無愛生物

執行明

第1話

「惑星番号78439216-3。重力1.0048G、自転周期0.99984地球日、公転周期367.28地球日、大気成分は酸素21.23%、窒素76.45%、その他2.32%。事前調査の通りです。生物相は豊富ですが、まだ知的生命体はいません。」

「データ受領……しかし、阿呆らしいプロジェクトだな」

 老科学者は嘆息し、モニターに映る人物に語りかけた。

「宇宙社会の平和と安全のために不可欠なプロジェクトです」

 モニターの中の銀河系政府高官が訂正する。科学者は再びため息をついた。


 銀河系には、もはや地球人の宇宙船が到達していない惑星はほとんどない。だが、天の川を探査機で埋め尽くしても、なお人々を失望させ続けている事実がある。

 宇宙人はいなかった。

 単に生物のいる星はごまんとあったが、人間のような知能を持ち、文明を築いているいわゆる“宇宙人”は、少なくとも

地球のある銀河系にはまだ見つかっていない。

 西暦3312年、地球人はすでに銀河系を8割がた征服していた。

 生物の存在する惑星もそうでない惑星も、およそ2万の惑星に人類が到達していた。

 もはや殖民が可能な惑星が見つかったなどという情報は、もはやニュースとは呼べない。惑星番号78439216-3も、その発見は政府機関に事務的に報告されたに過ぎなかった。またこの星が<プロジェクト>の実施地に選ばれたのも、人目につかない辺境にあるというだけで、この星自体が特別な性質を持っているわけではない。

 各殖民惑星の独立運動が活発になっていた。殖民惑星でない星では犯罪が増加していた。それを収拾し、政府の支配力を強化するための今回のプロジェクトであった。

 政府は「敵」を作ることにしたのである。

 愛情や利他心などの尊い感情をまったく持たない凶悪無比な知的生物。その存在を意識することによって、人類は銀河系政府のもとに結束する。いつの世でも、人間の集団をもっとも結束に導くものは「外敵」なのだ。それは猿人の群れにあっても、原始農耕社会の村にあっても、古代の専制国家にあっても、そして銀河系政府にあっても同じことだ。

 そしてこの惑星が選ばれた。

 人間と同等の知能を持ちながら、愛情や利他心という類の感情を持っていない脳という情報処理機構が研究され、それを蛋白質で実現する仕組みが考え出された。そのシステムは遺伝情報に翻訳し、「敵」となる生物の原型が完成する。脳以外の部分の遺伝情報はすべて、現生人類のものをそのまま流用した。

 さらに時空レンズ効果を応用した技術で、惑星78439216-3の時間の速度は500倍に高められた。すなわち地球で4年が経過するうちに、その星では地球時間に直して(公転周期もほぼ同じだから直す必要性に乏しいが)2000年の時が過ぎ去るのだ。

 4年。

 わずかそれだけの期間で、おそらく「敵」は宇宙進出を始めるだろう。


 4年のうち3年が、つまり惑星78439216-3で1500年が経過した今、老科学者は銀河特別警察により捕えられ、政府高官の尋問を受けていた。政府の計画に背き、プロジェクトを破壊した容疑で。


 老科学者は椅子に拘束され、2人の男を目の前にしている。

 ひとりはプロジェクトの責任を負う政府高官。もうひとりはその上司の銀河治安維持局長である。

「博士。あなたに聞こう。なぜ無愛生物の遺伝情報を、ただの人間の遺伝情報とすり替えたか。遺伝情報の作成に失敗し、それを隠すためにスリ替えたのか。それとも他に理由があるのかを」

 質問する治安維持局長のそばで、このプロジェクトに出世を賭けていた政府高官は汗だくになっている。いや、局長からして、プロジェクトの失敗は進退に大きく響く。彼は単に、冷静さを装っているだけだった。

 だが科学者の態度は、相手に怒りを鎮めてもらおうとする姿勢にまったく欠けていた。

「いいや、わしはすり替えてなんかおらん。わしは本当に、愛や利他心などまったく持たない無愛生物という政府の要請通りに、遺伝情報をプログラムしたんじゃ」

「嘘をつけえ!!」

 政府高官の冷静さはたちまち弾け飛ぶ。

「こいつらの社会はなんだ! 家庭も! 歴史も! 宗教も! 政治も! 人間とまるっきり同じじゃないか! こいつらの作ったあらゆるメディアに『愛』が出てくる! 『正義』も『利他心』もだ! お前の裏切りは明白なんだよ!」

「わしは裏切っとらん」

 と、まったく動じずに科学者は答える。

「だから面白いんじゃないか」

「何が面白い! お前がすり替えたせいで、莫大な政府予算が無駄になったんだぞ! こんなことを首相に報告できるか! 俺の出世は! 俺の将来はどうなる!」

「君の出世の道が断たれたのも、わしのせいじゃないよ」

 わめきちらす高官に対し、楽しそうに科学者は説明した。

「たしかに無愛生物たちは、自分が『愛』『正義』『道徳』を持っとると主張しておる。しかもどの個体も、他の無愛生物より愛や正義に溢れていると言い張っとる。じゃが、彼らはな、ただ自分たちの物欲やプライドや安全欲求や、攻撃性を正当化しておるだけなんじゃ。だれかれ構わず暴れ回るより、正義のためと称して大勢を集めてリンチにかけるほうが、より安全に、しかも確実に攻撃欲求を満たせる。他の個体を従わせる強い個体は、自分に従うことを『忠義』という道徳であるとでっちあげ、子分に教え込む。子分のほうでは『忠義』を破れば不正義の烙印を押され、他の子分の攻撃性の格好の餌食になってしまうから、ますます強者に媚びへつらう。こうして強者は支配を強化する。血族グループ内でも同じ現象がおき、そこでは『忠義』は『家族愛』と呼ばれな。他個体を痛めつける際に『お前のためを思って』『愛情ゆえに』と言うのも同じ手法なんじゃ。彼らは愛や正義のために動いとると主張するが、それら全ては利己的欲求のためだけに彼らが発明した観念なんじゃよ」

 高官と局長は、呻き声をあげた。

「それじゃ……それじゃまるで……」

 科学者はうなずいた。

「そう。わしは忠実に、お前さんたちが要求した類の遺伝情報を、完全に新しく創り上げた。が、それは結果的に人間じゃった」

 老いた科学者はからからと笑う。


「人間自身が、無愛生物なんじゃよ。わしらはそれを証明してしまったんじゃ」

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無愛生物 執行明 @shigyouakira

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