一の月

第13話 従姉の彼氏と不吉な便り

 新年を無事に新居で迎え、三が日の挨拶もようやく終えた一月四日。

 私は従姉の車を借りて、少々前のめりになりながらハンドルを握っていた。


「もう私、ぜったいにキヨちゃんの運転する車には乗らないと決めたわ……うぅ」

「ごめん……日菜ひなねえ、大丈夫?」


 山道の路肩に車を停めると、転げ落ちるように出て茂みに身をかがませる従姉の背をさすりながら、私はひたすら謝るしかなかった。

 雪が積もりはじめる前に運転の練習をはじめてはみたものの、いまだ山道の先が見えない急カーブと急勾配に翻弄され続けている。

 ひとしきり吐いてスッキリしたのか、日菜姉は私が持っていたペットボトルのお茶で口をすすぐと、運転席に乗り込んだ。


「あと五分の道のりでも、ここは譲れないわ」

「それはもう、お任せします」


 私は素直に助手席に収まった。

 従姉の日菜姉は、真伯父さんの長女で、私よりも二つ年上。地元の小さな会社で事務員をしていて、ここ何年かはじいちゃんの足代わりに、よく車を出してくれていたらしい。今日も私の買い物に付き合ってくれると、同行がてら車を貸してくれたのだ。

 その申し出には、正直ありがたくて飛びついたわけなのだけれど。


「ごめんね日菜姉、彼氏……婚約者さんにまで協力してもらっちゃって。こっちで古着屋さんとかあればよかったんだけど」

「気にしないで、こっちもキヨちゃんに、浩介のことはちゃんと紹介したかったから。でも、驚いたわぁ急に男物の服を揃えたいっていうから」


 さすがにスウェット姿で祭りに連れ出すには無理があるので、クロードに着せる服を用意しようと思ったのだ。しかしどこで買おうと悩んでいたところに、日菜姉が遊びにきたので相談することに。

 どうして男物の服が必要なのかと問われ、クロードのことを話していいものか悩んだ末に、友人を祭に連れていくのに必要だと告げた。すると察しのいい従姉にあれこれ追及され、クロードのことをポロリと口にしてすると、なんと日菜姉も会ったことがあると言うではないか。

 どうやら祖父の送迎に寄ったときに、何度か見かけたことがあったらしい。町の人じゃないようだし、年齢的にも友人というには不自然。けれども祖父に聞いても、教えてくれずはぐらかされた。そんな経緯があるだけに、クロードのことは印象に残っていたそう。

 だからなのか、日菜姉はにこにこと微笑みながら、こう提案してきたのだ。『浩介かれしの服を借りればいいじゃない、買うなんてもったいない。足りないものだけ買ったらいいよ、いいお店知ってるから、一緒に行ってあげる!』

 ということで、これから浩介さんと隣町のお店の前で合流することに。


 日菜姉に運転を代わり、五分ほどで着いたお店は、喫茶店だった店舗を改装してオープンしたような、小さな建物だった。その割に駐車場には数台の車が停まっていて、窓の奥に所狭しと並べられた商品の間から、お客さんの頭が見える。

 私たちが車から降りると、待ちかまえていたように背の高い男性が近寄ってきた。

「遅かったな、途中で事故ったのかと心配した」

「あー……ごめんごめん、事故ってはないから」


 苦笑いを浮かべる日菜姉の横で、私は初めて会う従姉の婚約者に挨拶した。


「はじめまして、潔子です。遅くなったのは私の運転のせいなんです」

「キヨちゃん、彼が白上浩介よ」

「こうして会うのは初めてだね。師匠から話は聞いていたので、会えるのを楽しみにしてました」

「こちらこそ、会えて嬉しいです。私も白上さんのことは、祖父からよく聞いてます」

「ここらは白上姓が何件かあるから、浩介って呼んでよ。俺もキヨちゃんって呼んでも大丈夫?」

「もちろんです」


 私の了承に浩介さんは、すっきりとした顔立ちをくしゃりと崩し、照れくさそうに笑った。

 彼は元々、祖父の元で仕事を習い、独立した職人だ。祖父は高木を伐る仕事をしていた。林業は元から危険を伴う仕事だけれど、そのなかでも高木伐採は特に危険な仕事だ。依頼があれば、遠くの現場にも出かけて行く。命綱を地上で待つ仲間に任せ、樹上ではたった一人で仕事をやりきらねばならない。その命綱を、祖父が最後に握っていた相手が、浩介さん。後継が出なくても仕方がない仕事。だから彼が最後に現れてくれたことが、祖父にとって褒美でもあり、救いだった。


「ところで、これで良かったかな?」


 浩介さんはそう言って、手に持っていた大きな紙袋を私たちに差し出した。

 それを受け取って日菜姉が中から、ダウンのロングコートを取り出す。入っていたのはそれだけではなく、昔流行ったストレートタイプのジーパン、ゆったりめのセーターまであった。


「こんなに、借りてしまってもいいんですか?」


 驚いて浩介さんに聞けば、かえって恐縮したように古いものばかりだからと言う。


「返さなくていいって。セーターなんか伸びてしまってるでしょう、浩介は彼に比べれば細身だから、ちょうどいいんじゃない? そのかわり、シャツはどうしてもサイズが足りないと思うわ」

「ちょうど荷物整理をしてて、捨てきれずにあったものばかりなんだ。どっちかというと、引き取ってもらえるなら、お礼をしないといけないのはこっちというか」

「そんなことない、ありがたいです」

「じゃあ、足りない物だけちゃちゃっと買っちゃいましょうよ。ここのお店、品揃えはちょっと独特アレだけど、安いしサイズも豊富なのよ」


 品揃えがアレってどういう意味だろうか。そんな疑問を聞き返す間もなく、手を引かれて店に入ると、日菜姉の言っていた意味がなんとなく察せられた。

 いらっしゃいませと声をかけてきた店員がまず、派手な刺繍の入ったジャンパーを着用。その下からチラっと見えるシャツの色が、紫なのは気のせいではない。そしてずらりと並んだ商品に目を向ければ、まあ日菜姉の言う通り独特なセンスである。とはいえ、下着から靴まで様々なものが所狭しと並んでいて、この店であらかた揃えられそう。衣裳棚の合間には小さなショーケースまであって、誰が買うんだろうかと悩む金と銀のアクセサリーがズラリとあるのはまあ、ご愛敬だ。


「ね、都会育ちのキヨちゃん、田舎のヤンチャ男子御用達店はどう?」

「いやあ……なんとも。未知の世界というか」


 素直な感想を告げると、日菜姉どころか側で聞き耳を立てていた浩介さんも、声を殺して笑っている。

 というか、浩介さんも元ヤンチャ男子だったわけね。慣れた様子で店内を物色している従姉の婚約者をチラリと伺う。

 キョロキョロとしながら圧倒されたままの私とは違い、日菜姉は既にいくつかの服を手に掴んで、彼氏の背中にあててサイズの確認を始めていた。


「これ浩介が買うのと同じLサイズだけど、例の彼って上半身すごく厚みあったよね……ねえ、どれくらい? こんなもん?」


 日菜姉が彼氏をマネキン扱いで強引に横をむかせて、手で幅を作り、私に確認をとる。浩介さんは苦笑いを浮かべるも、逆らう様子は一切ない。結婚後の関係性が、目に浮かぶよ日菜姉。


「いやあ、たぶんそれくらいかな。よく分からないけど」

「うーん……まあ、大は小を兼ねるっていうから、もう二つ上のサイズにしとこっか。それに合わせてパンツ、靴下……どしたの?」


 圧倒される私を不思議なものでも見るかのように振り返る日菜姉は、既に主婦だ。強い。


「そうだ、靴のサイズは分かってるの?」

「あ、そうか。さすがに靴はわかんないな、どうしよう」

「ふうん、そうなんだ」


 なぜか残念そうな顔の日菜姉。


「靴は長靴にしたら? 祭に行くなら雪道なんだし、大きくても靴下で調節できるし」

「長靴、それがいいですね」


 それならホームセンターで買った方が種類があるくらいだ。ちょうど自分のも必要だし、明日にでも買いにいこう。

 浩介さんの有難い助言で、買い物は無事に済みそうだ。


「じゃあ、私、会計してくるね」

「ええー、これだけ? もっと要らない? 手袋とかマフラーとか、あ、デートだからポケット手繋ぎか!」


 ポケット手繋ぎで思わずポカンとする私に、逆に驚く日菜姉。


「付き合ってたんじゃないの?」

「違います! 一言もそんなこと言ってないけど!」

「ええー、残念。でも可能性はあるんでしょ、けっこうハンサムな人だったものね」

「いやいや、無いって。じいちゃんが何年か世話になったから、そのお礼に案内するだけだよ」


 その言葉に、酷く残念そうな顔をする日菜姉。そんな彼女の様子に、浩介さんが見かねて口を挟む。


「ごめんねキヨちゃん。こいつ退屈してるから何でも面白がっちゃって。ほら、日菜も謝って」

「……ごめんねキヨちゃん。ちょっとはしゃいじゃった」

「はは、いいよ大丈夫、分かってもらえれば」

「でもまあ、また困ったことがあればいつでも相談してね」

「うん、ありがとう」


 明るくて世話好きの日菜姉には、いつも助けられている。

 それから私はお会計を済ませ、ちゃっかり福袋を購入した日菜姉と浩介さんの三人で、近くの喫茶店で食事をして楽しんだ。

 二人の出会いは、やっぱり祖父のところだったそう。修行時代から顔を合わせてはいたけれど、なかなか奥手の浩介さんからは喋ることができず、付き合うことができたのは彼が独立してから。だから祖父も二人が付き合っていることは、最近まで知らなかったみたい。でもすごく喜んでいたのを知っている。

 田舎だから出会いがないといいつつも、しっかり恋はしていた従姉が可愛くて、少しだけ羨ましい気がする。日菜姉はきっと、素敵な奥さんになるんだろうな。



 無事に帰宅して、夕食まで仕事の仕上げをしようとPCを立ち上げたところ、メールに気づく。


「……ん? 誰からだろう」


 覚えのないアドレスからだった。受け取った方のアドレスは、学生時代の友人とやり取りしていた時に使用していたが、今はほぼ使っていない。いつか整理しようと思っていたものだ。

 開いてみると、本文冒頭に書かれた差出人の名に目を疑う。

 差出人は元同僚の岡崎という人物だった。同僚といっても、同じ会社にいたくらいで、部署が違う。あるとすれば、人を介した中での関係。そんな彼からどうして? と文書を目で追う。

 『篠原』その名を見てビクリと肩が跳ねる。

 そうだ、彼の名を覚えていたのは、篠原さん、彼女が一時期彼と組んで仕事をしていたからだ。

 メールの内容はこうだった。


 ──不躾にメールを送ることをお許しください。先日、篠原さんから連絡をもらいました。篠原さんとあなたが既に退社したことは、篠原さんから伺いました。それより以前に退社した私の知るところではなかったのですが、篠原さんから連絡先を知らないかと何度か問い合わせがありました。彼女の言動の様子から、なぜか私とあなたが連絡を取り合っていたと、思い込んでいるようです。私の方は今さら篠原さんと連絡を取るつもりはなく、正直言って迷惑を感じています。このアドレスも、偶然他の人のメール連絡に紛れていたのを見つけて、ダメもとで送信しています。もし届いていましたら、どうか辻さんから直接篠原さんに連絡を入れてあげてください。篠原さんは、あなたを探しています。


 私はそのメールを読み終えると、動揺しつつも急いで鞄をあさり、スマホを取り出す。そして震える指で電話帳を開き、吾妻さんのダイヤルを表示させた。

 通話をタップし、ほんの数コールで吾妻さんは出た。


「……もしもし、あの、辻です」

『ああ、どうした? 仕事の打ち合わせは明後日だったはずだが』

「いえ、お休みのところすみません、あの……実は篠原さんのことで相談が」

『何があった?』


 吾妻さんの声のトーンが変わる。


「実は……」


 メールの内容を吾妻さんに伝えると、小さなため息が聞こえた。


『篠原の電話は着拒してあるよな? メールは?』

「はい、番号を変えてからも彼女の携帯、自宅からの通話は拒否してあります。ただ、PCの古いアドレスが残してあって、今回のメールはそちらに。仕事関係で使った記憶がなかったのですが、誰かに教えたことがあったようで……」


 表面的なものであると分かってはいるが、一応やっておいた方がいいと助言を受け、退社をきっかけに私は電話番号とメールアドレスを変更してある。


『明後日の打ち合わせのときに、直接きみの耳に入れるつもりではあったんだが、実はその件は岡崎くんだけじゃないんだ』

「……え? どういう、ことですか」

『どうも篠原さんは、きみの連絡先を調べて回っているかもしれない。退社した元社員の数人に、きみのプライベート用のアドレスやSNSのアカウントを聞いているようだ』

「そんな……どうして」

『今のところ、こちらで把握している人間には、口止めをしてある。もちろんきみとの経緯を知っている者が多いから、教えた者はいないと思う。どうやら篠原さんは、きみに直接謝りたい、そう言っているようだ』


 謝るって、篠原さんが? 私に?


『会社が絡んだあの件は処理が終わっていることだ、もう社としても対応することはない。だから僕個人としても、これ以上彼女と接触するのは勧めない』

「……そう、ですね」


 正直、今さらだ。独立することになったのだって、篠原さんはきっかけにすぎず、もう何とも思ってはいない。


『ああすまない、不安にさせるつもりじゃないんだ。ただ用心に越したことはない。彼女の性格を考えると、謝りたいというのを素直に信じられないし』


 吾妻さんの篠原さんに対する評価は、私と同じものだ。


「いえ、大丈夫です。むしろ吾妻さんにはいつまでも迷惑をかけてしまって、申し訳ないです」

『そこは気にしなくてもいい、何かあったらまたすぐに連絡を入れてくれ。具体的な対策は打ち合わせの日にしよう。それまでは、そちらの親戚にも注意を促して、誰にも連絡先を伝えないよう言っておいた方がいい』

「分かりました、そうします」

『注意を促しておいてなんだが、あまり深刻にならないようにな。そっちはもう雪が積もっているんだろうな』

「はい、でもまだまだだですよ。新年のお祭りが終わると、いよいよ雪に閉ざされてしまうそうですから」

『そうか、それはちょっと大変だな。じゃあくれぐれも気をつけて』

「はい、ありがとうございました」


 冬休み最中、既に年が明けたとはいえ、明後日がようやく仕事はじめの日だ。休みの日に煩わせて悪いと思いつつも、やっぱり吾妻さんに相談できて良かった。

 少し冷静さを取り戻したところで、そんな元上司にこれ以上迷惑をかけないよう、私は仕事に集中することにしたのだった。

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