第16話 復讐映画1

復讐映画

1.

「さて、彼女の事を話す前に、君は『時計仕掛けのオレンジ』という映画を知っているかな?」

冷えた身体を暖める為に注いだコーヒーを飲み、口を潤したシミズさんがゆっくりと語り始めた。

「『時計仕掛けのオレンジ』……ですか?」

タイトルは何となく聞いたことはあったかもしれないと思い起こそうとすると、彼女の綺麗な字で書かれていたのが思い浮かんだ。

「そういえば、彼女に好きな映画を聞いた時に、タイトルだけ教えてもらったような……」

「ふむ……」

その言葉を噛み締めるかのように、シミズさんは顎を手でさすっていた。

「彼女の事を語る上でも、必要になるんじゃ?」

キムラさんが片手を挙げて提案した。

「えっ、アレ見んの……?」

テツさんが落ち着きなさそうに、キョロキョロと目配せをする。

「少し長くなってしまうが構わないか?」

優しげなシミズさんの言葉に

「はい、彼女を知る上で必要なら見せて下さい」

僕は即決した。

2時間と少し、僕は頭が痺れていた。

その映画は今まで僕が見てきた映画の中で、最も衝撃的なものだった。上映が終わり、真っ白なスクリーンをそのまま数分程、僕は放心状態で眺めていた。なんだ今の?僕はまるで突然殴られたかのように、頭の中にパチパチと火花が散っていた。

「君には、いささか刺激が強過ぎたかもしれない」

シミズさんの言葉が耳から耳へと通り抜けていく。脳内に張り付いたままの映像がフラッシュバックする。身体は上手く動かせないのに、心臓だけがバクバクと激しく脈を打っていた。

「深呼吸だ、ゆっくりやってみ」

キムラさんに言われ、僕はゆっくり時間をかけて、少しだけ冷静さを取り戻した。そして今見た映画の回想をじっくりと試みた。

舞台は近未来のロンドン。主人公で15歳のアレックスはベートーヴェンが好きな青年だが、一言で言えば不良で、仲間達と一緒になって平気で犯罪を犯し、「雨に唄えば」といった歌を歌いながら、民家に侵入して暴行、殺人も行うような暴力的かつ野蛮で捻くれた青年だった。

だが、ある日、彼は仲間に裏切られ、自分1人だけが捕まってしまう。仲間に見捨てられた彼は14年の実刑判決を受けるが、彼は刑期を減らして一刻も早く出所する為に、実験途中の囚人を扱った実験療法、ルドヴィコ療法の被験者となった。

しかし、ルドヴィコ療法は彼が思っていたものよりも酷いもので、瞼を完全に開いた状態で固定させられ、残虐な映像を目を逸らすことも出来ずに、ずっと見せ続けられるといったものだった。絶え間なく見せられ続ける凄惨な映像と延々と聞かされるベートーヴェンの第九に、彼はやがて精神的に拒絶反応を起こすようになる。

暴力を振るおうとすれば、映像が頭の中でフラッシュバックして、彼は生理的嫌悪感に襲われてその場に倒れ込むようになり、第九を聞けば、耐えきれずに吐き気を患うまでになっていた。

そんな状態で予定より早く出所した彼は街を歩けば、かつて自分が暴力を振るったホームレスや、かつての仲間達に仕返しとばかりの集団リンチに会い、反抗も出来ない彼は容赦無く叩きのめされる。

やがて助けを求めた彼は、とある作家の家に匿ってもらうが、その作家の家も、かつて彼が「雨を唄えば」を歌いながら侵入した家だった。彼が自分の家を襲った犯人だと分かった作家は、彼を眠らせて監禁し拘束すると、部屋中に大音量で第九を流した。目覚めたアレックスは激しい嘔吐感に襲われ、彼は死んでもいいといった精神で、窓から飛び降りた。

だが、彼は一命を取り留めた。目が覚めた彼は死にかけた体験からか、暴力行為への抵抗が無くなった元の彼に戻っていた。やがて大音量で流れる第九を恍惚とした様子で彼は聴き浸りながら、彼は以前と同じ邪悪な顔を浮かべて物語は幕を閉じる。


なんだこの映画は、最初と何も変わっていない筈なのに、どうしてこんなにもインパクトがあるんだ? それが僕の最初の感想だった。

結果として、最初と全く同じ状態に戻ったアレックスはこれからどんな行動に出るのだろうか。自分が暴力を振るえないのをいいことに、リンチしてきた、かつての友人やホームレス達に復讐するのだろうか。それとも、あの第九を聴かせて苦しませた作家を再び襲うのだろうか。

そんな風に最初は遠ざけ、嫌悪感を抱いていた筈の暴力行為を、僕はいつからか待ち望んでいた。ぐちゃぐちゃの精神状態にされ、肉体を持った機械の様だった彼は、時計仕掛けのオレンジになっていた彼は、元に戻った時にどんな復讐劇を見せてくれるのだろうかと、僕は知らず知らずの内に期待して待っていた。だが、映画は彼が元に戻ったところで幕を閉じる。何とも中途半端で、結果としては何も変わっていないのに、僕は胸がポッカリと空いたような、頭の中を掻き乱すだけ掻き回されたかのような、変な気持ち悪さを体験していた。

「この映画を見て何か思った事はないか?」

シミズさんが僕に聞く。

僕の頬にはいつしか涙が伝っていた。

頭の中で映画を整理する内に、僕はふとある事に気付き、そしてそれは徐々に確信へと変わっていった。

だって、この映画はまるで、

「彼女自身だ……」

僕が泣きながら震える声で答えると、シミズさん達も目を潤ませながら、僕の背を優しくさすった。

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