第10話 雪見酒と七輪
田舎生活を始めて三日目。今日は、買い物に出かけるという節子さんに便乗させてもらい、車で四十分ほどの町に来ていた。
私が考えていたよりもここの冬は雪が多くなりそうで、備えが必要になると説得されてのことだ。
「狭いマンションとは違うし、家も古いから底冷えするわよ。うちに古くなった断熱マットがあるから、それで良かったら使ってね。あとは長靴も……」
節子さんはそう言いながら、カゴに必要な物を入れてどんどん次の棚にカートを走らせる。
私はというと、台所用品の買い足しに足を止め、鍋や保存用容器を選ぶなかで、一番下の棚に小さな七輪を見つけた。
「あ、いたいたキヨちゃん、靴のサイズって二十三…って、それ買うの?」
「卓上なのがいいかなって。小さすぎるかなあ」
買うことに躊躇はないけれど、二つあるサイズに悩む。
「こんな小さなのじゃ何も焼けないわよ、こっちにしたら?」
「でもこれじゃコタツに乗らないかも」
当分、食卓はコタツになる。祖父の部屋は大きくないので必然的に、コタツも同じ。
「台所じゃなくて? ……あ、はーん、分かったわキヨちゃん」
節子さんがにやりと笑う。
「さっき『春川』さんのお店、見てたわよね」
「あ、バレました?」
「あれは炙ったらたまらないものねぇ。特に酒飲みには」
節子さんの言う通り、ホームセンターに来る道すがら、『春川』という名の看板を掲げた店があった。あれは絶対に惹かれるに決まってる。
「それなら、こっちにした方がいいわよ。小さい方じゃはみ出るもの」
「あ、やっぱり?」
節子さんの勧めるままに、ずっしりと重い七輪をカートに乗せた。
それから他の買い物にも回り、手早く会計を済ませ、車に乗り込む。
「キヨちゃんごめんね、急がせちゃって」
「いいんです、乗せて来てもらって本当に助かってますから。それに必要なものは買えたので気にしないでください」
普段から夫婦二人きりで店を切り盛りしているため、節子さんの買い物は時間との勝負だ。
「でも早いうちに、車は乗れるようになった方がいいわよ? 空いてる時に車なら貸すし、練習は雪が本格的に降り始める前にしときなね」
「……それは、考えてますけど」
「ずっとペーパーだったんだよね?」
「はい」
山道を揺られながら、二人苦笑いを浮かべるしかない。
しかし都会でいきなり運転を始めるよりもマシということで、章吾さんや真伯父さんからも強く勧められて、運転の練習をすることになっている。
店を出て十分くらいした頃に、例の『春川』という文字が大きく書かれた看板が見えてきた。店は小さく簡素な造りだが、客の入りは良さそうだ。店の入り口で待っている人がいるのを見つけ、駐車場に入ろうとした節子さんを止める。
「今日は込んでいるみたいだから、また後日でいいです。バスで来てもいいし」
「せっかく通りかかったのに?」
「章吾さんとの約束の時間になりますから、大丈夫です」
「え、もうそんな時間? やだ、本当だわ……ごめんねキヨちゃん」
「気にしないでください、またの楽しみにとっておきますから」
私たちが戻り次第、配達に出なければならない章吾さんが待っている。節子さんはすまなそうな顔で何度も謝ってから、駐車場に入ったところでUターンした。
「なんだ、電話しておけば配達の帰りに受け取ってきてやるのに」
帰り着いた私たちに、章吾さんは呆れた風に節子さんに言う。
すると節子さんは「あ、その手があった」と慌てて電話帳を広げて、「春川」に電話をかけ始めた。
「いえ、そこまでしてもらわなくても」
「いいってキヨちゃん、これくらいなんてことないから。昨日は、三件向うの志津さんから預かった干し芋を、水島先生の家に届けたくらいなんだからさ」
おおらかに笑う章吾さんの奥で、受話器を持った節子さんが、一ダースも注文していて私はただ「え、でも、はあ」とか繰り返す。
「あれは冷蔵庫で一月くらいはもつからな、多めに頼んでおきなって。あいつも好物だから、食べさせてやったらいい」
「……はあ」
それから慌ただしく章吾さんは配達に出かけて、私は荷物を受け取って家に戻る。
あいつって、やっぱり
酒屋の夫妻は祖父から頼まれたこともあってか、クロードがまたこの家に顔を出すものだと思って疑わない。それはあくまでもクロードの勝手な都合で、私が招いているわけではないのだけれど、それを説明する術もなく……
まあ深く考えても仕方ないので、買ってきた品々を出して、夕食の仕込みをせねば。
いただいたお古の断熱シートをコタツの下に敷き、真新しい布団を被せる。それから真新しい鍋を取り出して、朝からとってあった出汁に鶏肉を入れて、さらに旨味を引き出す。肉にほどよく火が入ったところに、油揚げといただきものの茸をどっさりと投入、七味味噌で味付けをして完成。あとは食べる前に仕上げのねぎを加えるだけ。茸の出すとろみと七味が、この寒い季節にはほどよく体を温めてくれる。祖父の得意だった料理だ。
米を洗って炊飯器の予約ボタンを押した頃、章吾さんがやってきた。その手には四号瓶の酒と発泡スチロールの小さな箱。
「配達終わりに寄って来たんだ。ついでにこれ、引っ越し祝い」
「え、でも……お祝いはもう節子さんから」
押し付けられる酒を受け取ろうとしない私の手を取り、強引に持たせる章吾さん。節子さんからだって、もう色んなものを貰ってばかりなのに。
「肴に合うにごりだから、美味かったら次は注文してよ、ね!」
押し切られるようにして酒と箱を受け取り、頭を下げるばかりの私。
今は好意に甘えておこう、きっと返せる日が必ずくるから。そう自分に言い聞かせていったん仕事に戻る。
日が暮れるまでにはまだ少しある。いくつか済ませておきたいと思っていた作業に取りかかった。
カタカタとキーボードを打つ音と、交互にペンを走らせる音。それから遠くを車が過ぎる小さな音がするくらいで、とても静かだ。生活音がしないせいか、時おり風が揺らす葉擦れの音が心地いいくらい。
自然と集中していたようで、一通り作業を終えて時計を見ると、まだ一時間と少し。いつもなら、もっと時間がかかっていたはずなのにと、広げた紙や道具を片付けはじめた時だった。
ズドンと大きな物音がして、私の心臓が縮み上がる。
音がしたのは、私の背中のすぐそば、祖父の押し入れからだ。
「ったたた……」
くぐもった声がしたので襖を開けると、押し入れの上段の狭い空間に、鎧をまとった
「ただでさえ不法侵入なんだから、せめて静かに出てきなさいよね、ビックリしたじゃないの」
呆れた声でそう言えば、クロードは驚いた様子で私を見た。
「……キヨ?」
すぐにへらへらと言い訳をして出てくると思ったクロードは、周囲を見回す。次に私をもう一度見て、黙り込んだ。
「クロード?」
またどこか怪我をして、具合でも悪いのかと思い、肩でも貸そうかと出した手を払いのけられる。
「……あ、すまん」
明らかに動揺した顔を見せるクロード。
「亀蔵殿との約束を違えて、武器を持ってきてしまっている。少し待ってくれ」
後ろ手に持っていたらしいものを、押し入れの奥に押し込むクロード。よくは見えないけれど、部屋からの明りを反射するが、ひどく汚れているのか錆びているのか、金属のようだった。
「キヨには見せたくない」
のぞき込もうとした私を制して、大きな体で遮った。クロードは汚れた靴を脱ぎ、同様に押し入れの奥に放り投げてから、すぐに襖を閉めた。
「別に興味ないからいいけど、それより怪我は?」
「ああ、おかげ様でほとんど完治している。先月は助かった」
「新しいのは?」
「ない……心配してくれたのか?」
いつものように笑顔になり、そして何かに気づいたのか、顔を上げて鼻をヒクヒクさせたかと思えば、ふらふらと歩き出す。
「ちょっと、どこ行くのよ」
追いかけて行くと、ちゃっかりコンロ上の鍋の蓋を開けていた。
「これ、亀蔵殿の汁と同じ匂いがする」
「そりゃそうよ、じいちゃん直伝ですもの。あ、ちょっとそんなにのぞき込まないで、涎が入るじゃないの……って、勝手に味見しない!」
勝手に小皿を持ち出して、お玉に汁をすくって口に含むクロード。
その味に満足したのか、目を伏せて「美味い」と呟く鎧姿の男と、古いキッチンのミスマッチ度がなんとも言えない。
「そんなことより、汚れた手で触らない。着替えて……」
近寄ってクロードから漂う香ばしい匂いに顔をしかめる私。
思わず鼻をつまんでしまう。
「ちょっと、着替える前にお風呂入ってよ、お風呂。いったいどこで何してたのよ、臭すぎるわ!」
慌てて風呂に湯を溜めはじめ、とりあえず有無を言わせずクロードを洗面所に連れていこうと手を取れば。
「冷たい」
クロードの手は氷のように冷えきっていた。
「ああ、雪山を越えるところだったんだ」
「雪山? この夜に?」
「そう、そこで追手に追いつかれて、仲間を逃がすために残ったが、崖から落ちてな。まずいと思った瞬間、こっちに飛ばされ助かった。馬はそのまま谷底だろう、可哀想なことをした」
さらりと告げるが、毎回の酷い状況に、私は眉を寄せる。
「逃げた仲間が心配だが、今日は酷く荒れた天候だった。相手も深追いはしないでいてくれるだろうが……」
怪我をしたときと同じように飄々とした口調でそう言うものの、遠くを見るような仕草のなかに、焦燥感のようなものを感じた。
「とりあえず話は後、お湯がたまるまでは手を洗ってて、私は着替えを持ってくるから」
クロードを洗面所に押し込んでから、私はいつもの薄手の作務衣とは違う、柔らかな肌着とスウェットを用意した。
バスタオルとともに着替えを抱えて洗面所に戻ると、小さな洗面台に向かって背を丸めるクロードがいた。水を流し、大人しく言われた通りに手を洗っているが、よく見ると手を動かしている様子がない。
着替えを棚に置いて声をかけると。
「クロード? どうしたの」
はっとしたように我に返るクロード。
彼は気づいてないのだろう、正面にある鏡に映る自分の顔が、どんな表情をしているのかを。
「すまん、ちょっとぼうっとしてしまった」
「……仲間って、大事な人に使う言葉だよ。心配なんでしょう?」
顔を上げたクロードと、鏡越しに視線が合った。
キッチンとは違う古い明りが照らせば、彼の目が落ちくぼんでいて、かなり頬がこけていることに気づく。
私が過ごした一カ月は、新生活に心浮きたつものだった。けれども、クロードにとってどんな日々だったのか。
「リコは、一番信頼している仲間だ、腕も立つ。大丈夫だ」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、クロードは鎧を外し始めた。
クロードから他の人の名が出るのは初めてかもしれない。あの身の上話のなか、養父でさえ、名を呼ぶことはなかった。リコ──女の人の名前みたいだけど、やっぱり傭兵なんだろうか。
脱いだ鎧が邪魔そうなので受け取ると、怪訝な顔をされる。
「キヨ?」
「なに」
「それ、『ばっちい』ぞ?」
手にした鎧を指さすクロードにつられて手元を見れば、泥とべっとりした何かが付着した錆びやらで、手が黒く染まっていた。
「ぎゃ、やだ!」
叫びながらも汚い鎧を置けばそこも汚れるわけで、放り出す場所もなくオロオロする私を見て、クロードがようやく笑った。
「ついでにこれもまとめて洗わせてもらう」
「え、服ごと?」
「そう、面倒くさいし、洗濯機汚したくないだろ?」
クロードはそう言うと私から鎧を奪い取り、何もかも着けたままで浴室に入って行く。
私は給湯が完了したメロディーを聞きながら手を入念に洗った。
クロードが全身洗濯をしている間に、食事の用意をする。ちょうどご飯が炊きあがったところで、蓋を開けて考える。
「足りるかしら」
今日は満月の夜。クロードが来るかもしれないとは思ったものの、ご飯はいつもと変わらない量で炊いた。本当はもっと多めにしようかと思ったのに止めたのは、まるで彼を待っていたかのようで、なんだか癪に障ったのだ。
だが彼の状況を知ると、これが祖父だったならば、どうしただろうと考える。反面、自分はなんて些細なことに拘ってと、軽い自己嫌悪に。
とはいえ今さらだ。ならばと真新しい七輪を縁側に出して、炭火をおこす。そして章吾さんに届けてもらった箱から、真空パック詰めされた袋を二つ開けた。網が温まる間、茸汁に火を入れて、仕上げ用のネギを散らす。
コタツに食器を並べ始めたところで、クロードがタオルを腰に巻いて、スウェットを手に現れた。
「いつもの服がないんだが、これ借りていいのか?」
「ちょっと、裸で出てこないで。寒いからそれ着ててよ」
「わざわざ用意してくれたのか? いつもので充分だぞ」
「この季節にあんなの着てウロウロされたら、見てるこっちが寒いから!」
七分袖の薄布一枚の作務衣でも、あの
私は再びクロードを洗面所に押し込んでから、七輪を置いた廊下の横にバスタオルを広げた。するとスウェット姿となったクロードが抱えていた鎧を、並べさせる。
「ちょっとシュールな景色だけど、今回は勘弁してあげる。あ、ほら。あんたはコンロから茸汁の鍋を持ってきて」
用事をいいつけて、私はほどよく温まった七輪の網の上に、春川の山女魚を乗せる。
パチパチと一瞬だけ火が揺れて、すぐに見えなくなる。
「それ、春川の山女魚か」
鍋を置いたクロードが、すぐさま反応する。やっぱり祖父が食べさせていたようだ。
私の隣に膝をつき、下焼きしてある山女魚を七輪の上から覗き込む。すると思いのほか熱かったのだろう、顔をひっこめて前髪を払う仕草が子供のよう。
「章吾さんが配達ついでに買って来てくれたの。じっくり弱火で焼くのが美味しいのよ、待てよ、マテ」
するとクロードのお腹が不満とばかりに大きく鳴る。
「ちょっと一口」
「だからダメだってば」
「でもこれ既に火が通ってるんだろう? そのままでも腹は壊れん」
「そういう問題じゃないんだってば」
クロードを引っ張って立たせて、コタツに誘導しようとすると、足を止めた巨体はびくともしない。彼はじっと窓の外を眺めている。
「……雪?」
「寒いと思ったら、降り始めたのね」
クロードは再び黙ってしまった。
私も何を言っていいのか分からず、無言のまま座り、彼にご飯や汁をよそって出す。
「まずは、食べなよ」
無言のままクロードは頷き、コタツに胡坐をかいて座り、箸をとって手を合わせると、ご飯と汁を豪快にかきこむ。
豆腐屋の奥さんからもらった漬物と、昨日の残りの煮物も出す。そうしている間にのそのそと巨体を揺らしてご飯をお代わりにくるのだから、私は肩をすくめながら、もういちどお米を洗ってスイッチを押す。
ご飯が炊きあがる間、章吾さんからもらったにごり酒を出して、炙っていい匂いをさせる山女魚を、皿に上げた。
私もようやくのんびりと箸をとり、酒をあおりつつ山女魚を口に入れる。炭火で焦げた皮の香ばしさと、ほくほくでしっかりとした身の旨味のがたまらない。
「あー、美味しい」
ちらちらと舞っていく雪を見ながら、美味い酒と肴。
すする鼻の音さえなければ、最高なんだけどね。
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