第7話 勇者と執事と伝説の剣⑤

 そこは小さな書斎だった。本棚には恐らくこの世界のものと思われる本が所狭しと並んでいる。ジンは何冊か手に取って開いてみたが、その内容はさっぱり分からなかった。

 部屋の奥には机と椅子が一組。そして机の上には無造作に、本当に無造作に一振りの太刀と呼ばれる大振りの刀が置かれていた。


「確か一ノ太刀、だっけか」


 恐らくはそれが目的のものだろう。ジンは刀を手に取ると鞘から抜く。抜剣の小気味良い音が部屋に響いた。


「良い刀だな」


  別にジンは刀を振り回していた時代の人間ではないが、刀剣自体には馴染みがあった。彼の祖父の趣味だったからだ。ジンも男の子なもので、幼い頃から良く見せてもらったりもしていた。それ故、何となく刀の良し悪しも分かるのだ。

 そう言って彼は刀身を様々な角度から眺める。

 歪みもなく、真っすぐな刀身はまるでついさっき手入れされたかのように輝きを保っている。錆ているところなど一か所もないどころか、刃こぼれの一つも見当たらない。

 何度か振ってみる。


「太刀にしては軽いな。それに、よく手に馴染む」


 刀を鞘に戻すと、ジンは椅子に座って目を瞑った。

 久しぶりに一人になった気がする。


「帰れない、か」


 元々こちらの世界に来てからは、常に誰かの気配を感じていて気が張っていた。ゆっくりと状況を整理する時間すら与えられなかった。逆にそんなことを深く考えなくて済んだ、ということでもあるかもしれないが。

 しかし、ここにきてジンは元居た世界に想いを馳せた。人間、一人になると感傷的な思考が頭を過るものだ。先達に帰れないという事実を突きつけられた矢先でもある。家族や友人は心配しているだろう。そんなことを考えると、目頭に熱いものが込み上げてきた。


「ああ、駄目だ。泣きそう。大体何だってんだよ、本当に。何で俺なんだよ……」


 力なく椅子にもたれると、ジンはふと机の引き出しに気付く。引き出しを開けると、そこには年季を感じる一冊の手帳が入っていた。


「手記、とか言ってたな」


 それをパラパラとめくると、女の子が書いたような可愛らしい丸い文字で簡単な日記が書かれていた。日記は日本語で書かれていたあたり、やはり予想通り先代の勇者とやらも日本人だったのだろう。

 日記にはまず、筆者がこの世界に召喚されてから魔王を倒すまでの記録が書かれていた。やはり、ジンと同じようにこの世界に関する教育を受け、仲間を用意され、魔王の討伐へと旅立ったそうだ。

 ここらの日記を見ると、如何に魔族が悪であるとか、魔族を何人殺しただの、酷く物騒なことが淡々と書かれていた。

 そして、魔王を倒してからの絶望の記録。

 その手記によれば、筆者は自身を洗脳されていた、と語っていた。洗脳が解けるまで、筆者は魔族とあらば、前半の日記に合ったに通り殺して、殺して、殺したらしい。その時は自分が良いことをしていると疑わなかったそうだ。しかし、気づいてみれば、ただの殺戮であり、それは筆者の心に深い闇を落とした。

 結局後半はその悔恨の念で埋め尽くされており、最後のページにはこの世界への恨みと帰りたいという言葉のみ。


「ああ、痛い。痛いなぁ」


 ジンは悲痛な顔で呟いた。一歩間違えれば、あの木の男に出会わなければ自分もこの著者と同じ道を歩んでいたのかもしれない。この後半の記録を見ても、ただ馬鹿だな、としか思わなかったかもしれない。それは恐ろしいことだ。

 やはり、まずはこの世界、そして自分の中の真の敵を見定める必要がある。ジンはそう考えた。

 手記を閉じると、その裏表紙に名前が書いてあることに気付いた。


「十条 美怜、ミレイ、いや、"ミサト"か……」


 彼が筆者の名前を呟くと、手帳が淡く光る。恐らくは魔術のキーワードだったのだろう。

 ジンは思わず驚きに手を離すと、手帳のページが勝手に捲れた。それは、一番最後のページの更に後ろに隠されていた・・・・・・ページ。


「なん、だ?」


 そのページにはこう書かれていた。

 ――もし、この世界に絶望したのならディアノメノスを探せ。


「ディアノ、メノス」


 その言葉は、きっと先代勇者が掴んだ唯一の希望だったのだろう。

ジンはその言葉を口の中で転がすと、再び本棚を漁り始めるのだった。




 場所は変わり、ブルーノート伯爵邸。


「おい、何だそのフザケた格好は」

「おや、お気に召しませんでしたか」


 ジルバは一度報告へと屋敷に戻っていた。マロンちゃんの姿そのままで。

 ブルーノート伯爵邸の主であるバイオレットはそんなジルバの姿を見て溜め息を吐いている。


「当たり前だろうが、なんだその駄肉は!無駄にムチムチしやがって!エロ爺が好きそうな体つきしやがって!」


 因みにバイオレットはスレンダーである。どうやらジルバの今の姿が大層気に食わないらしい。


「それとお前、私の煙草一箱くすねてっただろう。しかも、私が楽しみにしてたウォーカーの新作!」

「おや、バレましたか」


 ジルバはまるで悪びれず、胸から葉巻のケースを取り出した。バイオレットは舌打ちした。


「寄越せ」

「仰せのままに、マイロード」

「言ってろ、この腐れ執事め」


 そう言ってバイオレットはケースを受け取ると、そこから一本葉巻を引き抜き火を着ける。煙を味わい、香りを楽しむ。


「美味いじゃないか!この馬鹿!」

「ハッハッハ」


 バイオレットはジルバを睨み付け、そして溜め息を一つ。


「しかし、心底その姿に似合わないな、その笑い方。それで、勇者の方はどうだった」

「えーっとぉ、それではご報告差し上げますわぁ」


 ジルバはクネクネと腰を振りながら言う。


「その喋り方、それはそれでムカつくから普通で良い。……それと、クネクネするな」

「我儘ですね、何様でしょうか」

「領主様でお前の御主人様だこの呆けが!もういいから普通にしとけ、説明しろ!面倒くさい!」


 バイオレットはそう言って机を叩いた。


「それでは報告いたします。勇者の本名は分かりませんでしたが、ジンと呼ばれていたのを確認しています。また、彼はまず間違いなく地球の、それも日本の出身で間違いないでしょう」

「ということは?」

「ええ、私と同じ・・・・です」


 バイオレットはふむ、と一つ頷いた。寄りかかった椅子がギシリと音を立てる。


「アステアが使ってる召喚陣の座標指定か?」

「そこまでは何とも。私も召喚陣など覚えていませんからね。あそこに潜り込むのは面倒ですし」

「魔素の動きを抑制する結界か。魔族、特に貴様にとっては最悪な結界だな」

「全く、しょうもないものを生み出したものです」

「それで、他には?」


 煙を吐き出し、続きを促すバイオレット。


「彼の仲間は今のところ三人。剣士が一人、それに魔術師と聖女が。聖女はヒュマナス教の者です。いずれも強固な洗脳が施されているようで、私が魔族と分かるやすぐに襲ってきましたよ」

「ほう、勇者の洗脳は対処したと報告書にはあったが、それは?」

「そちらは問題ありません。反応を見る限り、洗脳は解けたと言っていいでしょう」

「なら良い。……それで、今回お前がわざわざ戻ってきた理由は別にあるんだろう?」


 バイオレットの目が光り、ジルバはフッと笑みを浮かべた。

 自分も煙草を取り出し、口に咥えて火を着ける。そして煙を吐いて一言。


「兎は寂しいと死んじゃうんだピョン」

「いっそ死ねぇぇぇぇぇぇ!!」


 真夜中の屋敷にバイオレットの叫びがこだましたらしい。

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