十二の月

第9話 十三夜月とカレンダー

 祖父の田舎に単身移り住むことを決めたあの日から、早くも一ヵ月が経とうとしていた。つまり、満月が近いということ。

 私は引っ越しにあたり、まずは月齢表示のあるカレンダーを買うことにした。ちょうど季節は十二月。立ち寄った書店のレジ横に設けられたコーナーには、来年のカレンダーがずらりと並べられ、よりどりみどり。

 手に取ったのはスタイリッシュな数字が目を惹き、書き込むスペースを重要視したものと、控えめに花のイラストが入った可愛らしいものの二つ。どうしようかと悩む私を見かねてか、それとも目当ての俳優の写真集を買ったがゆえに早く帰りたいだけなのか、母がしびれを切らして言った。


「田舎で重宝するのは、六曜カレンダーよ。こっちになさい」


 母が指さしたのは、花のイラストのものだった。六曜と聞いてすぐにはぴんとこなかったけれど、改めて数字の下に小さく書かれてある字を見つけて、母の言わんとしていることを察した。


「ああ、大安吉日?」

「あんたは顔見しりだし、いいよいいよって気を遣ってくれるかもしれないけど、そこは知り合いだからこそ、自分から手伝うのよ?」

「分かってるよ」


 祖父の住む集落は山に囲まれた田舎ではあるけれど、それなりに若い世代が新しい家を建てたり、別の市や町から入ってくる人もいる。まだまだ古くから住む人たちの習慣が残っているが、新しく新居を構えた人たちへの配慮もあって町内会の在り方も少しずつ変わっていく最中にあるようだった。祖父の家は古くから住む人たちが集まっている地域にある、様々なしがらみがあって当然だ。


「あら、これ意外と多機能なのね。月の満ち欠けも書いてあるわ。うん、こっちでいいわね」


 母が六曜の横に小さく描かれた、小さな丸を指さして言った。

 結局、母に押し切られる形で花のカレンダーを選び、二人分の会計を済ませ、今日で引き払う予定のアパートに荷物を抱えて戻る。

 部屋の中はすっかりもぬけの殻の状態だ。

 あまり多くは持っていけないから、必要最低限の生活必需品以外は事前に実家に預かってもらうことにして、すでに運搬済み。朝には父が運転する車で、祖父の家に向かう。


「去るとなったら物悲しいね」


 ここのアパートには、学生時代の後半からお世話になっていた。たまたま就職先がそのまま通えたため、人生の転機での負担が減り、その後の生活に少しだけ余裕をくれた。

 ざっと最後の掃除を済ませてから、買ってきた荷物の中からペットボトルのコーヒーを出して、母と分け合う。


「あんたがあっさり会社を辞めたって聞いて、本当にお母さんたちビックリしたわ」

「そう?」

「そうよぉ、あなた顔には出さないけど、案外思い切りが悪いでしょう。もし選択肢があるなら、決まって無難な方を選んできたじゃない」

「無難じゃなくて、慎重。もしくは堅実って言って」

「はいはい。だから本当にやってけるのかは心配ではあるけれど、応援してるわ」


 母はさすがというか、私の性格をよく見ている。

 私だって決めたはいいものの、不安にかられながら二度目の辞表を書いた。けれどもそんな緊張をあざ笑うかのように、書き直した辞表を胸に潜めて出社したその日に、フリーの仕事を一つ確保することになった。もちろん、いつだって立ち消えになる可能性は大いにある。なのにまだ続いていたのかと思える幸運──もとい、絶妙なタイミングに背中を押されるようにして、上司に辞表を提出し、晴れて円満退職が決まったのだ。

 そしてこれからは個人事業主。かっこよく言えばフリーデザイナー兼イラストレーター。

 母の言う通り、いつだって煮え切らない私が、こんな行動力を見せたのは生まれて初めてと言っても過言ではない。


「まあ、なんとかなる、かな。仕事の引継ぎの合間に作ったスタンプも好評みたいだし、幸運にもいくつか他に、仕事になりそうな話をもらってるんだ」

「そうね、もしうまく行かなかったら、帰ってくればいいんだし」


 母から出るとは思わなかったその言葉に驚いていると。


「あら、なんで意外そうな顔をしてるのよ」

「だって、母さんもずっと働いてたし、そんな言葉が出るなんて思ってなかったから」

「失礼ね、じゃあ『そんなことしてないで、だれでもいいから早く結婚しなさい』って言えば良かった?」


 私は慌てて首をぶんぶん横に振る。


「そうそう、あの吾妻さん? 彼みたいな人、お母さん好みなのよねえ。ほら、芸能人で似た人がいたわよね、名前なんてったっけ」

「吾妻さんを巻き込まないでよ、彼も春には移動が決まってるし。それにお母さんの好みはアイドル俳優の彼でしょ」


 一緒に買ってきた紙袋を見る。それこそ名前、なんだっけ?


「コウちゃんはアイドルじゃないわよ、ちゃんとした俳優です」

「はいはい」


 母と話をしていると、話題があちこち飛ぶのはいつものことだ。

 そんな会話を楽しみながらも、ふと吾妻さんや同僚たちに、最後の挨拶をした日のことを思い出す。

 九月に有休を使い果たすつもりでいたが、三日で終わらせたために今は残りの日数を消化している。とはいえ前回とは違い、手続きは滞りなく進められているので、このまま消化が終われば退社だ。最後の出勤日に部署のみんなに挨拶をすませると、同僚たちがきれいな花束が用意してくれていた。以前にも辞めると言ったり撤回したりと篠原さんの件でゴタゴタが続き、何かと周囲に迷惑をかけてしまった手前、そんな風に送り出してもらえるなんて思ってもみなかったから、不覚にも泣きそうになった。そんな情けない顔を吾妻さんにばっちり見られてしまった。そういう彼もあと数か月で移動だ。まだ仕事の件でやりとりは残っているものの、直接顔を見る機会はもうないかもしれない。そう思うと、寂しく感じる。

 それが顔に出ていたのだろう、母が「ははーん」としたり顔でほくそ笑んでいる。


「あら、まんざらでもなかったんだ? ちょっと年上すぎるかなと思ったけど、すごく素敵でいい人っぽかったよね」


 実は先日小さなトラブルがあり、休日に出勤していた吾妻さんが、帰りに資料を家まで届けてくれた。その時に、部屋を引き払うために片付けの手伝いに来ていた母と遭遇したのだ。


「だから違うってば、もう……お父さんに告げ口しちゃうからね。吾妻さんがタイプみたいよって」

「え、ちょっと、やめてよ、冗談だから」


 にわかに慌てる母は、調子に乗って娘をからかったことを反省したみたい。

 見た目だけは凛々しいタイプの母だけど、実は父のことが大好きで、父もまた母を誰よりも大事にしている。母の好きな「コウちゃん」にも熱をあげすぎると、父が眉を八の字にしてシュンとなるので、今日購入した写真集は父に隠れてこっそり見るつもりらしい。

 

「そんなことより、来たみたいよ。母さんは荷物まとめておいて」


 同時に呼び鈴が鳴る。私が扉を開けるとスーツ姿の男性が、首から下げた不動産管理会社の社員証を掲げてから頭を下げた。きっちり時間通りやってきた不動産屋だ。部屋を確認してもらい、カギを渡して私は住み慣れた部屋を後にした。

 その後、駐車場に車を停めて待っていた父と合流し、ホテルへと向かう。親子水入らずで過ごした翌朝、自動車で祖父宅に向けて出発。新幹線とは比べものにはならなほど時間を要したが、両親とともに到着。周囲の家に引っ越しの挨拶を済ませたあと、両親はそのまま真伯父さんの家に顔を見せに行ったままだ。どうやらあちらで話しが尽きないのだろう、戻ってくる気配はない。

 一方、祖父の家に残った私は、下ろした荷物のうち真っ先にパソコンを設置する。すでに電気工事は済んでいるので、繋げるだけだったが、動作確認までは今日中にしておきたい。

 そうして問題がないことを確認し終わる頃には、日が落ちていた。

 すっかり冷え切った手足を擦り合わせながら家を出ると、恐らく配達が終わったのだろう、軽トラックの荷台にシートを被せている章吾さんと出くわし、目があった。


「こんにちは、章吾さん。さっき節子さんにはご挨拶させてもらったんですが、今日からここに住むことになりました」

「ああ、待ってたよキヨちゃん。さっきまことさん家に配達行ってきたばかりなんだ」

「うちの両親、まだいました?」

「ははは、いたいた。っていうか、もう出来上がってたよ」


 祖父と私が酒好きで、両親が例外なんてことはあるわけはなく。


「すみません、お恥ずかしい」

ゆきちゃんだけじゃなく、宗佑そうすけさんもいける口だからね。真さんが放ってはおかないさ」


 章吾さんは猪口をくいっと煽る仕草をして見せた。


「キヨちゃんも早く行かないとな」

「ううん、私はまだ準備があるから。そろそろ店も閉まっちゃうでしょ?」


 ああ本当だ、と章吾さんは腕時計を見て苦笑いだ。

 両親は明日の朝、帰路につく。都会の生活で慣れていると忘れがちだけども、ここでは店終いが早い。今のうちに明日の食材や調味料を補充しておかなくては、朝食すら困りそう。いつでも開いているコンビニは、もちろんこの町にはない。一番近いところで、車で二十分走らせた山向こうの集落だ。それに私は、免許は持っているけれど、当然車は持っていない。バスは一時間に一本あればよい方だ。

 私は章吾さんに手を振り、商店街に向かった。

 町で唯一のスーパーマーケットで食材を買い、次に日用品店で食器や鍋、それから防寒用にアンカを買い足した。すぐに必要でないものは、追々通販で手に入れようと思っている。

 一通り商店街を見て回り、家に戻る。

 日がかげると、あっという間に冷えこむ。慌ててストーブを引っ張りだしてきて、火を入れる。これだけは、昨日のうちに真伯父さんが用意してくれていた。

 冷たくなった手をストーブにかざしながら、懐かしいストーブの赤い光を眺める。最近は実家でさえも、なかなか使わなくなった、灯油式ストーブ。これからの季節、これがないとね。


「うん、ストーブといえばこれよね」


 キッチンの棚に仕舞われていたやかんに水を入れ、ストーブに乗せる。

 それから祖父のテーブルをコタツに替えて、こちらも試運転とばかりに電源を入れて滑り込む。

 ストーブとコタツ、あと足りないのははミカンかしら。

 そんなことを思いながら、縁台のある窓に身を捩らせ外を見ると、ちょうど東の空、山の谷間から上ってきた月が輝き始めている。ほんの少し欠けた十三夜月だ。

 あと二日で、満月。

 あれから私なりに、月のことを調べてみた。

 最初に出会った九月、クロードの滞在はほんの数時間だった。十月は分からないが、先月はほぼ一日滞在していたみたい。彼が行き来するタイミングが満ち欠けだけでなく、月の近さに影響されているのかと調べてみたが、どこにも因果関係を見つけることができなかった。

 でも、と。ここに来て真っ先に壁にかけたカレンダーを眺める。一月から使う真新しいカレンダーは、いまだ表紙が破られてはいないまま。

 今月の満月にあいつが来るという、保証なんてどこにもないし、二度と会えないかもしれない。べつに彼のために転居を決めたわけではない。だから待つことはしない。

 けれども私は、ここでの新しい環境、新しい仕事、そして未来に心を躍らせているのだ。

 あの不思議筋肉マッチョの存在も含めて。

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