二の月
第18話 祝いの席とお誘い
二月に入り、ぐっと寒さが増して、雪かきと凍結との戦いの日々が始まった。雪の日が増えると、家にこもることが多くなり気分もどんより。そんな空気を一変するような日菜姉の妊娠の報せに、近しい親族たちは喜びに沸いた。
今日は真伯父さんの家での、親戚の集まりに参加している。その席で、日菜姉のおめでたが伝えられた。
まだ安定期には少し早いけれど、経過は順調。けれども来月に挙式が予定されていて、妊娠は何があるかわからないものだし、事前に伝えておこうということになったみたい。
とはいえ、親戚はそう多くない。日菜姉は私の母方の従姉で、真伯父さんと母は二人兄妹。日菜姉の母親である
「キヨちゃん、久しぶり! 祭りの日は大変だったみたいね」
「
声をかけてくれたのは、仕事の都合で遅れてきた、日菜姉の妹で従妹の満ちゃん。私よりも三つ年下で、今は少し離れた隣の市で就職して、気楽な独り暮らし中だ。
「ねえねえ、ちょっと」
満ちゃんが私を呼び寄せ、そっと手のひらを添えて耳打ちする。
「キヨちゃん、すっごいイケメンと付き合ってるんだって?」
「……なんのこと?」
イケメン? 付き合ってる? いったい何のことか、しばらく考えても思いつかないでいると、満ちゃんが「もうっ」と焦れたように続けた。
「お祭りのときに、イケメン連れてたって。ほら、じいちゃん家のそばの豆腐屋さんとこのさっちゃん、同級生なの。なんか、お祭りのときに見たって。すごく背が高くて格好いい人が、颯爽と現れてキヨちゃんを守って、ドラマや映画のシーンみたいだったって。同棲してるんでしょ?」
私は満ちゃんが続けたこそこそ話から、ようやく彼女の言っている対象がクロードだと分かり、慌てて首を横に振って否定していたのだが。最後のセリフで思わず噴き出してしまった。
「な、ないない、あいつと付き合ってるなんてとんでもない、同棲もしてないし!」
つい大声を出してしまい、歓談していた親族が、どうしたのかとこちらを見ている。
お騒がせしましたと頭を下げ、満ちゃんを引っ張って、廊下に避難だ。
「聞いてた話と違うの? 残念、紹介してもらえると思ったのに」
「こーら満、キヨちゃんを困らせないの」
「あ、お姉ちゃん」
残念そうな声を出す満ちゃんを叱ったのは、キッチンから顔を出した日菜姉だ。お客さんに出すお茶を盆にのせ、ちょうど通りかかったところのようだ。
「あ、私が代わりに運ぶよ」
「いいのよ、キヨちゃんはお客さんなんだから。それより、満。下世話なことばかり興味を持たない、キヨちゃんに失礼よ」
「だって、気になるじゃん。お姉ちゃんだってそうでしょう? でも、ごめんねキヨちゃん、噂をつい真に受けちゃった」
「ううん。私もあの日は騒がせちゃったし、そういう話題が出るのも仕方ないよ」
素直に謝る満ちゃんは、快活で、素直。そういう末っ子気質で、人に好かれる満ちゃんが変わりないようで、安心した。
田舎は娯楽も少ないし、井戸端会議で話しが回るのが早いものだ。きっと、あれは誰だろう、なんて話が膨らんでしまったのだろう。どこまで噂が回っているのか、後で節子さんにも聞いてみた方がいいかも。悪気はないとはいえ、放っておいたらどこまで設定が進むかわかったものじゃない。
「誤解させてごめんね、豆腐屋のさっちゃんが見た人は、じいちゃんの知り合いで、今でもお線香を上げにきてくれてるのよ」
「あ、知ってる。その人なんだ?」
「そういえば満も、かなり前に会った事あったわね」
日菜姉いわく、祖父の健康診断かなにかで車を出したときに、便乗して学校に送っていってもらった事があるそうで、そこでクロードと出くわしているみたい。それで満ちゃんも、納得がいったようだった。
満ちゃんも実家に到着したばかりだったようで、美音おばさんと浩介さんたちに呼ばれる。日菜姉はそんな妹に、ちゃっかり持っていた盆を託して向かわせた。
「ごめんね、満ってばいつまでも子供っぽくて」
「日菜姉が謝ることないわよ、別に気にしてないから」
「そうそう、あの後、篠原さんっていったわよね、彼女の件は無事に収まりついたの?」
日菜姉は篠原さんの襲撃に居合わせたこともあり、気になるのも当然だ。
「篠原さんのお父さんが、事業をいくつかしているらしくて、大事にはしたくなかったみたい。弁護士さんと一緒に示談のための話し合いの場を設けてくれたの。わざわざこっちまで出向いてくれて」
「そうなのね、話しが分かる方だった?」
「事前に吾妻さんが、篠原さんが起こした仕事でのトラブルの事情を説明してくれてあったようで、スムーズに話がついたわ。こちらに落ち度はないということで、文書を作って終わり。篠原さん本人は、監視をつけて療養されることになっていて、本人も毒気を抜かれたように、落ち着いてきているみたい」
「そう……良かった。直前にその篠原さんのことを聞いた矢先だったし、本当にびっくりしたわ」
「日菜姉と伯父さんにも迷惑かけて、お騒がせしました」
「キヨちゃんは何も悪くないんだから、それは気にしっこなしよ。それよりキヨちゃん、別件でお誘いがあるんだけど」
両手を合わせて、満ちゃんとよく似た笑顔でわたしを伺いながら言った。
「明日の晩、ワカサギ釣りに行かない?」
「明日?」
明日は満月にあたる。自宅のカレンダーを頭に思い浮かべながら答えあぐねていると、日菜姉は首をかしげる。
「用事があった?」
「用事ってわけじゃないんだけど、その日は来客があるかもしれなくて……」
「……もしかして、クロードさん?」
「まあ、はい」
きょとんとしていた日菜姉の顔が、ぱっと明るいものとなる。
「ちょうどいいじゃない、彼も一緒に誘って行ったらいいわ!」
「行くって、どこに?」
「あのね、浩介がいつもお世話になってる松川がね、山向こうの湖でワカサギ釣りの観光案内所をやってるの。それで暖房のきいた氷上釣り用の小屋を新しくしたから、夜の解放もすることにしたんだって。それでオープン前に地元の関係者を集めて披露することになったのね、それで浩介と私が招待されたの」
でもいくら暖房完備とはいえ、日菜姉はまだ安定期に入ってないし、氷の上で冷えは大敵だ。
「私は挨拶だけで、湖畔の家の方に待機することになったから、釣り場が余ってるの。良かったら体験してみない? 松川さん、張り切って釣りだけじゃなくて、その場で食べられるように色々と準備をしてくれてるみたいで、賑やかしがいないと悪くって」
「そういうこと。それなら満ちゃんは?」
「満はね、明後日は仕事で、夜に終わってから戻るのは遅すぎなの」
「そうなんだ……でもクロードは、いつも満月の日にふらっと来て、じいちゃんに線香あげて、あっちの都合で帰っていくから、いつ来るのかもさっぱり分からないのよね」
「そうなの? 連絡先は?」
私は首を横に振ってみせると、日菜姉は少し驚いた顔をしている。
「仲良さそうだったのに、ちょっと意外」
「まさか。じいちゃんの存在だけが、接点よ」
「そう……残念だわ、キヨちゃんにも松川さんを紹介したかったのに」
困った風の日菜姉。松川さんという人は、浩介さんにとって、それほど大事な相手なのだろう。
「いいよ日菜姉、行くよ。クロード次第で私一人の参加になってしまうけど、それで良ければ。浩介さんも行くんでしょう?」
まったく見知らぬ人の中に一人っていうわけじゃないし、大丈夫だろう。
「うん、もちろん。二時間くらいの会だから。でもいいの? 彼のこと放っておいて」
「私がまだいなかった時も、章吾さんのところでよくお世話になっていたみたいだから、明日のことはまたお願いしておく」
「そう、ありがとうキヨちゃん。じゃあ浩介が車を出すから、お酒飲んでもいいからね!」
日菜姉、私のことどれだけ酒飲みだと思ってるの。
私は苦笑いを浮かべながら、彼女から告げられる待ち合わせの時刻を、スマホにメモしていた。
◇◇◇
翌日。
日菜姉たちが迎えに来るのは夕方の五時。それまでに軽食を用意するため、私はキッチンに立っていた。
検索して正確な満月になる時刻を調べると、今日の八時くらいだった。先月の満月は二十二時、でも今日は十四時だが、十五時の今現在、彼はまだ現れていない。こちらの満月と正確にリンクしているわけではないと分かり、少しだけがっかりしている自分がいる。
なにか法則性が分かれば、不可解な行き来の謎が解けるかもしれないと思うのに。
いくら章吾さん夫婦とは顔なじみとはいえ、何から何まで世話になるのも悪いと思い、クロードが来たときに食べられるものを用意しておく。先日、章吾さんから試飲でもらった酒があるので、それに合う肴を考えた。フルーティーな味わいのお酒だったので、トマトとチーズの鍋に、ハムと卵のサンド、それからいただきもののピクルスと、少し洋風な品揃えに。材料を切っておいて、クロードが自分で鍋のスープに投入すればいいように、卓上コンロを出す。それからメモを用意。
全てが準備できたのが、ちょうど四時半を回ったところだった。
いくら暖房を使っても氷上は冷え込むから、タイツを履いて、その上からスキーが出来るくらいの厚手の靴下を履くようにと、日菜姉から言い渡されている。そろそろ着替えをしないと迎えが来てしまう。
そうして急いで着替えを済ませたところに、ドスンという音とともに、押し入れの襖が外れて、聞き覚えのあるうめき声がした。
「クロード?」
「いたた……」
「ねえ、いつも思うんだけど、もう少しスマートにやってこれないの? 押し入れが抜けそうよ」
襖を両手で持ち上げ、レールにはめ直してから引き開けると、あぐらをかいたような姿勢で転がっているクロードが「すまん」と苦笑いを私に向けた。
「来月の雪が融けた頃には、大工さんを呼んで、あなたのために開けてあった隠し扉を塞ごうと思ってるの。その前に穴を大きくされたらたまらないわ」
「普通に椅子に座ってたんだが、こっちに椅子までは来ないから、尻が落ちた」
「へえ、じゃあ立ってたら?」
「しこたま頭をぶつし、下手したら天井に穴が開くかもな」
「……それも困る」
押し入れから出て来たクロードは、コートを着込んだ私の格好を眺める。
「どこかに出かけるところだったのか?」
「あ、そうそう。日菜姉に誘われて、山の上の湖でワカサギ釣りに行くところだったの。あんたも一緒に来る?」
「ワカサギ釣り?」
「そう、小さい湖だけど山の上だから凍るのよ。そこに穴を空けて釣り糸を垂らして釣るの。知らない?」
「ああ、子供の頃にテレビかなにかで見た記憶がある」
時計を見ると待ち合わせまであと十分もない。
見れば、クロードは鎧こそ来ていないものの、薄いシャツとズボンの簡素な格好だ。あちらも冬と聞いていたのに、それでいいのかと問いたいところだが、時間がない。
彼に顔を近づけてくんくんと鼻をきかせた。
急に顔を寄せられて驚いたのか、身を引くクロードの服を掴んで、代わりとばかりに着替え一式を押し付けた。
「お風呂に入ってる余裕がないからよかった、今日は臭くないわ。とにかくすぐに迎えが来るから着替えて。私は日菜姉に電話するから」
目を白黒させているクロードを置いて、私はスマホを片手に部屋を出た。
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