第2話覚醒の兆し
「だから謝ってるじゃないですか~。機嫌直して下さいよ~太さん。」
衛兵詰所の休憩場でお茶を飲みながら向かいの席でふてくされる太史慈に孫登は何度も頭を垂れる。
「たまたま通りがかったら、さっきの人があいつらに囲まれてたからさ…。太さんだって助けるでしょ?かよわい女の人があんな風によってたかってさ。」
「俺が言いたいのはそう言う事じゃない。」
座して沈黙を守っていた太史慈が急に机を左手でドンと叩き、孫登を軽く睨みつけると数秒後に視線をそらす。その表情には半ば諦めの色が出ていた。そしてため息をつくとゆっくりと孫登に視線を戻す。
「お前は孫権様のご子息であり、いずれは呉をしょって立つ。それが何を意味するのかわかっているのか?正義の為に戦う事は確かに大事な事だ。だがお前の背には呉の民の安寧と果たさねばならない大義も背負っている。お前にもしもの事があったら俺は孫権様に顔向けができん…。」
「も~。わかったから父上の話はよそうよ~。ほんと太さんは父上の事になると…あ、ごめんなさい。」
更に険しい表情になりかけた太史慈に孫登は愚痴を止めざるを得なかった。孫登も太史慈がなぜこうまで自分の事を心配してくれるかは理解している。もちろん孫登が皇太子という立場で孫権が厚く信頼している太史慈を教育係兼お目付け役として任命し、自分を守護する役目だからというのもあるが、何より幼い頃から寝食を共にし、剣術や体術、暗殺者から身を守る護身術等、色々な事を太史慈から学んだ孫登にとって彼はもう一人の父であり、兄でもあった。理由があって幼少の頃から父孫権と離れて暮らしている孫登にとって太史慈は肉親も同然だった。
「だけどな、お前のそう言う所、好きだぜ。大事にしろ。」
「え?」
「お前を見てると色々思い出すよ、まだ真っ直ぐに前を見ていた頃を。今はそれでいい。」
穏やかな表情に戻った太史慈は遠い目をして言った。そして飲みかけのお茶を一気に飲み干すと休憩場をあとにした。一人残された孫登は去る太史慈の背を見送りながら物思いにふける。
(そういえば太さんって若い頃の話とか一切しなかったけど、珍しいな。まあ若い頃って言っても僕とは10歳しか違わないけど…。)
「おい!遅れるなよ!警備の仕事をする気がないんならさっきの乗り合い馬車に放り込んで屋敷に送り返すぞ!」
太史慈が休憩場の入口からひょっこり顔を出して怒鳴る。
「は、はい~、今行きます!」
裏返った情けない声で孫登は返事をすると立ち上がって太史慈の方へ向かって慌てて駆け出した。
二人が巡回に回る頃には日が暮れており、都の中の喧騒とは打って変わり、外周はひどく寂しく、空気も冷たく感じた。巡回する道程は決まっているので二人は辺りを注意しながら歩いていく。
「この辺りはいつもこんな感じなんですか?」
「俺の後ろを歩くんだ。最近は行商人を狙って盗賊もかなり出没するようになった。まあ、盗賊ならまだ可愛い方だが…。」
「?」
盗賊が可愛いとはどういう意味だろう。もっと恐ろしい何かがいるのだろうか。孫登は目に見えぬ敵に身震いした。
「お前に話しておく事がある。この三国の世は昔、異世界から現れた破壊神の手によって滅亡の危機に瀕した。」
「うん、知ってますよ。三国に生まれた者なら子供の頃から聞かされる昔話ですから。蚩尤の話でしょ?」
「そうだ。昔話では黄帝様に討伐され、世界から脅威はなくなったという事で締められているが、実際には違う。」
「急に何ですか~?怪談話とかなしですよ~?」
孫登がおどけた感じで前を歩く太史慈に言う。しかしその顔には余裕がなく、額からは脂汗を流している。孫登は怪談が苦手なのだ。
「蚩尤は無限の再生力を持ち、黄帝様を苦しめたが最期には人間達が作り出した想いの力の結晶である玉、四神の玉によってその力を奪われ、その隙をついて身体を封印された。」
太史慈はすっかり日の落ちた道を照らすために懐からたいまつを取り出し、火をつけた。
「四神の玉によって封印はされたものの災いは残る形となり、いつ終わるかもしれぬ一時の平和を享受しているわけだ。」
「それは…確かに聞いた事がなかったです。四神の玉、ですか…。」
「ここからは山道になる、気をつけろ。」
太史慈は道程を外れ、都から少し離れた山へ足を踏み入れていく。山の頂上辺りまでくると太史慈は足を止めた。
「孫登、今回の巡回は特別な用事も兼ねててな。本来なら孫権様がお越しになってされる事なんだが理由があって孫権様は今都を離れるわけにはいかんのだ。」
「こんな山のてっぺんでする事?ここに何が?」
「あれを見ろ。」
太史慈が指差した方向には大きな岩があった。正確に言うと自然な形の岩ではなく、人の手で形を整えられ、更によく見るとそれは台座に鎮座していた。その岩には札が貼られており、赤い字で何やら書かれていた。
「これは…。」
「その昔、蚩尤の身体の一部を封じたとされる場所の一つで呉の始祖である孫堅様が建立された。この山はな、霊山とされていて古くから一部を除く人間の立ち入りを禁止されている所なんだ。」
そう言うと太史慈は岩の前に立つと左手で印を結び始めた。以前教えてもらった事がある、確か九字の印…煩悩や魔障一切の悪魔を降伏退散させ、災難を除く力があるらしい。太史慈はその印を結び終えた後、仰々しく言葉を唱える。
「この地を守護する白虎の魂よ、我汝に願わん。汝の牙の戒めを以て悪神の力を拘束し、永久なる浄化の鎖でつながん事を!」
太史慈は気合いと共に印を結んだ手を岩にかざす。すると岩がぼんやりと光りだし、呼応するように輝きを増した。
「す、すごい!太さんはこの神事の為に来たんですか。」
一部始終を見た孫登は驚きながら言った。だが太史慈の様子がおかしい。岩を見つめながら焦燥した表情で唇をかみしめている。やがて一筋の汗が頬を伝い、言葉を漏らす。
「おかしい、これは…。!!!」
太史慈がそう言い終わらないうちに岩が輝きを失い、どす黒いもやのようなものに囲まれていく。
「た、太さんこれは…。一体何が…。」
「私からお話ししましょうか?」
不意に後方から声が聞こえ、二人はふりかえる。うっすらと月明かりに照らされ、凝視すると漢服を着た道士がそこに立っていた。
「誰だ!ここは許可のない者は立ち入れない禁止区域だぞ。何をしている!」
太史慈が素早く背から弓矢を取り出し、構える。動作は速く、既に矢をつがえた状態で道士を捉えている。しかしその弓矢を持つ手が急に力を失う。よく見ると太史慈の両手首に不可思議な光の輪が浮き上がっており、太史慈はそのままその場でくずおれてしまう。
「貴様…っ!!一体何者だ!?」
太史慈が絞りだすような声で呻くと道士は軽く笑い、銭剣を肩にかける。
「まあ、あわてないで下さい。私の名は張角。人は大賢良師と呼ぶ人もいますかね。昼にそちらの若者に私の弟子が無礼を働いたようなので謝りにと。」
張角と名乗った男は流し目で孫登に視線を移す。
(張角…。黄巾軍の大将がなぜここに…。)
孫登は不安を隠せずにはいられなかった。
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