第22話 再会と拒絶
「あの、どちら様でしょうか? 」
祖父を訪ねてきたという青年は、私に名刺を差し出してきた。
それを受け取り目を落とすと、書かれた「黒田」という名に私は驚き、再び彼の顔を見る。
「
「祖父は、笹平亀蔵は、去年の八月に亡くなりました」
私が呆然としながらそう答えると、黒田智晴と名乗った彼は、驚いた表情をしたのち、深く頭を下げてお悔やみを告げた。
私は混乱しながらも、とにかく彼をこのまま返してはならないと思った。
「もしよろしければ、中に……」
そう言いかけたのと同時に、後ろからクロードの気配がした。そして大声て、信じられない言葉を浴びせたのだった。
「帰れ。ここにはもう亀蔵殿はいない。二度とここへは来るな!」
「兄さん……兄さんだよね?! やっぱり生きててくれたんだ、俺だよ智晴だ」
クロードを凝視し、彼にすがるよう手を差し伸べた青年を、クロードは鬼のような厳しい顔で見下ろしていた。
「何を勘違いしているか知らないが、俺に弟などいない。人違いだ」
クロードは取りつく島もなしに、私の手から名刺を取り上げ、容赦なく青年に突っ返した。そして更に、彼を玄関外に押し出そうとするではないか。
「待ってくれ兄さん、会いたかったんだ、ずっと。先月に投稿された、神社で起きた騒動の動画を偶然見て、絶対に兄さんに違いないと信じて、ここまで来たんだ」
「だから関係ない、しつこいと警察を呼ぶぞ」
「ちょ、ちょっとクロード、まってよ」
私が慌ててクロードの腕を引くが、びくともしない。
「兄さんが怒るのは無理ない、あのとき両親が酷い対応をして、亀蔵さんには本当にすまなかったと思ってる。だけど」
「いいかげんにしてくれ、人違いだと言っている。これ以上この家の者に迷惑をかけたら、ただじゃおかないぞ、帰れ!」
クロードの肩越しに見る青年は、酷く悲しい顔をして、最後には「わかった」と言い、帰っていく。
ちょっと、何するのよこの馬鹿。そう訴えるものの、クロードはさっさと玄関を閉めて鍵をかけてしまう。
そして文句を言う私を抱えるようにして、玄関から遠ざけた。
「ねえ、どういうことなの? 帰しちゃって良かったの?」
「キヨ……もう次にあいつが来ても会うな、絶対に」
「だからなんで?!」
説明してくれなきゃ分からないよ。
けれどもクロードは、言葉を探しているのか、何度か口を開くものの、言葉が出ない。
「あなたのこと兄さんって言ってた……家族なんでしょう?」
「もう違う」
躊躇がなかった。
でもクロードの右目が、閉ざされた玄関の向こうを、僅かに見た。
「全部を話してとは言わないけど、もしかして何か拗れたのって、じいちゃんのせい?」
「そうじゃない。亀蔵殿は何も悪くない。俺がいけなかったんだ、亀蔵殿を傷つけた……すまない」
何があったのかは知らない、けれど今誰よりも傷ついているのはクロードに見えた。
だから私は彼の短い髪に指を埋めるようにして、そっと撫でた。
「じいちゃん、あなたのために探したんだね」
「ああ……俺の話の断片から、新聞とか過去の記事を読み込んで、予想をつけたらしい」
「あなたは会いたくなかったの?」
「今さら会っても帰れない。また別離の悲しみを背負わせるだけなら、知らせない方がいいと思ってた。忘れられてたら、それはそれでいいと。だから亀蔵殿に聞かれても、自分の名前以外は答えなかったんだ。なのに……」
「じいちゃんらしいねぇ」
さっき弟さんは、一年前と言っていた。きっと祖父は、自分の体調が悪くなりはじめて、クロードの
クロードが私を懐に引き込むようにして、抱きしめる。
「信じてもらえなかったと、亀蔵殿はそれだけしか言わなかったが、ちょうど俺がここに飛ばされたタイミングで、電話口での会話を聞いたんだ」
「……うん」
「信じないだけならまだしも、罵声を浴びせてたんだ。亀蔵殿が、俺を拐った誘拐犯だとか、詐欺でも企んでいるのかとか、それはもう聞いていられないほどだった。だから受話器を取り上げて、俺が切った」
かける言葉がなくて、私はせめてクロードの気持ちが落ち着けばと、彼の背に腕を回す。
「俺がここに来るたびに、泣き言を言うせいで、亀蔵殿に余計な辛い思いをさせた。申し訳なかったと、今でも後悔している。俺にはもう家族はいない。両親や弟だろうが、亀蔵殿を傷つける者は許さない。その上、おまえにまで同じ思いをさせたくないんだ。だから約束してくれ、キヨ」
「約束?」
少しだけ腕を緩め、クロードを見上げる。
「またあいつが来ても、この家に上げるな。そして俺のことは、喋らないで欲しい」
「でも」
「もう元には戻れないんだ。これ以上、失望したくないし、させる必要もない」
「……うん、分かった」
クロードが祖父を大切に思ってくれているのは分かるけど、でも本当にそれでいいのだろうか。きっと祖父は、疑われることは承知の上で、連絡をしてみようと決めたんじゃないのかな。
だけど今は何を言っても、かえってクロードがさらに傷つくのではないかと思い、何も言うことができなかった。
彼自身が名乗り、そして祖父が呼んだ通り、彼はクロードとして生きていくしかないのだ。望むか望まざるかは別として。
「……ねえ、ところで」
「うん?」
「いつまでこうしてるの」
玄関に通じる廊下で抱き合う格好になっているが、もうそろそろ離してもいいと思う。
タイミングがよく分からず素直に聞いてみたものの、クロードは動かない。この
「……柔らかくて、いい匂いがするから離し難い」
「うわ、変態発言はやめて」
そもそもいい匂いどころか、昨夜は仕事を仕上げてそのまま寝入ってしまったのだ。それを思い出したのと同時に、項に鼻を当てられくんくんされたので、脛をスリッパの先で蹴って抜け出した。
ああ、危ない危ない。とりあえずお風呂に入って着替えよう、うん。
脛をかかえ大袈裟に悶えて見せるクロードを置いて、私は洗面所に向かった。
とりあえずシャワーだけでもと、身ぎれいにして戻ると、クロードが縁側から外を眺めて座っていた。しかも来た時の服に着替えている。
「もしかして、もう?」
驚いて聞けば、クロードは困ったような顔を私に向ける。
「まだ兆候すら感じてなかったんだが、さっきから急に時間が迫ったようなんだ」
「え、でも、こっちに来てからまだ二時間と少しだよ?」
「こんな感覚は、初めてだ」
クロードは、自分の手のひらをじっと眺め、考えあぐねているようだ。
「急に?」
「ああ、急に引っ張られるような感覚が強くなった」
「原因は?」
「分からん」
クロードが頭を横に振る。私はクロードの横に膝をつき、途方にくれたような顔をする彼に寄り添った。
「向こうで、何かあったとか?」
「いや、思いつかない。今はまだ小競り合い程度で……ただ」
「ただ、なに?」
「向こうで養父から離れると決めたとたんに、責任がついて回るようになって困っている」
「責任?」
「養父の元から俺について来てくれた者たちや、養父と袂を分かつことを聞きつけ、加勢してくれる者たちに、御輿になれと言われている」
「御輿? でもそれはお姫様とリコなんじゃ」
「もちろんだ。だが戦いの方を引き受けるのは、出来ると思う。でも御輿は二つも要らない。目的を達したら、俺は少し身を隠そうと思う」
「それって、リコとお姫様のため?」
「争いの素は断ちたい」
「そう……辛い立場ね。でも隠れるって、どこに?」
そう聞くと、クロードは私を見て笑った。
「そうだな、一番に考えたのはキヨの側かな」
「…………私?」
「そう。美味い飯と酒と女。一番の隠れ場所なんだが、辛いことに時間制限つきだ」
「ただ飯食らいは、勘弁して欲しいわよ」
クロードは屈託なく笑った。
ああ。
そうできたら、どんなにいいだろう。
ふざけたように言うけれど、その言葉の全てにクロードが私に向けていてくれる心がこもっている気がして、嬉しい。
「じゃあ次は、花見にしよう」
「花見?」
クロードは私が飾った花のカレンダーを眺めて、「桜か」と呟く。
私が出来ることといえば、必ず次があると信じさせてあげることくらい。
「ちょうどね、今年の桜は遅いって聞いてるし、四月半ばまで持つと思うの」
「そうか……もうそんな季節か」
「そうよ、雪ももう融けて、山の上のここにも春がくるの。お酒と、美味しいお弁当を持って行こう」
「ああ、楽しみだ」
「うん。だから必ず、戻ってきて」
私のところに。
どちらからともなく唇が触れて、私は彼の眼帯を撫でる。
「怪我なんてしたら許さないから」
「……善処はするが、約束はできない」
人には約束をさせておきながら、なんて自分勝手な。そう言って頬を膨らませれば、クロードはなぜか満足そうな笑みを見せた。
そうして時間がきたのか、立ち上がって言った。
「じゃあ、行ってくる」
私は頷き、彼が襖の方に行くのを振り返りもせずに見送った。
「いってらっしゃい」
そうして三月の短い逢瀬は終わった。
どこか物足りない気持ちはあるものの、気になることがたくさんある日だった。彼の弟を名乗る人がやってきて、それを拒絶したクロードの気持ちを立てたものの、どうしても気になる。
そう思いながら過ごした翌日の朝、新聞受けに入っていた小さな紙を見つける。
それはクロードの弟が突き返された、彼の名刺だ。名前とともに書かれている肩書は、隣県の大学の民族研究室。裏返すと、そこの研究室の電話番号と、手書きのアドレス。
きっと藁をもすがる気持ちで、これを投函して帰ったのだろう。
私はそれを無下にすることもできず、仏壇の引き出しにしまうことに。そこには、かつて預かったまま、読むこともなく忘れられていた祖父の手帳が。
思わずその手帳を手に取ったところに、玄関から呼び鈴が鳴らされた。
まさか弟さんがまたやって来たのかと、慌てて玄関に向かうと。
「おはようございます、関工務店です」
そうだった、今日は工務店さんが見積もりを取りに来てくれるんだった。
慌てて鍵を開けて中に招き入れる。
事情を説明すると、開けられた壁の穴の状態と、それに続く床下をまずは確認したいとのことで、さっそく中を見てもらうことに。雨などで開けられた部分から浸食していると、大がかりな補修になるかもと言われてハラハラしつつ、お茶を用意して戻る。すると工務店の男性が、小さな巾着包みを私に差し出した。
「押し入れの床が一部、外れている所があって、そこの下に落ちてました。もしかして、これを探すために穴でも開けたんじゃないですかね?」
なんだろうと開けてみると、中に小さな桐箱が入っていた。蓋をあけると朱色の布に包まれたものを見て、私は絶句する。
柔らかい布地から出てきたのは、宝物殿で見た月鏡とそっくりな石だった。
三センチほどの滴型の石を覗き込むと、薄水色の宝石の中に、きらきらと小さく光が反射して輝いていた。下部が欠けて、むき出しになった断片から、石が二層からなっていることが分かる。
「ああ、やっぱり宝石か何かだった? そりゃ必死に探すわけだよ。でも思ったより丁寧に切り込まれていて、腐食もなかったし、簡単に塞げそうだから安心して」
そう工務店のおじさんは告げると、また後日資材が揃ったら連絡すると告げて、早々に帰っていった。
私は残された月鏡の石を手に、ただただ座り込んで、おじさんに「はい」と頷くしかなかった。
ねえ、じいちゃん。
どういうこと?
私は混乱したまま、仏壇に置き忘れていた祖父の手帳に、手を伸ばしたのだった。
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