第12話 勇者と執事と大鬼と⑤

「ハッハッハ。危うく蒸発するところでした」


 爆発地点から数キロ離れた平原。そこにジルバは立っていた。

 周りにはホブゴブリン達が気絶しており、更にオーガが呆然と立ち尽くしていた。


「……どうなってんだ」


 いかなオーガでもあれ程の魔術を受ければただで済むはずはない。それが五体満足で、しかも見知らぬ場所に立っているのだ。混乱しても仕方ないというものだろう。結局オーガはただ、目を丸くしてジルバの姿を眺めるしかなかった。


「おや、何を呆然としているのですか?」


 それに対し、まるで先ほどまでのリアル鬼ごっこなど無かったかのように飄々ひょうひょうと答えるジルバ。しかし、月光を背に佇むその姿は美しい。オーガはやはり、この女が欲しいと思った。


「女、やはり俺のものとなれ。俺の名はガズル。オーガの戦士、ガズルだ」


 吠えるオーガ。

 ジルバはそんなオーガを見てニヤリと嗤い――。


「そうですね、やはり私に勝てたなら考えてあげましょう」


 そう答えた。

 するとガズルは先程と同じく手に持っていたこん棒を地面にめり込ませ、無手にて構える。


「行くぞ」


 そして、今度は開始の合図など待たず、その巨躯きょくに見合わぬ俊敏さで以てジルバに接近。右腕を大きく振りかぶり、そのまま豪快に拳を振り下ろした。

 速く、力強い一撃。単純な暴力だったが、それは相手を怯ませるほどの圧を持ち、通常であれば避けることすら許さない必殺の一撃だった。しかし、ジルバはその一撃を悠々ゆうゆうと回避する。


「グルァァ!」


 ガズルもそれを予期していたのだろう。更に一歩前へ、腰だめに溜めた左を咆哮と共に解き放つ。

 だが届かない。ジルバはそれを受け流し――。


「流石はオーガ。しかし、素地は良いのですがどうにも荒い。宜しい、戦闘というものをご教示しましょう」


 更に襲い来る拳を全て流し、カウンター気味に掌底しょうていを叩き込んだ。


発頸はっけい


 全身の力をくまなく流し発せられた一撃はオーガの巨体を突き抜ける。

 たった一撃だった。オーガは膝を折り、地に膝を着いた。その顔には痛みや恐れではなく、単純に何故? という驚愕が張り付いていた。


「な、馬鹿なッ!この俺が?鉄の刃すら通さぬこの俺が、ただの打ち込みに膝を?!」


 ガクガクと震える足。


「何油断してるんですか?」


 そして顎への蹴り。その一撃はオーガの頑丈な頭を揺らし、脳すらも揺さぶった。遂にオーガはその巨体を地に沈めたのだ。




 グラグラと揺れる視界。俺を見下す、月よりもまばゆい黄金の瞳。

 何でもないような素振りで煙草を取り出し、火を着ける女。


 ――ああ、美しい。これが美しいということか。


 ゴブリンを一撃でほふ強靭きょうじんな脚力。ホブゴブリンとの踊るような立ち回り。遂には俺を一撃で打倒するほどのわざ。そして月光を浴びて妖艶ようえんに佇むその美貌びぼう。どれも頭をチラついて離れない。俺は初めて美というものを理解した気がした。


 鼓動が早鐘を打つように暴れ、煙草を吸うその仕草からも目が離せない。胸を締め付けるようなこの気持ちは一体なんだ。

 それは今まで力で全てを奪ってきた俺には縁のない気持だった。勇猛たるオーガの戦士である俺には必要のなかったはずの気持ちだった。


「何だ、この気持ちは……。うう、おおおおお」


 口にしてみると、何故か涙を流しそうな程に湧き上がる感情。

 すると、奴は煙草の煙を吐き出し言った。


「それは、恋?ですかね」


 冗談めかして言われた言葉。恋……。その言葉を反芻すると、何故だかストンと腑に落ちた。


「そうか、これが恋か……」

「いや、知りませんが」


 この俺がそのような女々しい感情に支配されるなど! という怒りは、何故だか湧かなかった。何故なら、その言葉を受け入れると、有り得ないことだが一瞬にして夜闇の世界が彩りを増したのだ。網膜を焼くほどの眩しさが夜に咲いたのだ。


「おお、何てことだ。何と眩しい……」


 不意に頬を伝う涙。この俺が涙を流す、そんな事実すら感動的でならない。俺は今、この敗北と共に完全に生まれ変わった。そんな気すらする。

 そんな恍惚とした、開放的な気分を味わっていると、不意に心臓から駆け巡る衝撃。体が跳ねる。

 熱い。熱い熱い。この感覚……ッ!





 ガズルを見下ろすジルバ。彼女はその異変を感じ取った。


「おや、これは……、まずいですね。オーガの次って何でしたっけ」


 ブツブツと独り言ちるジルバ。懸念しているのは――。


「まさか進化してしまうとは、想定外でした。このマロンちゃんは本当に男タラシだ。所謂アゲマンという奴でしょうか」


 そう、進化だった。

 魔物は進化する。体の多くの部分を物質ではなく魔素で構成された存在だ。その核である魔石は魂の鼓動、つまりは強烈な思いに感応して魂のレベルに見合った器を再構築する。これが進化だ。

 ガズルは今、魔物オーガの器で焦がれる思いを知った。それは魔物の魂が愛を知るために必要な第一歩。それは神の御心に叶うこと。

 ガズルの器が輝き、収束する。器の再構築が始まったのだ。


「おお、おおおおお」


 そしてガズルが呻く。輝きが収まるとそこには人間の青年程のサイズまで縮んだガズルの姿があった。

 その姿は一見して人間の様だった。だが、額左側には一本の角。そして身の内には暴力的に荒れ狂う力が内包されていた。


「ああ、一足飛びに鬼人でしたか。……下手すると魔王クラスですねぇ、どうしましょう」


 鬼。それは魔物、というよりは魔族の中でも上位の個体に与えられる称号のようなものだ。鬼と名の付く魔族は総じてその力で天災のような破壊を生み出すポテンシャルを持っている。

 ジルバは困ったように首をひねった。


「ああ、今なら分かる。何故俺が倒されたのか……」


 そう言ってガズルは立ち上がる。そして、身の丈に届きそうなこん棒を軽々と持ち上げるとジルバに向き合う。そして飛びかかった。


「再戦を申し込む。もし俺が勝ったならば、今こそ俺のものとなるがいい!」

「ですが、とりあえず……」


 その剛腕によって小枝のように振るわれるこん棒をヒラヒラと回避しながら、ジルバは胸元から一冊の本を取り出す。凶器、『熟れた桃の果実』だ。


「そんな物を取り出してどうする!」

「こうします」


 ジルバは振るわれたこん棒に対し、敢えて前へ。こん棒から本の間合いへ。そして、ジルバはガズルの頭に四角いものを叩き落したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る