第5話 「バリケードの向こう側 5」

病院の中はテレビで見たとおりだった。数十人分ぐらいの靴が収納できそうな下駄箱が和哉を向かえ、数人の人間が同時に受け付けるできるようにという事なのだろうか、大きなカウンターが下駄箱の向こう側にあった。院内は廃墟で見受けられる破壊や落書きの類が無く、閉鎖された時から時が止まったように、ただただ埃だけが積もり続けていた。受付カウンターを正面にし、その右側には皮でできたソファが7脚ほど置いてある。そのソファで4人は思い思いの格好でくつろいでいた。

「おーい。和哉!早くしろよ」

智樹が喋る。病院全体に響き渡るように不気味にエコーがかかる。優華が和哉の姿を見つけると、さっと立ち上がり、

「じゃあ!探検しよー!!」

意気揚々と右手を掲げ満面の笑みで言う。それに同調するように、他の3人もオーと右手を掲げる。互いに顔を見合わせるとあはははと笑っている。そんな姿を見ながら一抹の不安を覚える和哉だった。5人は智樹を先頭に病院内を探検し始める。病院内部は、外が明るい為に若干薄暗かった。その中途半端な薄暗さが更に病院の怪しさとあいまって病院を恐怖の対象と想像させる悪い材料になっていた。そんな病院の雰囲気をよそに5人は和気藹々とあーだ、こーだと喋りながら病院めぐりを始める。

最初に目に付いた場所は、診療室だった。廊下には診療室と記す学校などにある標識が扉の上淵についていた。

「診療室だって。入ってみる?」

そう言ったのは美佳だった。オカルト染みたことが嫌いな彼女の口からこのような言葉が出るとは夢にも思わなかった。彼女自身もこの現状を少なからず楽しんでいる。という事だろうか?そして、その美佳の言葉に促され智樹は診療室の扉を開ける。扉の向こう側はやはり荒らされておらず診療室と機能していた時のまま、時間だけ流れたようだ。荒されてはいないものの、棚の上、机の表面など時間の流れの分だけ埃が溜まっていた。入ってちょうど真正面にその埃の溜まった机がある。その机の表面をスーッと人差し指で和哉はなぞる。指が埃をよけさせ、なぞったところだけ綺麗に本来の机の色が顔を見せる。智樹は優華と机の右側にある棚をまじまじと見つめ、栄一は壁に張られた数枚のポスターを見つめ、かの美佳はさっき和哉がなぞった机の引き出しを上から順に開け始める。その美佳の行動に気付き、和哉が顔をのぞかせる。

「なんかあるか?」

「うーん」

特に目ぼしい物が無いのか、美佳の返事は期待したものは無いとでも言うように唸るような返事だった。次々と引き出しをあけ、全ての引き出しを開けるとはぁとため息のようなものを吐き出すと、栄一同じようにポスターに目をやり始める。机の前から美佳がいなくなった後、和哉もまた順番に引き出しを上から開けてゆく。一番上は検診のときに使用する、聴診器と筆記用具が入っていた。聴診器を手に取りまじまじと見るも、特に変わった様子が無かった。それを確認すると、聴診器を引き出しの中にしまい引き出しを閉め、次の引き出しを開ける。次の引き出しは、いつ使うのか分からないがカルテのコピーが数枚入っており、別に興味も引かなかったので2段目の引き出しも元に戻す。そして、最後の3段目の引き出し。この引き出しだけ普通の机と同様に一番スペースが広く取られていた。その最後の引き出しを開ける。診察に使う資料なのだろうか、ファイルが複数冊収納されていた。そのファイルをパラパラとめくり中身を確認する。どうやらカルテ集のようだった。パラパラパラパラと数ページ飛ばしては中を確認し、全てに目を通すと再び数ページ飛ばしでページを送っていく。それを数回繰り返すうち、ふとあるページで和哉の手が止まる。

『宮島 悟 被検体No97861 担当医 水沼 昭一 』

特に変わったようには見えない普通のカルテのようだが、何故ここのカルテに違和感があって自分自身が興味を持っているのか良く分からない。カルテに存在する興味の対象を探す為にそのカルテをまじまじと隅から隅まで確認する。数分間、にらめっこするとその興味の対象に気付く。まず一つ目、このカルテの患者の横の被検体Noという部分、通常のカルテにこんな事が書いてあるだろうか?素人の目から見てもこのような書き方は異常のように思えた。「被検体」…まるでこの患者は何かの薬や実験の対象者のような感じを受ける。とても病院にあるカルテとは思えない書き方だった。そして、2つ目、担当医の名前…水沼 昭一という名前だ。別にどこにでもありそうな普通の名前だが、彼は、違和感を覚えた。どこにでもありそうな名前だからここにあってもおかしくは無いのだが、彼はとてもこの担当医の名前に興味や寒気を感じた。この「水沼 昭一」という男の名前、和哉たちが通う大学に7、8年前から教授として働いている男の名前と感じも読み方も一致する。そう、確か生物学を生徒達に教えている。メガネをかけ、いつも白衣を身にまとい、忙しなくうろうろしている、生徒からは不人気の教授だった。どこか暗く、髪も伸び放題で不潔感を漂わせるのが不人気の理由だった。生徒間ではどうしてこんな人間が教授なんかになれたのだろうか?というのが語り草だった。そうして、ある程度馴染みのある名前を発見すると和哉は思い思いに診療室を物色している友人達を一箇所に集める。

「なぁ?ちょっと…」

「ん?どうした~?」

「ここ…」

和哉は担当医の名前を指しながら智樹にファイルを手渡す。智樹をはじめ4人は和哉の示す場所に目をやる。智樹は、導かれるようにその名前を読み上げる。

「みずぬま…しょういち…?」

「みずぬま しょういち?」

智樹の後に優華がオウムのように続ける。その聞きなれた名前に4人ははっとする。だが、誰もが考えすぎだと声を上げる。

「何だよ?和哉、考え過ぎだって。水沼 昭一なんて名前何処にでもあるよ」

智樹がそう口に出した。

「俺もそう思った…。だけどそう考える事ができなくて…」

どうして自分自身がこの名前にこれ程惹かれるのか分からなかった。だからこそ、大学教授である水沼とここにいる担当医の水沼を同一人物と結びつける事で自分自身の理解しがたい興味を払拭したかったのかもしれない。

「うーん…。私もこの水沼はあの水沼だと思うな…」

そう口に出したのは美佳だった。彼女もまた言い知れぬ興味をこの名前から得てしまった一人だった。そして、彼女もまたこの人物とあの水沼を一つの線で結びつけた。

「…まだ分からないな…」

そう言ったのは智樹だった。眉間を上に寄せ困惑した表情のままファイルを手に取り言った。智樹はそのままそのカルテに目を通す。どうやら他に気になる部分が無いかを探しているかのようだった。

「ねぇ。水沼って何の教授だっけ?」

そう切り出したのは優華だった。さっきのやり取りから気になったのだろう、4人を見回しながら言った。智樹は相変わらずファイルに目をやり続け、無視をする。そんな智樹をよそに美佳が口を開く。

「確か、生物学よ…」

「あー。だから私はあまりピンと来ないんだ…。私、生物学を専攻してないもん」

あっけらかんと優華は言う。

「ま、この他に変なところは無いな…」

パタンとファイルを閉じながら智樹は言った。そして、閉じたファイルを目の前の机の上に乱暴にポーンと投げる形で置いた。その衝撃で机に溜まっていた埃がモワっと空中に舞った。4人は舞った埃を邪魔くさそうに顔の前で手を仰ぐ。だが、和哉はそうしなかった。

「…」

ただ微動だにしなかった和哉を見て、美佳が声をかける。

「どうしたの?和哉?」

「いや、どうにかして、水沼教授の情報を得られないかなって…」

「じゃあ、私が調べてあげる!」

そう言い、右手を高々と上げたのは優華だった。

「どうやって調べるんだよ?」

智樹が優華に言う。

「生物学を専攻している子が、一回教授の事聞いてみたんだって!」

「一回だけかよ」

智樹が落胆するように言った。

「まあ無いよりはマシだ。優華ちゃん頼んでいいか?」

和哉は優華に伝えた。ちょっと待ってねというと手提げバックをごそごそと弄り、やがてスマホを取り出した。スマホのパターン認証を指で行う。その後、あれ?と声を上げる。

「電波、入らないみたい」

こんな山奥だから入らなくても当然だが、優華の頭の中にはそんな知識や常識が含まれていないようだった。電波を受け取る為に来た道を戻ろうとする優華。そんな優華に気をつけろよと声をかける智樹。その言葉ににっこりと微笑むと診療室を後にした。

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