」
グーマはハミルの前に出ると、穴に体をねじ込むようにして、虫のように穴の奥に進んでいった。ハミルもそれを真似するようにして、クネクネと穴を抜けていった。
穴を進んでいくと、その行き先は食料保管庫のような場所になっており、どうやら一階よりも下の地下にたどり着いたようであった。穴の出口は丁度食品棚のてっぺんに繋がっており、グーマは穴を出て食品棚の上に乗り、そこから飛び降りて地面に足を着けた。ハミルも同様にして穴を抜け出すと、辺りを見回した。
「食料保管庫のようですね」
「そのようだな、何も取るなよ。すぐにバレるからな」
「はい。それでここからは?」
「地下に出ることは予想がついていた。だからここからドンドン上に上がっていくぞ。目指すは最上階だ」
「最上階ですか……。上に行けば行くほど?」
「あぁ、罪は重い」
グーマはそう言って扉の前に進んでいった。ハミルは細かく頷くと、身を低くしてグーマの後に続いた。
扉を開けると、薄暗い廊下が続いていた。前を行くグーマはその闇を見て立ち止まった。
「おい、ライトか何か、照らすものは持っていないか?」
「あぁ~えっと、ペンライトなら」
ハミルはそう言うと、ポケットから小さなペンライトを取り出した。
「まぁいいか。貸してくれ」
グーマがそう言ったので、ハミルは黙ってペンライトを渡した。
グーマはそれを受け取ると、前方を照らした。道は真っすぐ続いているように見えるが、ペンライトの光度が低く、それほど奥まで見通せない。
「奥まで見えないですね……」
「そうだな。まったくショボいペンライトだ」
「すんませんね。それしか無いもんで」
グーマが鼻で笑いながらそう言ったので、ハミルもふて腐れながらそう言った。
グーマとハミルは弱いペンライトを頼りに地下の廊下を歩き始めた。地面は掘ったままで舗装されておらず、一歩踏み出すと、ジャリ。と言う音が鳴った。手で触る壁も手入れがされておらず、手触りは砂そのものであった。しかし確かな明かりが無い二人は、壁を触りながら歩く他無く、ざらざらとしたまとわりつくような手触りを耐えながら進んだ。
「くそ、この廊下長いな」
グーマはそう言うと、ペンライトで来た道を照らした。辛うじてハミルとグーマが出てきた食糧保管庫の扉が見える。もうあと一歩進めばその扉は見えなくなりそうであった。
グーマはペンライトを前方に戻し、再び歩き始めた。
なるべく静かに歩いている二人だが、それでも二人の足音は大きく反響していた。それとも、二人の耳が過剰に足音を捉えてしまっているせいだろうか。どちらにせよ、今の二人には小さな物音ですら身構えるほどの恐怖と緊張感を抱いていた。
「そろそろ行き止まりになっても良いころだがな」
「流石に長すぎますよね」
「あぁ、それに人がいないのも謎だ」
ハミルは右側の壁を伝い、グーマは左側の壁を伝った。ハミルが肉眼でグーマを捉えられるよう、二人はほぼ平行になって進んだ。
その時であった。前方から確実にハミルとグーマのものではない足音が地下道に響いた。
「足音……ですね」
「聞けば分かる。やはり地下にも巡回が来るようだな」
グーマはそう言いながら足を止めた。なのでハミルも足を止め、前方からこちらに歩いてくる足音だけに集中した。
「足音は右斜め前……。もう少し歩けば、この先の突き当りは恐らくT字路になっている。つまり……」
グーマはそう言うと、止めていた足をゆっくりと動かし始めた。
「ちょっと、つまりって何ですか?」
「そろそろ来るぞ」
グーマがそう言うと、右前方から闇を射るように鋭い光線が横切った。ハミルは唐突に現れた光に目を伏せたが、光に慣れるのは闇に慣れるより容易かった。
「足音からして一人だろう。懐中電灯と服を奪うぞ」
「は、はい」
右から射す光はだんだんと光力を増していった。つまりは巡回をしている者がこちらに、食糧庫に向かって歩いてきているということであった。
グーマは巡回兵の足音に紛れて素早く突き当り付近まで移動した。ハミルは足音を消すことに集中していたせいか、グーマと多少の距離が開いた。
足音と光はグーマの目と鼻の先まで来ていた。その時になってようやくハミルはグーマに追いついた。グーマはやっと追いついてきたハミルにジェスチャーで、「ここで静かに待て」と伝えた。グーマの本意は違えども、ハミルはそのジェスチャーをそのように受け取った。そしてグーマも頷いてハミルを肯定した。
グーマは右肩を壁に当て、近づいてくる光の加減と足音で巡回兵がそこまで来ているのを認めた。首をぐるりと一周させ、手首をぶらつかせた。
カツン。足音が聞こえるとともに、暗闇によってさらに黒くなっている靴先がグーマの目に移った。そして巡回兵がもう一足踏み出した瞬間、体の前半身が目の前に現れた。するとグーマは両手を前に出して立ち上がり、闇を利用して巡回兵の背後を取り、腕を巧みに首に回すとあっという間に締め上げてしまった。
「お、終わったんですか?」
ハミルは落ちた懐中電灯を拾いながらグーマを見た。
「あぁ、だいぶ眠かったらしい」
「そうですか。疲れていたんですかね?」
「突かれたの間違いだな」
グーマはそう言うと、巡回兵を担いで食糧庫に戻り始めた。
「戻るんですか?」
「こいつから服を拝借しようと思ってな。それに、強い明かりも手に入ったしな」
「はは、確かにそうですね」
ハミルは右手に持っている懐中電灯を食糧庫の方向に向けた。
「こりゃ凄い。ペンライトは必要なさそうですね」
「あぁ、これは後で返すよ」
そう言うとグーマは食糧庫に向かって再び歩き始めた。
食糧庫に着くと巡回兵の服を剥ぎ、それをグーマが着た。その間ハミルは食糧庫の入り口付近で見張りを任された。しかしその心配を他所に、地下は妙な静けさを保っていた。
「着替え終わったぜ」
グーマは服が着慣れないのか、それとも体が自分のものでは無いからか、ただの着替えに数十分かかった。
「了解です。それで、これからはどうするんですか?」
「そうだな……。本当ならもう一人巡回兵を待ちたいところだが、地下の食糧庫に行くだけでこんなに時間がかかっているとなると、上で何か準備されている可能性があるな」
グーマは気絶させた巡回兵を縛りながらそう言った。
「準備……。まさか侵入が気づかれた。とかですか?」
「あぁ、その可能性も考えられる。だからな……」
……グーマは辺りを見回し、ハミルに近寄って作戦を耳打ちした。
「えぇ!? 俺が侵入者役!?」
「静かにしろっ。それしか方法が無いだろ」
「まぁ、確かに侵入者に間違いは無いですからね。分かりましたよ」
ハミルはそう言って観念すると、両手を後ろに回し、グーマはその両手に手錠をかけた。そしてそのままハミルがグーマの前を歩き、グーマは右手でハミルを抑え、左手で前を照らした。
食糧庫を出た二人は、足音を隠さず堂々と地下道を歩いた。わざと二人分の足音を大きく反響させることで、上にいるであろう仲間に警戒心を高めさせたのだ。懐中電灯は真っすぐ前を照らし、先ほど巡回兵を気絶させたT字路にたどり着くと、二人は右を向いて道なりに進んでいった。ちなみにT字路を左に行くとダストシュートのようなものがあり、一歩でも左の道に入ると異臭が漂ってきそうであった。
「階段だ」
ハミルは明らんでいる階段を見てそう言った。
「そうだな」
グーマはそう言うと、左手に持っている懐中電灯の明かりを消した。
そうして二人は侵入者とそれを捕まえた巡回兵を装って階段を上がり始めた。ハミルの鼓動は階段を一段上がるたびに激しくなっていったのだが、それに反してグーマは冷静そのものであった。それはユートの体を借りているからのようにも感じたが、なんだかそれとは別に、グーマには冷静さと言うよりかは冷徹さを感じてしまうハミルであった。
地下から一階に上がる階段には、砂が薄く積っていた。時折巡回兵が上り下りしているようで、ある一定の場所は砂が階段にこびりついていた。
十数段の階段を上り終えると、道が真っすぐ続いており、その天井には等間隔でカンテラのようなものがぶら下げられていた。それも所々切れており、明かりはまばらであった。
「気味悪いな……」
「しっ、静かにしろ。ここからは私語を慎め。どこで聞いてるか分かったもんじゃねぇ。それに読唇も怖い」
「了解です」
ハミルとグーマはあまり口を動かさず、互いにギリギリ聞こえるような声でやり取りを終えた。
二人は警備兵に囲まれることを予想していたが、階段を上り切った先は地下に匹敵するほど静かであった。すると道の中ほどにある場所から頭をひょこりと覗かせて、こちらを伺うものがあった。そして、
「おい! 何やってるんだ! こっちは腹が減ってるんだから早くしてくれ! それと、酒はちゃんと持ってきただろうな?」
顔を覗かせているのは男であり、それにどうも男は目が悪いらしかった。グーマはそれを利用しようと考え、ハミルを引っ張って道の右端にある黒いビニール袋で隠した。
「ちょっとここで待ってろ」
グーマは小声でそう言うと、カツカツと軽快な靴音を立てながら声をかけてきた男の方へ少し寄って行った。
「すみません。どうも酒を忘れたみたいです!」
「全く、何でも良いからさっさと持ってきてくれ」
そう言うと男は顔を引っ込めた。グーマはそれを見るなりハミルのもとに戻り、袋を剥がずに作戦を告げる。
「いいか、袋に小さい穴を空けておく。それを頼りに少しずつ前に進むんだ。俺はあいつの望み通り酒と少量の飯を取って来る。その間にお前は少しでも前に進んでおくんだ。だが進み過ぎもダメだ。分かったな?」
「はい、どこまでが限度ですか?」
「男が顔を出していた場所は覚えているか?」
「ぼんやりと」
「そこは越えるな。その手前で止まってろ。いいか?」
「はい」
「あと、これは一旦外しておく」
グーマはそう言いながらハミルにかけていた手錠を外した。そして再び階段を下り、地下の食糧庫に向かった。その足音でハミルはグーマが地下に向かったことを悟り、ゆっくりと、ビニール特有のガサガサ。という音が鳴らないようにじわじわと進んでいった。
ハミルはゆっくりと四つん這いになって進んだ。それは傍から見ると、まるで大きな黒い虫のようであった。
ハミルが壁沿いに進み、先ほど男が頭を出していた場所まで残り半分と言ったところで、背後から一定のテンポで近づいてくる足音があった。ハミルはその足音を聞くと、つつかれたダンゴムシのように丸くなり、そして静止した。
「すみませーん。持ってきました!」
グーマは右手に持っている酒瓶を掲げた。そしてユートの体を借りていることを利用し、若くて張りのある声を通路に響かせた。すると男はその声にすぐ反応した。よほど腹が減っているようであった。
「遅いぞー。早く持ってこい」
男は短くそう言うと、再び頭を引っ込めた。それを見たグーマは掲げていた酒瓶を下げ、焦らずにゆっくりと歩き出し、ハミルのもとに寄った。
「おい、もう動いて大丈夫だ」
「分かりました」
「どうにか俺が時間を稼ぐ。だからさっさと前進しろ」
グーマはそう言うと立ち上がり、飯を待っている男のもとに急いだ。足音は一定の速度を保ってハミルから遠のいて行った。それを聞いたハミルも、再びゆっくりと動き始めた。
「すみません、遅れてしまって」
カウンターのような場所に持ってきた食物と酒瓶を置きながら、グーマはそう言った。
「おい、受付なんかに置くんじゃねぇ! バレるから早く持ってこい」
カウンターの奥から男の声がする。グーマはそれに従って、カウンターの上に置いた荷物を再び持ち、カウンターの右端にあるスイングドアを腰で押しながらカウンターの奥に入っていった。
ハミルはそれを空けてもらった小さな穴から視認すると、多少の音を気にすることなく、移動速度を上げてカウンターに近付いた。
「ったくしけた物ばっかりもってきやがって、もっと美味そうな物あっただろ?」
「はは、そりゃすみません。僕にはそれが美味しそうに見えたもんで。あ、そうだ。酒ばっかりでもよくありませんから、これでも飲んでください」
グーマは果物や非常食、それに酒瓶で埋め尽くされた小さな丸テーブルの上に透明なコップを置いた。
「なんだこれ?」
「水ですよ。水」
「へぇ~、新人のくせに気が利くな」
グーマはニコリと笑うと、少し頭を下げた。そしてその上目遣いのまま、受付の男が水を飲むのを確認すると、ゆっくりと頭を上げてカウンターの方に戻ろうとする。
「何処に行くんだ?」
「カウンターの方にゴミを置いたままでして」
「そうか、すぐ戻って来いよ。ふぁぁあ。俺はひと眠りさせてもらうかな」
グーマはそれに答えず、まんまと罠に嵌った男を鼻で笑いながらカウンターに向かって歩き出した。
「待たせたな」
グーマはスイングドアを静かに開けながらそう言った。
「いえ、俺も丁度着いたところですよ」
そう言うとハミルは、一度大きな深呼吸をした。
「じゃあ、またこれをしてもらうからな」
グーマはポケットにしまっていた手錠を出しながらそう言った。
「ふぅ、束の間の娑婆でしたよ」
ハミルはそう言うとグーマの前に立ち、両手を後ろに回した。そしてグーマが手錠をかけると、二人は再び看守と囚人を装って監獄の上階を目指した。
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