三の月

第21話 花嫁衣装と失われた月鏡

 三月に入り、暖かいと感じる日が増えてきた。まだまだ寒さがぶり返す日もあるけれど、確実に晴天の日差しは強くなり、春がそこまでやって来ているのを肌で感じる。

 祖父の家は南斜面に面していて、集落のなかでも日当たりが良い方だ。雪も庭の木影に残る程度となったため、私はかねてより考えていた、押し入れから外に出るために開けられた、壁の修復を依頼することにした。

 やっぱり若い女の独り暮らし、田舎といえども用心に越したことはない。

 ということで、真伯父さんに工務店さんを紹介してもらい、電話をする。すると二つ返事で三日後に一度、見に来てもらえることになり、ひとまず安心だ。

 そうしていると、玄関の呼び鈴が鳴った。

 今日は日菜姉の、お式の衣裳合わせに付き合う予定になっている。式は、今月の最後の日曜日に、神社で行われる。あらかじめ衣裳と白無垢は決めてあったけれど、悪阻が始まっている日菜姉のために、苦しくない着付けと髪型の再打合せをする。着付けや化粧をしてくれるのは、隣町の美容師さんたち。私は式の当日は、最も動きやすい親族として、日菜姉のサポートを引き受けた手前、この衣装合わせにも同行することに。


「ごめんねえ、キヨちゃん、お仕事忙しいのに」

「大丈夫よ、日菜姉。あと少しで片付くし、締め切りには間に合うから」

「そう? 仕事が絶え間ないのは、いい事だけど、無理して身体を壊さないようにね?」

「うん、分かってる」


 迎えに来てくれた日菜姉と、美音伯母さんとともに神社に向かっている。

 仕事の独立を考えた時は、正直不安でいっぱいだった。しかしやってみたら、まだ小さいものが多いけれど、順調に仕事ももらうことができて、今は何とかなっている。おかげで先週は、久しぶりに東京に戻って打ち合わせをするはめになったが、それも仕事があってこそ。いくつかは吾妻さんの紹介でもあるし、確実にこなしていきたい。とにかくキャリアを積んで、長くやっていけたらと頑張っている。

 そういう、仕事の事情を話していることもあり、日菜姉はよく心配してくれるのだ。先月の釣りのあと、クロードとのことも聞かれたけれど、今はまだ互いの気持ちを伝えあっただけだと知ると、それ以上は詮索しないでくれている。

 やっぱり日菜姉は、一人っ子の私とは違い、お姉さんなんだなと思う。


「すごい、綺麗だよ、日菜姉!」


 神社の社務所の一室で、衣装を合わせた日菜姉は、まるでお姫様のようで美しかった。いつもは天真爛漫に笑う日菜姉も、この時ばかりは動きも表情も大人しく、別人みたい。内掛けの生地は、軽いものに変更したが、鶴の模様が織り込まれていて、充分美しい。近くで見るとため息が出るほどだ。

 角隠しはかつらとセットなので、長時間つけていると重く、負担だということで、美容師さんからの提案で変更。地毛をふわっと盛って編み込んでまとめ、そこにレースが美しい、被るタイプの綿帽子に。生地はシースルーなので、まとめ髪の美しさも見えて、とても素敵だ。


「どう? 苦しくない?」

「うん、これならなんとかなりそう」


 日菜姉の返事に、美音伯母さんや美容師さんたちも、ほっと胸を撫で下ろしている。


「確か、お式も披露宴も、椅子だったわよね?」

「そうよ、東京と違って披露宴っていったら、近隣の年寄りも大勢呼んでするんだから、お座敷で正座で披露宴なんて、無理無理。みんな膝が痛い、腰が痛いって大変なんだから」

「あらまあ、もうおしとやかな日菜はどっかいっちゃったのね」


 美音伯母さんの言葉に、日菜姉は慌てて口を抑えた。そんな様子がおかしくて、私はプッと吹き出し、美容師さんたちもにこにこ笑った。

 そうして衣裳の確認が終わり、脱ぐのも一苦労の日菜姉を置いて、私は外に。久しぶりにお参りをしていこうとしたら、宮司さんに出くわしたので会釈すると。


「笹平日菜子さんの、妹さんですか?」

「いえ、私は従妹なんです」

「ああ、そうですか。ではあなたが、亀蔵さんの家に来たという、潔子さんでしたか」

「……はい、お祭りの日には、ご迷惑をおかけしました」


 見た目は三十代のようにも見えるけれど、たぶんもっと上だろう。とても落ち着いていて、優しそうな宮司さんだった。


「いいえ、あなたのせいではありませんから。……月鏡の神楽は、ご覧になられましたか?」

「あ、はい。夜の部だけですが」

「それは良かった。亀蔵さんも、とてもお好きだったようで、毎年必ず、見に来てくださったんですよ」

「そうなんですか?」


 それは初めて聞いた。お祭りのことや、由来など、確かに教えてもらったことはある。でも、特に思い入れがあったとは。


「一度、天人さま所縁の宝物である月鏡について、熱心に訊ねられたことがありました。それ以来、よく資料の整理を手伝ってくださって、本当に助かったものです」

「宝物ですか? てっきり月鏡の欠片は御神体なのかと」

「いいえ、月鏡はあくまでも宝物。お祀りしている天人様の所縁の品として、天人様の祠で保管していたそうです。ですが不慮の事故で失われてしまったので、現在祠にお祀りさせていただいているのは、模造品となります。元来宝石のように美しい石なんだそうですよ」

「……月鏡って、昔の鏡の破片って聞いてましたけど、違ったんですか?」

「鏡、と呼ばれるのにはわけがあるのですよ。もし良かったら、誰にでも解放している資料がありますので、ご覧になりますか」


 私は誘われるまま、社務所の奥、小さな宝物庫に足を踏み入れていた。

 宮司さんは、その倉庫の棚にあった箱を取り出し、作業台のような広い机に置いた。


「これも一般参拝者向けの写しですから、そう緊張される必要はありませんよ」


 そう言いながら見せてくれたのは、宝物図録のようなものだった。写しとはいえ、ずいぶん古く、黄ばんだ和紙が、糸でまとめられたものだ。その中から、ある絵図の載った頁を広げる。

 その絵は、宮司さんの言う通り、宝石のようだった。丁寧に彩色されており、灰色の石の上に、薄青色のガラス質のような石が、滴のように丸く貼りついている。だが確かに、絵の横に「月鏡」と書かれている。

 

「下部の金属を含む岩石のせいでしょうか、鏡のように覗きこむ者の顔を写したと、言われています。そのせいか、拝殿が傷んで壊れた隙間から、光り物と勘違いした鴉などが持ち去ったのだと、言われています」

「それは、残念な」

「そうですね、でももう、百五十年ほど前の出来事です。ですが、こうも考えられるんですよ、どこかで片割れと再会しているかもしれないと」


 割れてバラバラになったものが再び再会したのなら、翁と娘の罪も許されるといいな。


「そういえば、そもそも割れたのは、本当だったんですか?」

「ほら、ここに」


 図録の説明書きは、達筆すぎて私には全ては読みきれないが、図録では割れたというよりも、欠けているという表現になっているみたいだ。


「欠けた片はおそらく、小さいものだったのではないでしょうか」

「そういえば、神楽ではその欠片がどうなったか、語られてませんでしたよね」

「それは天人さまについてもです」


 そうだ、あのあと怒りと悲しみにくれた天人様はどうなってしまったのか。


「キヨちゃん、お待たせ」


 着替え終わった日菜姉が、私を探して宝物庫に顔を出した。一緒にいる宮司さんを見て、日菜姉は持っていた鍵を差し出した。


「こんにちは、ちょうど鍵を返しに行こうと思ってたんですよ」

「終わりましたか?」

「はい。場所をお借りできて助かりました」


 宮司さんは鍵を受け取り懐に納めると、広げていた図録を箱に戻した。


「大切な資料を見せていただいて、ありがとうございました。とても興味深かったです」

「そうですか、またいつでもいらしてください」


 にこやかに微笑む宮司さんに改めて礼を言い、私たちは神社を後にした。

 

 日菜姉たちとは家の前で別れ、私は戻って残りの仕事を片付ける。明日は満月だから、休めるように……

 そう思って昨夜はつい、徹夜に近くなってしまった。なんだかあいつに会うために張り切ってるみたいで、ちょっと恥ずかしいような、でも待っているのも事実で。自分にこんな乙女的要素があったことに驚きだけど、そんな変化も悪くないと思うから、かなり重症かもしれない。

 けれども浮かれていたせいか、いくつか見落としがあって修正しないといけない箇所を見つける。結局は完成したものと資料をまとめ終わり、データを送り終わったのは、日付が変わってからだった。


「あー、疲れた……」


 片付けもそこそこに、コタツでうとうとする。

 布団をひかないと。そう思いつつも、あと三分だけと言い訳をして突っ伏したのが、間違いだった。

 ふと寒さで意識が浮上する。

 そういえば、危ないからストーブはいつも時間で切れるようにしてあったっけ。机に突っ伏したままそんなことを考え、起きなきゃと思ったのと同時に、ふわりと肩に毛布がかけられた。

 顔を上げると、心配そうな顔のクロード。

 初めて見る細かい細工のある革製の眼帯をつけて、なんだか男前が増したきがする。向こうで女の人にモテそう。

 それにしても、よく寝た。もうそんな時間なのか。起きてからいつ来るんだろうと、待たなくていいのは嬉しい。

 にへっと笑えば、クロードは困ったような顔で言った。


「キヨ……おまえ、涎、垂れてる」


 一瞬で、頭が起きた。


「な、やだ、うそ」


 袖でごしごしと口元を拭えば、クロードは「冗談だよ」と言いながら、笑った。


「酷い、びっくりしたじゃないの、もう!」

「そんなとろんとした顔をする方が悪い」

「え、私の寝起きってそんなアホ顔だった?」


 それはそれで恥ずかしい。ショックを受けていると、クロードは「そういう意味じゃないって」と呟きながら、着替えをするらしく、服を片手に隣の居間に去っていった。

 いったい何なのか。寝てたから怒ってたのかな。

 時計を見ると、朝の七時。ずいぶんコタツで寝込んだものだと、自分でも呆れる。お腹も空いたことだし、顔を洗って朝食にしよう。私もまた洗面所に急いだ。


 こんなに早い時間に来るとは思っていなかったので、朝食はいつもの食パンにマーガリン、それからスクランブルエッグとベーコン。サラダは昨夜の残りを添える。それだけじゃ足りなそうなクロードには、残り物のウインナーをタコさんにしてあげた。

 本人は笑っていたけど、結局タコさんを最後までとっといてあったので、そういうことだろう。

 温かい珈琲を入れて、まったりとしているクロードの横で、私はとりあえず寄せてあった仕事の書類を片付けていた。


「夜遅くまでするほど、仕事が忙しいのか?」

「うーん、量はそれほどじゃないけど、どうしても納期はあるから。そういつものことじゃないよ」

「暮らしていけるほど、仕事はちゃんとあるのか?」

「それは大丈夫、吾妻さんが心配してくれて、いくつか伝手をつけてくれたの。そことは順調に、いい関係を築けてる」

「ああ、吾妻さんか」

「そ、あんたがお節介して電話した人」

「結局は会社を辞めたから、俺のしたことはいらぬ世話だったな」

「それは違うよ」


 改めて説明する機会がなかったなと思い、篠原さんとのトラブルのきっかけ、それからそのきっかけとなった仕事を請け負った上で、円満退職だったことなどを、かいつまんで話して聞かせる。


「まあ、とんとん拍子にそういう流れになったのは、誰かさんの幸運のおかげかもしれないわね」


 感謝しているのは本当のことで、改めて口にしていなかったと思い伝えたかった。


「俺の幸運は、無理やり作られたものだ。だがキヨに感謝されるなら、良かった」

「作られたもの?」


 クロードは小さく頷き、カップに残っていたコーヒーを飲み干すと、話し始めた。


「養父が俺を拾ってから、すぐだったと思う。何か得体のしれないものを飲まされたんだ。まじないの類だと思う。俺が違う世界から来た人間だと分かってすぐだから、何かそれも意味があったのかもしれない」

「飲まされたって、薬かなにか?」

「いや、どうだろう。固くて味もなにもしない物だった。水で無理矢理飲みこめと。そんなことがあってすぐに、養父の傭兵団の戦績が良くなって、すぐに国単位での仕事も請け負うようになり、仲間が増えていったと聞く。だがそれだって、確証はないと思ってるが、養父から詳しい話は聞いていない」

「相変わらず、最初から最後まで、とんでもない養父ね」

「まあな。何を考えているのか分からせない人だ。だが、勝負ごとはゲンをかつぐからな。仲間からは重宝されてきた」

「そう、一応あなたにとっても、役には立ってたのね」


 クロードは遠い目をしながら、「そうだな」と呟いた。

 そろそろ、冬が終わる。クロードの厳しい日々が、始まるのだろうと思うと、どう言葉をかければいいのか分からない。

 そんな時、玄関のベルが鳴る。


「こんな朝から誰だろう」


 節子さんが回覧板でも持ってきたのかしら。そう思って玄関まで行き、鍵を開ける。すると擦りガラスの向こうには背の高い影が。


「はい、どちら様ですか」


 引き戸を開けると、そこに立っていたのは、まだ二十代前半といったところの、若い男性だった。


「突然すみません、笹平亀蔵さんはいらっしゃいますか」


 すっきりと整った顔立ちに、ひょろりと細身の男性は、どこかで見たような風貌だった。

 

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