第17話 獅子の舞いと古の教え

 私が一度見てみたいと思っていた神楽は、獅子の面をつけて行われる古い言い伝えを演じる、田楽と言った方が近いのかもしれない。

 この町で育った母親や祖父から、よく話には聞いていたが、きちんと通して見たことがなかった。その理由は神楽が行われる時期にもある。毎年祭りが行われるのは一月十五日。離れて住んでいたし、学校が始まっている平日になることも多く、途中で帰宅の徒につくことになったため。

 クロードとともに舞台を望める位置に立ち、始まりの時刻を待っていた。

 雪が均された神社の敷地に、仮設の舞台が敷かれており、その周囲を松明が照らす。


「昼間に見損ねた演目とは、続きの話になっているの」


 祭りに合わせて用意された、小さな説明書きの紙を広げて読む。とても分かりやすい説明がされているので、私がかいつまんで説明するより、これを聞かせた方が早い。


「主な登場人物は村人の翁とその娘、翁を導く美しい赤い鳥と、獅子の面をつけた男、この獅子面が後の天人様。木を伐って生活をする貧しい翁が、ある日美しい鳥に誘われて入った山で、綺麗な細工のある鏡を拾う。この鏡を月鏡と呼んでいるのね。その鏡を娘のために持ち帰った翁の家に、ある日ふらりと獅子の面をつけた男がやってくるの。自分のことが何も分からないというその男に、最初は驚く翁だったけれど、行き場のない哀れな男を泊めてあげるのね。それから翁は数日後、また鳥に誘われて行った先で、宝の山を見つけて持ち帰る。善良な翁は決して独り占めすることなく、村の仲間と分け合い、みんな豊かで幸せになる。翁は助けた獅子が庭で赤い鳥とたわむれる姿を見て、男が幸運を呼び込んだ天の使いと思い、たいそう感謝し娘の婿に迎えることにした。そこまでが、昼の演目の内容ね」

「よくある昔話だな。善良な人が人助けをして金持ちになってめでたし」

「そうね。でも夜の演目がね……」


 そこまで説明したところで、時間がやってきたようだった。

 鼓が打たれ、舞台のそでに獅子の面をつけた踊り手が現れる。その者はすばしっこく飛び回り、中央までやってくる。面はとても古く、かつては彩色も鮮やかな面だったらしく、大きな口、大きな目、そして大きな牙をもっている。

 その獅子が、何かを探しているかのような手振り身振りに代わる。

 獅子の面の男は、妻となった女が持つはずの、鏡を探している。その様子に、娘の面をつけた踊り手が出て来て、驚いてみせた。

 夫が何を探しているのか悟った妻は、鏡を隠してしまう。

 天人と呼ばれた人ならぬ夫を愛した妻は、失うことを恐れた。そんな妻と獅子との舞いは、一方が舞えば一方が足を止める、交互にそれを繰り返し、互いに誤解やすれ違いを生んでいったことを思わせる。

 最後に背を向け合い、振り返ることなく離れて舞台を去る二人。

 一旦退いた舞い人に、ぱらぱらと、観客から拍手が送られる。


「なあ、今のってどういう意味だ?」


 説明を受けないままに観たクロードは、古い舞いの意味が掴めず、私に助けを乞う。


「クロードは、羽衣伝説って知ってる?」

「羽衣って、天女に結婚を迫って逃がさないように羽衣を隠す、あれか?」

「うん、それと少し似てるの。この場合は男女が逆だけどね。今のは、大事な鏡を返してほしい夫と、隠してしまった妻との諍いを表現してたわけよ」

「なんだ、めでたしめでたし、じゃなかったのか? それに、最初に出てきた鏡は、獅子の面の男の持ち物だったのか」


 少々がっかりした様子のクロードだったけれど、分からなくもない。私も最初に祖父や母から聞いたときは、どうして昼間の演目で終わっておかないのかと、心の底から思ったものだ。


「鏡が羽衣と同じ意味だったの。だから話はもっと拗れるのよ。ほら次が始まった」


 私はクロードに、舞台に現れた翁を見るよう指さした。

 翁とともに出てきたのは、赤い鳥の被り物をした舞い人。翁は鳥を追いかけ、鳥はくるくると舞って逃げる。


「翁はね、豊かさに慣れてしまったの。村人に富を分けたことで庄屋になって、不相応な責任がのしかかってきた。分けた富で豊かになった人々の欲望は、尽きなかった。もっと、もっとと翁を責めたてる。だから翁は美しい鳥に、再び宝の埋まっている場所を教えてもらえるよう、掴まえようとしているの」


 クロードは私の説明を聞きながら、逃げ惑う赤い鳥の舞いに、くぎ付けになっていた。

 舞台を二周ほどしたところで、新たに舞い手が現れる。獅子の面をつけた男だ。 鳥は獅子の面の男の後ろに逃げてしまい、翁は絶望と怒りに崩れおちる。しばらくそうして袖で顔を覆い、泣き崩れるような仕草をする。


「ここが一番の見せ場らしいわ」


 翁の舞い手が立ち上がると、その面は翁から牙をむいた猿のような醜い顔に替えられている。猿のようになった翁は、怒りの舞いを踊る。

 見ている側も、わあと歓声を上げる者と、拍手を送る者、様々だ。その中で、今度は翁と獅子の組み合わせで舞いが始まる。獅子は頭に着けたたてがみのような赤い飾りを振り乱し、翁は大きな斧を振りかざして踊る。

 ここからがクライマックスで、二人の間に娘が入る。翁の持っていた斧が、娘に振り下ろされる。翁は獅子を庇って倒れたのが娘だと気づき、後悔とともに失っていた心を取り戻す。娘が持っていた鏡が二つに割れて、獅子と翁の関係も別たれた。

 鼓が打ち鳴らされるとともに、舞台の中央で獅子が一人舞う。


「……あれは、深い悲しみの踊りか」


 黒子のような者たちが、獅子が求めていた鏡と、馬の人形、稲の穂と船を持って、獅子を取り囲み、踊りながら獅子を舞台から神様の元に連れ去っていく。

 与えられたものに満足せず、ただ求めるだけだった親娘と村人たちへの、古い戒め。そう伝えられている。

 

「悲しみというか、翁の浅ましさを嘆いて、一連の仕打ちに怒ってると聞いたわ」

「……俺には、妻を死なせた原因が、自分にあったと、後悔してるような舞いに見えた」


 そう言って、松明だけが残された舞台をまだ眺めているクロード。


「なんだか、哀しいお話だったね」

「ああ、救いがないな」

「でも獅子の面の男は、ここに天人様となって祭られてるのよ」


 主神の祀られている本殿の横で、ひっそひと他の神様とともに祠がある。祖父から聞いた話では、鏡の欠片が御神体として遺されているという。

 町の人たちに倣って、私たちはその祠の前まできて、柏手を打つ。


「その後、獅子の男はどうなったんだろうな」

「分からない。町の人なら知ってるかもしれないけど……気になる?」

「いや、いい」


 言い伝えは、教訓を与えはするけれど、真実をすべて伝えているとは限らない。

 しかし町や神社にとって今や、お話の内容はさほど重要じゃない。この祭りと舞いを面とともに後世に繋ぐため、小さい町ながらも守っていこうとしている。

 見学していた町の人たちが、今年の演者をつとめた若者たちを、ねぎらいに集まってきているのは、その努力をよく理解しているから。この日のために彼らは、三カ月も前から練習を重ねてきている。


「すっかり寒くなっちゃったね。帰ろうか」

「ああ」


 私たちは並んで参道を戻る。横に並ぶクロードの黒い肩に、白い大きな雪が舞い落ちた。


「寒いと思ったら、また降ってきたね」

「キヨはずいぶん前から、鼻が赤い」

「そういうあんたはまったく平気そう。いやだわ、これだから筋肉は」

「筋肉? それより慣れだと思うぞ。だが確かに、筋肉はないよりあった方がいい。キヨはもう少し鍛えたらどうだ、この前ちょっと冷えたくらいで足がつってたろう」

「やだ。私はインドア派なの。それに温まるなら筋肉じゃなくて、断然お風呂がいい」


 そうよ。早く帰って、お風呂で温まりたい。


「まあ確かに、風呂に勝るものはないよな。うん、早く家に帰って風呂に入ろう。急ぐぞキヨ」


 クロードがポケットにつっこんでいた私の手を引っ張り、歩くスピードを上げる。

 そして追い抜いた人が、ぎょっとして振り返っるのを見て、私の顔に血が集まる。


「ちょっと、声が大きい! なんて言い方するのよ、馬鹿。変な誤解されるじゃないの」

「ははは、気にするな。嘘は言ってない」

「だからそういう問題じゃないんだって!」


 私たちは言い合いながら家に戻り、大急ぎでストーブに火を入れ、温かい風呂を用意した。

 向こうの世界でたっぷり湯船につかる文化は稀だと言っていたから、やはり恋しいのか。先か後かの順番取りに、子供のようにジャンケン三本勝負をし、私が無事に優先権を勝ち取りった。

 今日は色々とあった。こんなに妙な汗をかいたことはないというくらい。そんな疲れが、温かい湯でほぐされていく。


「そうだ、ねえ戻るのはいつ頃?」


 入れ替わりで入ったクロードに、脱衣所から声をかける。

 シャワーの音に、嫌な予感がして私は浴室への扉を叩く。


「ねえ、頭洗ってないでしょうね? あんたは湯船に浸かるのだって問題なんだから、止めてよね」

「大丈夫、濡れてない」


 いやいや、まったく真実味を感じられないんだけど!

 とはいえ、まさか中まで押し入ることはできないので、心配しつつも諦めるしかない。


「……で、いつまで?」

「ああ、朝まではいられる」

「分かった」


 私は髪をタオルで拭きながら、大きめの鍋にたっぷりの水を張り、ガスの火をつける。

 湯が沸くまでに、ネギを刻み、冷凍してあったとろろ芋を流水で解凍する。それからお銚子ちょうしに酒を用意し、温める。

 大鍋に湯が沸いた頃、クロードが以前も使ったスウェットに着替えてやってきた。タオルで拭いて誤魔化しているけど、髪から水が滴っている。

 蕎麦の束をもつ私の側までやってきて、持っていたタオルで私の髪を拭きはじめる。


「なんでまだ髪がが濡れたままなんだ」

「クロードこそ、我慢できずに髪まで洗って……わっぷ」


 クロードは鍋の火を止めてから、私の頭ににタオルを被せたと思ったら、蕎麦は取りあげられていた。


「飯は後でいいから、乾かしてこいよ」


 クロードに洗面所に押しやられ、私は観念してドライヤーを手に取った。

 乾かして戻ると、クロードがキッチンに立って蕎麦を茹でていた。


「驚いた、作ったことがあるの?」

「麺を茹でるのは、亀蔵殿から教わった。自分が留守なときは、勝手に食えと。それに一人で食べるのは慣れてたから」


 そういえば、両親が共働きだったって言ってたわね。


「ねえ、家族には連絡しなくてもいいの?」


 湯でこぼれないように、菜箸で麺を突いていた手が止まる。聞いてはいけないことだったろうか。

 

「もう二十年だ。死んだことになってると思うし、今さら帰れるわけでもないのに、期待させる必要はない」


 ゆで上がった麺をざるに上げ、用意してあった器に盛りながら、淡々とそう言った。

 私は自分で問うておきながら何もいう事ができず、作ってあった汁を注ぎ、蕎麦にネギととろろ芋を乗せた。そうして出来上がった蕎麦と熱燗の酒をいつものコタツに運び、すっかり年が明けた「年越し蕎麦」をいただいた。


「美味いな、これ」


 ようやく口を開いたのは、クロード。それは熱燗の酒がぬるくなってきた頃だった。


「そうでしょう、温度で味わいが変わるの。章吾さんが勧めてくれたんだけど、家でゆっくり過ごすときには、こういう味わいが変わるお酒も楽しいって」

「それじゃ朝から晩までのんだくれそうだな」

「うん、章吾さんの営業トークにやられてるとね、そうなりそう」


 お互い酒ならいくらでも、という性質を自覚しているだけに、私たちは笑い合うしかない。

 それからもう一本だけお銚子を足して、すっかり出来上がった私は、いつの間にかうとうととしてしまう。ぬくぬくと温まった身体が眠りを要求して、抗うことはできなかった。

 まどろむ意識のなかで、「しょうがないなキヨは」と祖父がよく言う台詞を聞いた。


 ひんやりとした空気が頬に当たっているのを感じて、意識が浮上する。

 昨夜は独りではないこともあり、ストーブの始末もせずに寝入ってしまった。けれども空気は冷えているから、きっとクロードが消してくれたのだ。

 けれども布団はあたたかく、いつもよりずっと心地いい。まどろみながら枕に顔をすり寄せて、ふと違和感を感じて動きを止める。

 温かいと感じると同時に、布団にしてはやけに重いものに包まれているのに気づき、目を開ける。すると目の前にあったのは枕ではなく、黒い眼帯をつけたクロードの顔。伏せられていた黒く長い睫毛が揺れて、ゆっくりと瞼が開いた。


「……キヨ?」


 私が驚きのあまり固まっていると、クロードは私を放しむくりと起き上がる。そして大きなあくびをかいて、私を見下ろす。


「どうした、顔が赤い。風邪でもひいたか?」


 その後、クロードの右頬に、くっきりと私の赤い手形がついた。


「機嫌直せよ、悪かったから」

「機嫌悪くない、なんのこと」

「キヨ」


 すっかり元の服に着替え終えたクロードの眼帯を外し、当てていたガーゼを外す。こうしていても、にこやかに笑っているんだけどな私。


「もう分かったってば、酔った私が誘ったんだよね」

「誘ったというか、寒いから少しの間、その筋肉で布団を温めてくれと言われ、つい俺も眠くなって悪かったと思ってる。キヨが寝付いたら出るつもりでいた。しかしキヨも、もう少し酒の飲み方を気をつけた方がいい、外であれは危ない」


 はあ、とため息をついて、自己嫌悪に陥る。

 クロードの瞼を斜めに走る傷に、水嶋先生から貰った洗浄水をかけて洗い、綿でまだ少し出る膿を拭き取る。傷とともに伏せて合わせられた瞼は右よりも落ちくぼみ、ひどく痛々しい。

 そこに薬を塗り、元の世界のものである包帯をあてて、巻いていく。


「これで大丈夫?」


 巻き終えて聞けば、クロードは頭を振って動作を確認する。


「ありがとう、大丈夫だ」


 私は内心ほっとしながら、薬箱を片付ける。元々手当てどころか、他人の怪我なんて怖くて見ることもできなかったのに、クロードのせいで、ずいぶん耐性がついた気がする。でも──


「もう、怪我はしないで」

「約束はできないが、善処する」


 クロードは困ったように笑う。けれどもそれはほんの数秒で、厳しいものに変わった。


「そろそろ時間のようだ」


 ただの祖父の友人筋肉マッチョから、ヴァン・アルザイル・クロード・サーウィスに戻ったその顔で、私に問う。


「また、来てもいいか?」

「……今さら聞くの。嫌だって言っても、来るくせに」

「そうだった」


 クロードは私の答えに満足したのか、爽やかに笑ってから、瞼を大きな手で覆った。


「またな、キヨ」


 気配が消えた部屋に、私の呟きが、誰にも届かず落ちた。


「うん。また、ね」

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