第12話 開き直りと約束

 こちらへ来るのも帰るのも、思うようにならないのだと聞かされ、先月の出来事を思い出す。


「ねえ、前回はいつごろ帰れるのか知ってなかった? はっきり帰るまでの時間を言っていたと思うんだけど」


 ストーブの前で手を擦り合わせていたクロードは、少し考えこむ。


「およその体感が、なんとなく分かるんだ」

「私に分かる言葉で説明してよ」


 クロードはうーんと唸りながら、更に難解な表現で説明する。


「こう……体の芯が引っ張られる感覚がするんだ。あっちにいても、こっちにいても、満月が近づく頃になると、体の奥がぎゅうっとなって、弾けそうになる。実際に弾ける訳じゃないが、その感覚が限界までくると、いつの間にか世界を越えている。その感覚は一定速度で進行するから、最近は逆算してあとどれくらいの時間で戻れるか、だいたい分かるようになった」


 ぎゅっとなって弾けるって、何が?


「分かるようで分からないような……でもその体感が実際と乖離してないってことよね」

「ああ。数分くらいずれることもあるが、だいだい」

「じゃあその体感をコントロール……あなた自身が制御することは可能なの?」

「無理だと思う。感じた時にはもう定まっている。だが、毎回一定時間の滞在とは限らないところは謎だな。だがもう慣れた、足掻くより身を任せるしかない」


 そんな投げやりなことを言う。達観、というより開き直りという印象だ。

 

「だけどやっぱり、向こうの世界でも、クロードが来るときには満月になってるんだよね」

「前にも月が二つあるって言ったろ、その一方の青い月の方が満月になると、こっちに来ている。どこにいても、辿り着くのは亀蔵殿の押し入れ。帰り着くのは元いた場所だ」

「へえ。でもなんでじいちゃんの家なんだろうね、ほんと不思議」


 そういえば、祖父の遺した手帳は、慌ただしさの中、思い出すこともなく仏壇の引き出しに仕舞い込んだままだ。祖父はどう思っていたんだろう、なにか手がかりみたいなものが書いてあるのだろうか。

 

「とにかく行き来する度に、浮遊感を必ず感じるな。そのせいなのかは分からないが、向こうでは俺が消えた後に、光の柱みたいなのが見えることがあるらしい」

「光の柱?」

「俺が移動した軌跡みたいなんじゃないかって、リコが言っていた。最初はビビったらしいが、一瞬で俺も光も消えるらしいし、何度か見かけたら慣れたみたいだ」


 ふと疑問がわく。リコという人は、クロードが特に信頼している仲間だから知っていてもおかしくはない。けれども他の人は──


「ああ、俺が異界と行き来してるのは、仲間内じゃ知らない者はいない。戦場で突然いなくなって、数時間後にひょっこり戻ってくれば、どうしたって隠しようがないからな」

「そうなんだ……じゃあやっぱり、今すぐに戻ったら待ち伏せされてるかも」

「それはない。けっこうな吹雪だったから、追っ手も遭難しかねない。運良く俺を待ち伏せして捕まえても、本命ひめを得られるわけじゃないしな」


 クロードは簡単に言ってのけるけれど、だからといって無事に済む話とは思えない。

 吹雪の中に独り取り残されるのは、遭難って言うのではないのか。


「で、今はどれくらい? 朝まではもちそうなの?」

「ん~……あんまり時間ない気がする。もって二時間くらいか」


 時計を見ると、十一時を回ったところだ。夜明けには程遠い。

 絶句する私をクロードは気にも留めずに、洗って干してあった鎧を手に取る。


「今日はストーブが入ってて良かった。ありがとな、キヨ」


 あっけらかんと笑うクロード。とてもそんな状況ではないのに。

 クロードの言う通り、革の部分や中に着ていた防寒着らしい毛皮と、同じ素材のブーツなどはすっかり乾いてる。けれども、それが充分でないことくらい私にだって分かる。山の吹雪が、どんなものかも。


「ねえ……なにか、ないの? 持っていける物、万が一ってあるかもしれないし」

「どうしたキヨ」


 来たときの彼の悲壮感が頭をよぎり、とにかく周囲を見回す。クロードが着てきたのは、鎧の上を覆うような目の粗い麻を織った羽織のみ。鎧の内側の毛皮と合わせたって、とても雪山の寒さを避けられるような物ですらない。金属製の鎧など付けていたら、むしろマイナスだ。

 だからせめて防寒具を持っていければいいのにと、サイズがまったく足りない自分のナイロン製のダウンコートとマフラーを手に取り、クロードを振り向く。

 しかし当のクロードは、申し訳なさそうに眉を寄せて、ダウンコートを私に押し戻した。


「キヨ、気持ちは嬉しいが、飲食したもの以外、なにひとつここから持って帰ることはできないんだ」

「なにひとつ? 本当に?」

「ああ、亀蔵殿もいろいろと試してくれたが、全部ダメだった」

「……そう」


 私は肩を落としながら、ダウンコートを元にあった場所に仕舞い込んだ。そして諦めてコタツに座る。

 すると、クロードもまた反対側に座り、頬杖をつく。

 その顔が、心なしがにやけているように見えるのは、気のせいだろうか。


「なによ、ニヤニヤして」

「いや、同じ反応だなって思って」

「誰が、誰と?」

「キヨが、亀蔵殿と。一見、つっけんどんな態度だが、いつも優しい」

「な……そんなんじゃないし。死なれたら目覚め悪すぎるもの。それに似ててもしょうがないじゃない、孫なんだから」


 クロードが声をあげて笑うので、私もつられてしまう。


「……食べる?」


 すっかり冷えてしまったけれど、汁はまだたっぷりあるし、ご飯だってまだあったはず。凍える雪山に放り出されるなら、せめて熱源となる食事をと思ったのだが、クロードは首を横に振る。

 そして猪口を手にして言った。


「酒で」


 最後の一杯を猪口に注ぐと、クロードはそれを一口で飲み干す。


「ねえ、戻って追っ手から逃げおおせたら、何をするの? 当てはあるの?」

「さあ……どうするかな。突然のことだったし」

「でも、お養父さんとはもう、縁を切るんでしょう?」

「……そうなるかもな、できれば避けたかったが」


 あっけらかんと肯定するかと思ったのに、どこか考えあぐねる様子なのは意外だった。

 まさか、操り人形として生きるのを強要されて、拒否したら殺されそうになり、逃げれば容赦なく追われたというのに。まだ和解できると思っている?

 信じられない。そう顔に出ていた自覚はある。


「馬鹿だと思うだろう? リコにも同じ顔をされた。養父あいつにいっぱしの人間らしい情を求めるな、何度傷つけばお前は理解するのかと」

「賢明な助言だと思うわ」


 彼の言動からリコという人物が、養父などよりよほど信用がおける人だということが理解できた。


「とりあえず援助を申し出てくれている隣国に姫を逃がし、そこでリコとともに体勢を整えさせる。隣国は姫の母親の親族が嫁いでいる、上手くすれば姫を担いで兵を集められるかもしれない。その準備をする間に、俺は一度、養父の元に戻ろうかと思う」

「……はあ? 死にに行くようなものじゃない。裏切った人を許すような人なの?」

「養父の方に寝返るつもりはない。だけど一度、ちゃんと話をしたい」


 私は言葉を失う。いつもクロードから聞きかじるばかりだから、本当の意味で彼の事情を分かっているわけではない。でもクロードが今まで作ってきた傷は、現実のもので……なのになぜ再び、傷で済むかも分からない危険を冒すのか。

 考えがまとまらず、私は立ち上がってキッチンに向かう。そして次の仕事上がりまで取っておくつもりだった吟醸酒を瓶ごと持ち出して、コタツにドンと置いた。


「ここまできたら聞かせなさいよ、養父と話すって、いったい何を?」


 さつぱりクロードの気持ちは理解できない。だったらもう、詳しく聞かせてもらおう。でないと次の満月まで、こいつのことが気になって仕方がなくなってしまいそう。

 クロードに猪口を持たせて、私と彼の二つに並々と注ぐ。互いに一口、口をつけると彼は語りはじめた。


「俺はさ、前にも言った通り幼い頃にあっちの世界に飛ばされて、それまで当たり前のようにあった家族や学校や友だち、全部を失くして命すら落とすところだったんだ。養父が俺を拾ったのが決して善意じゃなかったことくらい、理解している。でも、何もかも失った俺に、居場所をくれたのは確かで」


 クロードは残りの酒をあおり、もう一杯手酌する。


「このまま再び居場所を失うのは、仕方ないとしても、今度は流されるだけじゃなくて、自分の意志で選びたい。そうでないと、前に進めない気がするんだ。だから話をする必要がある。会ったとしても、リコが言った通り失望が待っていて、状況は変わらないかもしれない。俺は養父の真意を確かめてこなかったし、俺自身の考えも伝えたことがないんだ。これが最後のチャンスなら、後悔したくない」


 クロードは以前、流されるままに傭兵稼業を続けてきたと、自分のことを言っていたのを思い出す。

 でも、だ。失望だけで済むわけないんじゃないの?

 どう考えても無謀としか言いようがなく、どうしたらこの目の前の、頭の中まで筋肉なやつにそれを伝えたらいいのかと悩む。


「……というかそれ、リコって人に養父の元に戻るって言ったの?」

「ああもちろん、それで『お前は馬鹿か』って殴られた」

「そりゃそうでしょ。殴るのは別としても」

「それと、仕方ないとも言ってくれた」


 馬鹿正直さと命を天秤にかけるなんて、本当に呆れる反面、クロードは本気なのだ。そんな不安定さに、どうしようもなく不吉な予感がわき上がる。

 もしかしたら、自暴自棄になってて命なんてどうでもいいとか、思ってるんじゃないでしょうね。

 なんだか頭が痛くなってきた。

 私はふと壁にかけてあったカレンダーが目に入り、立ち上がり壁から取り外して戻る。


「ねえ、クロード。次にくる一月の満月の日、ちょうど町の神社で新年のお祭りがある日なの。知ってる?」


 突然、まったく違う話の展開に、クロードは目を白黒させて私とカレンダーを見比べる。


「祭り? 初詣とかじゃなくてか?」

「焚き上げとか、神楽とか、神事があって、人が大勢来るの。夜店も出てて、甘酒も配ったりするわ」

「雪の中で?」

「そうよ、雪合戦もできるわね、今よりずっと積もってるわきっと」


 クロードが目を細める。彼も子供の頃に雪で遊んだり、お祭りの屋台で買い物をしたりしたことあるだろう。初詣だって懐かしいに違いない。


「まだこっちで友だちもいないから、これに付き合いなさいよ、どうせまた来月には来るんだから」


 呆けた顔のクロードにムカついたので、子供の頃のケンカみたいに、コタツの中で彼の脛を蹴る。


「いって!」

「返事は? それとも酒代請求されたい?」

「いやいや、酒代それは無理だ」

「じゃあ約束。いいわね!」

「ああ、わかったわかった。キヨは強引なところも亀蔵殿にそっくりだ」


 少しだけ顔を歪ませながら、クロードは笑っていた。

 そうして気づけば時計は二時を回り、古びたねじの音を伴って鐘を鳴らす。するとクロードは鎧を寄せて、着ていたスウェットの上着を脱いだ。

 私は酒瓶と猪口を片付けることにして、台所に立つ。そして小さな猪口を念入りに洗い終わったところで、背後に金具のこすれ合う音と同時に、大きな影が差した。


「じゃあ、そろそろ行くわ」


 蛇口を捻り、水を止める。

 振り返ろうとしたところで、大きな手に両肩を掴まれ、それは叶わなかった。


「振り返らないでくれ」

「……着替え終わったんじゃないの?」

「なんとなく……俺が消えるところを、キヨには見られたくない」


 思ってもみなかった言葉に、私が噴き出してしまうと、不服そうな声が返ってきた。


「笑うか、普通?」

「だって見ないでって、昔話とか童話みたいよ。そうね、今なら雪女か、鶴の恩返しかしら、どちらにしても乙女チックナーバスすぎるでしょ」

「……キヨにはかなわないな」


 観念して肩から手が離れたと思えば、背後から大きな腕が回り、その見た目とは裏腹に、触れるか触れないくらいふわりと抱きしめられる。


「え、な、なに?」

「三秒だけ、目を閉じて」

「目を?」

「いいから」


 耳元で言われた通りに目を伏せると、三つ数えた。

 しかし三を唱えるのと同時に振り向くと、そこには既にクロードの姿は、跡形もなかった。

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